私の悩みと8月

ぼーっと考える

自分の頭の中が100%クリアでスッキリとしていて何の心配事もない、そんな状態を今まで体験したことがないし、そもそもそんな状態は生きている中であり得るのだろうかと思う。何をしている時であっても大なり小なり心配事はあるもので、私は物心ついた頃からそれらと付き合ってきた。

当然、今この文章を書いている瞬間にも私の心の中には悩みというか心を乱されていることが存在する。ぼーっと考えながらそれらを書き出してみたい。

・皮膚が荒れている。薬を塗ってもなかなかよくならない。老化か。

・家の換気扇の調子が悪い。買い替えにいくらかかるのだろう。

・あと40日でイタリア語検定がやってくる。作文がなかなかうまくならない。

・授業の準備が進まない。新しいことをやりたいと思うが、中身を考えることを避けている。

・バイクに乗っていない。暑くて乗る気にならない。わけもなく走行距離を伸ばさなくてはならないという気持ちになる。

・勉強しなくてはならない時間に眠気がやってくる。夜睡眠時間を確保しているつもりでも眠りが浅いのか。

・最近図書館に行っていない。本が読めていない。

・ブログがなかな書けない。語学と教育について語るブログを立ち上げようと思うもの先に進んでいない。

・動画を撮ろうと計画しているが全く進んでいない。

・車の車検が迫っている。だいぶんボロく新車購入も検討したが、私がほしい車に対して妻が理解を示してくれない。あと2年乗るか。

・お酒を控えているのに下腹の肉が取れない。

・奥歯が少し虫歯気味になっている。ずっと良い歯でい続けたいのに。

・最近暑くてエアコンの使用が増えている。電気代が気になる。

・妻の友人が困っている話を聞いた。私も知っている人だ。何とか助けてあげたいが私にできることはほぼない。

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東京デート

20年前の東京

約20年ぶりに妻と東京の街を二人で歩くことになった。いや、正確にいえば前回二人でこの街に来た時私たちは結婚していなかったため、私の横にいた女性はまだ妻になっていなかった。とはいっても彼女と私が結婚することはすでに決まっていて、東京へやってきたのもその準備のためだった。

今回二人で東京を歩いたことを書く前に、20年前のことを思い出しながら書いてみたい。おそらく私たち二人が一般的な人とは少し異なる感覚を持っていることを再確認できると思う。それがわかったところでどうということはないのであるが「今が幸せでこれからも幸せが期待できるのならその感覚でいいのだよ」と自分に話しかける材料がほしいと思うのだ。

「結婚式、特に披露宴は新婦のためにある」と先輩から言われたことがあるが私もその通りだと思う。披露宴を行うことは良いことだと思うが、そこに対して大したこだわりもなく、普通に淡々と進行すればよいと少なくとも私はそう思っていた。

だからもうすぐ妻となる彼女から、披露宴のドレス、料理のオプション、引出物などについて細かい相談をされた時、私は真剣に考えているような表情をしながら「どうでもええやん」と思いながら聞いていた。今の若者は経験を重んじる時代を生きているから異なるだろうが、私の同世代の人ならこの感覚わかってもらえると思う。

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制服ができた気分

黒のパンツ二本

昨年の7月、私は神戸市灘区にある洋服屋さんで二本のパンツを作ってもらいました。どちらのパンツも同じ黒の生地で寸法や形も全く同じ、唯一の違いは後ろのポケットについたボタンの色でした。

私がこのように同じパンツを仕立ててもらった理由は、自分の服装をシンプルにしたいと思ったからでした。今までいろいろなスーツにいろいろなシャツやネクタイを合わせてきていました。またジャケットとパンツを合わせることもありました。

私のクローゼットの中は整理されていない服でいっぱいでした。中には10年以上前に買った服で捨てられないものもありました。良く着る服、たまに着る服、ほとんど着ない服、その三種類が寝室のクローゼットと和室の洋服ケースの中に混在していました。

