令和六年三月場所

国技館の写真

14日目の幕内後半の取り組みを、私は馴染みの立ち飲みで他の常連と一緒にテレビ観戦していました。酒を飲みながら、気合の入った力士たちの勝負を見ることができ、心の底から喜びを感じた時間でした。

惜しくも髷を掴む反則で負けましたが、宇良の素晴らしい身体能力を見ることができました。琴の若が豊昇龍を寄り倒しにして優勝争いから引きづり落としました。

しかし、この日の私たちの話題の中心は「国技館に飾られる優勝力士の写真」でした。今まで大銀杏を結っていない優勝力士の写真があるのかどうかということでした。千秋楽を前に幕内優勝の可能性があるのは、まだ大銀杏の結えない尊富士と大の里になっていたからです。

この日朝乃山に敗れて右足首を痛めた尊富士は、痛みの中千秋楽で見事に豪ノ山に勝利して感動の優勝を飾りました。110年ぶりの新入幕優勝ということで、おそらく普段相撲に興味の無い人も関心をもってニュースを見たと思います。

私たちの間では、尊富士と大の里、どちらが優勝しても髪が伸びるのを待ち大銀杏を結って写真をとる、という予想ですがそれがどうなるのか披露される日が楽しみです。若くて実力のある力士たちの登場にますます大相撲を見る楽しみが増えます。

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Time is Everything to Me

深夜のリビングで

「昨日、泣いてたね」

妻が私に言葉をかけた。私は妻に涙を見せることはない。少なくとも今まではそうだった。しかし、この日の夜は涙を流す私の後姿を見られていたようだった。

外でお酒を飲んで帰り、一人のリビングで私はターンテーブルにレコードをのせて聴いていた。その日に買って帰ったアルバムだった。1曲また1曲と私は聴きながら歌詞を口ずさむ。私の気持ちは現在と高校生だった30数年前とを行ったり来たりする。

自然と涙があふれだしてきた。それはよくあること。私は悲しい事件や感動する話を聞くとすぐに涙腺がゆるむ。しかしこの日は違った。私は涙と共にあふれ出てくる声を止めることができなかった。

自分がこんなに泣くとは想像もできなかった。10分前に考えられなかった自分の姿に驚き、そのことがさらなる嗚咽の原因となった。こんな泣き方をするのはいつ以来だろうか。好きだった叔父が亡くなったとき。気の合う友人を失ったとき。

A面が終わり、レコードをB面へ裏返す。誰もいないリビングで1時間、私はレコードを聴き続けた。一度泣いてしまうと、心が落ち着いてきた。私の心は相変わらず今と思春期を行ったり来たり。中年オヤジと少年の私が同時に存在しているような気分であった。

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春が来ない

ソワソワ ヒヤヒヤ

毎年2月も下旬になると瀬戸内海の様子が気になり始め、新聞やニュースである言葉に敏感になりその出現を期待します。その言葉は「イカナゴ解禁日」であり、それは文字通りイカナゴという魚の漁が始まり魚屋さんやスーパーに生のイカナゴが現れる日を示します。

イカナゴはスズキ目に属し成長すると20センチぐらいの細長い魚で、その幼魚は「シンコ」と呼ばれ大阪湾や播磨灘沿岸の街では春を告げる魚としてこの時期心待ちにされます。シンコのほとんどは生のまま売られ、それをこれらの地域の人々は家で調理します。釜揚げやかき揚げにしても美味しいのですが、一番代表的な調理法は「くぎ煮」と呼ばれる佃煮です。

私は20年ほど前、明石に住んでいました。この街には「魚の棚」と呼ばれる商店街があり、鮮魚店やかまぼこ屋や乾物屋などの海産物を扱う店が並んでいます。そこへ通ううちに、私も自然とこの季節には生のシンコを買うようになり、くぎ煮を作るようになりました。

明石から神戸へ引っ越しをした後も春先のこの習慣は変わりません。2月中旬を過ぎると「今年の解禁日はいつだろう」とソワソワし始めます。始めは自分たち家族の食べる分しか作っていませんでしたが、あまりに美味しく日持ちするため親や友人たちに送るようになりました。

こうなったら「ソワソワ」の中に「今年はこれだけ確保していつ頃送ろう」という決意と計画が混ざり始めます。それはそれで楽しいことでしたが、事態は7年前から緊迫し始めました。2017年にイカナゴの漁獲量がガクンと減ったのです。

