月曜の朝
新しい週が始まり「おはようございます」の挨拶と共に職場の扉を開ける。すぐに同僚の一人がやってきて私に声をかける。
「亡くなったなあ」
「誰がですか?」
「錣山親方」
突然のことに言葉が出てこない。自分の机に座りパソコンを立ち上げてニュースを検索する。見出しに名前が載っている。新聞を見てみる。錣山親方の訃報があった。
「人って死ぬんだ」
当たり前のことであるがこう思った。
“不条理の消費” の続きを読む幸せについて考えてみよう
新しい週が始まり「おはようございます」の挨拶と共に職場の扉を開ける。すぐに同僚の一人がやってきて私に声をかける。
「亡くなったなあ」
「誰がですか?」
「錣山親方」
突然のことに言葉が出てこない。自分の机に座りパソコンを立ち上げてニュースを検索する。見出しに名前が載っている。新聞を見てみる。錣山親方の訃報があった。
「人って死ぬんだ」
当たり前のことであるがこう思った。
“不条理の消費” の続きを読む兵庫県の中央に「丹波篠山市」という自治体があります。そのすぐ北西には「丹波市」が隣接します。もともと前者は「篠山町」を中心に市町村合併でできた「篠山市」という名前で、後者は「柏原町」など5つの自治体が合併して誕生しました。
市制をひいたのは篠山市が少し早く、丹波市は篠山市に6年遅れて誕生しました。この時、二つの市の間で少しもめました。端的に言うと「どちらが丹波というイメージにふさわしいか」という争いでした。篠山市は令和に入ってから市名に「丹波」をつけることになりました。
このことから分かるように、この辺りの人々は「丹波」というイメージに誇りを持っています。黒大豆や栗などの農産物から、猪や鹿などのジビエまで、この辺りには付加価値が高く美味しいものが多くあります。それら自然の恵みが一番おいしい季節は秋であり、この季節になると各地から多くの観光客が丹波の地にやってきます。
ここは京阪神の大都市からもアクセスがよく、気軽に訪問することができます。地の利のよいこの地域には都会から移住する人も多く、店舗や宿泊施設を中心に新しい風が吹いています。
いつもの悪い癖でここまで長くなりました。今日はツーリングの話をします。行きつけの立ち飲みで知り合ったバイク好きが集まり時々ツーリングに出かけます。
その中にWさんという同世代の人がいて、この方は特に田舎の美味しい食べ物や素敵な宿に対して敏感なセンサーを持っています。私たちがツーリングで度々この地域を訪れるのは、このWさんのおすすめによるもので、今まで外れたことはありません。
そのWさんに1年前「来年の11月のこの日は開けておいてください」と言われました。ある素敵な宿が取れたというのです。HPもありません。多くの人は訪問したときに来年分も予約する場所で、泊まれるのは一日二組までです。新規の客が入る余地があまりありません。運よく入ることができれば最高の猪肉が食べられるといいます。魅力的な宿が多いこの地でも特に泊まるのが難しい場所です。
“らしくなってきた” の続きを読む朝一番の新幹線で私たち家族四人は西へと向かった。目的地は福岡市。前回新幹線に乗ったのは妻の二人の夏の山形旅行だった。この時も朝早くの新幹線で、列車が動き出すと缶ビールを開けてサンドイッチと共に朝食をとった。
今日もどうしようか迷った。なにしろこの旅行のために今週は五日間アルコールを抜いている。130時間ぶりのビールの味を想像して喉がなったがグッと我慢した。どっちみちあと5時間もすれば飲んでいるのだ。
新幹線の山側の2人掛け席を二つ使って私たちは西へ向かっている。一つを回転させて向かい合わせの4人掛けにすればよいが、ほぼ満員の車内にそんなことをしているグループはいない。コロナが残した新たな習慣に従い、席を動かすことなく私は次男と妻は長男と座る。
