今場所もいろいろなドラマがあった。大相撲って本当に面白いと思う。ここ近年、NHKの赤字経営がニュースになっているが、大相撲中継にまで合理化のメスが入らないことを切に願っている。
七月場所は仕事がら比較的ゆっくりと見ることができる。夏休みに入ると名古屋へも行きやすい。今年もIGアリーナで観戦してきたので、その辺りも含めて記していく。
飛びます
私はコント55号をリアルタイムで見ていないが、彼らの代名詞であるギャグはわかる。7月16日神戸新聞のスポーツ欄を眺めながら思わず出てきた言葉が「飛びます飛びます」であった。
「大の里 早くも三敗目」の見出しの右側に、相撲では滅多に見られない景色の写真が掲載されていた。
土俵際で両手を前に伸ばしバタンと腹をついて倒れる豪の山、その頭の上でものすごい高さのジャンプを決める横綱大の里。両足は空中を駆けているようで、両手は飛行機のように広がっている。
まさにコント55号の「飛びます飛びます」のポーズであるが、横綱がこのような姿を見せたのは「土俵の外に足をつかないため」の対空時間を稼ぎたかったからだ。
今年に入って大の里は苦戦が続いていた。初場所以来休場が続いた。出場しても勝てない。形が悪くなったらすぐに引き、押し込まれてしまう。
この時もそうであった。豪の山に押し込まれるが、相手も倒れ込む直前、それならば空中で時間を稼ごうというこの大ジャンプ。大の里の苦しみが凝縮されているような絵になってしまった。
この日、四日目が終わって1勝3敗、このまま休場かと思われたが、なんとか15日間取り終えることができた。9勝6敗でもいい。今場所は横綱が土俵にいてくれることの安心感を感じた。
胃に穴が空きそう
上に書いた四日目大の里と豪の山の一戦、実は軍配は大の里に上がっていた。結びの一番で、裁きは立行司の木村庄之助である。
裁きの後物言いがつき、ビデオ室との協議の結果、大の里の体が先に飛んでいると判断され豪の山の勝ちとなった。行司差し違えである。
判定が覆った瞬間、私の気持ちは大の里よりも木村庄之助へと向かった。
「確か先場所でも差し違えがあったはず」
調べてみるとすぐに出てきた。十三日目の霧島ー琴栄峰戦で差し違いがあった。その日、木村庄之助は八角理事長に進退伺いを提出している。
さあ、これでふた場所連続で進退伺を出すことになった。理事長からは留意を受けて、翌日からも立行司として横綱戦を裁くことになったが、この日以来私は結びの勝敗以上に木村庄之助の裁きに物言いがつかないかどうかが気になってしょうがなかった。
考えてみるとこれほどストレスフルな職業は滅多にあるものではない。審判には「同体」の判定はあっても、行事はどちらかに軍配を上げなくてはならないのだ。そして立行司の軍配が覆った場合には進退問題になるのだ。
相撲は単なる競技ではなく、儀式であり祈りであり神と繋がった存在であるのだ。一千年を超える伝統の中、行事は神の代わりに軍配をあげる。その判断が間違っていたら、胸元の短刀で自らを突き刺す覚悟を持ってである。
「行事差し違え」は「行事刺し違え」なのである。私には絶対にできないことであるし、これから結びの一番を見るたびに私は胃に穴が空きそうな思いになる。早く木村庄之助の定年がきてほしいと、勝手なことを思っている。
この人だけが許される
六日目のテレビ中継で、北勝富士の断髪式の様子が放送されていた。その中で仲の良い御嶽海がお茶目な行動を見せてくれた。
髷に鋏を入れる前、北勝富士に声をかけながら前頭部をなでなでしたのだ。その部分はちょうど、現役時代から誰もが気になっていた北勝富士のあの部分、前頭部の生え際から10センチほど上にある子供のこぶしほど禿げた部分であった。
後輩がそのような場所に触れれば無礼である。目上の人は、プライベートではアリかもしれないが、公の場でそれをすれば良識を疑われる。同期の中でも、苦労を共に切磋琢磨してきた御嶽海だから許されるし、見ていて微笑ましい光景であった。
この北勝富士、引退したことは知っていたが断髪式の映像を見るまでは、無意識のうちに今場所もその名前を探していた。
