働き者で付き合いのいい後輩
同じ部署の後輩のM君とはもう4年間も一緒に仕事をしている。後輩とはいっても年は20ほど違う。下手すると親子のような関係である。
このM君、とにかくよく働く。そして仕事のセンスがある。天才肌ではないが、周りをよく観察していて「これだ!」と確信したことに努力を注ぎ込む、そんなタイプだ。
そんな彼の働きぶりを見ているとこちらも気持ちよくなる。彼の評価が高い理由をあと二つ記すと、
・どんな内容であれ仕事を引き受ける時の顔が前向きである
・誰の仕事でもない仕事を見つけてさりげなく行う
業務の分担をする時、今まで負のメタメッセージを出す後輩を数多く見てきた。口では「わかりました」というものの顔は笑っていない。斜め横に伏せられた視線、立ち去る時のダルそうな後ろ姿「なんで俺がこの仕事の担当」という声が聞こえてくる。
かく言う僕もどうだろう?仕事をしていて気持ちが乗らないこと、拒絶したいことも少なからずはある。そんな時、僕から発せられる非言語情報が周りにとってどう思われているのか。自信がないし、とても難しい分野だ。
M君はどんな要件でもさわやかな表情で「やりますよ!」と受け入れる。そしてすぐに取り組む。「できるかな」の前に「やってみよう」が出てくるタイプだ。だから仕事を振った人間も気分がよい。「仕事を笑顔で引き受ける」たったこれだけのことで、彼の周りで多くのことがうまく回りだす。
それともう一つ、彼は誰の仕事かわからないような仕事を見つけるのがうまい。はっきりと宛名付けされていない仕事、でも誰かがやった方が結果がよりよくなるような仕事。そういう仕事に気づき、彼はさりげなく行う。それは資料作りの工夫であったり、オフィスの整頓だったり、目立たないが周りを少しいい気分にさせる、そんな仕事だ。
当然、私はM君をよく飲みにつれていく。彼もお酒は嫌いな方ではない。立ち飲みや焼き鳥によく付き合ってくれる。それどころか、私の「呑み鉄」にも同行する。
中年オヤジ鉄っちゃんと一緒に旅をしながら酒を呑む20代若者、そんな彼を後輩に持ち自分は恵まれていると感じている。
名随筆家、内田百閒にはヒマラヤ山系君という若き旅の友がいた。もはや文学作品ともいえる鉄道紀行文を数多く残した宮脇俊三は小鬼の藍君と旅をした。格調高い呑み鉄のような旅だ。
どちらの作家も鉄道に関する作品を数多く残し、私は繰り返し読んでは彼らの世界観に浸っている。偉大な二人と比べるのはおこがましいが、私もM君と呑み鉄の旅をしていると、彼がヒマラヤ山系君や小鬼の藍君に思えてくる。
話を聴く度怒りがこみあがってくる
そんなM君とお酒を飲むうち、彼の生い立ちがわかってきた。穏やかな性格の彼からは想像できない厳しい境遇に、僕は話を聞く度に自然と彼の勘定を払いたくなってくる。
母親が支配する独裁国家に生まれ落ちた彼は、小さな頃から自分の欲求を満たされることなく育てられた。当然、欲しいものなど買ってもらったことがない。henpeckedな父親は母の言いなりで彼の味方になってくれない。それどころか正業とバイトを掛け持ちで朝から晩まで働かされている。他の兄弟はいち早く家を飛び出した。
僕は彼の話を聞く度に、彼の母親に対しての怒りを感じずにはいられないが、彼の苦境はここからだ。
中学校を卒業する時、母親はM君に就職することを要求する。両親が揃い、親が定職についている家で、今の時代これはめったに無い話だ。彼も半分その気になっていたところ、中学の先生の後押しもあり高校進学することが決まる。
「進学するなら全部自分の力でやれ。一切援助しない」と、一見獅子が我が子を崖から落としているように見えるが、彼の親はそんな厳しくも子を思う心を持っていたわけではない。単に子供が自分の思い通りにならなかったことと、子供にお金をかける気持ちが無かっただけ。彼は親から「高校進学援助なし」と宣言される。
仕方なくM君は入学してすぐガッツリとバイトを始める。何しろ、授業料はおろか小遣いすら与えない親だ。授業料・諸経費・交通費・部活動費、彼は高校生活を続けるためにバイトに明け暮れた。自分で稼いだお金で勉強している高校生が世の中にどれだけいるのだろうか?カラオケやUSJで遊ぶ友達をよそに、ひたすら学費のためにバイトする彼の姿を想像して涙腺が緩んでくる。
そんな彼の唯一の癒しは、クラブ活動だった。音楽部での仲間との演奏、これが彼の落ち着ける場所。彼は自分の苦境をギターにぶつけた。ブルーズはそんな環境から生まれるのだろう。勉強と部活以外、放課後も土日も夏休みも、彼は学校に行くために、そしてギターを弾き続けるためにコンビニで働き続けた。
まだまだありまっせ!
