3回連続
私がイタリア語検定2級を始めて受験したのは2021年でした。大阪天満の会場でリスニング試験が始まって数分後に、私は自分の不合格を確信しました。何を言っているのかさっぱりわからなかったのです。結果は予想通りすべての分野で合格からは程遠い点数でした。
それから1年後、2022年の試験ではリスニングは9割以上取ることができました。筆記も基準点に達していました。しかし、作文があと2点足りませんでした。私は2浪目に入るに際して、作文が書けるようにとにかく例文を多数覚えようと考え、毎日決まった量の例文を日本語からイタリア語に直す練習を続けました。その結果、本一冊分、800の例文を覚えました。
むかえた2023年の試験では作文で基準点を超えることができました。筆記も何とかクリアしました。しかし、あろうことかリスニングでこけてしまいました。前年に9割以上取れて自信はあったのですが、リスニングの第1問が終わった時、2年前のあの苦い記憶がよみがえってきました。何を言っているのかわからない部分が多かったのです。結果、今度はリスニングが2点足りずに1次試験通過はなりませんでした。
私は同じ試験に3回連続で落ちてしまったのです。このようなことは今までの私の人生になかったことです。比較的難しいと言われる英検1級も初受験で1次試験に合格し、次回には2次面接にも受かりました。全国通訳案内士試験も1度で決めました。もっと振り返ると、高校・大学受験や就職試験もそれほど苦労せずに通過してきました。
イタリア語検定2級だけが、私をあざ笑うかのように私の目の前にふわふわと浮かんでいます。すぐに捕まえられそうなのですが、手を伸ばすとするりとすり抜けていくような感覚です。
私は時々自分に向かって次の言葉を投げかけます。
Che diavolo stavo facendo! 「一体オレは何をやっているのだ!」
もちろんやっているのはイタリア語です。この言葉を吐きながらも、次の瞬間には「イタリア語を勉強しなくては」という気持ちになりiPodを聞くなりテキストを開くなりしています。しかし、冷静に考えてみると、私はなぜそこまでしなくてはならないのかわからなくなります。
考えるな
お金はそれほどかけていませんが、今までイタリア語学習に対して時間と労力をかけ続けてきました。本格的にこの言語を学ぼうと考えた理由は以前の記事に書きましたが、これだけ苦労したのならもうその目的、つまり英語で苦労している生徒の気持ちを味わうということはずっと前に達成できているはずです。
しかしながら、私は自分で「2級を取るまでは」という縛りを勝手に作ってそれによって脳と体と心のエネルギーを消費しているのです。通勤中は好きな音楽を聴いたり、読みたい本を読めばよいはずです。家に帰ればテレビや映画を見たり、何なら何もせずにボーっとして過ごせばよいはずです。
もう十分に大人できちんと働いているのですから、自由時間はリラックスするために使えばよいし、世の中の多くの人はそうしているでしょう。それが私の場合は通勤中はリスニング練習かテキストを読み、家に帰ると勉強時間の確保のことを第一に考えて、休日も「今日はどこでどれくらい勉強できるのだろう」ということがまず第一に頭に浮かんできます。
私は何かに取りつかれているように「勉強時間を確保しなければ」と考え続けています。こうやって距離を取って自分を見てそれを文章にしていると、随分と私は変わった人間に思えてきます。自分で選んで行っていることなのですが、可哀そうにさえ思えてきます。
これだけ考えているのだから実際に勉強時間を確保してイタリア語の実力も上がっているかと聞かれると、それは自信がありません。かつては「ラジオイタリア語講座上級編が理解できるときがくるのだろうか」とよく思っていました。今ではそれでは物足りなくなっているので、そう考えれば力はついているのかと思います。
しかし、それが自信につながっているのかと言えば全くそんなことはなく「できない」「できていない」と思うことの多さに辟易しますが、考えてみれば英語に対しても私は同様に感じているのでこれは私のネガティブな思考のクセかもしれません。全くどうして私はこのような性格なのでしょうか。
イタリア語検定まで半年を切ったにも関わらず、仕事が忙しくて勉強がはかどっていません。そんな中でも週1本はブログの記事を書くと決めています。その二つのこととイタリア語検定3浪目ということが相まって今回のような支離滅裂な文章になってしまいました。これもまた私の心のなかを知るためには必要なことかもしれません。
Che diavolo stavo facendo! 「一体オレは何をやっているのだ!」と週に何度も思いますが、そんな自分の心の癖にも負けず、できるだけ何も考えずに、それでいてイタリア語学習を行っていきたいと思います。
「2級の先に何かがあるはずだ」と私の直感が告げているのです。たぶん、私の生活と心の状態を変える何かがあるはずです。そのことを信じて、あと5ヵ月間3浪生活を続けます。