深夜のリビングで
「昨日、泣いてたね」
妻が私に言葉をかけた。私は妻に涙を見せることはない。少なくとも今まではそうだった。しかし、この日の夜は涙を流す私の後姿を見られていたようだった。
外でお酒を飲んで帰り、一人のリビングで私はターンテーブルにレコードをのせて聴いていた。その日に買って帰ったアルバムだった。1曲また1曲と私は聴きながら歌詞を口ずさむ。私の気持ちは現在と高校生だった30数年前とを行ったり来たりする。
自然と涙があふれだしてきた。それはよくあること。私は悲しい事件や感動する話を聞くとすぐに涙腺がゆるむ。しかしこの日は違った。私は涙と共にあふれ出てくる声を止めることができなかった。
自分がこんなに泣くとは想像もできなかった。10分前に考えられなかった自分の姿に驚き、そのことがさらなる嗚咽の原因となった。こんな泣き方をするのはいつ以来だろうか。好きだった叔父が亡くなったとき。気の合う友人を失ったとき。
A面が終わり、レコードをB面へ裏返す。誰もいないリビングで1時間、私はレコードを聴き続けた。一度泣いてしまうと、心が落ち着いてきた。私の心は相変わらず今と思春期を行ったり来たり。中年オヤジと少年の私が同時に存在しているような気分であった。
私がターンテーブルにのせたレコードは、The Street SlidersのファーストアルバムSlider Jointだった。このバンドのデビュー40周年記念でヴィニール盤が再版されることになり、この日私は三宮のタワーレコードでファーストとセカンドアルバムを手に入れて、友人と酒を飲んで家に帰ったのだ。
Bad Influence
The Street Slidersは私にとって特別なバンドだった。ロックンロールのかっこよさを初めて私に教えてくれた存在であった。バンドを知ったのは中学生の時で一番よく聴いたのは高校1年生だったと思う。
何かの雑誌のCDレビューで彼らのことを知った。7枚目のアルバム「Bad Influence」についての記事であった。同じ頃、音楽番組で彼らが歌うのを聴いた。アルバム「天使たち」のトップナンバーである”Boys Jump the Midnight”だった。文句なしにかっこいいと思った。
跳ねることがないどっしりとした8ビートの上に2本の歪んだギターが絡み合う。ハスキーな声のボーカルが想像力を掻き立てる歌詞を歌う。シンプルであるがスライダーズは他とは異なる唯一無二のバンドであった。そして流行を求める若者には受け入れられそうにないバンドであり、そこがまた私の好きな部分であった。
高校生活後半には私の音楽性思考はHard Rock / Heavy Metalへと移り、英米欧のバンドを中心に聴くようになり、その傾向は30年以上経った今でも変わっていない。
おそらく私はこのままジャズやクラシック音楽の良さを知らずに年を重ね人生を終えるであろう。「あっ、ヘビメタのことね」と言われながらも、私が若いうちに出会った音楽を聴き続けていくと思う。
そんなHard Rock / Heavy Metalも、そのルーツはロックンロールにあり、ギター、ベース、ドラムと使用する楽器は変わらない。だから、今まで続く私の音楽的嗜好はスライダーズが作ってくれたと言っても間違いではない。
そんなスライダーズは2000年の武道館ライブを最後に解散してしまった。結成から20年、オリジナルメンバーで演奏を続けた末でのラストライブであった。
英米欧のメタルを中心に聴きながらも、私は時には日本のCDも手にした。サンハウスとスライダーズはその代表であった。メタルを含めてCDをほとんど買わなくなってからも、時々中古CD屋さんの「シ」の欄を見て回った。Sheena & The RocketsとThe Street Slidersの持っていないCDがあれば欲しかったからだ。しかしどちらのバンドも時代から忘れられようとしていることがCDの置いてある棚からわかった。
3月15日神戸国際会館
私は神戸三宮のビジネス街にある立ち飲みで一人日本酒をあおっていた。興奮する気持ちを抑えるためである。ビールにしなかったのは、途中でトイレに行きたくなかったからだ。
30分ほどで店を出て国際会館へと向かう。エスカレーターを上るとグッズ売り場が人で賑わっていた。本当にスライダーズのコンサートにやってきたのだ。
エスカレーターを乗り継いで会場入り口へと向かう。神戸で一番大きなホールが人で溢れている。立ち見も含めてこの日の公園はソールドアウト。いや、この日だけではない。スライダーズがデビュー40周年を記念して復活した昨年以来、ライブチケットは一瞬で売り切れ続けているという。
