人生の歩みのなかばで

語学講座でドッキリ

こんにちは、大和イタチです。

趣味の一つに語学があります。
この前の記事にも書きましたが、英語以外に2か国語勉強をしています。

その中の一つがイタリア語です。
なかなか毎日学習できませんが、何とか一度覚えたことを定着させようと、忘却曲線と戦っています。ほぼ後退戦ではありますが…

テキストを買い、NHK第2放送の講座を聴いて勉強しています。
現在用いているのは「まいにちイタリア語」応用編です。
今年の7~9月は白崎容子先生を講師に「原文で読む古典の楽しみ」。正直言って難しいです。全くと言っていいほどわかりません。数百年前の”古典”を”原文”ですから、日本語の古典も苦手な私には手も足も出ません。

せめて雰囲気だけでもと思いながら聞き始めた第1回、ダンテの詩にドキリとしました。

Nel mezzo del cammin di nostra vita
mi ritrovai per una selva oscura
che la diritta via era smarrita.

人生の歩みのなかばで
進むべき道を見失い、気がつくと
私は暗い森の中にいた。

ダンテ・アリギエーリ「神曲(地獄編)第1歌」(1-3行目)

一瞬「俺のことを歌った詩なのか?」と思いました。

最初の方の記事でも書きましたが、私は今、人生の折り返し地点だと思っています。そう思いながらも心が整わなくてモヤモヤしているから、こんな「モヤモヤblog」を書いているんです。
状況的にはもっともっとhappyであっても良いはずなのに、なぜが心がその幸せを感じてくれない、それが悩みになっています。

まさに、”進むべき道を見失い、暗い森の中にいる”状態ではありませんか。

まいにちイタリア語7月号
7月号にダンテの詩が載ってました。

続きを読んでみる

欄外の解説には、「主人公であり語り手でもあるダンテは、30代半ばで『暗い森』に迷い込みます」と記されています。
実話なんです。約700年前に生きたダンテ、平均寿命を考えると30代で人生半ばでしょう。

続きを読みます。

Ah quanto a dir qual era e coas dura
esta selva selvaggia e aspra e forte
che nel pensier rinova la paura!

荒涼として分け入りがたい峻厳な森がどのようなものであったか
語るのは、なんと気の重いことだろう!
思い出しただけで恐怖が蘇る。

Tant’e amara che poco e piu morte;
ma per trattar del ben ch’i’ vi trovai,
diro dell’altre cose ch’i’ v’ho scorte.

死ぬほどの辛さだった。
しかし、そこで出会った善きことを語りたいので
この目で見たもろもろのことについて話しておこう。

ダンテ・アリギエーリ「神曲(地獄編)第1歌」(4-9行目)

講師の白崎先生も、実際にこれはダンテが経験したことを、壮大な抒情詩にしたものである、ということを述べられていました。
ダンテは人生のなかばで何を経験したのでしょうか。

思い出しただけで恐怖を感じる「峻厳な森」とは一体何なのでしょう。
この神曲を書いているということは、ダンテは恐怖を感じ、ためらいながらも、その人生の半ばに感じた暗い森での体験を語らなくてはならないという有責感を持っていたということでしょう。

暗い森に迷い、何かを書いた。
ダンテと私を比較することはできませんが、私も何かを書かなければ心がモヤモヤのままだと感じたから、このブログを始めました。書くことが癒しになると思ったため、自分のために書き始めました。
ダンテは誰のために「神曲」を書いたのでしょうか。

長すぎる…

この日の講座で扱ったのは上に記した冒頭の9行です。
原文ではほとんど意味が分かりませんが、日本語訳を見ると、壮大な物語を予感させるような磁場を感じます。

テキストの説明を見ると、実際に「神曲」は地獄編34歌、煉獄編33歌、天国編33歌、合計100の歌から成り、行数は14,233行だそうです。しかも、そのすべてにおいて「連鎖韻」という韻を踏んでいるそうです。
いったいどこまで、手の込んだ作品なのでしょう。
ダンテはどんな頭脳を持っていた人なのでしょう。

最後が天国編になっているということは、「死ぬほどの辛さ」の後に「善きもの」に出会ったということでしょうか。
興味がそそられますが、今日終えたのは14,233分の9行です。
おそらく、日本語訳で読むのがせいぜいで、原文で韻を味わいながら残りを読むことは一生ないでしょう。

人生の半ばで迷い込んだ暗い森、全く見当違いな事かもしれませんが、ダンテの1節にドキリとした日でした。

翌日分のテキストを見てみました。
地獄編第3歌9行目は地獄の門に刻まれた言葉でした。

Lasciate ogni speranza, voi che entrate.

この門を入るお前たち、あらゆる望みを捨てよ

ダンテ・アリギエーリ「神曲(地獄編)第3歌」(9行目)

この原文、わかります。現在のイタリア語と同じです。
再びドキリとしました。

モヤモヤ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ 幸せ?

”地獄について書かれた作品に触れると、ドキリの効果でモヤモヤが薄まる気がする”

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。