「目標特にないし勉強嫌いだけど、親が高校行けと言うから行っている」そんな高校生は多いだろう。衣食住に不自由することなく、学費も何もすべて親に面倒見てもらっているのに嫌々高校に通っている、よくある話であるし、僕自身を振り返るとそれほど外れていない。
M君は高校に行かないと働かされる。そして働けば確実にお金を巻き上げられる。そんな境遇で苦労して通った高校、当然周りの連中とは気合が違う。好成績を収めた彼は教師から進学を進められる。彼もまんざらでもなかった、が今度は授業料の桁が違う。
M君は学生支援機構からお金を借りて、後はバイトで賄うことを計画。そして見事、地元の有名私大へ合格するが、これが彼の更なるバイト人生への一里塚。
「多分の4年間の内の1年半ぐらいの時間バイトしていました」「学校終わってバイト先のコンビニへ直行。深夜まで働いてレジ裏で寝袋に入って仮眠。朝また働いてから通学してました」彼はサラリと言う。
そして「大学時代は家に月3万円入れされられました」と聞き、僕の彼の母親に対する怒りは再びピークに達する。さらに「お金を入れる日が一日遅れるとすごく怒られた」の言葉に怒気と同時に彼に対する憐憫の情があふれ出る。
M君の生い立ちに関して進学の部分にのみ焦点を当てて書いてみた。これは彼が親から受けた仕打ちのほんの一部だが、あまり書くと人物が特定されそうなのでここでやめておく。
奇跡的なのは、そんな境遇で苦労したM君に卑屈さや暗さは全くなく、むしろ毎日生き生きとしていること。最初に述べた通り仕事もできるし、周りの信頼も厚い。結果を見ると、彼の両親の子育ては成功しているといえる。が、彼の親が全てを見越して厳しい境遇をあえて彼に与えたとは到底思えない。経済的に自立したM君は家を出て一人暮らしていてめったに実家に帰らないが、親の誕生日には何かを送るようだ。どこまでいいやつなんだ。
M君の反対側にいる人を見る
彼の境遇について知れば知るほどその反対側にいる人間に目が行ってしまう。すなわち、それは僕だ。
親に愛されて育った実感は大いにある。高校時代まではいろいろと制約をかけられたが、高校を卒業すると基本的に自由に過ごすことができた。それに制約と言っても世間一般的なものであり、自分が親になった今、その意味は十分理解できる。
学費はすべて親持ちで、大学に入学すると車も買ってもらえた。人並みにバイトも経験したが、稼いだお金はすべて自分の遊びに使うことができた。それどころか、旅行に行くと言って旅費をもらい、研究用の本を買うと言って金子を受け取った。
M君が高校・大学時代に味わった種類の辛苦を、僕は全く味わうことなく大人になった。大人になってからも、実は4年前祖母が亡くなるまで、帰省するたびに小遣いを貰っていた。
いくら「あげるのが楽しみだから」と言われても、40を過ぎたオヤジが小遣いを貰う姿はおかしい。しかし僕は感謝しながら受け取っていた。「これもおばあちゃん孝行だから」という変な理屈をつけながら。
「僕は恵まれすぎている」M君の境遇を聞く度にそう思わずにはいられない。
タイムリーなことに今日「おしん」の再放送で、今の僕とM君の関係を表すようなセリフを耳にした。
高度経済成長をへて豊かになりすぎ、それを当たり前のように享受している若者に対し不安を抱きながら、年老いた浩太さんはおしんにゆっくりと言う。
「人間どん底になって人生を考える時がないと、本当の幸せなんかわかりゃしないんだ。豊かさに慣れてしまった人間なんて不幸なんです。」
どうしてM君が今生き生きと幸せそうにしているのか、そして彼の正反対にいる僕のモヤモヤが終わらないのか、教えてくれる言葉だった。