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代替物

年末・3月・ワクワク

毎年年末になるとワクワクしながらネットに打ち込む検索ワードがあります。それは「ダイヤ改正+次の年」であり、昨年なら「ダイヤ改正2024」でした。

JR各社は12月になると次回のダイヤ改正の概要を発表し始めて、私鉄もそれに合わせることが多いです。ですから次のダイヤ改正の大きな目玉は年内に知ることができます。今回の改正なら「北陸新幹線の延伸に伴ってどんな種別の列車がどの程度走るか」と言ったことです。

しかし細かい部分のダイヤは時刻表が発売されるまで知ることができません。ですから時刻表3月号は、鉄道好きにとって一年で最も待ち望まれる雑誌となります。かく言う私も物心ついたころから、このダイヤ改正号は待ち望んだ末に発売されるとすぐに購入し、その日はしばらく読みふけっていたのもです。

JRが分割民営化する以前から時刻表は愛読書だったため、私は民営化後もJTBのものを買い続けています。最近では「小さな時刻表」がお気に入りです。先日私は今年もワクワクしながらダイヤ改正号を買いに行きました。自宅にもって帰り読み始めました。

読み始める前はワクワクしています。しかしすぐに「ワクワク」は「あーあ」に変わります。今年だけではありません。ここ10年以上同じです。長年の習慣のため、ダイヤ改正号を読み始める前はパブロフの犬のように自然とワクワクするのですが、それがすぐに萎えてしまうのです。

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人と人以外

淡々と

大相撲宮城野部屋の関取、北青鵬が引退勧告を受けた。同じ部屋の後輩力士に対する度重なる暴力行為が発覚し、その責任を取らされた。

「暴力」とは曖昧な言葉で時代や場所によってその意味が大きく異なるため、私はここで暴力に対する価値付けをできるだけ避けながら淡々と文章を書き進む。

ただ、言葉の性質上100パーセント無垢なテキストを書くことはできない。ロラン・バルトが言うようにテキストは最終的には読者の内に収斂していくからだ。だから「あなたの偏見に満ちた主張は読むに堪えない」と言われても私は反論することができない。申し訳ありませんと素直にいいたい。それでは書き始める。

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欠乏感

ある休日

最近過ごしたある休日について時系列に記してみます。

7時30分:
寝室からリビングダイニングへと移動し、やかんにお湯を沸かしアイロンをあてる準備を行う。湯が沸いたら緑茶を入れ、それをすすりながら私と息子のシャツにアイロンがけ。約30分で合計4枚のシャツにアイロンをあてる。作業をしながら録画しておいたHNK Worldの英語番組を見る。

8時過ぎ:
妻が起きてコーヒーをいれてくれる。その間私は新聞を取りに行く。新聞を読みながらドーナツと共に簡単な朝食を取る。

8時30分~10時:
イタリア語の学習を始める。NHK出版の「書ける・話せる実用文例800」から16ページ、約60の例文を日本語からイタリア語に直していく。800の例文はほぼ覚えたが、これは私にとってウォーミングアップのようなもの。たいていこの本からイタリア語学習を始める。

続いて昨年末に発売されたベレ出版の「本気で学ぶイタリア語文法問題集」を始める。600ページ超の分厚い問題集だ。難易度はそれほど高くないが、基本の復習と綴りの練習を兼ねて最初から解いている。

語学をしているとあっという間に時間が経過する。

10時30分:
洗濯ができたのでベランダに干す。もちろんそのような単純作業を何もせずに行うようなことはしない。ポッドキャストでイタリア語を聞きながら行う。終わればそのまま風呂掃除。

11時ごろ:
本を何冊か並べてつまみ読みをする。エッセイと新書とマンガ、頭に負担のかからない軽いものをパラパラとめくる。私はいつも5~6冊の本を並行して読む癖がある。本を読んでいると一瞬で時間が過ぎていく。

1時前:
妻も子供も出かけていないので、昨日の残り物で簡単に昼食を済ます。食べ終わるとすぐにサウナに入るために家を出る。天気がいいので運動を兼ねて歩いて行くことにする。1時間ほど少し早足で歩く。歩きながらポッドキャストでイタリア語を聞く。

2時~4時:
サウナ、水風呂、外気浴を4セット行う。その後休憩室でマンガを30分ほど読む。

5時:
家に帰り語学学習を再開する。この日はイタリア語学習が多かったので、バランスと取るために英語を行う。杉田敏の「現代ビジネス英語」を聞き、音読する。

7時前:
友達と遊びに行っていた妻から「鍋の用意をしてほしい」と連絡がある。出汁は妻が作っていたので、肉と野菜と魚を切って火を通す。牡蠣を洗って鍋に入れる。大根をすり、薬味のネギを切る。

