四月当初

考えさせられる時

新しい年度が始まり、新入生が入ってきて、在校生はそれぞれ一つづつ進級します。勤務校が変わったり定年を迎えて離任する職員がいるかたわらで、新たに採用されたり勤務校が変わる教師たちもやってきます。

新しい年度、新しい人員、新しい校務分掌の中、4月の学校は慌ただしくすぎていきます。始業式と入学式、新入生に対するオリエンテーション、在校生のための課題考査、健康診断に学年集会、短期間の間にこれらが詰め込まれた後、通常の授業が始まります。

この間、朝学校に着いてから夜に帰宅するまでほとんど息つくひまがありません。お昼を食べながらも、廊下を歩きながらも次に何をするべきなのか考え続けています。

教師になって以来、ゆうに二十回以上このような慌ただしい新年度を迎えてきました。いい加減慣れてもよさそうなのですが、やるべきことはわかっていて、それに向けて準備をするのですが、決して余裕を持って4月を迎えたことはないのです。

私だけではありません。この時期は周りの誰もが緊張しています。他人に何かをお願いするることに対して気が引けます。自分も何かを頼まれた時、一瞬でも嫌な顔をしていないかどうか気になります。

二十回以上経験しても慣れないのには理由があります。考えるべきことと知っておくべき情報量が年を追って増えているからです。そしてそれらの情報は読みやすい形で一つの場所にあるわけではありません。パソコンの中のいろいろな場所に散らばって存在し、私たちはそれらを時間をかけて探しに行かなくてはならないのです。そして時にそれらを共有する時間を持つ必要があります。

情報を得て考えて共有しなくてはならないことは山のようにあります。しかし、かつてはそうではなかったようです。この仕事を始めた時、ベテランの先輩にさまざまな話を聞きました。

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8000万年

パラダイス

神戸は丁度いい大きさの街だと思う。いろいろなものが程よいサイズで揃っている。山があって海があって、その真ん中に文化的な香りのする街がある。美味しい食べ物もあるし、古くからの酒どころでもある。

港町だけあって異質なものを受け入れる懐の深さもある。都会過ぎず、田舎過ぎないところもいい。実家から帰ってきたら「賑やかで活気があるなあ」と思い、大阪や東京から帰ってきたら「人が多すぎなくてほっとできる」と感じる街だ。

そんな神戸の街には私が個人的に好きな場所がいくつもあるが、その中で「本当に一つだけ挙げて」と言われたら私は「神戸サウナ」と答える。サウナーの間では全国的に有名な施設であるが、個人的にも一番好きなサウナでその名前を想像するだけで心が穏やかになる。

よく私の住む街にこのような素晴らしい施設が存在してくれたと感謝したくなる場所である。そして素晴らしいのは施設だけではなく、そこに息付く哲学というか、働く人の持つホスピタリティーというか、それらが一体となってオヤジの心身を全力で癒してくれる。

私は時々そのパラダイスへ行き、癒されると同時に何か新しいことを考えさせられてこちらの世界へと戻ってくる。3月下旬の平日、私は休みを1日とって神戸サウナへ行った。普段は平日に休みを取れない仕事をしているが、長期休業期間中は別である。大人気の施設である。どうせ行くなら人の少ない平日の昼間に堪能したい。

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テレビもいいけれど

春を告げる

大相撲が始まる前の週末、つまり奇数月の第2日曜を迎える週末の授業で私はよく「今週末はみんな楽しみがあっていいな」というようなことを言います。生徒たちは何のことかとザワザワと考えますが、やがて私が「みんなも若隆景応援してな」などというと「なんだ相撲か」的な反応を示します。

「私もみんなの歳の頃は良さが全くわからなかった」と言ってお茶を濁しますが、本心は「誰か相撲の好きな生徒はいないかな」と思っています。私が教えるクラスでは必ずこのような相撲ネタで苦笑をとるのですが、今まで積極的に食いついてきてくれた生徒はほとんどいません。

私が普段仕事をしている世界では、大相撲ファンは絶滅危惧種のような扱いですが、世間一般を見るとそうでもなく、1月場所は全て満員御礼になり、大阪場所もそうなりそうな予想でした。

若貴ブームのような際立った人気力士はいないものの、日本文化を体験したい外国人客の増加もあって、最近では大相撲のチケットが取りにくくなっているのは事実なようです。

そのような事情を察してか、私がよく相撲話をする職場の先輩が大阪場所のチケット購入を提案してこられました。先輩は私よりランクが上の会員のため、早くチケットの抽選が受けられるのです。