「鉄ヲタアルアル」であるが、私は大学時代人文地理を学んでいた。そんな私の血を引いたのか次男も地理に興味を持ち、大学受験は地理Bで受けようと考えている。次男の隣で私は小声の解説を続ける。見える地形や街や川の名前、産業や人口、車窓から見える情報を次男が鬱陶しがらない程度に解説していく。
岡山以西の山陽新幹線はとにかくトンネル区間が長い。次男はスマホに映る地図と見比べならずっと窓の外を眺めている。暗闇に入るとそんな次男の横顔が窓に映し出される。彼とはこの5年間で何度も二人旅をした。当然のことであるがこの日見ている横顔が一番大人に見える。
大阪で一人暮らしをする長男はこの旅行のために昨晩神戸に帰ってきた。神戸の音楽仲間と会った後遅くの帰宅だった。彼は音楽を中心に大学生活を送っているようだ。おそらく不規則な生活をしているのだろう。列車では妻と会話をしていたがイヤホンを耳にするとすぐに眠りに落ちた。
列車は新関門トンネルを越え小倉に到着する。次男はここで降りる。どこに行くのか聞いても「適当に列車に乗って福岡に行く」とだけ答える。私たちは家族四人で旅行している。しかし中身は「2+1+1」である。私は妻と行動し、息子たちはそれぞれ適当に行きたい場所に行き、夕方集合して一緒にご馳走を食べる、そんな旅である。
“とりあえず最後” の続きを読む毎年のことではあるが、千秋楽結びの一番の立行司の声「この一番を持ちまして」を聞くと体の奥底から寂しさが湧き上がってくる。大相撲は奇数月に開催されるわけだから場所と場所との間隔は一定である。しかし今年の勝負はこれで最後という思いが私をそのような気持ちにさせるのだ。
相変わらず忙しくて今場所も思うように見ることができなかったが、いつものように気がついたことを書き記してみたい。
X-JapanのアルバムBlue Bloodは彼らをスターに押し上げたアルバムであるが、その中に彼らのタイトル曲とも言える「X」という曲がある。16ビートのバスドラムが連打される激しいリズムに合わせて歌われる「X」というサビの部分でファンは胸の前で両手をクロスさせて「X」の形を作り「エックス!」と叫んでジャンプをする。
一山本が土俵に上がる時、私の脳内にはこの曲と共にX-Japanのファンが現れる。私も腕を交差させ彼に向かって「エックス」とつぶやく。
私は一山本関の四股名が好きである。秀逸な命名だと思う。苗字に「一」を付けただけであるが響きがよく、想像力を掻き立たされる。現にテレビを見ていると「一」の部分に白星の数を入れた横断幕を持って応援していたファンがいた。そんな彼を私は「X山本」と呼んで応援する。
今場所は「十一山本」まで星を伸ばした。敢闘賞も受賞した。私は一山本が勝った次の日に職場の相撲好きの同僚に「七山本になりましたねえ」などと声をかけるのが楽しみだった。
“令和五年十一月場所” の続きを読む今年のイタリア語検定2級の結果が発表された。予想通り1次試験を突破することはできなかった。10月1日の午前10時20分、私は頭の中が真っ白になっていた。リスニングの最初の問題、話の内容を3つの絵から選ぶ問題が4つとも何を言っているのか理解できなかったのだ。
昨年のリスニング問題はほぼ満点だった。過去問を解いても、この最初の問題は余裕で解けていた。しかし、それが今回全く頭に入ってこなかったのだ。私は焦った。しかし最初からあきらめるわけにはいかない。深呼吸をして残りの問題に集中した。それでも、リスニングの手ごたえは薄かった。今まで行った過去問のどれよりもできないと思った。
イタリア語検定協会の「マイページ」に各パートの結果が表示される。意外なことに自信のなかったリスニングパートは合格基準点に達していた。今まで合格点に達したことのなかった作文も今回はギリギリ12点を取れていた。問題は筆記試験であった。あと2点だった。去年は作文が2点足りていなかった。点数だけ見ると、私は1年間成長していないことになる。
