610

思い込み

私は、自分は頭の固い人間だと思います。勝手にいろいろな思いこみを作り、その枠の中で行動を制限され苦しむことを続けてきました。無関係に見える二つの事柄の中に関係を作り出し、間違った行動をした時そのスイッチが入ることに怯えながら生きてきました。

例えば朝家を出る時、私は決まった動作で決まったことを考えながら玄関を後にします。そうしないと何か悪いことが起きるのではないかと不安になるからです。食事を食べるときもだいたい同じ順番で食べます。語学学習を行うときもそうです。必ず単語や熟語を音読することから始めます。定食屋さんでは、迷った挙句いつも同じものを注文します。一度自分がこうしたほうがよいと思ったことがあると、それから逸脱することに不安を感じるのです。

慣性の法則が人間の心にも働いているのではないかと思います。では、最初にその場所まで私を連れて行ってくれたものは何なのでしょうか。あることに対して凝り固まった状態になる前は、私もいくつかの新しい挑戦を重ねてきたはずです。

それが、ある時ある場所で決まった形になり、しばらくそのことが続くとそれから離れることができなくなるのです。常にニュートラルで新しいものを受け入れられる人には理解しがたい感覚かもしれません。私の心は粘性が強く、新しいものを受け入れるまで長い時間と労力がかかるのです。しかも、時に手放すことなく受け入れようとして苦しむこともあります。このような心の動きを「執着」というのかもしれません。

これから私が30年間囚われ続けていた執着について書こうと思います。

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令和六年五月場所

楽しみにしていた五月場所も一瞬のうちに終わってしまいました。いつものように15日間での気づきをダラダラと記します。

落差

力士たちは体の調子をギリギリのところまで整えながら勝負に挑み、その歯車が少し崩れると十分に力を出すことができないのだと思います。今場所途中休場した霧島関を見ているとそんなことを感じさせられます。

令和五年は霧島の年でした。春場所で優勝し、夏場所で11勝をあげて、名古屋場所では新しい四股名をもらうと共に大関として闘いました。十一月場所では二度目の優勝を果たし、あれよあれよという間に綱取りを目指す状態になりました。

私は数年前から次の横綱は霧馬山か豊昇龍のどちらかがなると思っていましたが、今年に入り圧倒的に霧島が有利と感じました。

しかしです、初場所は優勝争いをしたものの三月場所で5勝10敗、そして今場所では1勝しかあげることができませんでした。詳しい動きは解説できませんが、なんだか先場所から相撲を見ていて力が入っていないように感じていました。

新たな四股名をもらい、師匠も代わり、地位の重さもあり、私たちの考えられないような重圧の中で勝負をしているのだと思います。

ゲガを治して体を整え、名古屋場所で10勝以上あげてほしいと思います。

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人工物

3号神戸線

車やバイクで出かける計画を立てる時、どうしても気持ちが東以外に向いてしまいます。交通量の多い場所を走りたくないからです。神戸市であっても六甲山の裏側である北部地域は交通量も少なく、そこそこ快適に走ることができるのですが、この地域は南西から北東へ向かって道が通っているため、東へ向かおうとすると遠回りになります。

神戸から大阪方面を真っすぐ目指す時、どうしても芦屋、西宮、尼崎と人口密集地域を通ることになります。この区間は一般道はどの経路をとっても道中ずっと一定間隔で信号があるため、”進んで止まって”をひたすら繰り返すことになり、運転していて面白くありません。

信号で止まるのが嫌なら都市高速に乗ればよいのですが、この阪神高速3号神戸線は全国でも1番といっていいほど頻繁に渋滞している路線なのです。阪神間にはもう一本、末端区間が未開通ながら阪神高速5号湾岸線があるのですが、この路線は空いているもののほとんどが海の上を通っているためバイクで走るのが少し怖いと感じることがあります。

たまにはバイクで東にも行ってみたいし混むのは嫌だしということで、私は早朝の3号神戸線を通って大阪の東、河内地方へ向かうことにしました。しょっちゅう混んでいる神戸線ですが、通勤時間前は事故がない限り大丈夫のはずです。

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共同体

初夏のルーティーン

かつての私はそうではありませんでしたが、ここ数年は桜の花が終わる頃になると実家にある田んぼのことが気になり始めます。今まで父母が作った米を当たり前のようにもらって食べていました。たまにスーパーのお米売り場にいってその値段を見ると「米ってこんなにも値段が高いものなのか」と驚きます。

私は今まで自分で苦労することなく米を得ていたのでそう思っていました。農作業を手伝うといっても、自分の都合がよい時、親の顔を見がてらに帰省して手伝っていました。祖母が存命中は、そんな軽くお手伝いをする私に小遣いをくれていました。もう不惑になろうかという大人にです。