8時ごろ:
家族で夕食。私は酒を飲みながらダラダラと食べる。普段、相撲以外のテレビを見ない私であるが、酒を飲んだときは別。酔ってしまうと何もできなくなるので、ここぞとばかり録画していた番組を見る。この日は「六角精児の飲み鉄本線日本旅」を見る。

11時ごろ:
妻に起こされる。テレビを見ながら寝ていたようだ。歯を磨いて寝室に移動して再び眠る。

朝起きて

このように記してみると、一日の内に私はいろいろなことをしているとわかります。家事、語学学習、読書、運動、サウナ、酒、テレビと盛りだくさんです。

しかし、次の朝、目を覚ますと私は欠乏感に襲われました。仕事に行く前、私の頭に浮かんでくるのは「前日にできなかったこと」なのです。一日のうちにできたことは忘れてしまい「そういえば~をしなかった」という形でしなかったことについて考えてしまうのです。

具体例を挙げると以下のようになります。

  • 今年に入ってからまだ家で一度も明石焼きを焼いていない。多いときは毎週のように焼いていたのに、これでは焼くのが上手にならないし焼き鍋にとってもよくない。
  • バイクの走行距離が伸びていない。今年に入ってまだ一度しか給油していない。昨日はよい天気だったのに、ウォーキングを優先してしまったのでバイクに乗れなかった。
  • 地理の勉強ができていない。次男と一緒に高校地理の勉強をすると決めてテキストを買ったのに、ほとんど読めていない。次男はどんどん先を行っていて最近は、高校・大学と地理を学んだ私が答えに窮する質問をしてくるようになった。

このほかにも「確定申告の医療費控除の計算ができなかった」「包丁を研ぐことができなかった」「車の錆びた部分の塗装ができなかった」というふうに、「できたこと」よりも「できなかったこと」の方が多く浮かび上がり、私は欠乏感に悩まされるのです。

時々「自分の体が二つあればよいのにな」と思うのですが、たとえそうなったとしても私の欠乏感は解消されないと思います。体が二つあったとしても、人間の欲と想像力はきりが無いためそれ以上にするべきことが浮かび上がってくるからです。

私はこの次々に浮かび上がる欠乏感の癒し方を見つけない限りは、最高に幸せな人生を送ることができないと思うのです。なぜかというと、きりの無いものに対して私が持っている時間は有限であるからです。

「幸福を追求すること。これこそが不幸になる主な原因である。」

港湾労働者の哲学者、エリック・ホッファーの言葉です。

今の私は「これができたらよい」というリストを多く持ちすぎているのかもしれません。確かに「やりたいこと」ができたときは幸せを感じるのですが、それを持ちすぎることは同時に「できなかったこと」という不足感も作り出してしまいます。

そうなると私は何を考えてどのように行動するべきなのでしょうか。キーワードは「今」だと思います。「今一番やりたいこと」「今できること」にフォーカスして、それができればよしとするのです。私の体は一つで今一番も一つのため、それを続けていけば最善の結果を出し続けることになるでしょう。

今一番に集中すること、言うのは易しです。それを行うためには自分の心の声を正確に聴く必要があります。私に「やりたいこと」が多いのは、ある意味「今一番」に向き合うことを避けるために心の作用なのかもしれません。「今一番」は曖昧でもそれとベクトルが似ていることを行なえばそれなりに満足できるからです。

自分の心の声を正確に聴きそれを行動に移すには何を行なえばよいのでしょうか。今すぐ言えと言われても私には分かりません。しかし、私はこの問いを持ちながら考え続けることにします。

見えない世界

生駒山の麓

ここ数日、家事をしながら涙ぐむ妻の姿を度々目にした。私が意地悪をしたわけではない。運命のいたずらを彼女は感じていたのだ。

大阪の中心部から東へ進み生駒山へぶつかる麓に石切という街がある。そこには関西の人から「石切さん」と呼ばれ敬われている石切劒箭(つるぎや)神社があり、関西一円から多くの参拝客を集めている。

この神社は「でんぼの神様」と呼ばれている。「でんぼ」とは大阪の言葉ではれもののことである。はれものにもいろいろあるが、最も厄介なはれものとは腫瘍であろう。平均寿命が延びて、現在では二人に一人の割合で一生の内どこかで癌にかかる時代になった。

しかし、癌は成長するまでに長い年月がかかる病気だという。だから二人に一人とはいっても老人になってから患うケースが多い。しかし、時には私たちのような働き盛りの年代に襲い掛かることもある。

