継続力

続けること

「自分は果たして継続力のある人間なのだろうか」と自問する。何かを続けるということには大きく分けて三つの側面があると思う。

一つ目は自分のやりたいことを、自ら進んで続けること。

二つ目はできればやりたくないが、仕方なく続けること。

三つ目はするべきではないとわかっているが、続けてしまうこと。

もちろん、物事はそんなに単純に分けられるわけがなく、この三つの間には無数のグラデーションが存在する。さらに、ある一つの物事であっても、時には一つ目の「続ける」になり、またある時には二つ目や三つ目の「続ける」に変化する。

例えば私にとってイタリア語学習はこれに当てはまる。高校で英語を教えている私は、英語がわからない生徒の気持ちを理解しようとイタリア語を独学で始めた。外国語なら何でもよかったのだが、かつてロンドンで知り合ったイタリア人が話すイタリア語のイントネーションが何とも魅力的に感じられた。だから、本当にそれだけの理由でイタリア語を選んだ。

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大人の友達

六甲アイランド午後6時半

8月下旬の週末、厳しい残暑にも負けずに私はバイクにまたがり六甲大橋を超えました。神戸に住み始めてから何十回も渡ったこの橋です。いつもはスロープを降ってそのまままっすぐ進みますが、この時は左折して大きな通りを東へ向かいます。

六甲アイランドは台形のおまんじゅうのような構造をしています。あんこの部分は住宅や商業地域になっていて、それを取り囲む分厚い皮は港湾や流通施設です。私が左折したのは、その二つの地域の境目皮側で、そのまま進みさらに左折するとフェリーターミナルが現れます。

長い間この街に住んでいますがここへ来るのは初めてで、なんだか知らない街にいるような気分になります。係員に誘導されるまま広い駐車場にバイクを停めると、すぐに2台の見慣れたバイクがやって来ました。ツーリングクラブの二人です。

ヘルメットを取って挨拶を交わします。二人とも口元が緩んでいます。自分では見えませんが私もおそらくそうでしょう。楽しみと期待とで自然に笑みが込み上がってきます。ついにこの日がやって来ました。

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元気であってこそ

深夜3時

寝返りを打った瞬間痛みで目を覚ましました。痛みは左の肘からやってきます。恐る恐る右手のひらでそこを触ってみます。腕の外側がポコっとピンポン玉のように腫れ上がっています。熱が手のひらを伝わってきます。かなりの熱さです。

「ついにやってきたか!」

私は心の中で叫びました。同時に六角精児さんのあの歌が頭に流れます。

「若い頃の偏食がたた〜り 尿酸値が異常に高い」

私は30代から尿酸値を下げる薬を飲み続けています。父親からの遺伝もあると思うのですが、主な理由はお酒とプリン体の多い食べ物が好きであるという確信があります。

薬を飲み続け、なんとか尿酸が結晶化する値を下回る数字を維持して来ましたが、今までに三度痛風の発作が出たことがあります。いずれも膝で一番近いもので3年前でした。

今回肘が腫れて痛みが出た時、四度目の痛風発作を覚悟しました。そして軽く絶望感に襲われました。というのは以前の職場で筋金入りの痛風患者を知っていたからでした。

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新たな資格

私の資格

「次は何の資格を目指すんですか」

三浪の末イタリア語検定2級に合格した話を周りの人にすると、こう聞き気返されます。英検やら全国通訳案内士やら、ここ5年ほど資格の勉強に取り組んでいたので、職場の人々は私のことを資格マニアのように思っているのかもしれません。

実際の所は、私が英検1級とイタリア語検定2級を取得しようと思ったのは、このブログを書き始め、先の見えない語学学習に悩まされ続ける自分に気がつき、そのモヤモヤにさよならするためでした。全国通訳案内士は英検に合格し、英語の1次試験が免除になることを知って受けたものでした。

結果をいうと、これらの資格を得た後も、私は現在進行形で自分の語学力の無さに悩み続けています。資格を取ろうと取らまいと、言葉の獲得には終わりがなく、満足できるかどうかの基準は自分の心の中に存在するからです。悩みは尽きませんが、そのことが分かっただけでもこれらの資格を取ってよかったと思っています。

私は資格マニアでも何でもなく、もうこれ以上受験をするつもりは今のところありませんが、最初に書いたような質問を受けると「一級立ち呑み師を目指す」と言うことにしています。

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順番に

帰省の車内で

前回家族4人で車に乗ったのはいつのことなのかすぐには思い出せない。私は普段から外出は電車が多く、車を使うのは郊外の店に買い物に行くときや実家に帰省する時に限られる。歳をとるにつれて市街地を運転するのがおっくうになるのだ。

子供達が大きくなるにつれて一緒に外出する回数も減り、毎年車で行っていた家族旅行も長男が高校に入学することにはなくなってしまった。子供が成長するということは、親に対する依存度を徐々に減らしていくということ。息子たちには彼らの世界があり、遊びも買い物も癒しも楽しみも金銭面を除いて親に依存することは無くなった。

年に数回旅行に行き、4人で四国八十八か所も巡ったミニバンはちょうど一年前に十七年の寿命を終えた。私にとって家族の思い出と結びついた車であった。代わりに買った中古の小型ハイブリット、これは妻と私の車になった。

