午後5時のステージ
ギターボーカルの「ややこしい」先輩に紹介されて、私はステージに上がる。ギターのジャックにシールドを差し込み、エフェクターの目盛を確認、ボリュームを上げて少しだけ音を出す。
カウントが入り演奏を始める。D先輩の作ったオリジナル曲だ。初めてこの曲を聴いたのは33年前、大学の学生会館でのライブであった。
かつてD先輩のギターから発せられた色艶のあるメロディー。それを今、奏でているのは私だ。D先輩以外の3人のメンバーは33年前と変わらない。
ライブや演奏会でいつもトリを務めた憧れのバンドで今、私はリードギターを弾いている。人前で演奏するのは30年ぶりである。演奏を楽しむ余裕などない。ただリズムを崩さないように、音を外さないように3人の先輩たちについてゆく。
私の目の前に白いレスポールが置かれている。横のスピーカー上にはD先輩の遺影が見える。この位置に立ってギターを弾く日が来るなど、2ヶ月前までは想像すらできなかった。
去年の10月、私はメインギターを売った。もう弾くことはないと思っての決断であった。未練はないことはなかった。しかし、何かを捨てないとやりたいことを続けることは無理だと思った。
時間はかかったが私は決断した。30年間隣にいたギターに別れを告げた。何かを手放さないと新しいものは入ってこない、そんな話をよく聞く。
ギターを弾くことを諦めて手放すと、憧れだったバンドでプレイする機会がやってきた。言葉は本当だった。
ペシミスト
“Optimists see the bagel, pessimists see the hole.”
楽観主義者はベーグルを見て、悲観主義者は穴を見る。
杉田敏の「やさしいビジネス英語」で知った諺である。私は自嘲気味にこれをよく使う。このブログで何度も述べているように、私は根っからの悲観主義者である。だから自分を眺める時も、ベーグルの穴、つまり欠けている部分が気になってしょうがない。
自分に欠けている部分は大小さまざまあるのだが、その中でも学生時代から不完全燃焼感を抱えてきたのがギターであった。
ハードロックやヘヴィーメタルが好きで、大学で音楽サークルに入りバンドを始めたものの、私はそれに没頭しきれなかった。壁がやってくると、私はそれを正面から越えようとはせず、適当にそらす道を歩んできた。
「どうしてもっと一生懸命ギターを弾かなかったのだろう」その欠落感は、働き始めてからも続いた。仕事や家庭も忙しくバンドどころではなかったが、大学の時に無理して買ったギターは持ち続けていた。
時々嫌な夢を見た。もうすぐライブが始まるのに曲を全く覚えていない。ギターを肩に掛けてステージに立つ。冷や汗が出る。どうしよう。私は唸りながら目を覚ます。「夢でよかった」と息をつく。
成仏するためにはどこかでもう一度ギターに打ち込んでみないとダメなのか、そう思うものの時間が作れない。無理やり作って語学や他の勉強が疎かになれば、それはそれでベーグルの穴となる。相変わらず夢でステージに立ち冷や汗をかく日々が続く。
そんな私の気持ちを変えたのは息子たちの存在であった。彼らは私のギターに興味を持ち、手に取るようになった。最初はDVD付きの教本を見ながら簡単な曲を弾いていた。それが二人とも自分のギターを手に入れると練習とバンド活動に没頭し、一瞬で私を抜いていった。
息子たちは、ギターを弾くことが楽しくてしょうがないと言う。私が持ちたくても持てなかった気持ちである。
そんな息子たちを見て、私はもうギターを手放してもよいと思った。だからメインのギターとエフェクターを全て売った。ある意味、私は成仏できたと感じた。
悲しみの後に
今年の4月、私は大学サークルのメンバー5人と東京へ行った。ホスピスにいるD先輩と最後の別れをするためだった。D先輩は末期癌であった。それでも2ヶ月前まではスタジオに入ってギターを弾いていたという。
病室で私たちはその時の演奏の動画を見ながら話をした。何を話しても「これが最後なのか」という思いが湧き上がって、胸が詰まった。
ホスピスを去る時、「先輩のように滑らかに指を動かしたかったです」と、私は左手を差し出した。D先輩は黄色くなった手でしっかりと握ってくれた。
D先輩は、その100時間後に亡くなった。
しばらくして「ややこしい」先輩から電話がかかってきた。
「お前、Dの追悼ライブでギター弾いてくれ」
私には断る選択肢も勇気もなかった。
私の手元にはフェンダーのストラトが一本残されていた。楽器店にそれを持って行き、弾きやすいように調整してもらった。エフェクターをいくつか買った。
私は毎日ギターを手にした。先輩から次々に送られてくる曲を聴き、コード進行を取り、リードのパートの音を探した。
毎日行っていた3ヶ国語の学習ができない日が続いた。今までなら自分に毒を吐く場面であるが「それもしょうがないか」と思えた。
職場でも音楽のことが頭から離れなかった。帰宅するとすぐギターを手にした。休みの日は集中して練習した。柔らかかった左手の指先が徐々に固くなってきた。
「曲、弾けとんか?」
「ややこしい」先輩から電話がかかってきた。
「合わせまでには何とかします」
一度だけ大阪に集まり、ビールを飲んで、そのままスタジオに入って合わせた。私にとって久しぶりの感覚であった。大きな音を出し、他のメンバーに合わせて曲を仕上げていく。やはり、バンドはいい。
練習をしながら、私の中で欠けていたものが少しずつ満たされていく感じがした。やればできるじゃないか、と自分を認めてあげたい気持ちが芽生えてきた。
私に必要だったものは、自分が正しいと思い込んでいたルーティーンを無理やり変えてくれる力、つまり「ややこしい」先輩のような存在だったのかもしれない。
死と生
追悼ライブの打ち上げで、先輩たちは私のギターを褒めてくれた。
「いっぱい練習してきたのがよくわかった」
そうとも言ってくれた。実際に私はたくさん練習をした。暇を持て余していた大学生の時以上にギターを弾いた。
もし、現役の頃にこれだけ練習をしていたなら、私はギターに対して欠乏感を持ったまま30年間を過ごしていなかったのかもしれない。
出来事の価値を決めるのは、そのことが起きた時ではなく、今現在の私の気持ちである。私は今、満足している。憧れだったバンドでプレイすることができたこと。もう弾かないと思っていたギターを手に取り、人前で演奏することができたこと。
そう考えると、ここまで至る道、つまりギターに対してモヤモヤを持ち続けたまま過ごしてきたことが、今の満足感への長い伏線だったことになる。
D先輩の死は悲しい出来事であった。しかし、その死の裏側で新しく”生まれた”ものもある。
追悼ライブには先輩の前後多くのOB達が集まった。30数年ぶり会う人、初めて顔をみる方もいた。会場には来れなかったがラインで繋がったもOBも多かった。
D先輩が数多くの縁を生んでくれた。
私個人では何よりギターに対する新たな感情が生まれた。
ずっと持ち続けた劣等感が、たった一度のライブで吹き飛んだ。憧れだったバンドの、D先輩のポジションでギターを弾くことができた、その事実だけで私は生まれ変わり、別の自分になったような気持ちがする。
ライブが終わった今も、私は毎日のようにギターを手にしている。この楽器を、これほど愛おしいと思ったことは今までない。
D先輩に握られた左手の指で指板上をなぞり、ピックで弦を弾く。私以外の力も加わって音が出ているような感覚になる。
人生とはややこしく、意地悪で、そして素晴らしいものだと思う。人間には、長い伏線を作り出す力があるのだ。その力を信じながら、私は生きる。
