令和六年七月場所

六月の終わりを迎えると「今年ももう半分終わったのか」という気分になります。いつもの「時が流れゆく早さ」にブルーになる瞬間ですが、すぐに名古屋場所がやってくるので気も紛れます。

ただ、そんな名古屋場所が終われば「まだ一年の半分少ししか経過していないのに、相撲の場所は3分の2が終了してしまった」と鬱な気分になるのです。一年という枠組みを外して考えれば、相撲の場所は2か月ごとにきっちりと開催されるので一喜一憂する必要はないのですが、これは根がネガティブな私のどうしようもない性なのでしょう。

今場所も色々と思ったことを書き留めていきます。

引き締まった

初めて生で大相撲を観戦したのは二年前の名古屋でした。それ以来5回観戦に行ったのですが、私は横綱土俵入りを見たことがありませんでした。

今場所が始まるにあたって私は照ノ富士関の膝の調子がよいことを祈っていました。自分勝手なことですが、今場所は七日目に名古屋に行く予定で、まだ見ぬ横綱土俵入りが見たくてのことです。

その甲斐あってか照ノ富士は初日から負けなしのまま私の前で土俵入りを披露してくれました。華やかな幕内土俵入りが終わり、露払いと太刀持ちを従えた横綱が入場すると場が引き締まります。

どのような意味があるのか勉強不足でわかりませんが、特別な人が特別な場所で行う所作からは相撲に単なる競技を超えた神聖で強い祈りの込められた意味があることを感じさせられます。

大相撲の頂点に立つ存在である横綱は、負けを重ねようと調子が悪くて休場しようと降格することがありません。それだけに、横綱がどのように振る舞うかということが大相撲全体の価値に大きく関わってきます。

今回、久しぶりに強くて堂々とした横綱の姿を見て、大相撲の魅力がさらに増したと感じました。

知らなかった

相撲中継を見ていて驚いたことがありました。立行司である木村庄之助氏が今年の九月で定年になるというのです。普段力士を中心に見ている私は、相撲の世界で引退とは「思い通りに相撲が取れなくなった時」」というイメージに支配されていたのですが、よく考えれば相撲界は力士だけで成り立っているのではありません。

親方衆は病気で早く亡くなられる方が多いので忘れがちなのですが、大相撲における各役職には定年があり、それは65歳とうことです。相撲名鑑を見てみると木村庄之助氏は昭和33年9月22日生まれで、9月場所の千秋楽に65歳になります。

暦年や会計年度で区切るのではなく、実際の誕生月で定年を迎えることを私は知りませんでした。そういえば入門する時も大相撲の場合、暦年や会計年度の区切りは関係ありません。

「立行司がいなくなってどうなるのだろう」と思っていたところ、別の日に追い討ちをかけるように立て呼び出し次郎氏定年の話を聞きました。再び急いで名鑑を見ると来年1月19日に65歳を迎えます。

勝負を支える重要な二つの役割である行事と呼び出し、その最高位にある二人がもうすぐ相撲界から去ってしまうと知り寂しさを感じています。来場所から、また相撲の見方が変わって来る出来事でした。

いるだけで嬉しい

場所中に大相撲の公式HPを開くとその日の階級別の割りと対戦成績を見ることができます。仕事のある平日は大体3時ごろにスマホでチラリとHPを確認します。幕下上位五番と十両の途中までの結果を確認したいからです。

しかし、今場所はいつもの3時の確認で真っ先に序の口の結果を見ていました。久しぶりに炎鵬関が相撲をとっていたからです。

炎鵬の活躍は私が大相撲を面白いと思い始めた時期と重なっています。2018年に十両に上がると、100キロに満たない小兵が大柄な力士を打ち負かす姿が話題になりました。私も意識して炎鵬の勝負を見るようしました。

相撲に興味がなかった若い頃の私ですが、舞の海関は好きでたまにテレビで取り組みを見ていました。炎鵬関の活躍を、私は昔の舞の海関と重ねながら見ていました。小柄な力士が技を駆使して自分の倍の体重の力士を倒す、こんな痛快なことはありません。