2年前に父親の足腰が傷み始めてから私の手伝いの意味が変わってきました。「好きなときに」から「米作りのスケジュールを考えて必要なときに」に変わったのです。

父母は「無理しなくてもよい」と言ってくれます。しかし、その言葉をまともに受けてしまうと父母に無理させてしまうことになるのです。だから私は桜の季節が終わると同時に計画を立てて動き出します。機械や化学肥料によってかつてに比べれば数段楽になったとはいえ、米作りは手のかかる仕事です。そのことを身をもって体験すると、あのスーパーの米売り場の値段の意味が分かってきます。

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無駄なエネルギー消費

私の思考の割合

相変わらず慌ただしい毎日が続いており、ゆっくりと腰を落ち着かせて文章を綴る時間がありません。そのためなのでしょう、最近の記事はネガティブな内容のものが多くなっています。このブログは、もとはというと文章を書くことで私の心を整えることが目的なので、この辺りで少し軽くてファニーな記事を書いて心のバランスをとろうと思います。

ものを考えるということは頭の中で既知の言語を運用することによって行われます。そしてこの国のほとんどの人は母語である日本語を使用してそれを行います。外国語が一定のレベル以上できると、それらの言葉も思考の中に入り込み始めます。

私はというと、もう長い間英語とイタリア語の学習を行っています。英語を教えることは職業なので毎日なんらかの形で触れていますし、意識して上達しようと心がけています。イタリア語は数え切れないくらいの中断と再開を繰り返してきましたが、なんとか現時点では「学んでいる」と言えるレベルだと思います。

従って私は何かを考える時、3つの言語を使うことになります。ざっくりとした感じ日本語75%、英語が20%、イタリア語5%、これらが私の思考のために使う言語の割合です。

さて、私の頭のCPUの中はこれらの言語を使って運用されているわけですが、肝心の思考していることに関して言えば、私はこのブログの読書の方々が想像するより遥かに俗にまみれた人間です。

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「いつか」はいつ?

30年前の本

リビングのテーブルの上に一冊の本が置いてあった。「若きウェルテルの悩み」、私が大学生の頃に買ったものだ。

子どもが生まれるまでは本を捨てたり売ったりすることがなかった私であるが、今では定期的に本を処分する。ネットの出現で知の在り方が変わってきたのが大きな理由の一つであるが、子供たちが成長すれば物理的にも私のためのスペースは少なくなる。

私のなかではゲーテのこの著作は処分してしまったと思っていた。しかし、こうして私の目の前に現れてきた。読んでいるのは高校生の次男であった。彼の部屋の壁の一面には備え付けの本棚がある。かつては私の部屋だった。だからその本棚には私の本もまだ混ざっている。彼はそこからこの本にたどり着いて読んでいるようだ。

次男も高校生に入りぐっと大人になってきた。いろいろなことを考えて、時にはもの思いにふける姿を見せるようになった。そんな彼を、この本のタイトルが惹きつけたのであろう。

さて、私はというとこの名作を読み通していない。学生時代のある日、私は書店でこの本を手に取り購入した。おそらく明るい気分でそうしたのではなかったであろう。次男と同様に、私も煮え切らない何かを心に抱え、この本のタイトルに引き付けられた。

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Cosa stavo facendo?

3回連続

私がイタリア語検定2級を始めて受験したのは2021年でした。大阪天満の会場でリスニング試験が始まって数分後に、私は自分の不合格を確信しました。何を言っているのかさっぱりわからなかったのです。結果は予想通りすべての分野で合格からは程遠い点数でした。

それから1年後、2022年の試験ではリスニングは9割以上取ることができました。筆記も基準点に達していました。しかし、作文があと2点足りませんでした。私は2浪目に入るに際して、作文が書けるようにとにかく例文を多数覚えようと考え、毎日決まった量の例文を日本語からイタリア語に直す練習を続けました。その結果、本一冊分、800の例文を覚えました。

むかえた2023年の試験では作文で基準点を超えることができました。筆記も何とかクリアしました。しかし、あろうことかリスニングでこけてしまいました。前年に9割以上取れて自信はあったのですが、リスニングの第1問が終わった時、2年前のあの苦い記憶がよみがえってきました。何を言っているのかわからない部分が多かったのです。結果、今度はリスニングが2点足りずに1次試験通過はなりませんでした。

私は同じ試験に3回連続で落ちてしまったのです。このようなことは今までの私の人生になかったことです。比較的難しいと言われる英検1級も初受験で1次試験に合格し、次回には2次面接にも受かりました。全国通訳案内士試験も1度で決めました。もっと振り返ると、高校・大学受験や就職試験もそれほど苦労せずに通過してきました。

