今年も作りました

プレゼント用口座

お金の使い方は難しいものです。お金はそれ自体には価値はそれほどなく、何か物やサービスと交換したときに価値が生まれます。お金とは交換を促進するための道具なのです。それはわかります。

しかしながら、いざ何かに交換しようとするとき、私は考えてしまいます「いったいどのように使えばお金が喜んでくれるのか」と。

もちろん生きていくためには、服を着て、食べ物を食べ、どこかに住まなくてはなりません。貧しかった時代は、それらにお金を使うことで精いっぱいであったと思います。そして、そうしたとき何とも言えない充実感があったと思います。なぜなら、そうすることが生きることの根本になってるからです。

日本に住む私たちは、100年前に比べるとはるかに豊かな時代に生きています。基本的な衣食住は満たされています。たぶん、明治時代の平均的な人が見たら、信じられないような高い生活レベルで暮らしています。

それなのに、なぜかお金に対する不安は消えません。少なくとも私はそうですし、日本人が貯金として手元に置いている金額を見ると、なおさらそうであると思います。

満たされた世の中に行きながら、私はお金の何に不安を感じ、何を求めて稼ごうとしているのでしょうか。こういった漠然とした不安を気がついたら私は感じており、それは一日の内で結構な時間になります。

いろいろな本を読んで考える中、今私が考えていることがあります。

それは、私は自分以外の人のためにお金をうまく使っていないからお金に対する不安を感じている、ということです。

私は実行することにしました。

一日が終わり家に帰ると革製の小銭入れからコインを出し、貯金箱に入れます。最近はクレジットカードやICOCAで買うことが多いのですが、それでも少しずつお金が貯まってきます。

ある程度の額になれば、それは銀行口座に移されます。その口座のお金は、自分のためには使いません。誰かにプレゼントをしたり、寄付を行うための口座です。私はこのプレゼント用口座を2年前に始めました。

お金の行先

現金を使わなくなってきてはいますが、それでもこの口座には年間5万円以上のお金が貯まります。私は何回かに分けてその使い道を考えます。とてもワクワクします。

普段お世話になっている人が何を欲しているのだろう、そう考えて物を選び、それを送ったり手渡したりすることは楽しく、お金も喜んでいるような気持ちになります。

プレゼントの一つとして、去年は「簿記Tシャツ」を作りました。一昨年、私はひょんなことから簿記の勉強を行い、日商簿記3級を受験しました。その時、テキストを貸してくれたり、教えてくれた人に対して、感謝の気持ちを込めてTシャツを作ったのです。

簿記Tシャツ

売上原価を計算するときの「仕入れ・繰り越し・繰り越し・仕入れ」がZの形に見えたので、それをイメージしたロゴを作り、下に「We are 元気か?」と「売上原価」と韻を踏んだ言葉を入れました。

背面

背中には、私が簿記を勉強し最も感銘を受けた考えが表されています。仕訳には必ず借方・貸方と複数の勘定科目が付きます。人生の出来事も同じだと思います。単独で存在することはなく、それは関係性の中でのみ生じます。一見相反する2つのことは同時に存在している、そのことを簿記は教えてくれます。

Tシャツをプレゼントするとき、ロゴの意味を説明します。笑ってくれます。こちらも嬉しくなります。そして、そのTシャツを着ている姿を見るとき「作ってよかったな」と思います。

2匹目のどじょう

そのようなわけで今年もTシャツを作成し、お世話になっている人にプレゼントすることにしました。今年のテーマは「サウナ」です。

今、世の中は空前のサウナブームです。それに伴って、私のまわりでもサウナを楽しむ人が増えてきました。今まで普通に接してきた職場の同僚も実はサウナ好きであり、そこから仕事の話よりサウナの話を多くするようになったこともありました。

大学時代の友人とラインをする中で、熊本の「湯らっくす」の写真が送られてきたなんてこともありました。

私は「今年はサウナだ」と確信し、デザインを考えました。デザインとはいえ、私はデザインソフトを使いこなすようなスキルを持っていません。簿記Tシャツと同様に、Wordを使ってパーツを切り貼りしていきます。

直接「サウナ」とは書かないものの、サウナー達が見れば着ている人がサウナ好きであることが分かるようなデザインを考えました。

そして、先日「サウナTシャツ」が完成しました。

サウナTシャツ

三角形の中心の「ttnt…」は「ととのった」を表しています。サウナ、水風呂、外気浴を繰り返すうちに、ディープリラックスの状態になり、それを「ととのう」と表現するのですが、気持ちよくつぶやくときは母音がそれほど出ません。

平仮名は子音と母音の組み合わせなので、そこをアルファベットにして子音のみでつぶやく「ととのい感」を出そうとしました。

下の「375」は「サウナgo」を表します。今、私の一番好きな数字の一つです。サウナに行く時、私は「375番」の下駄箱に靴を入れようとしますし、国道375号線を通ってサウナに行くという計画も立てています。

