中断

異変

私は毎日語学学習を行わないと落ち着かない人間である。自分に語学の才能があるとは思わないが、それを続けずにはいられない。一度得たものを失うことに恐怖を感じるからだ。

忙しい日常の中、せめて後戻りをしないために、隙間時間を見つけては複数の外国語を学習している。飯の種である英語は当然として、今はイタリア語とポルトガル語に毎日触れるようにしている。

少し前までは台湾語と台湾華語も行っていた。流石に働きながら5カ国語を学習するのは無理があったので3つに絞っているが、それでも時間があるときは台湾語や華語のテキストを開くし、まだ私がそれらの言葉をあきらめたわけではない。

時間がない時はせめて通勤時間だけでもと、行きはBBCやNHKニュースを英語で聞き、帰りはイタリア語とポルトガル語の学習向けのポッドキャストを開いている。

語学を勉強しないことに罪悪感を感じてしまう、そんなある意味頭のおかしい私が、ここ2週間ほど電車内で外国語ではなく音楽を聴いている。家に帰っても、ほとんど語学学習をしていない。

この10年間、なかった現象が、今私に起こっている。

私が今自由な時間に行なっていること、それは音楽を聴いてギターを弾くことである。

先輩たち

大学時代、私は音楽サークルに所属していた。その時の先輩二人から電話があった。一人は憧れていたかっこいい先輩、もう一人は「ややこしい」先輩。誤解のないように言っておくと、カッコがついているのは、その「ややこしさ」が私にとって嬉しからである。

別々に電話をかけてきた二人が私に要求したとこは同じであった。

「バンドでリードギターを弾いてくれ」

二人は同じバンドのメンバーであった。大学でライブを行うと必ずトリをつとめ、地域でも知られた存在であった。彼らは卒業から30年以上経つが、たまに集まっては合わせたり、時にはイベントに出場したりしている。

そんな私にとって雲の上のような人たちから誘いがあった。

「もうギターは弾いていないんで勘弁してください」そう言いたかったが、相手の一人は「ややこしい」先輩である。

私は「どこまでできるかわかりませんが一生懸命やります」と受けてしまったのだ。先輩の要求に逆らえなかったこともあるが、私の中では「自分の中の何かが変わる」という予感もあった。

音楽に関しては私の中にずっと不完全燃焼感があり続けている。どうしてもっと一生懸命に練習しなかったのだろうと後悔し続けているし、今でもライブ本番でうまく演奏できない夢を見ることがある。

音楽が原因でできた傷は音楽によって癒すことができる、そういう直感からの行動であった。

一から

ギターを弾くことを了承したものの、ここからが大変である。演奏会場は歴代のOBが集まる身内のイベントであるものの、憧れの先輩のバンドに泥を塗るようなことはできない。

それに、私は昨年秋にメインのギターに加えてエフェクター類を全て売り払っていたのだ。もうギターを弾くことはないと思っての駆動であった。

不幸中の幸いは、先輩たちはロックンロール主体のバンドであるということ。理想的にはレスポールがよいが、私に残されたフェンダーのストラトでも格好がつく。

しかし、エフェクターに関しては私の手元に1つも残っていない。時間もない中、音楽からずっと遠ざかっていた私には何を買っていいのかもわからない。

現在は、さまざまなメーカーから多種多様なエフェクターが出ているが、私たちの時代はBOSSが主流であった。そのBOSSが「技クラフトシリーズ」という日本製の上位モデルと出していると聞いたことがある。いい音が出そうな予感がするではないか。

私は楽器屋に行き、Blues DriverとChorusを購入。ケーブル類も息子たちに渡っていたため、それらも合わせて購入。

家に帰り、ギターソロ用にクリーンブースターが必要だと思い、さらにエフェクターが3つ並ぶと電源もケースも欲しいと、それらをアマゾンで注文。

費用はかかったが、私はこれらの楽器を前に充足感を感じている。2ヶ月前には想像もつかなかった現実が私の目の前にある。

語学はしばらく中断することになったが、私は今罪悪感を感じているわけではない。ギターを練習する喜びの方が優っているからだ。

今日も電車内で先輩が送信してきたオリジナル曲を聴く。家に帰ってコードを探し、スケールを頼りに音を拾う。曲の構成を覚えながら、ギターソロを考える。フニャフニャだった左手の指先もかなり固くなってきた。

自分の中の心の縛りを外し、直感に従って行動してみることもよいものだと思う。ギターを再開して以来、私の中に新たな感覚器官が生まれたような気持ちがする。

人生って面白いと感じている。

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投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。