最大の発明

中間テスト

束になったマークカードをカードリーダーにセットし、パソコンの画面の読み取りボタンをクリックします。調子がいい時はものの20秒で1クラス分のマークカードを読み取ることができます。

読み取った後はダブルマークや空欄の確認など細かい作業を手動で行い、それが終わると印刷ボタンを押します。プリンターから次から次へと個人の成績表が印刷されます。

いつもの考査後の作業ですが、私はプリンターの横に立ちながら同じことを考えています。

「どうしてこんなことができるのだろう」

大学生の時、初めてワープロを買いました。確か「オアシス」という名前だったと思います。文章が完成すると紙をセットし印刷ボタンを押します。取り付けられた感熱式のインクリボンが紙の上を左右に動き、一行ずつ私の書いた文章が目の前の白い紙に現れていきます。

私はこの時も「どうしてこんなに速く文字が打てるのだろう」と感心しました。

現在のプリンターの速度はその当時のワープロの比ではありません。ワープロの場合、目の前で仕組みを確認することができました。しかし、このプリンターでは何が起こっているのか想像することもできません。インクリボンがワープロの数十倍の速度で動いているわけではないことは、なんとなくわかります。

しかし、どうしてカードリーダーで読ませた情報と、パソコン上で計算された結果と、それを個人ごとに振り分けて知らせる紙が、このように素早く連携して私の目の前に次から次へと現れるのかは、全くもって不思議な現象であります。

そして現代に生きる私たちはそのような不思議な現象を「当然のもの」として考えて毎日を過ごしています。パソコンや印刷機だけではありません。私たちの身の回りにあるたいていのものはそうです。

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沼の始まり

怒りと悲しみと

「もう分からへんわ!」

その子は大きな声で言い放った。顔は怒っていたが目には涙が浮かんでいた。当時私は教師になって間もなかった。元々英語の教師になるつもりはなかった。生まれ育った場所で中学校の社会科教師をしながら生きていこうと考え、そのような道を歩んで来た。

しかし人生は面白い。私はあることをきっかけに生まれ育った場所を離れ、高校で英語を教えることになった。手探りであれやこれやと考えながら授業をしていたが、テキストの内容はそれほどレベルの高いものではなかった。

私は傲慢であった。自分が読んで簡単だと思うことを相手に教えたとしても、同様に理解できるはずはない。「どうしてこんなことが理解できないのだろう」心の中でそう思いながら教壇に立っていた。

そんな私の心をその生徒は見透かしていたのだろう。「わからへんわ」という言葉は英語に対してだけではなく自分に対して、つまり「どうしてあなたのような人間が教えているのかわからない」と言われているような気がした。

悲しそうな目をしていた。悔しさと悲しさと理解できない自分を責める気持ち、それらが混ざり合ったような目であった。

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令和五年九月場所

大相撲を好きになって以来私は夏の終わりに寂しさを感じなくなりました。仕事柄夏休みの終わりを悲しむ子供達とよく接します。私はそういう子供たちに冗談半分で「夏休みが終わっても9月に入ったらすぐに楽しいことあるやん」と声をかけます。

「何ですか」と聞かれたら「そんなん九月場所決まってるがな」と答える私を子供達は「あっ、また相撲の話ね」という半分冷めた目で見ます。

私は夏休みの終わりは寂しくない分、9月場所の終わりはなんだか明日から始業式のような気分になります。周りが二学期に慣れてきた頃に私はその始まりを恐れるような気持ちになるのです。相撲好きも一長一短あります。ただ二学期は12月まで続きますが大相撲は一月半後に次の場所が開かれます。そう思うと頑張れる気持ちになります。

いつもに増してじっくり見ることはできませんでしたが、今場所も気がついたり感じたことをとりとめもなく綴ります。

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どう生きたい?

苦しいです

私は今、金曜の夜にこの記事を書いています。基本的に週に一度土曜に記事を更新するので普段は火曜か水曜日の夜に記事を書き始めます。もう4年間もブログを続けているにも関わらず、私の文章を書く速度は遅く、一本の記事を書くためには2時間はかかるのです。

自分を振り返り心を整えるための文章なので、書き始める前にテーマを決めることは続き物の記事を除いてあまりありません。キーボードを前に頭に浮かんだテーマをその時の気分の文体「ですます体」か「である体」を選択して書き始めます。

たいていは平日の夜に二度、1時間ずつパソコンに向かい、土曜の朝仕上げをして投稿という運びになります。連続2~3時間使って書き上げてもよいのですが、一度冷めた目で読み返したいのでそれはあまりしません。ブログに公開するということは自分だけが読む文章ではなくなり、人様に不快な思いをさせる可能性があるからです。