このサウナTシャツ、本来なら水風呂をイメージした爽やかな色にしたかったのですが、ある目的のために黒字に白で作りました。

それは、プレゼントするときに「サウナーとして冠婚葬祭、どこでも着れるような色合いにしました」という一言を言うためです。

楽しいなあ…

今、私はこのサウナTシャツを、私のまわりのサウナー達に手渡しています。遠くに住む友人にはレターパックで送りました。

「冠婚葬祭に会う色に…」といって手渡すと、必ず笑ってくれます。「このTシャツを着た人を見たら私の関係者だから声をかけて…」私はそう伝えながらハッとしました。

確かにその通りなんです。私がこうやってTシャツを作ってプレゼントすることで、全く知らなかった人同士がどこかで出会ってつながる可能性もあるのです。さらに、このように私がブログに書くことで、記事を読んでくれた人が、私の知り合いに出会うこともありうるのです。

私はなんだかワクワクしてきました。

やはり、人のためにお金を使うことは私の気分を良くしてくれます。幸せや充実感とお金の使い方は密接に関係していると思います。

今まで、私は、そうは思っていませんでしたが、結果的には自分のことばかり考える人間であったと思います。こうやってプレゼント用口座を作ってみると、そのことがよくわかります。

自分のところにお金が入ってくるということは、誰かが私にそれを与えてくれたということ。私は受取人であったわけです。受け取ったものは、私以外の人にもギブしなければなりません。そんな単純なことに今更ながら気付いた私です。

これからもこのプレゼント口座を続けます。そして、いつかもっと多くの物をギブできる人になろうと思います。

救援要請2

あれから3週間

先月、実家の田んぼに「ネオゴールデン」という肥料を「まくぞーくん」という道具を用いて撒いた話を書いた。米作りに関しては「お前の好きなときに気晴らし程度にやったらいい」というスタンスであった父親から救援要請があったのだ。

父親はここひと月ほど、神経痛に悩まされていた。腰から下の数カ所が、同じ姿勢で立ったり歩き続けると痛くなるらしい。「まくぞーくん」に20キロの肥料を入れて田んぼを歩き続けることは、かなりの苦役だ。そのようなわけで、私の出番が来た。

前回実家を去る時「ゴールデンウィークも来ようか?」と聞くと、「そうしてくれるとありがたい」と父親は言った。よく効くと噂の鍼灸に行ってツボを教えてもらい、自分では1月ほどで神経痛を直すつもりでいたようだ。しかし、追加の肥料を撒くまでには時間が足りない。

私は今まで両親の作った米を何十年も食べ続けてきて、そのようなことさえ知らなかった。そのようなこととは、米作りには、いつ、どんな作業をしたらよいのかということ。

「ネオゴールデン」や今回撒いた「らくいち」は今まで何度も見ていたはずである。しかし、私の頭の中にはそのような記憶はなかった。これは覚悟の違いだと思う。父親は祖父母から受け継いだ田んぼを守る気持ちがある。私は、それに甘え消費する側にいる。

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背中を押してくれる

検索するうちに…

モヤモヤから抜け出したくて私はこのブログを書き始めました。それは2019年6月のことです。途中に気持ちが落ち込んだこともありましたが、今私は確実に前を向いて進んでいる実感があります。

そんな私の背中を強く押してくれている存在があります。

ブログを書き始めて半年たった頃でした。私は今の仕事について悩んでいました。自分がなりたくてついた職業でしたが、思うようにいかないことも多々ありました。それに、時間的拘束が長く体も疲労していたのです。

私はふと「この仕事をやめたら社会保障はどうなるのだろう」と思いました。ネットで検索をかけると、フリーランスの社会保障に関する解説動画が出てきました。

文字と音声だけの動画でしたが、そこからは、こちらの悩みに真摯に向き合う優しさが伝わてきました。その声の持ち主は、リベラルアーツ大学の両学長でした。

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暗さの裏にあるもの

読者の皆様へ

私は時々自分の書いた記事を読み返します。それが、このブログを始めた目的であるからです。

自分が何を考えているのか、頭の中で考えるよりも、一度アウトプットをして見える形にしてやると、自分の思考が明確になります。それに、アウトプットするプロセスそのものが考えるということであり、文章にしなかったら生まれなかった自分の思いに出会うことができるからです。

私はモヤモヤを抱え、漠然とした不安と共に生きてきました。ひどくなったのは40代に入ってからですが、根本的には私は若いころからネガティブな人間であったと思います。「何かよくないことが起きたらどうしよう」とつねに頭のどこかで考えていました。

自分の生活を見てみると何一つ不足していないと思います。家族がいて、仕事があり、趣味もあり、何より健康です。モヤモヤを抱える理由などないはずです。

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5月病にならない

童くんとのライン

私には、オーストラリア人の友人がいる。彼の名前は童くん。当然本名はオーストラリア風の名前なのであるが、漢字を当て字にしたときに「童」が最初に来るのでそういう風に呼んでいる。

