狂人
米作りのシーズンになると月に1〜2回実家に帰る。5月末に田植えが終われば、私の主な役割は畔の草刈りになる。梅雨の雨を受け夏の日の光を浴びた草は、驚くほど急速に成長する。
刈り払い機で除草をし、2週間後に同じ場所へ来てみると、すでに刈り取る前の半分ぐらいの背丈に成長している。だから最低でも1月に一度、私はこのマシンを振り回すことになる。
草を刈るのは田んぼの畦だけではない。実家の庭、父母が管理している畑、その近くの空き地、未舗装の小道、それらの場所に夏草は我が物顔で精力を広げていく。
平な場所であれば刈り払い機を使うことができるが、石垣など凹凸がある場所や作物が混在している畑ではそれもできない。
以前は気にならなかったそれらの場所の雑草がやたらと目につくようになった。私の父母の体力と気力がなくなってきている証拠である。
私は実家の倉庫に入り道具を探す。錆びついた鎌が何本もある。5年や10年前のものではない。まだ祖母が元気な時分、これらを使って草刈りをしていた記憶がある。祖母は今の母親の年齢ぐらいだったであろうか。
軍手をはめ長靴を履き、鎌を一本手にして実家の裏庭に向かう。名前はわからないが、1メートルほどシュッと真っ直ぐに伸びた一年草がまだらに生えている。
私は右手に鎌を持ち、その草の高さ50センチくらいのところを目掛けて斜めに振り下ろす。草はシャッと切れて半分の高さになる。時代劇で見た、剣士が真剣を振り下ろし、藁人形が斜めにずれながら半分に切られるシーンが浮かぶ。
調子に乗った私は更に鎌を振り回す。10回、20回、野外で刃物をブンブンと振り回す。都会でやったら通報される。田舎でも人に見られるとやばい。普通の草刈りならいい。私の動作は狂人のそれである。変な噂がすぐに広まることになる。
中途半端な高さで切られた草が一面に残っている。私のやっていることは、草刈りとしては全く意味がない。草を刈り取るなら根本から切るか、鎌を使わずに根ごと抜き去るかである。
私がやっていることは、刃物を振り回す遊びである。50を過ぎた親父が、鎌を振り回して中途半端に草の命を奪っている。異常な光景である。しかし、なぜか楽しい。
意外と楽しい
錆びた鎌であっても、草が相手なら振り回せば切れる。しかし、私はもっと先が見たかった。
屋外の水道の脇に使い古した砥石がある。目が荒いものの細かいものと2つある。ところどころ欠けている古いものだ。祖父の代から使っている。
バケツに水を張り、それらを中に入れる。石から細かな泡が出る。石に水が入っていくのがわかる。
しばらくの後、荒い方の砥石を取り出して木製の台の上に乗せる。鎌の刃の端と端を両手の親指と人差し指で挟み、砥石に当ててゆっくりと前後に動かしてみる。
刃の錆が石の上に移っていく。砥石の表面に茶色が滲む。一方で鎌の刃には冷たい鉄の色が現れる。
一度砥石の汚れを水道で流し、再び刃を当てて動かす。細かい角度や力加減などわからない。普段、刃物を研ぐことなど包丁を除き全くない。Rのついた鎌の刃を、素人が適当に鋭くしようとする。
刃物を研ぐには、砥石が細かく削れて水と混ざった研ぎ汁が大切だと聞いた。だからこれを流さないように、ほんの少しずつ水を垂らしながら手を動かす。
しばらくすると、新品には程遠いが鎌が本来の色を取り戻してくる。研ぐ前の数倍切れそうな気がする。
人間はいつ頃鉄を作り始めたのだろうと考える。草や穂を刈り取る農機具は、黒曜石から始まり青銅を経て鉄に行き着いた。
木製の柄につけられた硬い物質のおかげで、一度に多くの草を刈り取ることができる。もっと長い棒の先に付ければ、硬い地面を掘り起こすことができる。
鉄の利用は狩猟採集の生活から、より安定した農業生活をもたらした。長い間人々は、この物質を大切にしながら暮らしてきたんだと、鎌を研ぎながら思った。
研ぎ終わったら、再び裏庭で振り回す。スパスパとよく切れる。肉厚のものに持ち替えて、細い木の枝にも振り下ろしてみる。刃がスッと入って、葉のついた枝がばさりと落ちる。
もっと太いものも切ってみたい。私は子供の頃、ナタで木を割って遊んでいたことを思い出した。あの時のナタは倉庫にまだあるのだろうか。もしあれば、あの砥石で鋭くして切れ味を試してみたい。
草を切ったり、鎌の刃を研いだり。田舎に帰ってそんなことをする時間が、意味もなく楽しく感じられる。