私はいつも「着るものがない」と言い、素敵だと思う服があれば購入しました。新たに買ったジャケットが既存のシャツやズボンに合うとは限りません。そうなればまた「着るものがない」が始まります。

この終わりのない戦いに苦しんでいる人は数多くいると思います。持てば持つほど感じる欠乏感、これから抜け出すために行うことは手放すことでした。

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令和五年七月場所

大関

豊昇龍関が初優勝し見事に大関昇進を決めました。名古屋場所が始まる前は豊昇龍に加えて若元春、大栄翔の両力士も3場所33勝の目安に達するか注目されていましたが、豊昇龍のみがそこへ到達することができました。

これで今場所の霧島に続いて来場所でも新大関が誕生します。私は豊昇龍が十両に上がった時から注目していました。彼のファンというわけではなく、私が応援している力士に土をつける存在としてです。

とにかく豊昇龍の粘りは驚異的で、勝ったと思った相手の力士が何度も土俵際で投げをくらって逆転されました。「またやられた」と私も叫びながら豊昇龍の勝負を見ます。

私の中ではプロレスでいう「ヒール役」の力士ですが、これからの相撲界を引っ張って行くのは彼であると思います。きっと次の横綱は豊昇龍であると思います。

今場所貴景勝が休場、霧島も負け越しで9月はこの二人がカド番で迎えます。豊昇龍を加えた三大関の場所で賑やかになりそうです。下からは若元春と大栄翔が次を狙っています。優勝を二度経験している大栄翔は、もっと早く大関を狙えると思っていましたが安定して勝ちを積み上げることができませんでした。それだけ三役から幕内上位の力が拮抗しているということでしょうか。

円熟の渋み

私の中で「お相撲さん」という言葉のイメージとぴったり合うのが宝富士関です。まん丸くて優しそうでどっしりとしている、そんなイメージです。

対戦相手にもよりますが、そんな宝富士が出てくると私は無意識のうちに応援します。四つ相撲が得意で、しっかりと当たり重い腰で寄っていくスタイルは相撲らしい相撲の見本ではないでしょうか。

一時は関脇にも上がった宝富士ですが、最近では前頭の中ごろから下で相撲を取ることが多くなりました。現在36歳で幕内力士の中では数少ない昭和生まれの関取なので体力的にもきつくなってきているのかもしれません。

そんな中でも今場所では9勝6敗と勝ち越すことができました。飛ぶ鳥を落とす勢いの伯桜鵬にも勝ちました。これからも長く円熟の相撲を見せてほしいと願います。

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これから一生

白黒からカラーに

大相撲名古屋場所の中日を私はドルフィンアリーナの観客席で過ごしていました。相撲を見始めたのは三段目が始まった頃でした。取り組み表を見てみると、五段組のうちまだ上から二段目の真ん中あたりです。顔と名前が一致する力士はほとんどいません。

連日満員御礼が続いている今場所ですがこの時間だと観客もまばらです。大きな体育館には座布団の色の紫が目立っています。今度観戦するときはマス席であの座布団に座って見たいなあなどと考えながら取り組みを見ています。

歓声も少ない中、淡々と勝負が行われていきます。それでもご当地の力士が出ると会場に四股名を呼ぶ声が響きます。幕下以下は呼び出しから二分以内に立ち会わなくてはなりません。テレビで放送される幕内の間合いに慣れた身としてはせわしなく感じます。

幕下以下の力士はまわしも木綿の黒一色。さがりを糊付けすることも許されません。髷の形も関取りとは異なります。塩もまけず、力水もなく、待っている間の座布団もありません。ビジュアル的に地味な中で勝負が続いていきます。

東の横綱から序の口最下位まで、一人として同じ立場の人がいなくガチガチに序列が決められているのが大相撲の世界です。番付によって身につけるものから食事や風呂の順番まですべてが変わってきます。

