予行練習

自転を感じる

私が住んでいるのは太陽系第三惑星地球。この星は太陽の周りを一年かけて一周する。いつも同じ面を向けて地球を公転する月とは異なり、地球は自転しながら太陽の周りを公転する。太陽に向かって両極を通る軸を23.3度傾けながら、クルクルと365回転するうちに太陽を一周し、元の位置へと戻ってくる。

私はこの三日間ほど地球の自転を強く感じたことはなかった。

カーテンの向こうがぼんやり明るくなる。光はだんだんと強くなり、しばらくすると隙間から漏れた光で文字が読めるほどになる。時と共に輝きは色褪せ、赤色の光にゆらりと照らされる。やがてそれもなくなり、また暗闇がやってくる。

三日間、同じ場所で、同じ光の色合いを観察する。やはり地球は自転している。私がどこにいようと、どんな状態でいようと、何を考えていようと、地球は同じペースで回転しながら太陽の周りをゆっくりと周っていく。

私はこの三日間、一人ずっと同じ場所にいて、同じ景色を眺めていた。私のいた場所は寝室で、眺めていたのは光の具合で模様を変える部屋の天井だ。

時折トイレに行く、廊下に置かれたおぼんから皿を部屋に入れて食事をする、それ以外はまぶたをつむっているか部屋の天井を眺めているかである。

動画を見る気にもならない、本を読む気にもならない、音楽を聴く気にもならない。つまり寝転ぶ以外何もしたくない気持ちであった。だから私はひたすら三日間ベッドに寝転がっていた。

風呂にも入らず、顔も洗わず、歯も一日一度しか磨かずに、眠りに落ちるか天井を見るかで、私の意思とは何の関係もなく地球が淡々と自転することを感じていた。

2年半前のように「モヤモヤMAX」が私を襲ったわけではない。私の心は、このブログを書くことによって、日に日に状態がよくなっている。「私の人生の後半戦、結構バラ色かも」最近こう思い始めたぐらいだ。

ではなぜ。流行り廃りにはめっぽう疎い地味な中年男である私が、何を思ったのかトレンディーな病に感染してしまったのだ。

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ありがたい話

駅間2.9キロ

今年最初のブログは「ありがたい話」から始めたいと思う。何がありがたいのだろう。それは端的に言うと「現代にこの国で生まれて暮らしていること」。昨年の終わり、そのことをしみじみと感じることができた。何でもないような経験であるが、よく考えるとありがたい話。

私は北海道に来ている。隣には次男がいる。彼は北海道に夢中である。2021年は私たち二人は三度この地へやって来た。今年(2022)は初めて、ちょうど一年ぶりの北海道である。

今回は次男の一人旅の予定であったが、いろいろあって私もついてくることになった。私にとってはおまけのような旅である。次男と二人旅をするのも最後であると思いながらの道中。

次男は少し変わっていて、あまり人が観光で行く場所には行きたがらない。私たちは今までの旅行で歌志内、夕張、音威子府、歌内、苫前というような場所を訪問した。おそらく普通の人にとって馴染みのある地名は夕張ぐらいであろう。

そんな彼はこの日「恵比島から真布まで歩きたい」と言った。どちらも石狩平野の北端、深川市から留萌方面に向かった沼田町にある駅名である。今回の旅の目的の一つは、残り三か月で廃線となる留萌本線の石狩沼田ー留萌間に別れを告げることであった。

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2022年最後

大和イタチ

私は「大和イタチ」という名前でこのブログを書いています。もちろん、私の本名ではありません。2019年の6月、ブログを始めるにあたって考えた名前です。

本名で書かなかったのは、これが「モヤモヤに悩みつづける自分を、書くことによって治療するブログ」であり、そんな自分を周りに知られたくないという理由も当然あります。

現在は驚くほど個人情報が大切にされる、つまり”自分と関係ある”人以外には個人に付随する情報が隠される時代であります。かつてはそれぞれの場所に名簿がありました。学校には生徒名簿、職場では職員名簿というふうにです。

名簿を見れば名前以外にも住所と電話番号が分かりました。情報は「知られるから価値がある」という前提です。ただ、そこへアクセスできる人は限定されていましたし、その拡散となると、できたとしても多大な手間と時間と費用を要しました。

今、極端に個人情報が大切にされるということは、その不必要な拡散が容易になっていることの裏返しであり、それによって傷つく人が出やすい現状を示しています。

そのような時代にあり、私も不必要なことで心を悩ませたくない、そういう思いで私は「大和イタチ」を使っています。

ブログでこの名前を使う理由はあと二つあります。

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3分で100

CDリスト

働き始めてしばらくしたころ、私は一つのリストを作りました。エクセルの左側のセルから「バンド名」「アルバム」「リリース年」「優先度」「コメント」のタイトルをつけます。そしてそれらの欄に自分が買うべきアルバムの情報を入れていきます。元データになったものは何冊かのCDガイドでした。

