葛藤
一人暮らしをする息子たちが時々家に帰ってくる。たいていは荷物を置いてすぐに外出する。友達と遊ぶためだ。どこで誰と会っているのかはわからないし、成人した息子たちにいちいち聞くこともない。
遊んだ後、長男も次男も夜遅く帰ってくることが多い。大学生としては普通の生態であるし、私も大学生の頃は同様であった。
ただ、根が悲観主義者で心配性な私は悩まなくてもよいことで悩んでしまう。先日もこんなことがあった。
妻のスマホに次男から連絡があった。大阪で午後友達と遊んでそのまま神戸に帰るが夕食はいらないという。妻は一緒に食事できないことを少し残念がっていた。翌日が休みの私はどうせダラダラと遅くまで酒を飲んでいるから、帰ってきてから果物でも食べながら話をすればよいと考えていた。
10時を過ぎても玄関のドアは開かない。私はお酒を飲み終え、ネットサーフィンを始めた。
11時を過ぎた。いつ頃帰るつもりなのかLINEで尋ねてみたいがそれはできない。私も眠くなってくる。
日付が変わる前、私は歯を磨いて寝室に移動した。さすがに眠くなった。妻は帰ってくるまで待つという。私たちは9時ぐらいまでには帰ってくると勝手に考えていた。実際、その頃に帰宅することも多い。
布団の中で次から次へと心配の種が生まれては消えていく。
お酒を飲んでホームで転倒しているのではないか。乗り過ごして姫路の方まで行ってしまっているのではないか。酔っ払いの喧嘩にまきこまれているのではないか。そういう類の不安である。
LINEで「いつ頃帰る、大丈夫?」と聞き、それに既読が付き、いつものように「おけ」と返事が来れば安心して眠ることができる。
しかし成人している相手にそんなメッセージを送るのは躊躇われた。私が彼と同じ年にLINEがあったとして、親からそんなメッセージが来れば「やめてくれ」と言っていたであろう。
悶々としながら眠りにつくと当然ながら嫌な夢を見る。夢だけに詳細は思い出せないが、とにかく嫌な夢だ。
朝早く目を覚まし、横で寝ている妻に声をかける。
「帰ってきたか?」
「まだ。カラオケでオールするって連絡あった」
帰るまで待つつもりだった妻は「オール」の言葉に諦めてベッドに潜り込んだのだ。
連絡があったことに安心し、二度寝の後朝食を食べていると玄関が開く音がした。
「やばい、酔っ払った、眠い」と言いながらリビングに入ってくる次男。私は冷蔵庫からアクエリアスを取り出し「これ飲んで寝ろ」。
顔は呆れているが、無事次男の顔が見えてよかったと心の底から安心した。
無事を祈る
私のこの心配性、昨日今日に始まったものではない。
二人とも幼稚園には私や妻が送り迎えをしたが、小学校に入ると一人で通学することになる。玄関を出ていく息子を見送った後、こっそりと後ろから見る。
姿が見えなくなるまで「どうか安全に学校につきますように」と祈りながら見守っていた。
学校からの帰りも一緒だった。帰宅が遅くなると妻に「ちょっとコンビニに行ってくる」と行って外出し、学校までの道のりをキョロキョロしながら歩いた。途中で息子に会うこともあった。そんな時は偶然会ったような顔をして、書店で時間を潰し何も買わずに家へ帰った。
結局、心配性の親は子供が何歳になってもその安全を案ずる気持ちは変わらない。ずっと目の届く範囲に置いておけば安心できるかもしれないが、子供の成長を考えるとそうはいかない。
長男も次男も成長するにつれて家にいる時間が少なくなった。長男は友人と自転車で旅をし、次男は一人列車やフェリーで出かけて行った。その度に私たち夫婦は、安全を祈りながら帰りを待った。
二人とも大学に入り一人暮らしを始めた。いちいち親に報告しないが、あちらこちらに行っているらしい。家族LINEに既読がつき、返信がある度安心をしている。私はそんな心配性な父親である。
そんな私も大概家族に心配をかけてきた。酔っ払って電車で寝過ごしたことは何度もある。心配した妻から充電がなくなるまで着信があったが、私はそれに気がつかないくらい深い眠りについていた。その時は実家から私の両親が神戸に駆けつける寸前であった。
中学の同窓会の後、仲のよい友人と深酒をして、実家に帰ったのは明け方になった。父親は呆れ、母親は心から心配していた。
その母親は、私が実家から神戸に帰るとき、姿が見えなくなるまで私の車の方を見続けている。バックミラーを見ながら「心配しなくていいから早く家に入って」と心の中で呟く。母親の性格から、車の姿が消えたら手を合わせて神仏に私の安全を祈ることがわかる。
親はいつも子供のことが心配なものだ。
81年前
9月に入った。私は81年前の 親たちの気持ちを想像する。息子を戦場に送った親たちである。当時の年齢で言えば40から60歳くらい、明治中旬から後半にかけて生まれた世代だ。
兵士の親たちは8月15日に玉音放送を聞いた。日中戦争から8年経過した後、戦闘で命を落とさずに済む瞬間がやってきた。8月終わりには最初の連合軍が日本に上陸した。
これからこの国はどうなるのだろう。それより、兵隊に取られた自分の息子はどうなっているのであろう。もう戦闘はない、生きているのなら帰ってくるはずだ。
私の息子たちも81年早く生まれていたら兵隊に取られていた年齢である。もしも、そんなことが起こっていたとしたら、私が息子たちの復員を待つ親の立場だったら、私は想像を続けることができない。私の心のキャパシティを超えてしまうからだ。
この平和な時代で、大学生の息子が大阪で友達と遊んで帰りが遅くなった。そんな小さなことに心乱されるような私が、息子たちを戦地に行った日本軍兵士に置き換えて考えることなどできない、したくない。しかし、しなくてはならない。
出征兵士を駅まで見送る。その中に自分の息子がいる。列車に乗り込む前、目を合わす。
「これが最後ではありませんように。生きて帰ってきますように」
私ならそれ以外の言葉が浮かんでこない。
メディアが統制されて情報が入らない時代。我が子を案ずるもその安否を確認する術がない。戦果が次々と伝えられるが、その割に暮らしは苦しくなるばかりである。
知人の戦死の報が伝えられることが珍しくなくなる。大本営の発表は正しいのだろうかと疑心暗鬼になる。それは都市部への空爆が始まると疑いないものとなる。
日本は勝ってなんかいない。自分の息子はどうなっているのだろうか。無事な姿が見たい。見えるのか。
希望と絶望の間で物狂いしそうな心もちで過ごしていた親たちが、数十万人の単位でいた。81年前のこの瞬間のことを思うと、私は子供を持つ親として、今の時代に生きることに感謝しきれない。そして、もう二度とあんな時代を作ってはならないと誓うのである。