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令和六年三月場所

国技館の写真

14日目の幕内後半の取り組みを、私は馴染みの立ち飲みで他の常連と一緒にテレビ観戦していました。酒を飲みながら、気合の入った力士たちの勝負を見ることができ、心の底から喜びを感じた時間でした。

惜しくも髷を掴む反則で負けましたが、宇良の素晴らしい身体能力を見ることができました。琴の若が豊昇龍を寄り倒しにして優勝争いから引きづり落としました。

しかし、この日の私たちの話題の中心は「国技館に飾られる優勝力士の写真」でした。今まで大銀杏を結っていない優勝力士の写真があるのかどうかということでした。千秋楽を前に幕内優勝の可能性があるのは、まだ大銀杏の結えない尊富士と大の里になっていたからです。

この日朝乃山に敗れて右足首を痛めた尊富士は、痛みの中千秋楽で見事に豪ノ山に勝利して感動の優勝を飾りました。110年ぶりの新入幕優勝ということで、おそらく普段相撲に興味の無い人も関心をもってニュースを見たと思います。

私たちの間では、尊富士と大の里、どちらが優勝しても髪が伸びるのを待ち大銀杏を結って写真をとる、という予想ですがそれがどうなるのか披露される日が楽しみです。若くて実力のある力士たちの登場にますます大相撲を見る楽しみが増えます。

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Time is Everything to Me

深夜のリビングで

「昨日、泣いてたね」

妻が私に言葉をかけた。私は妻に涙を見せることはない。少なくとも今まではそうだった。しかし、この日の夜は涙を流す私の後姿を見られていたようだった。

外でお酒を飲んで帰り、一人のリビングで私はターンテーブルにレコードをのせて聴いていた。その日に買って帰ったアルバムだった。1曲また1曲と私は聴きながら歌詞を口ずさむ。私の気持ちは現在と高校生だった30数年前とを行ったり来たりする。

自然と涙があふれだしてきた。それはよくあること。私は悲しい事件や感動する話を聞くとすぐに涙腺がゆるむ。しかしこの日は違った。私は涙と共にあふれ出てくる声を止めることができなかった。

自分がこんなに泣くとは想像もできなかった。10分前に考えられなかった自分の姿に驚き、そのことがさらなる嗚咽の原因となった。こんな泣き方をするのはいつ以来だろうか。好きだった叔父が亡くなったとき。気の合う友人を失ったとき。

A面が終わり、レコードをB面へ裏返す。誰もいないリビングで1時間、私はレコードを聴き続けた。一度泣いてしまうと、心が落ち着いてきた。私の心は相変わらず今と思春期を行ったり来たり。中年オヤジと少年の私が同時に存在しているような気分であった。

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春が来ない

ソワソワ ヒヤヒヤ

毎年2月も下旬になると瀬戸内海の様子が気になり始め、新聞やニュースである言葉に敏感になりその出現を期待します。その言葉は「イカナゴ解禁日」であり、それは文字通りイカナゴという魚の漁が始まり魚屋さんやスーパーに生のイカナゴが現れる日を示します。

イカナゴはスズキ目に属し成長すると20センチぐらいの細長い魚で、その幼魚は「シンコ」と呼ばれ大阪湾や播磨灘沿岸の街では春を告げる魚としてこの時期心待ちにされます。シンコのほとんどは生のまま売られ、それをこれらの地域の人々は家で調理します。釜揚げやかき揚げにしても美味しいのですが、一番代表的な調理法は「くぎ煮」と呼ばれる佃煮です。

私は20年ほど前、明石に住んでいました。この街には「魚の棚」と呼ばれる商店街があり、鮮魚店やかまぼこ屋や乾物屋などの海産物を扱う店が並んでいます。そこへ通ううちに、私も自然とこの季節には生のシンコを買うようになり、くぎ煮を作るようになりました。

明石から神戸へ引っ越しをした後も春先のこの習慣は変わりません。2月中旬を過ぎると「今年の解禁日はいつだろう」とソワソワし始めます。始めは自分たち家族の食べる分しか作っていませんでしたが、あまりに美味しく日持ちするため親や友人たちに送るようになりました。

こうなったら「ソワソワ」の中に「今年はこれだけ確保していつ頃送ろう」という決意と計画が混ざり始めます。それはそれで楽しいことでしたが、事態は7年前から緊迫し始めました。2017年にイカナゴの漁獲量がガクンと減ったのです。

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代替物

年末・3月・ワクワク

毎年年末になるとワクワクしながらネットに打ち込む検索ワードがあります。それは「ダイヤ改正+次の年」であり、昨年なら「ダイヤ改正2024」でした。

JR各社は12月になると次回のダイヤ改正の概要を発表し始めて、私鉄もそれに合わせることが多いです。ですから次のダイヤ改正の大きな目玉は年内に知ることができます。今回の改正なら「北陸新幹線の延伸に伴ってどんな種別の列車がどの程度走るか」と言ったことです。