この4年間を振り返ってみる。
“3浪目突入” の続きを読むサウナ室で10分間体を熱し、もう勘弁してくれというところで部屋を出て水風呂の中で「ううう」とか「ヒューっ」といった声にならない声を上げて露天スペースへ移動する。幸いなことに数少ないリクライニング式のイスが空いている。腰を下ろして体の水分を拭き、ゆっくりとイスを倒して仰向けになる。
ぼーっと空を眺めているとアドレナリンが放出されて視界が揺れる感じがする。今日は風が強い日。灰色の雲が頭上を次から次へと絶え間なく流れていく。手も足も、眼球さえも動かすことなくじっとしたまま一点をぼんやりと眺めていると、動きのある雲が生き物のように見える。心臓が全身に血液を送ろうと鼓動するのが感じられる。
私と雲の間にもう一つ動きが加わった。
どこからともなく一羽の大きな鷹が翼を広げて私の視界の中に入ってきた。翼は広げたままでほとんど動かさない。それでいて海の方からの風にのり、悠々とした大きな動きを見せる。きっとあれだけ見事に風を制御できれば気持ちいいであろう。
空の食物連鎖の頂点に立つ存在。風に乗りながら、その鋭い目で地上をはい回る獲物を探っているのだろう。「かっこいいなあ」ぼんやりとまどろむ私の目を覚まさせたのは、鷹から飛び出したもう一つの動きのある物体であった。
「うぁ、なんか出た!」
“不思議な気持ち” の続きを読む私は自分の自由時間の多くを語学学習に使っています。これは半分は楽しみでやっていますが、残りは義務感のような感情につき動かされてやっています。
学習している語学は英語とイタリア語です。かつては台湾語も少し行っていましたが、とてもじゃないけど時間が確保できないため現在は中止しています。
イタリア語は検定で2級を取るまでは続けようと考えています。実用性はほぼありませんが、近いうちにイタリアを旅したいとは思っています。
英語は仕事で使うために必要です。とは言ってもそれほど難しい英語を教えているわけではありません。今までのストックがあるので、英語の勉強をサボっても仕事に支障はないと思われますが、英語学習を止めることはできません。
これは私に精神的な縛りがかかっているからです。その縛りとは「英語に対する劣等感」です。
“すんなりといかない” の続きを読むバイクとの付き合いは季節や天気との付き合いになります。空調の整う密閉された空間で移動できる自動車と違って、バイクは体が常にむき出しになっており身につけるものや風防によって環境を整えます。
今年の夏は異常に熱く、とてもバイクに乗って遠出する気分にはなりませんでした。住んでいる場所が標高の高い山間部ならよいでしょうが、私は都市部に住んでおり、どこへ出るにしてもしばらく信号に立ちどまりながら移動するしかありません。
こうなったらバイクを楽しむよりも、電車で遊びに行ってビールでも飲んだほうがいいという気分になります。「バイクが好き」と言いながら私はその程度のバイク乗りです。私は真夏にも電動ファン付きの空調服を着たライダーを見ました。彼ら、彼女らは本物だと思います。
さて、限りなくニセモノに近いバイク乗りである私たちツーリングクラブ(行きつけの立ち飲みのバイク好きの常連)ですが、暑さがおさまるとバイクに乗ってどこかへ行こうかという話が出始めます。いつものようにカウンターで酒を飲みながらああだこうだとバイクの話が弾みます。
結論を言うと、11月下旬に1泊2日のツーリングが控えているので今回は日帰りで海鮮丼を食べに行くという話になりました。場所は前回「乗らないツーリング」の初日に訪問した京都府南丹市にあるお店です。山の中の街にあるラーメンがメインの店なのですが、意外と海鮮丼が美味しかったのです。
