6月最終日
6月に入るとレンタルサーバーの会社から連絡が入る。12ヶ月の自動更新とその支払い内容についてである。「もうそんな時期が来たのか」といつも思う。
私は2019年6月にサーバー契約をして、特典でドメインを一つもらい、そこでこのブログを書き始めた。始めて投稿したのは6月30日で、記事のタイトルは「書くことは癒しになるのか」であった。
7年前の私は自分の心を癒すためにこのブログを始めた。週に一度は必ずパソコンに向かい、そこで心に浮かんだことを綴ることを続けてきた。頭の中にあるモヤモヤを、私の母語で書き出し、私の中に還してしく作業である。
書きながら私の傍に常にあるのは「生老病死」の4文字。仏教でいうところの人間の苦しみの根源である。どうしてこんな性格に生まれてきたのだろうかと、自分を恨む時があるほど、私は何をしている時でもこのことが離れなく、心から刹那を楽しむことができなかった。
一般的に楽しいことをしている時にも「この楽しみは一時のものであり、やがて私は老いて死んでいく」そう考えると、楽しみより虚しさの方が先に来るのだ。
私を外から見てみる。家族に恵まれ、健康でお金にも困っていない。友達もいて、やってみたいこともたくさんある。幸せを感じる要素に溢れているのが私の人生である。
それでもなお、こうして感じる人生の儚さ、そのこととうまく折り合いをつけながらもっと心から笑える人生を過ごしていきたいと、7年前の私は思った。
だから文章を書き始めた。この文章を読んでくださる人の反応を心で感じながら、私はオルターエゴの大和イタチと共に、私の人生について考えては綴り、考えては綴りを繰り返してきた。
ブログを続けてみてわかったことがある。それは、記事を毎週書くと決めると、それに値することが起こる人生になるということである。
「文章を書く」と決めて毎日過ごすことで、そのネタとなる出来事が私の前に起こるということである。実際には私の周りで起こっていることは何も変わっていないのかもしれない。ただ、私のアンテナが今まで感じなかったものを掴めるようになっただけかもしれない。
別の言葉で言うと、目の前で起こっていることのキメが細かくなったような気がする。そういった意味でもブログを書き続けてきた効用はあると思う。
苦しみの中の癒し
このブログの副題は「幸せについて考えてみよう」である。誰の幸せか、もちろん私自身のそれである。書くことで心を癒し幸福感をもっと感じられる心の状態を作る、これが文章を書き始めた理由である。
7年間続けてみて、私は幸せの中にいるのか。その答えは一言で説明することはできない。
私は相変わらず悩み続けている。心穏やかではいられないことも多い。「生老病死」は私の隣にいるままだ。というか、老いは7年前より確実に進み、薬の種類も増えた。
この7年間で病気になったり亡くなった知り合いもいる。それらの人のことを考えて、夜寝られないこともある。私が同じ立場に立ったら何を感じるのだろう。布団の中で考え続けて恐怖で狂いそうになる夜もある。
私という個がこの時代に生まれ、生き、いずれ消えていく。その不思議さを感じる限り、私が生老病死の苦しみから逃れることはないと、半分諦めている。
しかし、あと半分ではその苦しみを薄めることができることも考えられるようになった。生きる苦しみからは逃れることはできないが、その中に喜びの種を宿し、苦痛を少し麻痺させるのだ。これらは、いずれも文章を書き始めてから自分の中に現れた感情である。
私は苦しみ続けながらも、同時に癒されもしている。癒しはどこからやって来るのだろうか。一つは自分の思考と行動を支配してきた思い込みに気がついた時。そして、その思い込みとは異なる道を辿ることができる可能性を見つけた時。
以下、私の癒しについて筆を進める。
抑圧されてきたこと
怠けたい
心が悲鳴をあげそうになる時、この言葉が共に現れる。私は小学校の頃から人に頼られる人間であった。私もそれを拒否しなかったし、自分がやらなくてはと思って自分の役割を演じてきた。