相撲を見続ける中「ああ、そういえばもう土俵で見られないんだ」と思うことが多くなる。横綱・大関は注目が高く、一般のニュースでも放送されるが、それ以外の力士はひっそりといなくなっていく。
妙義龍の振分親方、碧山の岩友親方、遠藤の北陣親方、宝富士の桐山親方など、テレビ中継にちらっと映ると「そういえばもう相撲が見られないんだ」と寂しさが込み上げてくる。
小兵の醍醐味
大相撲中継の中入り前にしばしば特集が組まれ、その中で昔の力士の対戦が放送されることがある。それらを見ながら私がよく思うことは、昔の力士の体の小ささである。
現在の相撲界は、力士が大きくなりがちで、その平均体重は150キロを超えている。身長に関しても、幕内力士の平均は180センチをゆうに超えている。
そんな中で小兵の力士が活躍する姿は、大相撲観戦の醍醐味の一つである。柔道やレスリングとは異なり、相撲は無差別級の競技であり、それであるこその勝負の形が見られるのだ。
最近の幕内では藤の川、朝紅龍、平戸海といった力士が面白い。十両では炎鵬、朝翠龍、日向丸、翠富士たちが活躍している。体格に恵まれた上位層と当たっても互角以上に勝負をする彼らの存在は、人々が大相撲を観戦する楽しみになっている。
今場所十一日目、序二段の取り組みで161センチ82キロの安芸錦が、178センチ132キロの飛騨野を破る取り組みがあった。私は、目の前でこの取り組みを見ていたが、関取りの取り組み以上に勝負を楽しむことができた。
番付によって全てが差別され、体格に関して公平さがない。現代社会の風潮と真逆をいく面白さが大相撲にはある。
午前9時半の声援
取り組み開始から3番目、まだガラガラのIGアリーナの声援が大きくなる。この時間帯から相撲観戦をする観客は、コアなファンたちだ。
皆の視線の先には髷の小さい力士が四股を踏んでいる。ほとんど足が上がらない。立ち合い前の蹲踞でも、最後まで膝を曲げることができない。声援を送っているのは森麗である。
大嶽部屋所属、今では数少ない昭和生まれで今年39歳。令和8年度版の力士名鑑には「現在37場所連続負け越し中。序の口98場所目」とある。七月場所が終わり、その数字にそれぞれ4が加わる。
かつて高知競馬場にハルウララという馬がいた。全く勝てないことで逆に人気が出た。人々はハルウララに自分の人生を重ね合わせて共感したのであろう。勝ち負けだけが人生の全てではないと。
午前9時半の声援にもこれと同じ匂いを感じる。ハルウララとモリウララ、勝てなくても、満身創痍でも、人生を賭けて相撲を取り続ける力士に会場の人は思いを重ねるのであろう。
その他いろいろ
・IGアリーナの会場をぐるりと見渡しながら「正面解説」と「向正面解説」はどこにあるのかと思う。どちらにも前方の枡席の一部にモニターの並んだ長机が見られる。しかし、そこで解説をしているのかどうかよくわからない。
・琴栄峰の空中で静止する四股が注目を浴びているが、幕下にも一人発見した。追手風部屋の大飛翔である。今場所幕下51枚目で1勝6敗なので、九月は三段目まで番付を落としそう。琴栄峰と対決する日を見たい。
・テレビではほとんど音を拾わないが、相撲会場では上位人の取り組みの時、場内アナウンスが懸賞のスポンサーを読み上げる。多い時だと30以上、一気に読み上げていく。「ハッピライフタマホーム、ホットホットホットホットスタッフ、ビーックビックのビックカメラ」こんなセリフが延々と続く。
・両横綱が千秋楽で7勝7敗同士だったらどうなるのだろう。そんな心配をさせられた場所であった。
・琴櫻がかつての正代のように思える。角を取ったり取られたり。オセロを連想してしまう。
・その正代は今回は負け越したが、大関時代と比べるとはるかに表情がよく感じられる。勝ち越しと負け越しを繰り返すが前頭半ばで安定している。34歳になるが、まだまだ相撲が取れそうだ。
・綱取りの霧島は惜しくも優勝決定戦で敗れた。私の妻は「負けて欲しい」とずっといっていた。霧島が嫌いだからではない。逆に応援している。豊昇龍のように横綱になって苦しむ姿が見たくないという。
・今場所も、チケットお相撲の抽選で3回落ち、IGアリーナ枠でようやく手に入った。大阪場所も2年連続振られている。ファンクラブのグレードを上げるべきか悩んでいる。