SSS 小さくても確実な幸せ

童君の一言

オーストラリア人の同僚である童君はこのブログにたまに登場するが、先日彼が私に「あなたの幸せはSSSだね」と言ってきた。

「そうか、SSSか。SmallだけどSureなShiawase」答えながら考えた。最後の”幸せ”が日本語なのは愛嬌であるが、確かに私が「小さくても確実な幸せ」、村上春樹流に言えば「小確幸」を感じることは、この頭文字がSから始まる3つのことである。

「小確幸」という言葉は10年ほど前から知っていた。しかし、自分にとっての「小確幸」、つまり「Small だけど Sure な Shiawase」が本当にSから始まる3つのことに関係してくるとは偶然にしては出来過ぎている。

しかしながら、今、確実にこのSSSが私の人生に大きくかかわってきているので不思議だ。ドットが繋がってきたのか、童君の洞察力が素晴らしいのか、ともかく考えてみると面白い。

最初のS ~ 相撲

しみじみと思うが、まさか自分が相撲を夢中になってTVで見る人間になるとは思わなかった。

小学生の頃、年6回の場所が嫌だった。午後3時から6時まで、居間のテレビが占領されるからだ。祖父母と同居していたが、どちらも相撲が好きでよく見ていた。「なんで相撲なんか見るん」そう思いながら私は学校から帰り、見たい番組を我慢していたものだ。

大学生の頃「若貴ブーム」で周りの多くが相撲の話をしていた。そのころ、ある機会に恵まれて、現役の関取とそのタニマチたちと酒席を共にすることがあった。確かにすごい世界だなと思ったが、それでも私は特に相撲を見たいとは思わなかった。

大学を卒業し、働き出してもずっと同じだ。私の興味・関心の一部に相撲が入り込むことはなかった。「ああ、もう九州場所か。1年経つのは早いな」そんな程度の意識だった。

明確な切っ掛けは忘れてしまったが、4年ほど前から私は突然相撲が面白いと思うようになった。ちょうど稀勢の里が横綱になるあたりからである。特に稀勢の里が好きであったわけではないが、私は激しく相撲の世界全体に引き付けられていった。

今ではTV中継を見れる時は必ず見て、見れない時はBSが早朝に放送している「幕内全取り組み」を録画して見るようにしている。場所開催中は心がウキウキで、千秋楽の翌日はいつもに増してブルーな月曜日となる。「相撲ロス」という言葉が身に沁みる。

どうしてこのような変節漢になってしまったのかわからない。しかし、相撲は今、私の小さな幸せを構成する一部で、これからの人生相撲中継を見ない自分の姿は想像できない。

「どうして相撲が好きなん?」と聞かれると、私は「めんどくさい所がいい」答えることにしている。

「面倒くささ」こそが相撲の魅力であり、それは年をとって初めて分かることであると私は思っている。この「面倒くささ」については、また改めて考えてみたい。

2番目のS ~ サウナ

もともとお風呂は好きで、大学生になり自由に行動できるようになると、いろいろな場所の温泉へ入りに行った。体を洗い、湯船につかって温まり、熱くなれば外気で冷やし再び湯船につかる、そのような一般的な入り方をし、サウナがある施設では1~2回その中にサウナを組み入れていた。

サウナの後の水風呂に入ることはほとんどなかったが、たまに勇気を出して入ると、頭がクラクラして気持ちいいのか悪いのかよく分からないような気分になることは知っていた。

そんな私のサウナの入り方を変えたのは、多くのサウナーがそうであるように、タナカカツキ氏の漫画「サ道」であった。

偶然であるが、全くマンガ雑誌を定期購読する習慣のなかった私が2年前から「モーニング」を買い始めた。理由は自分でもよく分からない。本当に「何となく」であるが、今思えばまだブログを書き始める前、モヤモヤする自分を変えたくて、生活習慣に何か変化を求めていたのかもしれない。

とにかく「モーニング」を読み始めすぐの頃、一度中断されてた「サ道」の連載が始まった。

「サウナの主役は水風呂である」

その表現を目にしたとき、私がかつて感じたあの水風呂でのよく分からない感覚が蘇ってきた。

「実はあれは気持ちいい感覚で、もっときちんと入り方を研究すればすごいことになるのではないか」私の直感は私にそう告げた。

以来、私は週に1~2回サウナに行く生活を始めた。場所を変え、入る手順を変え、いろいろと自分を整える形を考えながら毎週楽しんでいる。

マンガにあるような”全宇宙に感謝したくなるほどととのった状態”は、まだ経験したことが無い。しかし、水風呂の後、風に吹かれながら空を見ていると、こうやって健康でいられることがありがたいという気持ちが毎回自然に湧き上がってくる。

空を見上げると、雲が流れ、鳥が風に乗り、そして雲の合間から太陽が私を照らしてくれる。普段なら何も感じないようなこの世な景色が、サウナに入った後だととてもありがたく感じられて、涙が出てきそうな時がある。