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米作り

兼業農家

詳しいことはよくわかりませんが、私の実家はもともと農地を持っていなかったようです。それでは小作百姓であったかというとそれも違うようでした。昔祖母が私に話してくれた記憶によると、彼女が祖父と結婚した後二人で貯めたお金で田畑を購入して作り始めたようでした。祖父は仕事に行き、祖母は家で和裁を行って暮らしを立てていたと言います。

二人が結婚ししばらくしてから田舎でよくある兼業農家が誕生しました。終戦後おそらく昭和20年代後半のことだと思います。そのあたりのことは父親に聞いてもはっきりしません。祖父母ともっと話をしておけばよかったと悔やまれる部分です。

ともかく祖父母が兼業農家を始めて以来、私の実家では米作りを続けてきました。祖父は力強い人でした。私が物心ついた時には退職していて、とにかく朝から晩まで田畑で働いていました。

少しでも多くの作物を作ろうとしていたのでしょう。余った農作物は農協に出荷していたようです。祖父からは戦争中に飢えを経験した話をよく聞きました。その時代を経験した人にとって毎日お腹いっぱい食べることは当たり前のことではなく、食料を生産できる土地を持つことは命をつなぐ財産を持つことと同じでした。

祖父が亡くなり、祖母と父親が中心となって米作りを続けてきました。出荷するわけでもなく、自分たち家族と周りの大切な人が食べていけるだけの量です。

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乗らないツーリング再び

狭い世界

「教師は世間知らずである」と割と教師自身によって言われます。これは教師が学校という狭い世界の中で長時間仕事をしているから、自虐的にそういうのかもしれません。それは「もっと他の世界を知れるような時間のゆとりが欲しい」という言葉の裏返しかもしれません。

私自身は世間知らずにならなように様々なことに興味を持ち学ぼうと心がけているのですが、実際に私は平日は学校と家を往復するだけですし、土曜も半日は学校にいて、時には日曜も出勤する生活が当たり前のように続いてきました。

したがって平日習い事に行ったり、何かのサークルに入って他の業種の人々と親交を深めるようなことは今までほとんど行ってきませんでした。子供達が小さい頃は少年野球の活動を手伝うことで地域の人たちと交流を行っていましたが、子供達も成長しそれも無くなった今、私が外の世界とつながっているのは、友人以外では馴染みの立ち飲み屋さんが一番大きな存在になっています。狭い世界に生きる私にとって外とつながることのできる貴重な場所です。

そんな私が足繁く通う立ち飲みの常連の中でバイク好きが集まってツーリングクラブができました。職業も年齢も異なる集まりですが、バイクと酒が好きというとろこに共通点があります。

半年に一度ぐらいはツーリングしたいということで、前回は昨年11月に丹波篠山方面へ行きました。レンタカーでした。雨と寒気が予測されたので、私たちは寒さと雨の中バイクを走らせることよりも、居心地よく移動して美味しいお酒を飲むことを優先させたのです。実に「ツーリングクラブ」と名乗ることが恥ずかしくらいですが、私たちはすんなりとその決定を行いました。まあ、立ち飲みで知り合った面子ですから仕方がないでしょう。

そのような前回の「乗らないツーリング」から半年以上経過した先日、私たちは再び「乗らないツーリング」を楽しんできました。もちろん、計画段階ではバイクで行くつもりでした。しかし、事前打ち合わせと称していつもの立ち飲みに集まった私たちは、週間天気予報を見ながらあっさりバイクを断念しました。警報級の雨が来そうだったからです。

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考えてみる

私の1日

・6時から6時半の間に目を覚まし、7時過ぎに家を出る。

・8時前に職場に到着。18時過ぎまで働く。

・19時過ぎに帰宅。夕食、入浴、自由時間。

・できるだけ23時までに寝る。

平日はだいたいこんな時間配分で過ごすことになります。恵まれているのは、今の職場では教師にしては勤務時間が比較的短いことです。日によって変わりますが、平均すると職場にいる時間は10時間ほどです。以前では12時間で普通ということもありました。