まだi-podやスマートフォンが登場する前のことです。音楽を聴くと言えばCDを再生するとほぼ同義で、街には大小のCDショップが数多くありました。また書店に行けばCDガイドやレコード店ガイドも売られていました。

私はそれらのガイドを見て買うべきCDリストを作りました。リストの中身はハードロック・ヘヴィーメタル(以下HR・HM)という音楽です。高校1年生でこの音楽に出会って以来、私はブレずに聞き続けてきました。そしてそのことを誇りに思っていました。

今思えば別に「ブレて」もよかったのです。音楽はそれほど気負って聞くものではないと思うからです。自分の心に素直になって体が要求する音楽を聞けばよいのですが、まあ当時の私は若かったのでしょう。この世に生まれ落ちたHR・HMの名盤をできるだけ多く所有したいと思っていました。

独身で、学生時代のバイトとは異なる額の給料が毎月入ってきます。私は時間を見つけてはよく神戸の三宮・元町周辺のCD屋さんを周りました。当時はこの辺りにタワーレコード・HMV・ヴァージンメガと3つの大型店がありましたし、中古店も今より多くありました。それに何といってもHR・HMに特化した名店「ブルーベルレコード」がありました。

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一瞬の出来事

静かな夜

「お父さん、少し外に出てきていいか」

お酒が入り、少しいい気分になった私に次男が尋ねる。

「どこ行くの」

「駅を見てみたい」

「気をつけてな。オレも後で行くわ」

2021年の暮れ、私と次男は二人で北海道を旅していた。わけあって、この年二人で三度目の北海道である。この日、私たちは千歳から名寄を経由して音威子府まで来ていた。

「おといねっぷ」

不思議な響きをもつ町である。小学校低学年で時刻表を読み始めて以来、私はこの道北の小さな鉄道の街に憧れ続けていた。遠い北海道のその真ん中にある旭川から列車に乗り換え、宗谷本線で北上して日本最北の街を目指す。

その途中に稚内までの経路を二つに分ける駅があった。「こんな場所で分かれてまた稚内の手前で合流するんだ」子供心に思った。「いつかここに行ってみたい」そう思っているうちに音威子府から南稚内までの天北線は廃線となった。寂しかった。

天北線が廃線となり鉄道の要衝としての機能は失ったが、音威子府に行きたいという思いは持ちつづけていた。では、なぜ廃線から三十年間も行かなかったのだろう。自分の心に耳を傾けることと、仕事や家族、その他自分が自分の中に課した縛りとのバランスがうまく取れなかった。バランスを自分の心の方に向けるために考えることを面倒くさいと思ってきたからなのか。”Tra il dire e il fare, c’e di mezzo il mare.”(思うと行うの間には大海が横たわる)とイタリアの諺にある。

そんな私をこの小さな街に連れてきてくれたのは次男であった。ここでは多くは語らないが、数年前から、北海道は彼の生きる希望になっていた。

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本を読め

疲れてしまった

人間に割り当てられている時間は誰にとっても等しく、時計の針が同じだけ回れば同じ時間が過ぎていく。その間、人は”何か”を行っている。暇でしょうがないという人であっても、家でボーッと座っていたり、街をぶらぶら歩いていたり、息をしながら何らかのことを行っていて、本当に何もしないということはできない。

私たちの一生は生まれ落ちた日からあの世に旅立つ日まで「何をして過ごしたか」の積み重ねに過ぎない。人以外の動物のほとんどは、その間ひたすら餌を食べ、再生産活動に専念する。

動物にとって生きる意味とは、個体として「生き続けること」そして種としても「生き続けること」この二つに集約されると思う。私はそのことを「仁義なき戦い広島死闘編」で千葉真一が演じる大友勝利というヤクザのセリフから学んだ。

人間はその進化の過程で「生存」と「再生産」を他の動物と比べて容易なものにした。もちろん貧困にあえぐ地域の人々にとっては、現在もこの二つは生活のほとんどを占める。しかし、一度この二つが満たされれば、人間はマズローの欲求段階でいう上位の部分を考え始める。

人間は「うめなければならない時間」を持ってしまった動物である。それは何のためなのか。承認されるため?自己実現のため?よくわからないが、その時間の過ごし方は幸せの感じ方と大きく関係していると思う。

その自由な時間の過ごし方に悩まされている男がいる。肩の力を抜いて、もっと自分の心と体の声を聞きながら時間の過ごし方の選択をする、それがなかなかできない。外ならぬ私のことである。

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次はダブルか?

