交換する生き物

宮崎牛

先日、クール宅急便が届いた。開けてみると中には牛肉が入っていた。全部で5パック、合計1.5キロの宮崎牛であった。

送られてきた牛肉

慌てて妻が冷凍庫の整理をする。何とか4つは入りそうだ。残りの1パックは私が佃煮にする。スマホでレシピを検索して適当に味付けをする。本当に便利な世の中である。

牛肉は友人R君から送られてきたものであった。彼と私は30年以上の付き合いがある。R君は1年に2~3度こうした形で私に何かを送ってくる。以前は果物が多かったが、私が「育ちざかりが二人いるので肉がありがたい」と言ってからは牛肉が増えた。

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路傍の蝉

夏の盛りに

地球温暖化は確実に進んでいると、この10年間の夏を経験して確信している。この時期、昼間の気温が35度を超える地域が現れても驚かなくなった。夜も25度を下回らないことが当たり前となった。私の子供のころは、夏とはいえ朝夕は涼しいと感じていた。

蝉の鳴き声が暑さに拍車をかける。アスファルトとコンクリートに囲まれた都会であっても、どこからともなく蝉が現れて、そこらじゅうでなきわめく。蝉には耳があるのだろうか。何のためになくのかと思う。

時間の経過と共に蝉の種類が変化する。シャーシャーシャー、ジリジリジリ、カナカナカナ、ミーンミンミン。私は人間の音節しか知らないからカタカナで表すとこうなるが、実際はもっと複雑である。

土の中で何年も過ごした蝉は、地上に出て2~3週間で命を終える。私たちが目にしているのは、老後を迎えた蝉の姿である。時間で考えれば老後であるが、生殖活動を含め一番元気がよい。夏にこの世の春を迎える、それが蝉の生体である。

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名古屋場所 備忘録

15日間

特殊相対性理論の話は一旦横へ置いておく。日常生活の中では、時間の長さは変わらないはずなのに、大相撲開催の2週間は普段の倍の速さで過ぎていく気がする。

場所の話が出始めるとソワソワとし始め、待ち遠しい数日を過ごして初日を迎える。日曜日の朝「ああ、これから15日間相撲が楽しめるんだ。妻に録画を頼もう」と思う。午後はたいていサウナに行っているので、汗をかきながら初日を楽しむ。

中日の日曜もサウナで見る。相撲中継を行っている確率の高いサウナに行くようにしているが、たまに競馬やゴルフをやっていることがある。そういう時は終わり次第「相撲に変えてください」とリクエストをする。中日が終わると、優勝争いが気になり始める。

後半戦は馴染みの立ち飲みに行く回数も増える。仕事が終わればダッシュで暖簾をくぐり、後半の10番ほどを常連さんと一緒に楽しむ。家に帰れば前日の「幕内ダイジェスト」を見る。優勝争いに期待する反面、一日一日と「もうすぐ千秋楽だな」という寂しさを感じる。

千秋楽も日曜なのでサウナでみることが多い。相撲を中心に考えるので、この日は「サウナ室→水風呂→休憩」というサイクルが乱れる。楽しみな一番に合わせて時間を調整する。それでもととのったりする。

三役揃い踏みが終わり、最後の横綱戦「これを持ちまして…」という行事の声を聞くと「ああこれで終わりか…」という寂寥感がやってくるが、横綱戦が優勝を決める一番だとワクワクの方が勝る。

明けて月曜日は相撲ロス。あと1ヶ月半待たなくてはならいが、これぐらいの間隔がちょうどいいとも思う。1年に六場所あってよかったと思う。これから生きている間ずっと2ヶ月に一度相撲が見られると思うと、私は一日一日を過ごすことが楽しくなる。

今場所も様々なことを感じた。思いつくままに記してみたい。

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頭を空に

出来そうでできないこと

他の人から見れば簡単にできそうであっても、本人にとってはなかなかできないことがあります。私にとってそんなことの代表選手は「休日を何もせずに心から楽しむこと」です。

「そんな簡単なことができないのか」と自分でも思いますが、こうして文章を書き続けるうちに、これが一筋縄ではいかない問題であると気付き始めました。

「ただ単に何も忘れて楽しめばよいのでは」と普通の人は思うかもしれません。私もそう思います。しかし、いざ行動する段階になると強い抑制がかかるのです。その抑制とは、一人旅先で何か高価なものを食べようとしたとき「私だけいい思いをすることはできない」とためらったり、旅行中も語学や読書を行ったりすることです。

せっかくの休日の旅行です。ハレの日にはそれに合った過ごし方があるはずです。私は、そのような日にも普段のルールを当てはめようとして一人でモヤモヤしているのです。

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上位互換

始まりはKonMari

KonMariとは整理アドバイザーの近藤麻理恵さんのことで、彼女は現在アメリカに住み世界中に影響を与える存在です。小さなころから片付けが大好きで、それを追求するうちに、その分野の第一人者となり多くの人々を救っています。

そんな彼女の著書「人生がときめく片付けの魔法」を私が読んだのは、2年半前のことでした。妻が古本屋で買ってきて放置していたものを、心がモヤモヤで「ときめく」ことから遠ざかっていた私が手にしたのでした。

私は一読した後たくさんの付箋を貼りました。数多くの役に立つことが書いてありましたが、私の心に最も響いたのは物を捨てられない原因について書かれた下りでした。

「過去に対する執着と未来に対する不安」

突き詰めるとこの2つが原因になって片付けができない、と彼女は記していました。それは片付けについて書かれた記述でしたが、私の心の中を言い当てられている気がしました。