100%誰が読んでも全くダメージを与えない文章を書くことは無理ですが、できるだけ読む人のことを考えた文章を書きたいと思っています。そしてその丁寧さを念頭に思いを綴ることが自分の心の状態を整えることにもつながると感じています。

ところが今私は焦っています。明日投稿する文章を前日の夜遅くに書いているのです。しかも、一日の仕事を終えて体はかなり疲れています。正直言ってこうやって文章を書くのが苦しいです。しかし、その苦しさは私に大切なことを教えてくれます。

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一生モノのフレーズ

書店にて

ラジオ講座を利用して語学学習をする人の数は減ってきている、私はそう確信している。それは書店に定期的に通っていればわかることである。

かつては4月になるとNHKのコーナーにテキストが高く積まれていた。その数は「こんなにラジオで語学を勉強している人がいるのか?」と思うほどであった。「遠山顕の英会話」とか「杉田敏のやさしいビジネス英語」はその中の主役であった。脇を固めるように基礎英語など他の英語系テキストが並び、後ろの方に他の外国語のテキストが並んでいた。

英語以外の外国語で一番幅を利かせていたのは中国語とハングル語である。そして冊数は落ちるがヨーロッパの主要言語が並び、私はその中のイタリア語のテキストを毎月手にしていた。

今、NHK第2放送で聴くことができるイタリア語講座は1つになったが、10年ほど前までは「アンコールイタリア語講座」があり、以前放送された番組の再放送をしていた。このアンコール放送は英語以外の各語学に存在していた。1日に二種類の番組が聞けて嬉しかったが、ある年を境に全ての言語で「アンコール」はなくなった。

動画のコンテンツに語学学習系が広がり始めた頃である。ただでさえ存在感の薄いAMラジオの教育専用チャンネルである。これだけオンデマンドのメディアが広まる中で番組が削減されるのは仕方のないことなのだろう。

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今まで何だった?

痛みと楽しみ

もうずいぶんと長い間高尿酸値治療の薬を飲み続けている。初めて足に違和感を感じたのは30歳前半だったと思う。階段を登りながら膝に少し違和感を感じ、それはだんだんと痛みに変わっていった。

「どこかで足を踏み外してひねったか?」

そう思ったが、捻挫なら最初から痛いはずだ。私の場合、徐々に痛みが増してきて最終的に寝返りを打つのも苦痛になった。今まで味わったことの無いような膝の状態であった。

整形外科に行くと痛風発作だと言われた。確かに私の尿酸値は基準を超えていた。それ以来、私の高尿酸値との付き合いが始まった。尿酸値を上げる要素は数多くあるが、アルコールが大きく関与しているのは間違いないようだ。

2年前にかかりつけの内科医に肝臓をエコーで検査してもらった。

「脂肪肝です。10年後、元気でいたいでしょう?」

私は「10年」という言葉に脅えてしまった。「あと30年は」ぐらいの気持ちで考えていた。10年なんか今まで過ごしてきた日々を考えると一瞬の出来事である。死に関して人以上に考えてしまう私である。

「このまま行くとあと数年でポイント・オブ・ノーリターンに到達してしまう」そんな恐怖を私は感じた。私の中でそれは脂肪肝から肝硬変になる地点であった。

お医者さんからお酒を控えてあと5キロ体重を落とすように指導された。それは丁度私が大学を卒業して働き始めたころの体重と同じであった。当時は週末の1日か2日しか飲酒していなかった。私はお医者さんから言われた10年後を三倍にするために、あの頃の私に戻ることを決意した。

私は”効率”に取りつかれた人間である。他人のことはそれほど気にならない。しかし自分が時間を”効率よく”使えなかった時、自分を責める気持ちが生まれる。ブログを書き続けているおかげで最近はだいぶましである。しかし、その心の癖はまだ私から消え去ったわけではない。

”効率よく時間を過ごす”とは、私に与えられた時間が読書、語学学習、筋トレ、片付けなどで埋まることである。自分に何かが身につき、自分の周りの秩序が保たれる、それを感じることで私は心が満たされたように感じる。

そのことを容赦なくひっくり返してくれるのが飲酒である。あれだけ「すべきことリスト」をかかえた状態であっても、酒を飲み始めたら体と頭がだるくなり「どうでもいいや」という気持ちになる。そして翌朝迎える自己嫌悪。私はいったい自分の中の何と戦っているのだろうか。