しかし細かい部分のダイヤは時刻表が発売されるまで知ることができません。ですから時刻表3月号は、鉄道好きにとって一年で最も待ち望まれる雑誌となります。かく言う私も物心ついたころから、このダイヤ改正号は待ち望んだ末に発売されるとすぐに購入し、その日はしばらく読みふけっていたのもです。

JRが分割民営化する以前から時刻表は愛読書だったため、私は民営化後もJTBのものを買い続けています。最近では「小さな時刻表」がお気に入りです。先日私は今年もワクワクしながらダイヤ改正号を買いに行きました。自宅にもって帰り読み始めました。

読み始める前はワクワクしています。しかしすぐに「ワクワク」は「あーあ」に変わります。今年だけではありません。ここ10年以上同じです。長年の習慣のため、ダイヤ改正号を読み始める前はパブロフの犬のように自然とワクワクするのですが、それがすぐに萎えてしまうのです。

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人と人以外

淡々と

大相撲宮城野部屋の関取、北青鵬が引退勧告を受けた。同じ部屋の後輩力士に対する度重なる暴力行為が発覚し、その責任を取らされた。

「暴力」とは曖昧な言葉で時代や場所によってその意味が大きく異なるため、私はここで暴力に対する価値付けをできるだけ避けながら淡々と文章を書き進む。

ただ、言葉の性質上100パーセント無垢なテキストを書くことはできない。ロラン・バルトが言うようにテキストは最終的には読者の内に収斂していくからだ。だから「あなたの偏見に満ちた主張は読むに堪えない」と言われても私は反論することができない。申し訳ありませんと素直にいいたい。それでは書き始める。

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欠乏感

ある休日

最近過ごしたある休日について時系列に記してみます。

7時30分:
寝室からリビングダイニングへと移動し、やかんにお湯を沸かしアイロンをあてる準備を行う。湯が沸いたら緑茶を入れ、それをすすりながら私と息子のシャツにアイロンがけ。約30分で合計4枚のシャツにアイロンをあてる。作業をしながら録画しておいたHNK Worldの英語番組を見る。

8時過ぎ:
妻が起きてコーヒーをいれてくれる。その間私は新聞を取りに行く。新聞を読みながらドーナツと共に簡単な朝食を取る。

8時30分~10時:
イタリア語の学習を始める。NHK出版の「書ける・話せる実用文例800」から16ページ、約60の例文を日本語からイタリア語に直していく。800の例文はほぼ覚えたが、これは私にとってウォーミングアップのようなもの。たいていこの本からイタリア語学習を始める。

続いて昨年末に発売されたベレ出版の「本気で学ぶイタリア語文法問題集」を始める。600ページ超の分厚い問題集だ。難易度はそれほど高くないが、基本の復習と綴りの練習を兼ねて最初から解いている。

語学をしているとあっという間に時間が経過する。

10時30分:
洗濯ができたのでベランダに干す。もちろんそのような単純作業を何もせずに行うようなことはしない。ポッドキャストでイタリア語を聞きながら行う。終わればそのまま風呂掃除。

11時ごろ:
本を何冊か並べてつまみ読みをする。エッセイと新書とマンガ、頭に負担のかからない軽いものをパラパラとめくる。私はいつも5~6冊の本を並行して読む癖がある。本を読んでいると一瞬で時間が過ぎていく。

1時前:
妻も子供も出かけていないので、昨日の残り物で簡単に昼食を済ます。食べ終わるとすぐにサウナに入るために家を出る。天気がいいので運動を兼ねて歩いて行くことにする。1時間ほど少し早足で歩く。歩きながらポッドキャストでイタリア語を聞く。

2時~4時:
サウナ、水風呂、外気浴を4セット行う。その後休憩室でマンガを30分ほど読む。

5時:
家に帰り語学学習を再開する。この日はイタリア語学習が多かったので、バランスと取るために英語を行う。杉田敏の「現代ビジネス英語」を聞き、音読する。

7時前:
友達と遊びに行っていた妻から「鍋の用意をしてほしい」と連絡がある。出汁は妻が作っていたので、肉と野菜と魚を切って火を通す。牡蠣を洗って鍋に入れる。大根をすり、薬味のネギを切る。

8時ごろ:
家族で夕食。私は酒を飲みながらダラダラと食べる。普段、相撲以外のテレビを見ない私であるが、酒を飲んだときは別。酔ってしまうと何もできなくなるので、ここぞとばかり録画していた番組を見る。この日は「六角精児の飲み鉄本線日本旅」を見る。