当時の私の心の中は「過去への執着と未来に対する不安」が溢れていて、そのことがモヤモヤの原因になり、幸福を感じるアンテナを曇らせていたと思ったのです。

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想像できなかった自分

苦手意識

私は、18歳のときから結婚するまでの10年間一人暮らしをしていました。そのため掃除・洗濯・料理等の家事は一通り覚えて行っていました。それは家族を持った今でも同じで、時々台所に立ちますし、家族全員のシャツにアイロンをあてるのは私の役割です。

そんな自称「家事力の高い」私ですが苦手にしていることが1つあります。それは裁縫です。

一般的な家庭で裁縫の出番といえば、とれたボタンをつけたり、生地のほつれを直したりということになるでしょう。これらは中学校までに家庭科の授業で習う内容で、たいていの人はできることでしょう。

しかし、私はこのよううな基本的な裁縫ですら苦手としています。もちろん何度も挑戦しましたが、ボタンはうまくつきませんし、生地は再びほつれ始めます。

このようなことから、私は裁縫に対して苦手意識を持ちました。苦手意識を持ちながらそのことを行うと、たいていはうまくいきません。私は結婚後、裁縫は妻に任せ、やらなくなりました。

妻は普通の人よりは裁縫が好きで、息子たちが小さな頃は浴衣や布かばんをよく作っていました。家事全般は私も手伝うが、裁縫だけは妻だけの仕事、私はこのような立場で家事に関わっていました。

そんな私が先日二日間にわたり、夜お酒も飲まずに裁縫に没頭するという出来事がありました。自分でもこんなことになるとは想像していませんでした。

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貯金箱

6月下旬から7月

3年前まで6月は私にとって他の11ヶ月とそれほど変わらない1つの月であった。現在は、ある一部分で考えると、私にとって最も楽しみな月になっている。

ここでいうある一部分とは「お金」のことである。

日本の会計年度は4月に始まり3月に終わる。そのため多くの企業は3月末に年度の決算を行う。上場企業は決算を行った後3か月以内に株主総会を行わなければならない。したがって、日本企業の株主総会は6月に集中する。

5月下旬から総会の案内状がぽつぽつと届き始める。私のように購入最低ラインの株しか持っていない株主にも、律儀に総会の議案と議決権行使用のはがきが届く。総会が終われば配当金の案内が送付され、証券口座に入金される。

私は何もしていない。ただネットの証券会社のHPを開き、ログインして銘柄を選び、購入ボタンを押し、しばらく放置しておいただけである。そのまま権利確定日を迎えると、次の6月から7月にかけて配当金が入金されている。

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3年経過

3年前のモヤモヤ

6月30日は私にとって特別な日です。3年前のこの日に、私は初めてブログの記事を書きました。当時の私の心のなかを振り返ってみます。

私は40代も半ばになり、相当焦っていました。心の中がいつもモヤモヤでいっぱいでした。男性の平均寿命は約81歳。私の時代には90歳ぐらいになるだろうと予測して、私は折り返し地点にいました。

そんな年齢になりながらも、私は成熟からは程遠い場所にいました。不安で心が落ち着きません。その理由は分かっています。私は死ぬことを恐れているのです。これは誰でも思うことであると思います。

しかし、ずっと死を恐れていては、今生きている、この生を味わうことができません。人々はさまざまなことに打ち込み一時的に死を忘れること、または生の楽しさを味わうことで何とか正気を保っています。

そのことは分かりながらも、3年前の私は自分がこのままのモヤモヤした気持ちで残りの人生を過ごしていくことに大きな不安を感じていました。

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レアな経験(後半)

朝の散歩

若者たちの晩婚化が叫ばれて久しい。私たちの時代は30歳が一つの目安であった。20代後半で結婚して、30歳で親になる。特に女性にとってこの数字は切実なラインであったと思う。

今は30になり結婚している男性は少数派になってしまった。私のまわりでも、30代の独身は両手では数えきれないほどいる。性別を問わずにである。

どうして人々は結婚しなくなったのだろうか、その理由についてここで考察するつもりはない。私が興味あるのは、ただでさえ少なくなった結婚に対し、仲人を立てるカップルの割合がどれくらいあるのかということ。そして、その中で結婚式から十数年を経た後、仲人と二人で旅をする男がどれくらいいるのかということ。

間違いなく、私は世の中でレアな経験を今行っている。それはそれで、私にとってすごく楽しい経験である。

昨夜は私が眠りに落ちるのが早かった分、翌朝も私が先に目を覚ました。そして、私の病気が始まった。就寝中の仲人さんを横にイタリア語のテキストを開く。こんな状態では頭に入るはずがないと分かりながら、毎日学習しないと気が収まらない。

昨年は、訳あって次男と3回北海道に行った。私は、いずれの時もテキストを手放すことができなかった。かといって、目に見える成果があるわけではない。語学の沼に足を取られたままである。

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レアな経験(前半)

仲人さん

私は妻と知り合い、3年半付き合って結婚をした。その時「仲人はどうする?」という話になった。その当時、私のまわりでは結婚ラッシュが続いていたが、友人たちが仲人を立てていたかどうかはよくわからなった。つまり仲人はそれぐらい話題にならない存在であった。

私は職場にとても尊敬できる先輩がいて、結婚するならその人に間に入ってもらいたいと思っていた。妻に話すと二つ返事で受け入れてくれた。そのようなわけで、私から見てひと回り年上の先輩夫妻に仲人をしてもらうことになった。

昔は「仲人は親も同然」という格言があったらしいが、本人同士の気持ちが最優先される現在においては、その言葉は力を失っていると思う。私たちの場合はどうかというと、予想以上に結びつきが強く、親とまではいかなくてもそれに準ずるお付き合いをさせていただいている。

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