半減
全国の書店数が1万件を切ったというニュースを最近目にした。この20年間で数が半分になったという。「それでもまだ半分は残っていたのか」というのが私の感想である。
私はバイクで田舎道を走ることが好きである。ちょっとした規模の街に入ると、その中心地には商店街がある。「ちょっとした」とは、平成の市町村合併が行われる前にそこに役場が存在したくらいの街である。
商店街といっても営業している店は半分に満たない。かつては多くの専門的な個人商店が扱っていた品物は、今はスーパー、ドラッグストア、ホームセンターに集約されてしまった。
そして、それらは田舎へ行っても一軒ずつぐらいある。中心通りの両側にあった商店街が、郊外の3つの店に集約された感じがする。
この3つの店舗に売り場がないのが書籍である。だから少し前までは寂れた商店街の中にも、昔ながらの小さな書店が残っていることが結構あった。その地域の教科書販売の権利を持っていたことも、残り続けた一つの理由にあるであろう。
しかし、最近はバイクで走っていてもそういう書店を見ることがなくなった。学校の統廃合が進んでいることも背後にあるであろうが、根本的には本が売れなくなったためであろう。
私の育った田舎にも、駅前に小さな書店があった。鉄道ジャーナルの販売日になると、ワクワクしながらそこへ足を運んだものである。
大学に入り一人暮らしを始め、久しぶりに田舎に帰ると、その書店は郊外の国道沿いへと移転していた。駅前の店が減るのは寂しいが、書店がなくなるよりはマシだと思った。
実家に帰る時、たまにそこへ行って本を買っていたが様子が変わったのは10年ほど前だった。普通の雑誌などは売っているものの、多くの部分がアダルトな品揃えに変わっていたのである。
以来私はそこへ行っていない。たまに車で前を通るが、駐車場はいつもガラガラだ。私の田舎も書店なしの自治体になる日が近いと思った。
風通し
書店に入るとき、独特の気持ちになる。それは店舗の大小を問わない。閉じられた空間に入っていくにも関わらず、心の風通しが良くなるような感じである。
他の商店と書店とは何が異なるのだろうか。それは、書店の中に詰まっている無限性であると考える。そこに行けば、私たちは何にだって出会えることができる。それはまさしく言語の持つ力によってである。
人類の最大かつ最高の発明は言葉である。言葉を持ったおかげで、私たちは経験や知恵を世代を超えた他人に伝えることができる。モノ、感覚、感情、それらは言葉があるからこそ生まれるものである。
その言葉の記録、人間の知恵で満たされた場所が書店である。そしてその書店の中身は、常に新陳代謝を行なっていく。だから、私がいつ足を運ぼうと、そこには常に新しい世界が私を待ってくれている。
その世界に触れ、私は今までとは違う私になり、同時に過去の私を知ることになる。そのような場所がこの国の至る所にある。たかだか十か国ほどであるが、私が今まで訪問した国の中で、日本の書店の密度は他を圧していた。これは、かなり幸福なことだと思う。
どんな気分の時であっても、本屋に行けば何かが変わる。そこはとても風通しがよくて、前を向いて生きようという気持ちにさせてくれる場所である。
教師の立場で見ると
減り続ける書店に未来はあるのだろうかと、よく考える。私にとって絶対になくなってほしくない場所だからだ。通販でもキンドルでもダメだ。紙の本に囲まれた場所が必要なのだ。
生徒たちの読書習慣を見ると絶望的な気持ちになる。この10年間、私がいわゆる進学校とは異なる場所で働いてきたこともあるかもしれない。
子供達はとにかく本を手にしない。読まなくてもいいから、とにかく書店や図書館で本を手にとってくれ、私はそう生徒たちに訴える。なかなか手応えがない。
学校の図書館はいつもガラガラである。文庫本どころか、マンガすら子供達のカバンには入っていない。教師になりたての頃は、授業中に漫画を読む生徒を注意した。今は、そういう生徒を見ると内心嬉しくなる。身銭を切って活字媒体を買って読んでくれているのだ。
本は読まなくても、昔は男子は車やバイクの雑誌、女子はファッション誌を読んでいた。今は、そのようなジャンルの雑誌自体がどんどんなくなっている。
根が悲観的な人間だから、読書に関して生徒たちのマイナスな面しか見えないかもしれない。しかし、読み書きする力、物事を相手が分かるように伝える力は確実に下がっている。
この子達が大人になった時、読書を始めるのだろうか。願わくばそうであってほしい。現在の高校生のすぐ下にはスマホネイティブの世代が待っている。言葉を覚えるより先にスマホをいじっていた世代である。
活字の言葉に鼓舞されたり、癒されたり、救われる世代は、これから先現れるのだろうか。
希望は、ないことはない。
何事も、行きすぎたらその反動があるからだ。
普通の書店が減っている反面で、個人経営のいい意味で癖のある書店が増えてきている。その数はまだ少ないが、無視できない動きになっている。
情報はありすぎても扱いに困るものである。私たちのネット端末の向こう側には、玉石混合無数の情報が溢れている。正直いって何を見ればよいのか考えるだけで疲れる。
そんな中、自分が惹きつけられる人が選んだ書籍が小さなスペースに並べられていると、情報の仕分けに使うエネルギーを減らしてくれる。
そんな場所は、情報過多な現代において癒しの場所にもなる。そのような小さな書店が増えていることを嬉しく思う。
ただ、活字を読まない人間が増えればそのような希望のなる場所も淘汰されてしまう。どのように目の前の子供達を活字と仲良くさせるのか、教師としての責任を感じる場面でもある。