私がやらないことで他人が困る姿を見ることができない性格をしている。だから今でも気まずい沈黙が続く前に「私やります」と仕事を受けてしまう。
教科の発表や研究誌への執筆、会の役員や幹事、そういったことも積極的に引き受けてきた。授業の持ち時間数や種類で揉めそうになる時、私はあえて苦しい道を選択してきた。おかげで経験値は上がった。仕事が終わった時は達成感があった。しかし、同時に疲労も溜まった。
文章を書き続けながら、私の抑圧された思いが浮かび上がってきくる。私は本当は怠け者でいたい。人に褒められなくてもいいから、目立たずに何もせずにダラダラと1日を過ごしたい。
ずっとは無理かもしれないが、生活できるのなら適当に最低限のお金を稼いで、あとは漫画を読んだり、語学学習したり、銭湯でサウナに入ったりしながら過ごしたい。
通勤時間を含めて朝の7時から夕方7時、つまり人生の半分を緊張した心の状態で仕事で使うことにうんざりしている。もっと適当に、何も考えずにその場その場で思ったことをしていたい。
私は甘ったれたことを言っているのか。人はいつからこんなに多くの「しなければならないこと」に囲まれて働き続けてきたのか。私は私のするべきことを30年近く、いや子供の頃から考えると50年も頑張ってきた。2年ぐらいダラダラさせて欲しいと心から願う。
私は、わがままを言わない子供であった。親や教師に対してものをねだらなく物分かりのよい良い子であった。今になって子供が駄々をこねるような感情が現れている。「もう働きたくない。ダラダラ過ごしたい」と。
教えるよりも
私は自分の職業を中学校の時に決めた。生まれ育った場所の中学校で社会科を教えようと。いろいろあって地元を離れた高校で英語を教えているが、教師であることに満足しながら働いてきた。
しかし、ここ数年心の中でずっと燃え続けている思いがある。
「自分は教えるよりも学ぶ方が好きである」
もちろん、仕事であるから教える工夫はするし、英語教育についても積極的に学ぼうとしてきた。それでも、ここ数年は教えながらもなんとも言えない虚しさに襲われる。
授業が始まる直前、この場所から逃げ出したい衝動に駆られる時がある。なんとか授業に行くと元気を取り戻すが、それが終わるとまた鬱に襲われる。
「自分は何をしているのだろう」
楽しそうに教壇に立つ、それだけで教育的効果はある。生徒はメッセージよりメタ・メッセージに反応するものだ。教師が機嫌よく何かを伝える時、生徒はその何倍ものものを受け取る。
教えながら、私の表情はこわばっているのではないか。私の視線の先に、子供達は何をみているのであろうか。こんな自分に果たして人を教える資格があるのだろうかと自問する。
中学・高校の頃、周りの人間は私は教師に向いていると言っていた。私もそう思っていた。本当はどうなのか。30年近く経ってそんなことを考えてみても仕方がない。
ただ、教壇の向こう側、黒板が見える方に行きたい。教えるのじゃなくて、教えてもらいたい。それを元に自分で学びたい。教えるのは、しばらくの間お休みしたい。体と脳にエネルギーを貯めたい。そんなわがままを、私の心は叫び続けている。
ブログを続けることで、私の思い込みが外れ、私の抑圧している思いが湧き上がってくる。結局、全ては時間に繋がっている。私の体が思うように動き、頭で思考ができる時間、つまり私の健康寿命の長さに関係しているのだ。
今の体と心の状態で1日の長さが3倍になれば、私はこのような文章を書かなくてもよい。適当に頑張り、適当に怠ける。教えることも学ぶことも両方できる。
ブログを始めて一瞬で7年が過ぎた。この間、よく動きよく働いた。それはそれまでの20年間と同じこと。もしブログを始めなかったら、これからの20年間も同じように過ぎていたであろう。そして、抑圧されていた自分の思いに気づかないまま、その時「こんな人生になるはずじゃなかった」と嘆く。
書くことのもたらした癒し、それは私の思い込みを外してくれたこと。だから、私はこれから怠けるし、学ぶ側に立つ。