日曜夕方の気まぐれ
一日自由に使うことができる日曜日、私は朝早くから机に向かって勉強をする。休憩を挟みながら午前中に語学学習を行い、昼食を食べてしばらく休憩した後入浴セットを持って外出する。
いくつかの銭湯・スーパー銭湯の中から、その時の気分により行き先を決めて、だいたい2時間かけてゆっくりとサウナと水風呂と外気浴を味わう。
風呂から上がると、あとは立ち飲みに寄るかお酒を買って家に帰るかになる。サウナでスッキリして気持ちいいはずなのに、最近はこの辺りから気持ちが沈み始める。明日のことを考え始めるからだ。
一昔前の子供達が日曜夕方放送の「サザエさん」を見ると翌日のことを考えて憂鬱になったのと同様に、私も日曜のサウナ帰りにため息をついてしまう。
「あと15時間したら働かなくてはならないのか」
先日のサウナ帰りもそのような日曜夕方のブルーに浸りながら家路についていたのであるが、私の中にある衝動が湧き上がって来たので妻に電話することになった。
「今日の晩御飯、一品作っていい?」
大抵の場合、妻はこの提案に歓迎してくれるのであるが、時に物事の巡り合わせが悪い時は彼女の気分を害することになるので、念のために確認するのだ。
快諾を受けた私は駅前のスーパーへ向かった。購入するのは鶏レバーで、私が作ろうと思ったのは「鶏の胆煮」であった。
どうして鶏レバーが食べたくなったのかは説明できないが、私は時折このような料理を無性に作って食べたくなる時がある。それは今回のように鶏の肝煮であったり、レバニラ炒めやセンマイやテッチャンを使ったホルモンうどんであったりする。
子供の頃にほとんど内臓系の料理を食べさせてもらった経験がないので、その欠落感が時折浮かび上がってくるのかもと思っている。
生きていた痕跡
家に帰って早速料理を作り始める。鶏の肝煮は何度も作っているのでレシピを見ることなく、適当に調理する。
まず、パックに入ったレバーを取り出しまな板の上にのせる。鶏のレバーは、必ずその横の心臓とセットで売られている。人間の内臓と異なり、鶏のそれはこの二つの臓器が隣り合い繋がっている。
まずその二つの間に包丁を入れて切り離す。1つの肉の塊が、焼き鳥でいうレバーとハツとに別れる。本日購入の1パックには4つの塊が入っていたので、私の目の前に鶏が四羽いることになる。
切り離した心臓を半分に切る。中にドロっとした血の塊があるのでそれを取り除く。焼き鳥屋で見慣れたハツの形が現れる。お店では通常この形が4つ並んでいるので、一串で鶏二羽分の計算になる。
心臓が終われば次は肝臓である。食べやすいように適当な塊に切っていくのだが、ここでも太い血管には血の塊があるのでそれを取り除く。
切られた肉片は牛乳につけて下処理をすると臭みが取れてマイルドになるらしいが、私はしない。そのまま生姜を効かせて醤油と砂糖と酒で煮込んでいく。酒は一般のレシピよりかなり多めに入れる。
生々しい鶏の内臓が、美味しそうな料理へと変わっていく。
この料理を作る時、いつも考えることがある。
「何時間前までこの心臓と肝臓に血が流れていたのだろう」
私が調理で取り除いた血は、この鶏の心臓が送り出そうとした最後の血液であり、肝臓へ届いたそれである。内臓は劣化が早く、これらは冷凍商品ではないので、少なくとも私が手にする前日までは生きていたと思う。
鶏は、生物から死体となり血の流れはその瞬間にそれぞれの臓器で止まる。私は、その鶏が生きていた痕跡を取り除き、今夜の一品を作るのである。
感謝
私は神戸に住んでいながら、神戸牛を食べることはほぼない。値段が高すぎるからである。お肉屋さんの冷蔵ケースを見て、100グラム5千円の肉が売れることが別の世界の出来事のように感じる。
一方で安い鶏肉はグラム百円を切る価格で売られている。私が買うレバーもおおよそそんなものだ。餌をやって育て、処理され、加工運搬し、店舗にスペースをとって並べられたものがこのような値段で売られている。
鶏の大きさを考えた時、その一羽がいかに安く取引されているのか感じさせられる。
兵庫県中央部の地域、多可郡の特産に「播磨百日どり」がある。私もバイクでこの地域を走る時、保冷袋を持って行き、地元のJAで購入することがある。地鶏ほどではないが、鶏肉にしては値段が高めである。
「百日どり」の名前は、通常より長い孵化から100日間育てられて出荷されることにちなんでいるという。「100日が通常より長い?」調べてみると通常ブロイラーは50日ほどで出荷されるという。
人間の命の長さは「年齢」で表されるが、養鶏の世界では「日齢」という言葉が使われる。自然光の届かない狭い養鶏場でひたすら餌を食べさせられ、50日齢ほど育てられた鶏肉が私たちの目の前に安くで売られている。
私はその中の一パックを手に取り、肉に包丁を入れ、血を抜き、味を染み込ませていく。わずか50日間だけこの世に存在した生物が、私をこの先も生かしていくためにその形を変えていくのだ。
目の前で展開されるそのような光景を見ると、感謝の気持ちを持たずにはいられなくなる。そして、この鶏レバーのパックをスーパーで買う前に心にあった「明日仕事に行くの嫌だなあ」という思いが、取るに足らない小さなことのように思えてくるのである。