11時ごろ:
妻に起こされる。テレビを見ながら寝ていたようだ。歯を磨いて寝室に移動して再び眠る。

朝起きて

このように記してみると、一日の内に私はいろいろなことをしているとわかります。家事、語学学習、読書、運動、サウナ、酒、テレビと盛りだくさんです。

しかし、次の朝、目を覚ますと私は欠乏感に襲われました。仕事に行く前、私の頭に浮かんでくるのは「前日にできなかったこと」なのです。一日のうちにできたことは忘れてしまい「そういえば~をしなかった」という形でしなかったことについて考えてしまうのです。

具体例を挙げると以下のようになります。

  • 今年に入ってからまだ家で一度も明石焼きを焼いていない。多いときは毎週のように焼いていたのに、これでは焼くのが上手にならないし焼き鍋にとってもよくない。
  • バイクの走行距離が伸びていない。今年に入ってまだ一度しか給油していない。昨日はよい天気だったのに、ウォーキングを優先してしまったのでバイクに乗れなかった。
  • 地理の勉強ができていない。次男と一緒に高校地理の勉強をすると決めてテキストを買ったのに、ほとんど読めていない。次男はどんどん先を行っていて最近は、高校・大学と地理を学んだ私が答えに窮する質問をしてくるようになった。

このほかにも「確定申告の医療費控除の計算ができなかった」「包丁を研ぐことができなかった」「車の錆びた部分の塗装ができなかった」というふうに、「できたこと」よりも「できなかったこと」の方が多く浮かび上がり、私は欠乏感に悩まされるのです。

時々「自分の体が二つあればよいのにな」と思うのですが、たとえそうなったとしても私の欠乏感は解消されないと思います。体が二つあったとしても、人間の欲と想像力はきりが無いためそれ以上にするべきことが浮かび上がってくるからです。

私はこの次々に浮かび上がる欠乏感の癒し方を見つけない限りは、最高に幸せな人生を送ることができないと思うのです。なぜかというと、きりの無いものに対して私が持っている時間は有限であるからです。

「幸福を追求すること。これこそが不幸になる主な原因である。」

港湾労働者の哲学者、エリック・ホッファーの言葉です。

今の私は「これができたらよい」というリストを多く持ちすぎているのかもしれません。確かに「やりたいこと」ができたときは幸せを感じるのですが、それを持ちすぎることは同時に「できなかったこと」という不足感も作り出してしまいます。

そうなると私は何を考えてどのように行動するべきなのでしょうか。キーワードは「今」だと思います。「今一番やりたいこと」「今できること」にフォーカスして、それができればよしとするのです。私の体は一つで今一番も一つのため、それを続けていけば最善の結果を出し続けることになるでしょう。

今一番に集中すること、言うのは易しです。それを行うためには自分の心の声を正確に聴く必要があります。私に「やりたいこと」が多いのは、ある意味「今一番」に向き合うことを避けるために心の作用なのかもしれません。「今一番」は曖昧でもそれとベクトルが似ていることを行なえばそれなりに満足できるからです。

自分の心の声を正確に聴きそれを行動に移すには何を行なえばよいのでしょうか。今すぐ言えと言われても私には分かりません。しかし、私はこの問いを持ちながら考え続けることにします。

見えない世界

生駒山の麓

ここ数日、家事をしながら涙ぐむ妻の姿を度々目にした。私が意地悪をしたわけではない。運命のいたずらを彼女は感じていたのだ。

大阪の中心部から東へ進み生駒山へぶつかる麓に石切という街がある。そこには関西の人から「石切さん」と呼ばれ敬われている石切劒箭(つるぎや)神社があり、関西一円から多くの参拝客を集めている。

この神社は「でんぼの神様」と呼ばれている。「でんぼ」とは大阪の言葉ではれもののことである。はれものにもいろいろあるが、最も厄介なはれものとは腫瘍であろう。平均寿命が延びて、現在では二人に一人の割合で一生の内どこかで癌にかかる時代になった。

しかし、癌は成長するまでに長い年月がかかる病気だという。だから二人に一人とはいっても老人になってから患うケースが多い。しかし、時には私たちのような働き盛りの年代に襲い掛かることもある。

先日、私たち二人は電車に乗って石切さんを目指した。妻の友人に祈りをささげるためである。いつもなら二人で会話が弾む電車での道中もお互いに口数が少ない。

昼前に近鉄奈良線の石切駅に到着し参道を神社に向かって歩く。大阪平野から少し標高を上げ生駒トンネルの入り口にある駅だ。眼下に大阪のビル群が一望できる。この視界の中に500万人以上の人が暮らしている。その誰もが誰かから生を受けて、今この瞬間、息をしている。

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