童君は昨年11月まで5年間日本にいて、その後オーストラリアに帰国した。彼とはとてもいい関係であったので、帰国後も頻繁にラインでやり取りをしている。

先日もラインで「GWどうする」という話題になった。オーストラリアにはGWは無いので、童君が私に聞いてきたのだ。

「今年は子どもたちが新しい生活を始めたのでゆっくりする」という内容を英語で送った。私の二人の息子はそれぞれ新しい環境で新学期を迎えている。コロナは収まりつつあるが、ゆっくりと体と心を休めるのがよいと思ったのだ。

童君とGWのやり取りをするうちに、彼とかつて「5月病」について話し合ったことを思い出した。「オーストラリアには5月病的なものがない。いったい何なんだ」そう質問する彼に、私は「一体何なのだろう」と考えながら答えた。

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恋人の訃報

長崎の友人

私には、長崎にもう30年以上付き合いのある友人UJがいます。大学時代のノリが抜けきれない彼は、深夜何時であろうとお構いなしに私に電話をかけてきます。私の方はというと、もう十分大人になっているのでそのような電話は無視します。

先日も真夜中過ぎに着信がありました。お酒を飲んで熟睡していた私は電話に気付きませんし、気づいたとしても無視をします。その夜は結局電話に出ないまま朝を迎えると、UJからラインにメッセージが入っていました。

「君の恋人が亡くなった」

私は、それが誰のことなのかすぐにわかりました。その恋人にはもう15年間も会っていませんでした。そして、彼からのメッセージは、私が彼女に再びこの世で会えないことを知らせてくれました。

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援助要請

薄い貨幣経済

私の生まれ育った場所は、ここから車で2時間ほどの場所にある。瓦屋根の集落があり、その周りには田畑が広がり、しばらく行くと農協の施設があり、駐車場の広いスーパーが地域の人々の集まる場所という典型的な日本の田舎である。

そんな田舎に私の父と母は暮らしている。父はもうずいぶんと前に仕事をやめて小さな船を買った。農業の傍らで、天気がよいとその船に乗って魚を釣りに出かける。合わせてデイトレーダーのようなこともやっていたが、「株は儲からない」といって今はほとんどしていないようだ。

作った米や野菜、釣った魚は、私たち家族や親戚、父母の知り合いの胃袋へと消えていき市場に出ることはない。その代わり、私の実家には野菜や魚をもらった人々から数多くの返礼品が集まる。

それはハムやジュースなどの加工品であったり、父母の栽培していない野菜であったりする。父母が消費しきらないそれらの返礼品は、私たちのもとへとやってくる。

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ブームは本物

妻からのプレゼント

誕生日、結婚記念日、父の日、母の日など、夫婦の間でプレゼントをやりとりする機会はいろいろとありますが、最近ではほとんどが食べ物ですましています。これは単に、お互いに物を所有することに対して興味がなくなっているためです。

特に私は近藤麻理恵さんの本を読んでからは、物を捨てることにも抵抗がなくなり、よりシンプルな生活を楽しめるようになってきました。だから、妻に「何か欲しいものある?」と聞かれても、「おいしいカツオが食べたい」と言う風に、胃の中に消えてなくなる食べ物を望みます。

そんな私ですが、少し前に欲しいものができ、そのことを妻と話しました。「じゃあ、それを私がプレゼントしてあげる」と妻は言いました。

しばらくして、その会話を忘れるころ、私宛にアマゾンが届きました。話をしていた例のプレゼントでした。

中身を取り出してみます。

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1年また1年

ラインでのやり取り

オーストラリア人の友人の童くんはこのブログにも何度か出てきているが、彼は今、彼の地元であるブリスベンで働いている。コロナで延びていた帰国が去年の末に実現したためだ。

私が若いころ「次はいつ会えるのだろう」と思いながら海外にいる友人に手紙を書いていたものだ。重量を減らすための薄い便せん書かれた手紙を、by air と書いた封筒に入れて郵便局に持って行き、重さを測ってもらっていたことを懐かしく思い出す。

テクノロジーは進化し、今はわざわざ手紙を書くこともなく、ほぼ無料で近くの友人と同じようなコミュニケーションをとることができる。童君とも頻繁にメッセージや写真、時には動画をラインで送りあっている。なんだか季節が日本と正反対の国にいるとは思えない。

先日は彼に満開となった桜の写真を送った。

“I am really missing Japan now.”

すぐに返信があった。

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ワクワク2週間

奇数月

この4~5年、奇数月が楽しみになった。月が替わり、カレンダーをめくると日曜日の並びを見る。そして「3月13日が初日か」という具合に大相撲の開催日を確認をする。

このカレンダーは、日本相撲協会が作っているもので、ありがたいことに妻の友人が毎年持ってきてくれる。予算がないのかコロナの影響なのか、今年のものは写真が少し古く、画像が不鮮明であるが文句は言わない。

場所が始まると私の機嫌がよくなる。普段テレビを見ない私であるが、この時ばかりは特別で、チャンネルの優先権は私にある。テレビをみる場所は3カ所ある。自宅、サウナ、馴染みの立ち飲みである。

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