好きなものにハマる前後

中年になっても好きな曲

 ここ数年ずっとモヤモヤを抱えながら生きています。家族も仕事も趣味を恵まれていて、もっと幸福を感じる資格があるのに。分相応の幸福感を取りほどすために、ブログで心の整理をします。

 こんにちは、大和イタチです。いつも通勤しながらi-pod何か聴いています。主に語学やニュースなのですが、今日はジューダスプリーストのDefenders Of The Faithを聴きながらの通勤です。これは私がJudasの中でも最も好きなものの1つです。1曲目のFree Wheel Burningから、4曲目のSentinelへの流れは、何度聴いても新鮮で、このアルバムを聴き始めて四半世紀以上経つのですが、いまでも鳥肌が立ちまくります。

 私がヘヴィーメタル(以下HM)を聴き始めたのは16歳の時で、高校の友人がGuns’n Rosesの”Guns’n Rise”を貸してくれたことに端を発します。ボーカルの上にギターのリフがこれでもかというほどかぶってくるサウンドに興奮を覚え、こんなカッコイイ音楽があったのかと、今までのボーカルメインのポップミュージックから改宗。

 その後は、Motley Crue, AEROSMITHなどのアメリカンハードロック(以下HR)バンド、Led Zeppelin, Def Leopardなどのイギリス系HRから、ジューダスプリースト、アイアンメイデン、メタリカとヘヴィーメタル系へと順調に進んでいきました。若さゆえ、激しさや極端なものを求める気持ちは誰でも共通して持つものでしょう。20代初頭の私もその例にもれず、古典を一通り味わった後は、スラッシュ、デスメタル、南欧や南米系の少し痛い系のメタルと、変わったもの、極端なものを求め、さ迷い歩いた時期もあります。

 丁度、時代も追い風で、前後の時代なら契約できないような「きわものチック」なバンドも、そこそこのレーベルからCDを出していました。「俺は世間が知らないこんなにマイナーな音楽を聴いているんだ!」それだけ自分に自信がなかったのでしょう。一般人にとって耳障りの悪い音楽を聴いていることで自分を鼓舞している時期がありました。デスメタルを聴いても、一時的には興奮しますが、同じ調子の曲に疲労を感じ、途中でハロウィーンやラプソディーの美しくてドラマティックなメロディーラインが聞きたくなります。まあ、その程度のヤワな筋金です。

古典に回帰

 20代のころに幅広く買い集めていた(狭いHMというジャンルですが)それらのCDも、その多くはブックオフやハードオフへと売られてしまいました。現在、リビングに小さな棚がありますが、その棚に収められている約400枚ほどのCDは、「これを手放せば、私の過去の一部が来て失せてしまう!」と思えるぐらいそぎ落とされたものです。子供たちが成長するにつれて、独身時代の遺物はその行き場を失います。私に与えられた空間に並ぶCDの背表紙を見ると、それらを始めて手にした当時の私の生活、その時の心の感覚が、時を超えて湧き上げってくるように感じられます。

 残されたCD(私がセレクトした)CDを見ていてあることに気が付きました。その棚には、この10年の間にリリースされたCDがほとんどないのです。若さに任せって突っ走っていた30年前のメタルバンドは、解散や休止を繰り返しながらも、今だかなりのバンドが残っています。それは、プロレスラーが引退を宣言・撤回しながら50代~60代へとなっていくことと似ています、

 私の棚のCDは、私が「はまった」と思ったアルバムを最新の1枚として、その時期以降にリリースされたものが残っていないのです。

 例えば、Black Albumと言われる”Metallica”が出る直前に、私は”And Justice for All”を聴いてメタリカを好きになりました。ジューダスプリーストは”Pain Killer”, スレイヤーは”Seasons un the Abyss”,オジーは”No More Tears” です。

 それらのアルバムとの出会いを起点として、前後のアルバムを買っていくわけですが、棚に残っているのは、ほぼ起点の前の作品です。メタルに最もハマり、手当たり次第に聴くアーティストを広げていったのは高校から大学の約6年間です。その後社会人になってからも、メタルが好きで、気になるバンドは新作が出るたびに買い、いいと思いながら聴いていました。

 しかし、少し冷めた熱と家庭の事情のためブックオフに持っていくのは、そのバンドとの出会いの後にリリースされた作品ばかりです。粗削りで録音のクオリティーは悪くても、出会いの前にリリースされた作品は捨てられないんです。世間の評価とか売り上げに関係なく、私にはそういうクセがあることに気が付きました。

 基本的に前を見るより、後ろを振り返って「あの時はよかった」そう思う性格なのかもしれません。そして、その性格がモヤモヤを形作っていると考えるのが自然なのかもしれません。この性格をどうやって変えるのか、または性格を変えずにモヤモヤだけ解消することはできるのでしょうか。

モヤモヤ ⇒ ⇒ ⇒ 幸せ?

”あの時より今からの方がいいことがある、と思えるような方法を考えたら”

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。