しかし、そのような過酷な勝負の世界で無理がたたったのでしょうか炎鵬関は頸椎を痛めて長期間の休場を余儀なくされました。聞こえ来るところによると一時期寝たきりの生活を送っていたと言います。

また別からは「相撲は絶対に諦めない」とリハビリを続けているという話も聞きました。私は複雑な気持ちでした。土俵復帰を目指して欲しい気持ちはありますが、次に首を痛めたらとも思うのです。

炎鵬関は今回序の口13枚目で6勝1敗という成績でした。NHKのHPでは十両以下の動画は見えませんが、幸いニュースで勝負を見ることができました。私の見慣れた炎鵬とは髷も締め込みも違いましたが、相撲は紛れもなく彼でした。

もちろん勝つ姿は見たいのですが、それよりも怪我なくできるだけ長く土俵の上の彼を見続けたいです。

青い目の二人

令和6年の「大相撲力士名鑑」に「力士606人の出身地」というページがあり、都道府県別と国別の力士の数が記されています。日本以外で複数の力士がいる国は2カ国で一位は圧倒的にモンゴル、そしてその次は意外なことにウクライナの二人になります。

十両で活躍している獅子関は母国で相撲を始め世界大会にも出場したことがあるそうです。日本に来て雷部屋に入門し3年で十両になりました。今場所は初日に島津海に敗れたものの九日目まで8連勝で勝ち越しを決め、最終的には優勝争いを演じました。

もう一人のウクライナ出身力士は安治川部屋の安青錦で、7月場所は西幕下17枚目での出場でした。安青錦の入門は去年の11月であり、序の口、序二段を全勝優勝、三段目も6勝1敗で一場所での通過しました。今場所も1番しか負けていないため9月場所で勝ち越せば十両が見えてきます。

私はこれら二人の力士を応援しています。相撲に政治的な話を持ち込みたくないのですが、ウクライナ出身の力士となるとどうしても感情面で応援したくなるのです。特に安青錦は戦争が始まった後にウクライナから神戸に避難した後入門しました。

ロシアのウクライナ侵攻から2年半になろうとしています。最近はニュースでどちらの国民も疲弊している様子が伝わってじます。獅子や安青錦には活躍してもらいたいのですが、特にこの二人を意識して応援しなくてもよい日が来ることを願って止みません。

その他雑感

七日目の宇良ー照ノ富士戦は最高の勝負でした。宇良が仕掛け照ノ富士がかわし続ける展開に場内は大きく盛り上がりました。やってはダメなことなのですが、私は座布団を投げる準備をしながら観戦していました。

正代関が今場所は10番勝ちました。大関だった二年前と比べ表情がよく、のびのびと相撲をとっているように見えます。プレッシャーがすごい大関の地位にいるより、今のポジションの方が正代の精神衛生上は合っているのかも、と余計なことを考えてしまいます。

私の推しである若隆景関が幕内に帰ってきました。しかも今場所を11勝4敗の好成績で終えることができました。大関を目指せる場所にいながら怪我で苦しんだ1年半でした。彼の復活ストーリーを信じて応援します。

九日目の十両をテレビ観戦していると、アナウンサーが「真夏の土俵に白熊が上がります」。私の脳裏に熱い日本の夏にやってきてバテている北極の白クマの姿が浮かびました。言葉の力です。そして二所ノ関親方はいい四股名を考えたと思いました。「高橋」では得られなかったであろうほどの人気を、今、白熊関は得ています。

今場所は、仕事も時間的に余裕があり、ちょくちょく時間休をとって帰宅しテレビを見ることができました。大相撲が好きになって6年ですが、これほど見ることができたのは初めてだと思います。

加えて今年も名古屋の地で観戦することができました。昨年は11月の福岡でも見ることができたのですが、今年は難しそうです。となると次の相撲観戦は来年3月の大阪になりそうです。その時木村庄之助氏も呼び出し次郎さんもいないと思うとたまらなく寂しいです。

全てが変わりゆくことは世の常であるため、とりあえず次は9月場所を全力で味わおうと思います。

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投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。