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人生ベスト5

気分良い朝食

「これやっていいんか?」

普通の状態でやってしまったらダメな大人と思われることが許される日がある。ハレの日である。私にとってその中でも最大級のものは旅である。小さなころからどこかへ行くことが好きであった。

観光地であろうとなかろうと、自分の住む場所から離れるだけでワクワク・ドキドキすることができた。「ここに私のこと知っている人は誰もいない」そう思うだけで嬉しくて奇声を上げたい気分になった。

「旅の恥はかき捨て」という言葉があるが、旅に出ると大胆になるためか普段しないことをしてしまう。とはいっても最近の私の場合は大したことない。朝から缶ビールを開ける程度である。ささやかな「これやっていいんか?」であるが気分がよろしい。

私は妻と新幹線に乗って山形に向かっていた。朝ご飯にミックスサンドを買い、キリン一番搾りを開ける。朝の澄んだ街並みを見ながらサンドイッチをほおばり、ビールで流し込む。

隣にいる妻は早々と眠っている。ここぞとばかりに車内販売を呼び止め、小さな声でビールをもう一本購入する。列車が京都を過ぎるころには食事を終え、二本目の缶ビールで高尿酸値の薬を飲んでいた。体にいいわけがない。でも今日はハレの日だ。

こんな調子で旅路を進めていく。旅をするのが嬉しくて神経が高ぶっているのでビールを二本開けても眠くならない。昨晩も4時間ほどしか眠れていないにも関わらずだ。

富士山がきれいに見える。妻に丹那トンネルと熱海駅の半径1000mのカーブの話をする。大きな鉄橋を渡るたびに川の名前を言う。私は鬱陶しい夫かもしれない。

乗り換えの東京駅で立ち食いそばを食べる。朝食とおやつの間の微妙な時間。ビールを飲んだ後でもある。この食事を何と呼べばよいのだろうか。

山形へ向かう「つばさ」の中ではアルコール飲料の代わりに炭酸水を飲んだ。お昼に美味しい日本酒が待っているからだ。酒は飲まないが、相変わらず私は挙動不審な動きでキョロキョロとあらゆる方角へ首を向け、時に額を窓につけて外を見る。

一人旅が多いためいつもはここで終わりだ。しかし今日は隣に話し相手がいる。高架を走る新幹線からは眺めがよい。今日は晴れている。一目外を見るだけで人文・自然地理的な情報がどんどん入力される。その一部は容赦なく妻の耳へと伝えられる。

ビールと炭酸水のために頻繁にトイレに行く。その度に左右の窓をキョロキョロ。デッキで出入り口のドアに額をつける。時刻表をパラパラめくり何かを確認し続ける。よくこんな変な夫の妻でい続けてくれたものだ。感謝する。

予定変更

この日は山形市内で私の友人と会う約束をしていた。山形には夕方に着けばよい。私たちは米沢で下車した。この日のテンションの私は当然、米沢到着前も板谷峠のスイッチバック群を求めてひたすら頭を動かし続けた。

荷物をコインロッカーに預け、私たちは米沢市内を散策した。米沢城址を散策し、上杉神社にお参りする。境内にはやたらと人の像や石碑が多い。上杉鷹山がいかに郷土の誇りで大切にされているのかがすぐに伝わってくる。

私たちは玉こんにゃくをあてにビールを飲み、米沢ラーメンで昼食をとった。冷房の効いているはずの店内は汗が噴き出すほどの室温である。外に出ると日陰しか歩きたくない真夏日である。黒いポロシャツに噴き出た塩を妻が指摘する。きっと体も塩分を欲しているであろう。私はいつもは血圧を気にして控えているが、ラーメンの汁を最後まで飲み干した。

私たちの当初の予定では米沢城址をタクシーを使って大急ぎで見学し、米坂線に乗って今泉からフラワー鉄道へ向かうつもりであった。今泉に行きたかったのは宮脇俊三ファンの私の希望であった。この駅前で彼は玉音放送を聞き、その様子は著書「時刻表昭和史」で描かれた。

宮脇俊三に話が逸れそうになった。逸れたら記事が終わらなくなるのでこの辺でやめる。

二人ともビールが入ると慌ただしい行程が面倒になる。私たちは予定変更してもう少し米沢に滞在し、高畠で温泉につかって山形に向かうことにした。

市内中心部にある「東光」の酒蔵を見学し私たちは試飲を重ねる。500円玉を両替機に入れるとコインが3枚出てくる。そのコインをずらりと並んだ試飲用の機械に入れると注ぎ口から酒が出てくる。その量は酒のグレードによって異なる。これは酒飲み用のおもちゃである。私たちは何度か両替の後、大人の遊びをやめて米沢駅へと向かった。