そんな車に久しぶりに、この1年間で2回目だと思うが、家族4人で乗る機会がやってきた。法事のために帰省することになったのだ。

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想像力と感謝

旅の目的

7月の暑い広島の街を歩いています。広島港から横川行7系統の電車に乗り、私は人であふれかえっている本通りの電停で下車しました。

今回私が広島を訪問した目的は二つありました。一つ目は8月の新線開通で廃止になる猿猴橋町電停付近を探索することと、もう一つは大学時代の友人に会うことです。

一つ目の目的はあっけなく終わりました。猿猴橋の街並みは、私の記憶の中にあったものとは大幅に変わっていました。「これが中国地方の中心都市の駅前か」と思うほど雑然とした街並みは、昔の面影は少し残るものの近代的な街に付随する一区画になっていました。

広島駅とその駅前が大きく変わったことと、駅の東側にマツダスタジアムができ、大きな人の流れが生まれたことがこの街の雰囲気を変えたのだと思います。

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令和七年七月場所

今年の大相撲も折り返し点を過ぎました。年々暑くなる日本の夏ですが、力士たちは名古屋の地で懸命に相撲をとっています。

職業柄、7月の名古屋場所はテレビ観戦する時間が多く取れそうに思えるのですが、特に今年はこの期間にあれやこれやが重なってなかなか時間を取ることができませんでした。

リビングのレコーダーの中にはいつも通り大量の取り組みが残ったままです。おそらく、このまま見られることなく消去される運命にあります。「早く時間に余裕のある生活をしたい」大相撲の季節になるたびそう思います。

あまり見られなかった中でも、印象に残ったことを書き記します。

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虚しさを感じる贅沢

実家に帰ると

一月ぶりに実家に帰省することにした。田んぼの畦の草刈りのためである。車庫に車を停めて母屋へ行こうとすると見慣れない光景が目に入った。

長さ5〜6メートルはある鉄パイプが玄関前の地面から屋根に向かって垂直に立てかけられているのだ。その長いパイプの先には、直径10センチ高さ30センチほどの砲弾状の白い物質が付けられている。素材は発泡スチロールのようだ。

初めてのことなので何が起こったのかよくわからない。子供の頃、屋根に引っ掛かったボールを取るために長い竹の棒を使ったことを思い出した。今の私の実家にはボール遊びをする人間などいない。

家に入ると父親がいたので何が起こったのかを聞く。

「ああ、あれはなあ、スズメバチが出てなあ。ちょっと来てみろ」

父親は私を連れて家の外に出る。大屋根の庇の下、父親が指差す方をみると10匹ほどの虫が飛んでいるのが見える。一番奥の部分に視点が合うと、その虫はスズメバチでそこに拳大の巣を作っているのがわかった。

父親の説明によると1週間ほど前に大屋根の庇の下にキイロスズメバチの巣を発見し、彼は、私が最初に見た砲弾状の先端が取り付けられた棒で突いてそれを壊したという。

よく見ると1階の屋根の上、さらに私の足元にも茶色が層をなすスズメバチの巣の破片が見える。ところどころには砲弾の先端で押し潰されたであろうスズメバチの死骸もある。

「もうあんなに大きくなったか」

そう言うと父親は例の棒を手に持った。

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6本目

来るもの 去るもの

「ご注文の品が出来上がりました」

普段馴染みにしている洋服屋さんからラインのメッセージが入りました。都合のよい日を予約して、商品を取りに行きます。注文していたのは2本の黒色のズボンです。

2本とも同じ生地、同じサイズで、異なる所といえば後ろポケットのボタンホール周りの刺繍の色だけです。ズボンの形は少し裾を絞り気味のノータックのシングル仕上げ。中心の折り目はシロセットによるものです。

私がこの洋服店からズボンを買うのは6本目になります。全て黒色で同じ形をしています。違いと言えば、ボタンの色またはボタンホールの刺繍の色のみです。

私が黒いズボンを穿き始めた理由は、服に気を遣うことが嫌になったからでした。ワードローブを管理して、毎朝着る服のことを考えるのは結構脳のエネルギーを使います。それに生きがいを感じている人も多くいるのは事実ですが、私はもっと別なことにその力を使いたいと思うようになりました。

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「田」の字の線上で

オジーの名曲

暗闇など全くない昼間の田んぼで、私の中にオジーオズボーンの名曲「Shot in the dark」が流れる。不運な事故で亡くなったギタリストでオジーの親友ランディ・ローズ、彼に代わってジェイク・E・リーを起用して作成されたアルバム「罪と罰」の代表曲である。

なぜ場違いなこの曲が私の中に流れたのかというと、この「Shot in the dark」の邦題が、メタル界ではメタルらしくないと物議を醸す「暗闇にドッキリ」であり、その「ドッキリ」の部分を田んぼの畔で強く感じていたからである。

私が「ドッキリ」を感じたのは、田んぼの脇の小さな用水路に白い腹を上にして流れていくマムシの姿を目にしたからである。そのマムシは数秒前まで生きていた。殺したのは私である。

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