私は幸運にも抽選で選ばれ、こうして34年ぶりのスライダーズのライブを味わっている。音響や演奏の質などは私にとってそれほど重要ではない。私の目の前でスライダーズが演奏している事実だけで十分だった。とはいっても彼らの演奏は素晴らしかった。バンドは解散してもそれぞれがミュージシャンとしてのキャリアを続けていたためであろうか、23年ぶりの再結成とは思えないほど馴染んでいた演奏であった。
ライオンのたてがみのような髪型が特徴だったハリーは、がん治療のためであろうか帽子をかぶっていた。女性のような顔をしていた蘭丸は、小太りでメガネをかけたおじさんになっていた。リーゼントが素敵だったジェームスはスキンヘッドに変わっていた。ズズは、ズズだけは見た目があまり昔と変わらすクールなままだった。
「Blow the Night」と「Boys Jump the Mid-night」の演奏は無かったが、あとの私の聴きたい曲は演奏してくれた。私は満員の観客と一緒になって歌った。「のら犬にさえなれない」を再びライブで歌える日が来るとはおもわなかった。胸が熱くなった。自分が今経験していることが信じられないような気持ちになった。
ぐるりと周りを見てみる。みんな一緒に歌っている。年齢層が高い。多くの人はスライダーズのいない23年間を経験した後この場所にしているのであろう。私もそうだ。
数年に一度、思い出したようにバンド名を検索することがあった。結果はいつも同じだった。ハリーはソロで活動し、蘭丸やジェームスはいろいろな人とセッションをしていた。ズズは何をしているのか不明であった。
昨年の夏、いつものようにこのバンド名を検索した。検索結果表示の画面に「再結成」の文字が見えた。各種記念グッズが販売され、ツアーも行うという。もうチケットの販売期間は過ぎていたが再結成したのならチャンスはある。そして最初のツアーが終わり、そのチャンスがやってきた。追加のツアーを行うという。その中の一つに神戸が含まれた。
さまざまな偶然が重なって2024年3月15日に私は神戸国際会館に居合わせることができた。
時間の経過
私は未だに信じられない気持ちでいる。The Street Slidersは1980年に結成しその3年後にメジャーデビュー、そして2000年に解散した。この間4人のメンバーは不変であった。スライダーズとはハリー・蘭丸・ジェームズ・ズズのバンドだ。
20年間不動のメンバーで活動し、解散から23年経ってまた同じ面子で再結成する、そんなバンドはスライダーズぐらいしか思い当たらない。そのことが私にある特別なことを感じさせてくれる。それは「時間の経過」である。
私が少年だった頃もスライダーズはあのメンバーでロックしていた。中年オヤジになった今でも同じメンバーで、同じような泥臭いロックンロールを演奏している。この間に三十数年の時が流れていった。
私があの夜、彼らのLPを手に家に帰り、ターンテーブルにのせて聴くうちに涙と嗚咽をこらえきれなかったのは、この「時の経過」が私に迫ってきたからだと今思う。
少年の頃の私が感じた不安や希望、親友ができ彼にスライダーズのCDを貸したこと、恋が上手くいかないとき静かに聴いた曲、初めて見た彼らのライブ、彼らのレコードを聴きいていると、忘れていた少年時代の景色が次から次へと私のなかに浮かび上がってきた。
それと同時に、私は不可逆的な時の流れの中に身を置いている存在だということも感じさせられる。少年時代に想像した「大人になるとはどういうことか」「老いていくとはどういうことか」、そういった私がうまく想像できなかった世界に今私はいる。決して前に戻ることのできない世界の中で、一日そして一日を過ごし、気がついたらあれから30数年が経過していた。その涼しい現実に、私は言い知れない恐怖を感じる。
CDを聞くとき感じることのなかった感情が、レコードを見ていると湧き上がってくる。レコードには最初から最後まで1本で構成されている溝が刻まれている。その溝をレコード針が20数分かけてなぞっていく。これはまるで人の一生ではないか。
レコード盤の片面に刻まれた五曲、五つの塊が私の人生だとする。幼年期から少年時代を経て青年、中年、最後の1曲は老年期になるであろうか。この順番で行くと私は今、4曲目を過ごしているところか。Slider JointのA面でいえば「Jumpin’ Shoes」である。
分からないのは私は今、ABどちらの面を進んでいるのかということと、針は盤面の最後までなぞってくれるのかということ。
これからスライダーズはどうなるのだろう。4月21日の東京NHKホールのライブまでは決まっているが、その後の予定は分からない。このままバンドをつづけるのか、40周年のイベントと共に終わってしまうのか。
3月15日のライブの最後の曲は「風の街に生まれ」であった。
お前しだいさ 西でも東でも
ハリーは歌う。壮大な時の流れを考えると人の一生など風に舞う塵のようなものかもしれない。だからこそ、それをどうとらえ、どう色付けするのかは私次第なのだ。