折り返し点
こんにちは。大和イタチといいます。
知らないうちに年を重ねていってます。知らないうちと言っても一日一日確実に過ごしているのですが、10年単位で後ろを振り返った時、過ぎ去った一年一年が透明になっていて区別がつかないような感覚です。「不惑ってどんな気持ちになるんだろう?」想像できないぐらい先にあると思っていたその年をいとも簡単に通り越し、日々、小さなことにも心惑わされながら、おそらく、願わくば人生折り返し地点であろう付近を通過中です。
人生の前半コースを振り返り、ブログを書こうと思いました。
このままゴールを目指すことが苦しいと思ったからです。理由を簡単に説明します。
一言でいうと「感じるはずの幸せにモヤモヤがかかっている」のです。
今まで大病をすることなく生きてきました。
定職もあり、贅沢をしなければ普通に暮らしていけるだけの収入もあります。
家族にも恵まれ、仲良く過ごしています。
それなりに趣味もあり、休日にすることがなくて困ることもありません。
リストは続いてゆきます。衣食住、人間関係、家族・親戚、趣味、健康、それなりのものが続き、特に不満もなく、「自分は恵まれている」そう感じずにはいられません。当然ながら、振り返ると、多少の挫折や失敗はあります。私はどちらかというと、いろいろなことに手を出したいタイプなので、浅はかな考えで仕事を引き受けたり、新たな人間関係を始めたりして予期せぬ状況に陥り、痛い目にあったこともあります。でも、それは周りを見ればそこら中にありふれている話ですし、人生をピリッと引き締める薬味のようなもので、むしろ無いと困る程度のものです。
毎日様々なメディアから、受け取り切れないほどのニュースが私の目や耳に入ってきます。思わず耳を塞ぎたくなったり目をそむけたい悲惨なニュースも不相応と思える頻度で目にします。親になってからは、特に子供が不幸になるニュースに心が痛み、パソコンやテレビの前で涙を流すことも増えました。世の中には不条理なことがあふれています。でも、私はこの人生の前半戦、その不条理の外側にいました。良いことも悪いことも、その背景や理由を考えると納得することができる、そんな人生です。間違いなく「自分は恵まれて」います。
でも、何かモヤモヤがあるのです。心から幸せだと思っていいはずなのにそれを阻害している何か、特にこの数年間はそんなものがあるような気がして、大笑いできない、心から人生を楽しめない自分がいるのも確かです。折り返し点を意識した今、何かをしないとという思いからブログを書こうと思いました。
ズレを調節する感じで
ではどうしてブログなのでしょうか。
仕事が忙しくてパニックになりそうな時、とりあえず紙に目の前にある仕事を細かく分けて書いてみます。その中で、仕事に優先順位をつけていくと、少しずつやるべきことの道筋が見えてきます。気持ちもだんだんと落ち着きを取り戻し、リストを書く前のパニックに近い「見えないものに押しつぶされそうな気持」は、実はあまり実体のないものだったことに気が付きます。
心のモヤモヤを視覚化させると(文字や図で表すと)モヤモヤが少しずつ晴れてくる。このことは私が今までの人生から得た経験です。偉そうに言ってますが、これは誰かが何かに書いていたことをまねているだけで、おそらく多くの人に当てはまる法則です。
今の私は、おそらく調子の悪いラジオのような状態ではないでしょうか。アンテナやチューナーに不備があり、正常に機能していないラジオ。正しく電波をつかみ、正しく音声に変換できていないラジオ。幸せを実感する毎日を過ごしてもよい条件が揃っているのに、それらをうまくつかんで心から感じられない状態。こうして文章を書こうとしているのは、アンテナの感度を上げ、チューナーの機能を取り戻す作業、人にあてはめると、心と体が感じる感覚と反応のズレを微妙に調整していく作業なんだと思います。
「わざわざブログにしなくても、ノートに書けば済む話じゃないか」心の中の声と葛藤しました。事実、この半年間ノートに気持ちを整理しようとしました。しかし、自分が書きなぐるノートには丁寧さと責任がありませんでした。「どうせ書くのは自分で見るのも自分。気持ちの整理だけだったら後で見る必要もない」そんな気持ちになり、ノートも気持ちもうまくまとまらないのです。ブログを書くということは、私の駄文が世間の人様の目に触れるということ。より客観的な視座と、冷静さ、何より文を目にする人に対する敬意が求められます。おそらく、何も考えずにノートに書きなぐるより、このようなことを意識しながらブログを書くほうが心の整理、つまり先に述べたズレの調整がうまくいくのではないか。そして結果的に、モヤモヤな中年男が分相応の幸せを実感できることにつながるのではないか。いささか身勝手な目的でブログを始めますがよろしくお願いいたします。