先日、私たち二人は電車に乗って石切さんを目指した。妻の友人に祈りをささげるためである。いつもなら二人で会話が弾む電車での道中もお互いに口数が少ない。

昼前に近鉄奈良線の石切駅に到着し参道を神社に向かって歩く。大阪平野から少し標高を上げ生駒トンネルの入り口にある駅だ。眼下に大阪のビル群が一望できる。この視界の中に500万人以上の人が暮らしている。その誰もが誰かから生を受けて、今この瞬間、息をしている。

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初めての人

窓掃除

高校を卒業して30年以上経つが毎年のようにクラス会をしている。クラス会といっても在籍していた生徒全員に連絡を取っておこなうようなものではなく、特に仲良かった十数人がどこからともなく「今年も集まるか」というようなノリで居酒屋に集まる会である。

この会はたいてい皆が地元に帰省することが多い年末に行われる。毎年楽しみにしていた会ではあるが、2019年を最後に開催されていなかった。コロナによる自主規制である。この4年間、年末が来る度にラインでは「来年はできるかな」というメッセージが行き交っていたが、ようやく2023年末になって開催することになった。

そんなわけで私はクラス会に合わせて一人で実家に帰省した。妻と子供らは年が明けてから合流することになっている。私の実家には父と母が二人で暮らしている。かつては最大7人が暮らしていた家に今は二人だけだ。両親は会うたびに歳をとっていくのがわかる。テキパキと何でも自分でしていた人たちであったが、今ではできないことも増えた。

私は同窓会に出かけるまでの間、年末の掃除を行った。頼まれたわけではない。今の父と母では手間が回らないであろう場所をきれいにしたかったのだ。私も幼少期から18歳まで過ごした思い出のある家だ。汚れていくのは忍びない。

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令和六年一月場所

呼び出しデイ 

NHK大相撲中継10日目の番組表を見て、妻が狂喜しました。「呼び出しデー」と書かれていたからです。その日の午後3時から6時の総合放送では呼び出しが出るたびに解説者による紹介が行われました。また普段はあまり目にすることもない、土俵作りなどの呼び出しの裏方としても仕事も映し出されました。

妻は呼び出しと行司を中心に大相撲中継を見ており、中でも序二段呼び出しの天琉氏を贔屓にしています。最初は「嵐」の大野君に似ているという理由から見始めましたが、今ではそんなことも関係なく彼のファンになり一挙手一投足に注目しながらテレビを見ています。

ただ、まだまだ若い天琉氏が呼び出しをする姿はテレビで見ることができません。あと2~3年すればBSで放送している時間帯にでるかもしれません。幕内となると20~30年の世界です。

力士と同様に呼び出しにもきっちりとした序列があり、勝ち負けが無いため上に上がっていくためには努力に加えて継続がものを言う世界になります。華やかな土俵の裏で、ここでも伝統を厳格に守りながら勝負を支え続ける人たちがいる、このことも大相撲の魅力の一つであると思います。

妻は天琉氏が幕内呼び出しになるまで相撲を見つづけると言っています。まるで自分の子どもを見るかのような感覚です。私も土俵脇に映る若き呼び出したちが、中入り後に四股名を呼ぶ姿を楽しみにしています。

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草津の百貨店

18切符

月日の経つのは速いもので、私と二人で旅行していた次男は今では何事もなかったかのように一人旅にでるようになった。この1年間を見ても広島、北海道、北陸と学校が長期休暇に入るたびに一人でどこかへ出かけ少したくましくなって帰ってくる。

次男はまだ高校生で、私が多少の援助はしてあげるができるだけ旅の費用を抑えたい。そんなわけで彼は青春18きっぷをよく利用して旅をする。今年の冬も高松にうどんを食べに行きたいということで、私は彼に18切符をプレゼントした。3日分残して帰宅し、残りは使う予定がないという。

これが夏休みなら金券ショップに持ち込み多少私の小遣いを取り戻せるのであるが、冬は有効期間が短く売れそうにない。そのままではもったいないので私たち夫婦は日帰りでどこかへ出かけることにした。

本音を言うと私は日帰りで丸亀辺りにうどんを食べに行きたかったが、これからのことを考えて「あなたの好きな場所に行こう」と訊ねると妻は「伏見稲荷に行きたい」と答えた。

伏見稲荷に行き酒蔵を見学して昼飲みするのも魅力的であったが、私はどうしても京都に行く気にはならなかった。もちろん京都には魅力的な場所が豊富なのだが、コロナ禍から観光が回復している今、人が多すぎて疲れるのだ。普段ならそれもアリだがこの日は仕事始めの前日、正月休みの最後であった。静かな場所でゆっくりと過ごしたかった。

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