私の「サ道」はまだ始まったばかりであるが、「道」の文字が示す通り時間をかけて求めて行く価値のあるものだと思っているし、実際これから先私はその道を進んでいく。

3番目のS ~ 酒

3つのSの中でこれは一番扱いが難しい。よく言われるように酒は毒にもなるし薬にもなる。しかもそれは肉体にとってでもあるし、私の精神や私を取り囲む関係性においても当てはまる。

飲んで上司に暴言を吐いたり、他人を傷つけたりしたことはない。しかし、見栄っ張りな自分の発言や振舞を思い出し、消えてしまいたいと思ったことはある。

そのような酒との付き合いであるが、今までのところ私の幸福感を向上させてくれたことの方が大きいので、これからも自制しながらいい関係を続けていきたい。

酒に関しては様々なエピソードがあるが、ここではこの数年来通っている酒屋兼立ち飲み屋について触れておきたい。

その酒屋は、私の職場の最寄り駅近くにあり、私は週末を中心にだいたい週に2回訪れる。見た目は小さな町の酒屋であるが、その奥には8人も入ればいっぱいになる立ち飲みスペースが設置されている。

私は職場への道すがらいつもこの店が気になっていたのだが、なかなかその奥のスペースへ進んで行く勇気がなかった。大抵こういう店は地元の常連客がメインで、一見の客はアウェイ感を味わうものだ。

数年前のある日、勇気を振り絞り入店すると、その私の予想は当たっていた。ただし「常連客」はコテコテの地元客というわけではなく、辺り一帯広くからやってくる「おいしい日本酒を愛する常連客」であった。

私と同世代の店主は日本酒の普及・販売に力を入れており、そこはその彼の人柄と日本酒に対する熱意に魅かれる人々が集まる店であった。私はすぐに常連客の1人になった。それと同時に、私に欠けていたものに気付かされた。

就職して以来、懸命に働いてきた。結婚をして、子供たちが生まれ、家族経営と子育てに時間を費やしてきた。それはそれで喜ばしく貴重な事であるが、考えてみると職場でのつながりや、子供を通じての地域とのつながり以外に、私には居場所がなかった。

家庭・職場を中心とするつながり以外に、定期的に訪問して安心できる場所、そういう“Third Place”を持つことが、よりよい人生を送るために大切であると、いつか本で読んだことがある。

このThird Placeこそ、今までの私に欠けていたものであり、この酒屋と巡り合えたことで得られたものであった。

仕事を終え、帰宅の途中にふとこの店に立ち寄る。もともと狭い立ち飲み屋だ。長居をする場所ではない。30~40分。長くても1時間、おいしい日本酒を手に店主と常連客との会話を楽しむ。仕事でどんなことがあっても、店を出る時は大抵機嫌がよくなる。

この店がある限り、私はここへ毎週通い、そして酒と会話を味わう。

「3つのS」が出会う時

私にとっての小さくても確実な幸せであるこれら3つのSが、うまい具合に重なる時がある。その時、小さな幸せは相乗効果をもたらして、より大きな幸せへと変わる。

常連の立ち飲みから徒歩圏内の銭湯に行きサウナに入る。運がよければサウナ室のテレビで相撲中継が見られる。「運がよければ」と書いたのは、その銭湯のテレビは少し古く、頻繁にサウナの熱によって電源が落ちてしまうのだ。

サウナと相撲でととのった私は、そのまま歩いて酒屋へ向かう。立ち飲みコーナーは5時からの営業なので、その時間に合わせラジオで相撲中継を聞きながら歩いて行く。

5時ちょうどに店に到着。業務用冷蔵庫の上に置かれたテレビは、開催期間中はいつも相撲にチャンネルが合わされている。風呂上がりの酒を飲みながら、常連客と相撲中継を楽しむ。時間帯は幕内上位、嫌が上でも盛り上がる。

このように相撲・サウナ・酒、3つのSが重なる一日、私は大きな幸福感に包まれる。3つ合わせても、ディズニーランドやUSJの入場料の3分の1もお金がかからない。こんなに安価で幸福感を得られることが他にあるのだろうか。

私は今ワクワクと不安が入り混じった気持ちでいる。

本日、大相撲初場所の初日である。しかし、この緊急事態宣言の中、本当に開催されるのか、そして開催されたとしても15日間続くのか、誰一人としてわからない状態である。

思えば去年の初場所は、直前に恩師をなくした徳勝龍の涙の優勝で盛り上がった。私もその瞬間をサ室のテレビで涙を流しながら見た。あれから1年、私たちの住む世界は1年前には誰もが予測していなかったような苦境にある。

早くこの災いがおさまり、ささやかな幸せを、私にとっては3つのSを何の気兼ねなく味わう日が来ることを願ってやまない。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。