追い込みながら

残り4週間

私のイタリア語の目標はイタリア語検定2級を取ることです。各級のレベルを見ていた時「4年制大学のイタリア語専門課程卒業程度の学力を標準とする」という表記を見つけたからです。

もし私が2級を独学で取ることができたら、ただで外国語大学を卒業したのと同じになると思いました。私は外国語学部には行きませんでしたが、もう一度大学生になれるのなら次は外大に行きフィンランド語やトルコ語といったそれほどメジャーではない言葉を学んでみたいという気持ちがあります。

もう一度大学に行くのは現実的ではありませんが、そこを卒業するのと同等の学力が持てるというのは魅力的です。私は音声の響きがよく気に入っていたイタリア語の2級取得を目指すことにしました。もう四半世紀も前のことです。

この間に無数の中断と再開を繰り返しながらイタリア語を続けてきましたが、専門課程では4年で身に着くあろう技能を、私は独学でこれほど長い間やり続けてもまだ手に入れてません。

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再びあの場所へ

今度は私が

私にしては珍しく、電車に乗っている間何も聞かないし何も読まない。阪神尼崎から大阪難波線に乗り換えて、じっと窓の外を眺めている。

大物駅のすぐ横に新しい阪神の二軍用球場ができようとしている。観客席も多くかなりの規模であることがわかる。もうすぐここに多くの阪神ファンがやってきて野球を楽しむのだろう。私はこの場所で電車の窓から試合を眺めている未来の自分の姿を想像した。

電車は県境を越えて大阪府に入る。しばらくすると淀川を渡る。川幅一杯に水をたたえた上を美しいトラス橋を、床下から聞こえる心地よいジョイント音とともに電車は疾走する。川下を見ると真新しいコンクリート製の橋台が見える。あと数年の内、この橋も架け替えられることになっている。私は真新しい橋の上を電車に乗って通過する未来の自分の姿を想像した。

電車は古い街並みを抜けて西九条に到着する。初めてこの駅に立った時ここは終着駅だった。相対式2面2線の片方のホームを使い、列車が着いては折り返すだけの寂しい駅であった。線路の先、九条側の塞がれた壁を見ながら私は「ここから難波方面に列車が通る日を私は体験できるのだろうか」と思った。

長い中断期間を経て工事は再開され、西九条と難波は線路でつながり私はこうしてこの駅を経由して東に向かっている。

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令和七年一月場所

モンゴル出身

私が大相撲に興味を持ち始めたのは2018年ごろのことですが、それ以前にも新聞のスポーツ欄は時々見ていました。特に気になる力士がいたわけではなく、幕内の力士の名前と出身地をさらりと見る程度でした。

そこにはモンゴルの表示があまりに多く「日本の国技は大丈夫かいな」とよく思ったものです。正直言って私はモンゴル出身の力士にあまりいいイメージを持っていませんでした。原因は横綱朝青龍の現役時代の振る舞いでした。

相撲は見ていませんでしたが彼の素行の悪さはニュースを通じて耳にしていました。相撲はスポーツとは異なり「強ければよい、勝ちさえずればよい」というものではないことはわかっていました。ですから朝青龍がらみの出来事を通じて私の中にモンゴル力士に対するネガティブなイメージが出来上がっていました。

しかし、これは相撲に関して素人であった私がメディアを通じて得た知見であり、当時の私はメディアが大衆の欲望のどの部分にフォーカスしてニュースを作り上げていたかにまで考えを至らすことができませんでした。

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中断 再開 そして

1月下旬ですが

昨年6月から再開していた台湾語学習ですが今年に入り一度もテキストを開いていないことに気づきました。「あれそういえば」と思ってテキストを探そうとしてもどこにあるのかわからないのです。

寝室、和室、リビングとしばらくの間本棚を探しているとリビングの本棚隅の方で別の本に挟まっているのを発見しました。

開いて音読してみます。ところどころで詰まります。意味もかなりの部分を忘れています。

「ああ、また積み上げてきたものを崩してしまった」

語学の難しさを感じる瞬間です。言葉は一朝一夕には身につきません。そしてせっかく身につけた言葉を維持するのはそれを使い続けることしかありません。

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レアな経験(鹿児島編 後編)