2両編成の山形行き普通列車は定員の2~3割の乗客であった。「奥羽本線のこの区間でもこの乗客数かあ」と思わずため息が出そうになる。乗客の多くは高校生と東南アジア系の人々である。よく整備された標準軌の上を電車は軽快に駆け抜けていく。10分ほどで高畠駅に到着する。

休憩室で

全国に数多くある駅の中で高畠駅ほど温泉施設に近い駅はないであろう。小さな駅の改札口の真横、3歩の場所に入り口がある。

そこで靴を脱ぎ、自販機で入浴券を買い係の人に渡して更衣室に入る。ここまで本気を出したら下車後30秒でいける。ということは、浴槽に浸かるまで下車1分で可能かもしれない。駅に近いというか、駅と一体の施設であり、浴槽から線路まで直線距離で20メートルほどであろうか。

妻と1時間後の再会を約束して更衣室に入る。浴室内は空いていた。地元らしい人が5~6人ということろか。一隅にサウナがある。水風呂は露天スペースにあった。おじいちゃんが大胆な格好で露天スペースで熟睡している。気持ちよさそうだ。

私は急いで体と頭を洗い、天然温泉につかる。少しでもサウナの時間を確保したい。サウナ室に入るとチリリと肌を刺すような熱さが伝わってくる。温度計を見ると100度を超えている。人の出入りがほとんど無いためここまで室温が上っているのだ。

ストーブはサウナストーンを温めるタイプ。部屋の大きさにしては大きい。テレビもなく、人の出入りもなく、私は一人で砂時計とにらめっこする。足の裏が木に触れると熱いのでサウナマットの上にあぐらをかく。

それにしても熱い。私は通常10分間サウナに入るが、5分の砂時計が空になると出たくなった。とてもじゃないが10分は無理だ。「あちち」と言いながら外に飛び出す。さあ水風呂だと洗面器で露天の水風呂の水を汲んで体にかけるが何かおかしい。

浴槽の片隅にある蛇口からは水が申し訳ない程度にちょろちょろ。ひねろうとしても硬くて回らない。つまりここの水風呂は新しい水がほとんど供給されないためにぬるくて淀んでいたのだ。

仕方なく水シャワーを浴びる。これはこれで気持ち良い。短いセッションを3度繰り返し、私は浴室を後にした。

さて次の列車まで約40分。辺りを散策してもよいがこの日は猛暑、気温は35度ぐらいありそうだ。私は自販機の「休憩室」の文字が気になった。200円のチケットを2枚買い、私たちは2階へと上がった。

冷房の効いた畳張りの部屋いるのは私たち二人だけであった。広すぎてどこに座ったらよいのか分からない。私たちは動物の習性に従って部屋の隅の方に座り、そこで自販機で買った「ピノ」を食べた。バニラとチョコのシンプルな味。長く売られ続けているのがわかる気がする。

私はスマホの目覚ましを20分後にセットして畳の上に大の字になった。温泉に入りサウナでたっぷり汗をかいて水分と糖分を補給した。外は猛暑、壁一枚挟んだこちらは涼しい世界。神戸から遠く離れた場所にやってきた。朝食をビールと共に食べ、昼食はビールと日本酒。

これらの条件が揃った私は一瞬で眠りに落ち、無意識の中でタイマーも切って眠り続けていた。

「もう列車が来るよ!」

妻が私の体をゆすった。彼女は途中から下の売店でお土産を見ていたらしい。いつまでたっても私が降りてこないから、慌てて私を起こしにきたのだ。

時計を見ると列車の時刻まであと2分だ。荷物を手に下へ降り、靴を履いて切符を探して改札を通ると列車が入線してきた。間に合った、さすが日本で一番駅に近い温泉だ。

列車に座って2分前までいた休憩室の窓を見る。体がジーンとしてまだ半分眠りの中にいるような感覚であった。

昼寝、なんて素敵で幸せなことなのかと思う。普段私は極力これを避けてきた。一度寝てしまうと起きられなくなり時間を無駄にしてしまうからだ。そうなったら、語学や読書といったできなかったことを考えてモヤモヤをためてしまう。これが私のどうしようもない性格だ。もっと素直になれればよいとずっと思いつづけている。

