書けない
私が木曜日にお酒を飲むことは少ない。なぜならこの日はこのブログの記事を書く日であるからだ。毎週土曜日に登校することにしているため、木曜に書き始め、金曜に見直しと追加を行い翌朝投稿ボタンを押す。
現在、土曜の朝7時過ぎである。私は目を覚まし、コーヒーをいれてパソコンに向かい始めたところだ。今週は私の長い高校教師人生の中でも有数のハードな週であった。
夜遅く家に帰ると酒を飲んで寝るしかなかった。気持ちが大いに乱れてシラフでは眠れそうになかったからだ。木曜日に今週の記事を書くことよりも、眠りに入って翌日に備えることのほうが大切であった。
何があったのか。直接私に非のあることが起きたわけではない。ただ、さまざまなことが同時にあちらこちらで起こり、私は責任ある立場のものとしてその対応に追われたのだ。
授業の空き時間は、生徒・保護者対応と同僚各所との調整根回しで消えていった。授業はほぼ丸腰で行くことになった。
それでも経験があるから授業はできる。ただ、肝心なものを忘れていったり、教えながらも別なことが頭に浮かびしっくりこない。職員室への帰り道、ため息が出た。できない自分を責める気持ちが湧き上がってくる。
私はこの気持ちを抑えたくてブログを続けていると言える。自分の低い自尊心、自分を責めたくなる気持ち、私の表情を暗くし私を悲観主義者にする元である。
それが今週は何度も湧き上がってきた。私は、木曜も金曜も酒を飲んで眠りに落ちた。
自分の場所
「今からは1秒でも長く機嫌の良い時間を過ごす」
50歳になった時、私はそう誓った。人生で大切なことはそれだと思ったからだ。そう思えばその状態になるように無意識の力が働く。私の機嫌の良い時間は増えたと思う。
その機嫌と不機嫌の収支が今週は一気にマイナス方向に振れた。人はなかなか変われないものだと思う。
土曜の朝、私は今比較的機嫌よくこの文章を書いている。今週職場で起こったこともなんとか見通しがついた。そしてこの二日間を自由に使うことができる。
今週は語学も読書もほとんどできなかったし、サウナにも行けなかった。この記事を投稿すればそれらができる。いい気分だ。
心乱された1週間であったが嬉しいこともあった。S君の存在である。彼は私と同期採用で同じ寮に住んでいて、今は私の勤務校で管理職をしている。
今週さまざまな出来事に対応する時、彼と協力しながら事を進めていった。一緒に仕事をしてみて、学ぶことが多くあった。焦る私を横目に、彼はいつも冷静であった。
彼と私の違いは現象を捉える枠の大きさと形である。時間と空間、どちらにおいても彼は適切な枠で現象を切り取り、その余白を利用しながら解決策を考える。その余白の有無がすぐにテンパってしまう私との違いである。
S君のような頼もしい人と働けてよかったと思った。それと同時に自分の教師としての力のなさを認めることができた。それは悲しいことではなく、さっぱりとした経験であった。
自分は管理職に向いていなし、教師としても凡庸である。困難な時ほど本当の自分が出る。今週、私は自分の立ち位置が見えた。その中で、残り少ない教師生活を過ごして行けばよい。