2泊以上

私が近年誰かと一緒に行った旅について考えてみます。日帰りの旅は含みません。泊を伴う旅行です。家族、親、友人、仕事の仲間、いろいろと旅をしてきました。

その中で2泊以上の旅を考えてみます。

一番多く旅をしたのは家族です。年に2度は3〜4泊でどこかへ行きました。四国88ヶ所も全て回りました。しかし、子供達が大きくなった今では旅に出てもせいぜい1泊、しかも夕方まではそれぞれが自由行動というスタイルです。最後に家族全員で2泊以上したのは6年前の台湾旅行でした。

次男とは2021年から22年にかけて4回、北海道を旅しました。いずれも4泊5日の旅でした。そんな北海道好きな彼も高校に入ると一人旅をするようになり、私の出番は無くなりました。かろうじて妻は私と2泊以上の旅をしてくれます。

家族ですらこんな感じですから他は知れています。

親とは還暦や古希の祝いなどで私の兄弟の家族も揃って集まりましたが、せいぜい1泊止まりです。

結婚して以来、友達と旅する機会もなくなりました。若い頃はあてもなく一緒にダラダラと旅をしていた友達も、今は会って酒を飲んだら解散です。バイクの仲間とはツーリングに行くこともありますが、今のところ1泊の行程しか組みません。

かつては職場の仲間とも毎年のように旅行に行っていました。一つの年度が終わると、その時の学年団の教師が一緒に旅行に行って労をねぎらうのです。大抵は1泊2日ですが、気合いが入った学年では2泊以上のこともありました。

今は、職場の旅行自体がなくなってしまいました。

こう考えると、現在、私と一緒に2泊以上の旅行に出掛けてくれるのは妻だけということになります。そんな貴重な存在にこの鹿児島旅行から私の仲人さんが加わりました。

付き合いはずっとありましたが、2年半前までは一度も一緒に旅に出たことのなかった人です。そんな人が私にとって二人のうちの一人になっているのです。人生って面白いと感じます。

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レアな経験(鹿児島編 中編)

山笠ラーメン

神戸市で随一の歓楽街は阪急三宮駅の西口からその北側の東門街にかけてであり、そこには数百件の飲食店が立ち並び夕方になると大変な賑わいを見せます。

その西口のサンキタ通りに面してかつて「山笠」という名前の屋台風立ち食いラーメンがありました。名前の通りとんこつスープに細めのストレート麺という博多スタイルで、ラーメン1杯500円で食べられました。

24時間営業のこの店がもっともにぎわていたのは夜9時から深夜にかけてでした。この時間帯のお客さんの多くは、飲んだ後の〆の一杯を求める人々でした。酒を飲み続けると不思議なものでお腹が減ってきます。つまみを食べながら飲んでいても、小腹を満たすために軽くラーメンを最後のビールと共に味わうということになります。

若き日の私もその例外ではなく、終電に乗る直前によくこの立ち食いラーメンを食べました。「肝臓にいいから」という理由でゴマを大量にかけて、麺をすすり、紅生姜でピンク色になった汁を最後まで飲み干します。

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レアな経験(鹿児島編・前編)

1年ぶり

私と仲人さんとはもう25年以上の付き合いがありますが、一緒に旅をするのはここ2年半のことに過ぎません。きっかけは私が全国通訳案内士の資格を取ったことでした。

2次試験で口頭試問におけるテーマが「城下町」であり、そんなことを私は仲人さんと神戸駅近くの焼き鳥屋で話していました。仲人さんはご自身の専門が城下町だったこともあり、その時その話題で盛り上がりそれでは一緒に城下町を巡ってみようかという話になったのです。

それが今から3年前の冬のことです。私が用意したいくつかの候補の中で仲人さんが特に興味を示したのは松坂城と伊賀上野城を巡る旅でした。私たちは付き合いを持ち20年以上経って初めて二人で旅をしました。2022年6月のことでした。