「それでは軽く昼飯を食べに行きますか」
私たちはカウンターで話をまとめて解散しました。
予定の日、兵庫県から京都府にかけての降水確率は10%でした。私たちは天候に関して結構慎重で、30%を超えると「やっぱり車で行ったほうがいいかも…」と誰ともなく言い出します。しかし、この降水確率は完璧です。私は雨具も防寒具も持たずに待ち合わせ場所である神戸市北区のコンビニへとバイクを走らせました。
今回参加したのはRさんとWさんと私の3人。
「今日は秋晴れで最高の天気ですね」
“何をしてるのやら” の続きを読む働き始めてからずっと「これができる仕事ならなあ」と思うことがある。それは平日に有給休暇を取ること。簡単なことに思えるだろうが、私の仕事でそれは「誰かに自分の授業を押し付けること」になる。
授業というものは単体で成り立つものではなく、ベテランの教師になればなるほど長期のスパンで構成を考えて、その中に伏線を張ってゆく。
「ここは泳がせるところ」「少ししめるところ」「答えを言わずにあえて考えさせるところ」「1ヶ月前に張った伏線を回収することこ」
1年という流れの中で1回の授業に振り回されずに、大きな中で教えるべきことを教える、それが良い授業であると思って今までやってきた。
そんな中、自分の流れを知らない教師が入ってきて教えると、その後でクラスの様子が変わってしまうことがあるのだ。かつて、長期研修で学校を留守にした時、私はそのことを経験した。だからなるべく自分の授業に穴を開けたくないと思う。
それに、それに私の代わりに別の教師が言ったとしても、その人の仕事が別の部分で軽減されるわけではない。そんな思いを私は他人にさせたくない。
だからこの二十数年間で私が、長期休業中を除く平日に有給休暇を取ったのはインフルエンザに感染した時と、祖母が亡くなった時だけである。
“天国はアル” の続きを読む昼過ぎにイタリア語検定が終わり、会場のビルのエレベーターでスマホの電源を入れるとLINEにメッセージが入っていた。
「ビルの前に待ってる ベンツ 黒 ナンバーは・・・」
エレベーターを降りて小走りに建物の出口へ向かう。自動ドアが開くと前の道にメッセージ通りの車が止まっている。近づくと運転席に懐かしい顔が見える。RB先輩だ。
「お久しぶりです」と助手席のドアを開ける。少し歳をとったが相変わらずかっこいい。LEONのモデルになってもおかしくない。
「会社に行って飲むか」
私たちは北浜から先輩の会社へと向かった。
私は大学時代音楽系のサークルに所属しており、RB先輩とはそこで知り合った。音楽はもとより生き方に関しても憧れていた先輩で、私は卒業後も数年に一回程度であるが会いにいかせてただいていた。
ただ、最近は訪問する期間が空いていた。神戸と大阪、距離はそれほど離れているわけではない。年賀状にも「今年こそは」と毎年のように書いていた。それにも関わらず、私は「会いましょう」という踏ん切りがつかなかった。
仕事に追われ、二つの語学に追われ、読書に追われ、私は自分を取り巻くものに常に追い立てられ「時間がない、時間がない」と言っていた。しかし、それは私の言い訳に過ぎない。
私は自分で自分に縛りを作り、それを行うことを選択した。その縛りが私にとって重要なことであるかどうかはわからない。そうやって縛りを作って新しいことをやらない言い訳を持つことはある意味楽な生き方である。
同じことを続けながら違った結果を求めることは愚かなこと、私に必要なのは情熱を持って直感に従った行動をすることだ。今回私を動かしてくれたのはある映画であった。
今年のお盆、ネットサーフィンをしていた私の目にその映画のタイトルは飛び込んできた。
「シーナ&ロケッツ 鮎川誠〜ロックと家族の絆〜」
“「今」を重ねる” の続きを読む