この時間配分の中に自分のやりたいことを入れていきます。

毎日行っていることは語学と読書です。家から駅まで、また駅から職場までは常にポッドキャストで英語ニュースかイタリア語の番組を聞いています。一日合計40分ということろでしょうか。電車に乗るとすぐに本を取り出します。片道15分なので、1日30分間電車で本を読みます。

1日が始まって、家に帰宅する19時の時点で私ができたことは「語学30分」と「読書30分」になります。

ここから就寝時間の23時までの4時間が大切になってきます。語学と読書以外にも、私にはやりたいこと、やるべきことがあります。しかし、語学と読書にはキリがありません。だからこの4時間を使ってこの二つの続きを行うのか、または別のことをするのか、いつも引き裂かれる気持ちになります。

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停滞?

4年経過

今年も6月が終わろうとしています。2023年も半分終了です。このブログを始めて4年が経過しようとしています。自分の文章力の無さと遅筆さに愕然としながらも何とかここまで記事を書き続けることができました。これもこのブログにアクセスし、私の記事を読んでくださる人の存在を感じることができるからであり、それなしではここまで続けられなかったと思います。

コメント欄を開いていない私が読者の存在を”具体的に”感じることができるのは、1年に2〜3回、思い出したように見るサーバーのアクセス数においてです。今のルールでは毎週土曜日に投稿しているので、そこだけ棒グラフがぴょんと跳ね上がっています。アクセス数も見るたびに増加しています。

私が投稿したらこれだけの人々が私の書いた文章を読んでくださるのだ、そう思うと元気が湧いてきますし、敬意を持って執筆しなければならないと思います。

何度も書いたことですが私はこのブログを自分のために書いています。私の心の中を可視化するためにキーボードを叩いています。その理由はブログを書き始める4年前まで、私は自分の人生に満足していなかったからです。

私の心の中はモヤモヤでいっぱいでした。「自分はどうして心からの幸せを感じられないのだろう」いつもそう思っていました。「このまま歳をとってこの世から消えていくのか」そう思うと寝られませんでした。恐怖にも似た思いでした。

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レアな経験 三度目 (後半)

パラダイスゾーン

仲人さんとの城下町ツアーも二日目の朝を迎えた。旅行の朝はいつも目覚めがよい。この日も私は目覚ましの鳴る数分前に自然に目を覚ます。展望風呂の付いたホテルであったので、朝風呂に浸かりながら福山の街を眺める。

見渡す限り平野は建物で埋められている。結構な都会だ。東側には日本鋼管の巨大な工場が見える。これらは全て芦田川の運んだ土砂の上に立てられている。強固に見える建物や工場も、この地形が作られた時間を考えれば、ほんの少し前に現れたものに過ぎない。

二階建ての鉄道の高架が東西に連なって街を南北に二分している。山陽本線の4両編成の電車やEF210電気機関車のけん引する貨物列車が時折二階部分を通っていく。さらにその上を8両と16両の新幹線が、あるものはゆっくりと、あるものは高速で駆け抜けていく。人口50万人に迫る街であっても通過する列車がある事実は、この区間の流動の大きさを示している。

この山陽路にもう一本鉄道を通してみたい。私の脳内、妄想の中では姫路から山陽電車が岡山を経由してこの街まで繋がっている。朝の福山を見ながら、私は目の前の景色に自分の空想を重ね合わせた。

体にも目にも心にもいい朝風呂であった。

仲人さんと一緒にホテルで朝食を取り、二日目の行動を開始する。心配されていた雨もどうにかもちそうだ。さて、今日もたくさんの学びがある一日が始まる。私たちはワビサビ号に乗り込み、福山の街へと繰り出した。

今日のメインは福山城周辺である。しかし、城へ向かう前に少し見てみたい場所があった。それは福山駅から南方向へ下った霞町というエリアだった。

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