今の時代結婚に際して仲人を立てることは稀です。私の友達でそうする割合は半分半分くらいでした。そんな中で結婚後も仲人さんとずっと関係を保ち、さらに一緒に旅行をするなど滅多にあることではありません。だから私はこの経験を「レアな体験」として記事に書きました。

仲人さんは日本史が専門で、私は地理が好きでしたので、旅はとてもアカデミックで学びのあるものになりました。1回目の旅が終わるとすぐに次回の計画が立てられ、2回目は一ノ谷・丸岡城、3回目は備中松山城・福山城、4回目は丸亀城・徳島城と半年に一度のペースで私たちの旅は続きました。

丸亀城を最後に仲人さんは江戸時代から天守閣が残る現存12城を制覇したので、次はどうするという話になった時、私たちは一年に一度旅を続けることにしました。場所は仲人さんが今まで行ったことのない県、テーマはもちろん城下町を中心とした歴史です。今回、未踏の県である秋田、山形、宮崎、鹿児島のうち列車で行きやすい鹿児島から行くことにしました。

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2024年最後

すみません

前回28日の投稿は、イタリア語で「毎週土曜の更新ができない」という言い訳を書いたものです。実はその日私はインフルに感染し発熱と悪寒の中で記事が更新できる状態ではありませんでした。そんな中でなんとか毎週土曜の投稿を守る悪あがきをしてしまいました。本来28日に出そうと思っていた記事が以下になります。

6回目

私がこのブログを書き始めたのは2019年の6月のことでした。「このままではダメだ」という思いでいっぱいで、私は文章を書かずにはいられませんでした。

何がダメなのかというと、このまま年をとり続けた時私は死の床で「私の人生はこんなものだったのか」と思いそうなことでした。

6年前、私は毎日モヤモヤとしながら過ごしていました。当たり前のことですが、私は私の中で特別な存在です。今まで何十何百億もの人間が地球上に現れてきましたが、それらのすべてと違う存在が私です。この世に「私」という意識を持って生まれてきた、それだけで特別なことです。その上私はさまざまな面でこれまで大した苦労をすることなく、恵まれた人生を送ってきました。

しかしながら、私はそのことを心の底から感じるためのアンテナが不足していました。だから文章を書くことで自分の心を整えようと思いました。思いを目に見える形にすることで、自分を外側から見てみようと思いました。

ブログを書き始めて6回目の年末を迎えようとしています。浮き沈みはありますが、私は概ね幸せを感じながら生きています。傲慢さと謙虚さの中でバランスをとりながら生きている実感があります。

今の自分にとって大切なこと、お金と労力をかけるべきことも見えてきました。

先日、NHK出版の本を読んでいてハッとするフレーズに出会いました。まさに私の心の中の焦りを表したものでした。読んでいたのは私の現代英語のバイブル「杉田敏の現代ビジネス英語」で、今年の秋号”Midlife Crisis”(中年の危機)の1節でした。

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Mi dispiace

Oggi e sabato, ma…

Da quando ho cominciato questo blog, ho continuato a scrivere almeno un nuovo articolo alla settimana. Di solito collaboro un nuovo articolo sabato, ma oggi io non posso farlo perché ho preso il raffreddore e non mi viene voglia di scriverlo.

Fino ultimo giorno di questo anno, magari io possa scriverlo.

Mi dispiace. D’ora in poi, vado da medico di famiglia.

おいしいもの

真っ赤な広告

短かった秋が終わり一気に冬の寒さがやってきました。新聞をめくっていると冬の味覚が詰まったカラーの全面広告が目に入ってきます。

タラバガニ、ズワイガニ、イクラ、銀鱈、ホタテ、一面に美味しそうな魚介類が並んでいます。カニ鍋やタラチリは冬にこそ食べておいしい料理だと思います。ズワイガニの足が2.5キロ入って一万円です。「たべたいな」と思いながらも私は次の瞬間別のことを考えていました。

それは人間の持つ業、罪深さについてです。

私がおいしそうだと思いながら見ていたものは食材であります。私たちに食べる幸せと栄養を与えてくれる食材であります。

しかしながらそれらは別の言葉を用いて表わされるともできます。

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