そんなややこしい性格とこれからも付き合っていかなくてはならないのであるが、時にはこうしてグダグダの一日を持つのもよい。というか、私はこのような心地よい瞬間を持つために普段いろいろなことを我慢しているのではないかと思えるほどである。

今までの人生の中でベスト5に入るほど気持ちよい昼寝であった。

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私の悩みと8月

ぼーっと考える

自分の頭の中が100%クリアでスッキリとしていて何の心配事もない、そんな状態を今まで体験したことがないし、そもそもそんな状態は生きている中であり得るのだろうかと思う。何をしている時であっても大なり小なり心配事はあるもので、私は物心ついた頃からそれらと付き合ってきた。

当然、今この文章を書いている瞬間にも私の心の中には悩みというか心を乱されていることが存在する。ぼーっと考えながらそれらを書き出してみたい。

・皮膚が荒れている。薬を塗ってもなかなかよくならない。老化か。

・家の換気扇の調子が悪い。買い替えにいくらかかるのだろう。

・あと40日でイタリア語検定がやってくる。作文がなかなかうまくならない。

・授業の準備が進まない。新しいことをやりたいと思うが、中身を考えることを避けている。

・バイクに乗っていない。暑くて乗る気にならない。わけもなく走行距離を伸ばさなくてはならないという気持ちになる。

・勉強しなくてはならない時間に眠気がやってくる。夜睡眠時間を確保しているつもりでも眠りが浅いのか。

・最近図書館に行っていない。本が読めていない。

・ブログがなかな書けない。語学と教育について語るブログを立ち上げようと思うもの先に進んでいない。

・動画を撮ろうと計画しているが全く進んでいない。

・車の車検が迫っている。だいぶんボロく新車購入も検討したが、私がほしい車に対して妻が理解を示してくれない。あと2年乗るか。

・お酒を控えているのに下腹の肉が取れない。

・奥歯が少し虫歯気味になっている。ずっと良い歯でい続けたいのに。

・最近暑くてエアコンの使用が増えている。電気代が気になる。

・妻の友人が困っている話を聞いた。私も知っている人だ。何とか助けてあげたいが私にできることはほぼない。

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東京デート

20年前の東京

約20年ぶりに妻と東京の街を二人で歩くことになった。いや、正確にいえば前回二人でこの街に来た時私たちは結婚していなかったため、私の横にいた女性はまだ妻になっていなかった。とはいっても彼女と私が結婚することはすでに決まっていて、東京へやってきたのもその準備のためだった。

今回二人で東京を歩いたことを書く前に、20年前のことを思い出しながら書いてみたい。おそらく私たち二人が一般的な人とは少し異なる感覚を持っていることを再確認できると思う。それがわかったところでどうということはないのであるが「今が幸せでこれからも幸せが期待できるのならその感覚でいいのだよ」と自分に話しかける材料がほしいと思うのだ。

「結婚式、特に披露宴は新婦のためにある」と先輩から言われたことがあるが私もその通りだと思う。披露宴を行うことは良いことだと思うが、そこに対して大したこだわりもなく、普通に淡々と進行すればよいと少なくとも私はそう思っていた。

だからもうすぐ妻となる彼女から、披露宴のドレス、料理のオプション、引出物などについて細かい相談をされた時、私は真剣に考えているような表情をしながら「どうでもええやん」と思いながら聞いていた。今の若者は経験を重んじる時代を生きているから異なるだろうが、私の同世代の人ならこの感覚わかってもらえると思う。

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制服ができた気分

黒のパンツ二本

昨年の7月、私は神戸市灘区にある洋服屋さんで二本のパンツを作ってもらいました。どちらのパンツも同じ黒の生地で寸法や形も全く同じ、唯一の違いは後ろのポケットについたボタンの色でした。

私がこのように同じパンツを仕立ててもらった理由は、自分の服装をシンプルにしたいと思ったからでした。今までいろいろなスーツにいろいろなシャツやネクタイを合わせてきていました。またジャケットとパンツを合わせることもありました。

私のクローゼットの中は整理されていない服でいっぱいでした。中には10年以上前に買った服で捨てられないものもありました。良く着る服、たまに着る服、ほとんど着ない服、その三種類が寝室のクローゼットと和室の洋服ケースの中に混在していました。

私はいつも「着るものがない」と言い、素敵だと思う服があれば購入しました。新たに買ったジャケットが既存のシャツやズボンに合うとは限りません。そうなればまた「着るものがない」が始まります。

この終わりのない戦いに苦しんでいる人は数多くいると思います。持てば持つほど感じる欠乏感、これから抜け出すために行うことは手放すことでした。

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