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四月当初

考えさせられる時

新しい年度が始まり、新入生が入ってきて、在校生はそれぞれ一つづつ進級します。勤務校が変わったり定年を迎えて離任する職員がいるかたわらで、新たに採用されたり勤務校が変わる教師たちもやってきます。

新しい年度、新しい人員、新しい校務分掌の中、4月の学校は慌ただしくすぎていきます。始業式と入学式、新入生に対するオリエンテーション、在校生のための課題考査、健康診断に学年集会、短期間の間にこれらが詰め込まれた後、通常の授業が始まります。

この間、朝学校に着いてから夜に帰宅するまでほとんど息つくひまがありません。お昼を食べながらも、廊下を歩きながらも次に何をするべきなのか考え続けています。

教師になって以来、ゆうに二十回以上このような慌ただしい新年度を迎えてきました。いい加減慣れてもよさそうなのですが、やるべきことはわかっていて、それに向けて準備をするのですが、決して余裕を持って4月を迎えたことはないのです。

私だけではありません。この時期は周りの誰もが緊張しています。他人に何かをお願いするることに対して気が引けます。自分も何かを頼まれた時、一瞬でも嫌な顔をしていないかどうか気になります。

二十回以上経験しても慣れないのには理由があります。考えるべきことと知っておくべき情報量が年を追って増えているからです。そしてそれらの情報は読みやすい形で一つの場所にあるわけではありません。パソコンの中のいろいろな場所に散らばって存在し、私たちはそれらを時間をかけて探しに行かなくてはならないのです。そして時にそれらを共有する時間を持つ必要があります。

情報を得て考えて共有しなくてはならないことは山のようにあります。しかし、かつてはそうではなかったようです。この仕事を始めた時、ベテランの先輩にさまざまな話を聞きました。

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8000万年

パラダイス

神戸は丁度いい大きさの街だと思う。いろいろなものが程よいサイズで揃っている。山があって海があって、その真ん中に文化的な香りのする街がある。美味しい食べ物もあるし、古くからの酒どころでもある。

港町だけあって異質なものを受け入れる懐の深さもある。都会過ぎず、田舎過ぎないところもいい。実家から帰ってきたら「賑やかで活気があるなあ」と思い、大阪や東京から帰ってきたら「人が多すぎなくてほっとできる」と感じる街だ。

そんな神戸の街には私が個人的に好きな場所がいくつもあるが、その中で「本当に一つだけ挙げて」と言われたら私は「神戸サウナ」と答える。サウナーの間では全国的に有名な施設であるが、個人的にも一番好きなサウナでその名前を想像するだけで心が穏やかになる。

よく私の住む街にこのような素晴らしい施設が存在してくれたと感謝したくなる場所である。そして素晴らしいのは施設だけではなく、そこに息付く哲学というか、働く人の持つホスピタリティーというか、それらが一体となってオヤジの心身を全力で癒してくれる。

私は時々そのパラダイスへ行き、癒されると同時に何か新しいことを考えさせられてこちらの世界へと戻ってくる。3月下旬の平日、私は休みを1日とって神戸サウナへ行った。普段は平日に休みを取れない仕事をしているが、長期休業期間中は別である。大人気の施設である。どうせ行くなら人の少ない平日の昼間に堪能したい。

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テレビもいいけれど

春を告げる

大相撲が始まる前の週末、つまり奇数月の第2日曜を迎える週末の授業で私はよく「今週末はみんな楽しみがあっていいな」というようなことを言います。生徒たちは何のことかとザワザワと考えますが、やがて私が「みんなも若隆景応援してな」などというと「なんだ相撲か」的な反応を示します。

「私もみんなの歳の頃は良さが全くわからなかった」と言ってお茶を濁しますが、本心は「誰か相撲の好きな生徒はいないかな」と思っています。私が教えるクラスでは必ずこのような相撲ネタで苦笑をとるのですが、今まで積極的に食いついてきてくれた生徒はほとんどいません。

私が普段仕事をしている世界では、大相撲ファンは絶滅危惧種のような扱いですが、世間一般を見るとそうでもなく、1月場所は全て満員御礼になり、大阪場所もそうなりそうな予想でした。

若貴ブームのような際立った人気力士はいないものの、日本文化を体験したい外国人客の増加もあって、最近では大相撲のチケットが取りにくくなっているのは事実なようです。

そのような事情を察してか、私がよく相撲話をする職場の先輩が大阪場所のチケット購入を提案してこられました。先輩は私よりランクが上の会員のため、早くチケットの抽選が受けられるのです。

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