師走最初の日曜

イタリア語検定は5級から1級まで途中準2級をはさむ6つの級に分かれており、5級から準2級までは毎年3月と10月に筆記試験が行われます。二次試験でイタリア語の面接がある2級以上は、秋のみ年に一度の開催です。

10月に受けた試験の結果は11月半ばに通知され、通常12月の第一日曜日に二次試験が行われます。筆記試験の自己採点を終え、一次試験合格を確信していた私は12月4日の予定を空けていました。

そして迎えた当日、私は神戸市内の街銭湯でたっぷりとサウナを楽しんで過ごしました。つまり、面接に行かなかった、いや行けなかったということです。なぜでしょうか。体調を崩したとか、交通機関が乱れたとかではありません。単に私が一次試験に合格しなかったということです。

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九州場所を振り返る

この10月から11月にかけての私の生活は一瞬で過ぎ去っていった。仕事、家族、プライベートで「やるべきこと」「やったほうがよいこと」「やらなくてはならないこと」が重なって、体も心も余裕のない状態が続いたのだ。

それはそれで後から振り返ると充実した時間だったと思えるかもしれないが、今はもっとゆっくりと相撲が見られる生き方をしたいと思い、先日「好角家ライフ」を思い描き、執筆した。九州場所が終わるともう師走。一年が終わりを告げる。

九州場所千秋楽の最終取り組み「この一番をもちまして」という行事の声を聞くと「今年の相撲はこれで最後なんだ」という何とも寂しい気持ちになる。大相撲にはオフシーズンがなく二か月ごとに開催されるので、別に寂しがる必要はないのであるが、そこは人為的に定めた時の「一年」という区切りに心が影響されている。ここでも人は「ことば」に支配されていることがわかる。

多忙のため今場所はそれほどよく見れていない。レコーダーにも見る当てのない大量の録画が残ったままであるが、備忘録のため気になった今場所気になったことをいくつか記したい。

「一」から「十五」

大相撲はさまざまな要素から成り立っており、単に「スポーツ」という枠に当てはめることはできない。しかし、あえてスポーツであるとすると、他のそれと大きく異なることの一つに「四股名」がある。

四股名は、主に海や山など自然のもの、竜や馬などの動物、親方の一文字からつけられるが、中には「遠藤」や「正代」など苗字をそのままつける場合もある。

今場所、何気なく取り組みを見ながら面白いと感じた四股名が「一山本」であった。日本でもかなりメジャーな「山本」という苗字に「一」の文字をつけるだけで、ありふれた苗字が非常にインパクトのある響きに変化する。

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乗らないツーリング

立ち飲み屋で

1年前にかかりつけの内科で脂肪肝の診断を受けて以来、私は肝臓とお酒に関する本を何冊か読みました。本を手にするたびにお酒を減らすことができそうな気がするからです。

実際に読んでいる間は納得してます。家でお酒をダラダラ飲むくらいなら、そのぶん良いお酒を店で少量飲んだほうがよいとか、週に最低でも三日は休肝日を設けるのは当然、そのような気持ちになりながらページをめくるのです。

「もっと健康に関して厳しい指摘を私にしてほしい。そして私がお酒を飲む量を減らしてほしい」などと他力本願な気持ちで本を読むのですが、読んだ直後は効果があっても、少し期間を伸ばしてトータルで考えると飲んでいる量はあまり変わっていません。

幸いにも、私はバーやスナックをハシゴするような、私たちの親世代にあったであろう習慣は持っていません。したがって、金額的にお酒に使う額は知れています。外で飲むと言えば、居酒屋か立ち飲みが相場です。

職場近くの馴染みの立ち飲みに行けば、必ずと言っていいほど知り合いの常連客がいます。肝臓のことは心配なのですが、この年齢も職業も異なる人たちとお話をする楽しみを捨てることはできません。「家で飲む量を減らそう!」と毎回のように決意をして、今日も立ち飲みに向かいます。

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メロンを食べながら

月一の帰省

今年はよく実家に帰省した。私が一人で帰るときもあれば、家族を連れて帰ることもあった。帰省の主な理由は農作業を手伝うことと、両親の作った農作物を持って帰ることである。

4月ごろから父親の神経痛がひどくなった。立ったり歩いたりはできるのだが、同じ姿勢で長時間いることが辛いという。農業には結構同じ姿勢のまま行う作業が多い。今まで父親と母親で分担しながらできていたことが難しくなってきた。

私は田んぼの肥料撒きや刈り払い機による草刈りを行った。一度帰省するごとに約半日、父親の指導のもと手伝いを行い、たっぷりと米や野菜をもらいこちらに帰ってくる。県をまたぐため、日帰りで帰ってくる。私は泊ってもどうってことないのであるが、世の中にはいろいろなことを気にする人たちがいる。両親に居心地の悪い思いをさせたくない。

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