初夏のルーティーン
かつての私はそうではありませんでしたが、ここ数年は桜の花が終わる頃になると実家にある田んぼのことが気になり始めます。今まで父母が作った米を当たり前のようにもらって食べていました。たまにスーパーのお米売り場にいってその値段を見ると「米ってこんなにも値段が高いものなのか」と驚きます。
私は今まで自分で苦労することなく米を得ていたのでそう思っていました。農作業を手伝うといっても、自分の都合がよい時、親の顔を見がてらに帰省して手伝っていました。祖母が存命中は、そんな軽くお手伝いをする私に小遣いをくれていました。もう不惑になろうかという大人にです。
2年前に父親の足腰が傷み始めてから私の手伝いの意味が変わってきました。「好きなときに」から「米作りのスケジュールを考えて必要なときに」に変わったのです。
父母は「無理しなくてもよい」と言ってくれます。しかし、その言葉をまともに受けてしまうと父母に無理させてしまうことになるのです。だから私は桜の季節が終わると同時に計画を立てて動き出します。機械や化学肥料によってかつてに比べれば数段楽になったとはいえ、米作りは手のかかる仕事です。そのことを身をもって体験すると、あのスーパーの米売り場の値段の意味が分かってきます。
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