10月第一日曜

私の一日

10月5日日曜日、私の1日を箇条書きにしてみます。

朝5:30起床。目覚ましは6時に設定していたが、休みの日は必ずといっていいほど設定時刻より前に目が覚める。前日酒を飲んでいても目覚めがすこぶるよい。平日の私とは体と心の構造が異なるように感じる。

顔を洗い、お湯を沸かしてほうじ茶をいれ、それをすすりながら6時前には勉強開始。この日は英語から。「杉田敏の現代ビジネス英語」を一冊、4レッスン分音読する。

2021年3月に長年お世話になった「実践ビジネス英語」のラジオ放送が終了したときには、「これからどうしよう」と喪失感に襲われたが、すぐにこちらのムック本シリーズが出版されたので救われた。

音読が終わればTOEIC対策本「990点攻略 文法・語彙問題1000」に取り掛かる。これまでTOEIC L&Rで何十回も満点を取った濱崎潤之輔先生のノックを受ける。5〜60問解いたところで妻が起きてきたので、パンとコーヒーの朝食をとる。

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令和七年九月場所

教師も生徒も夏休みの終わりは同じ気分になるようで、8月末の職員室は「ああもう授業が始まるのか」と少し重い雰囲気になります。私はというと、相撲が好きになって以来休みが終わることよりも「早く九月場所が見たい」という思いの方が強く精神的に助かっています。

しかし、その分九月場所が過ぎ去った今、一般の人々にひと月遅れた気分の落ち込みを感じています。簿記の借方と貸方が釣り合うように、人生もトントンなんだと感じる次第であります。

今場所も印象に残ったことを書き綴ります。

若くて強い

幼い頃の実家にはテレビが1台しかありませんでした。そしてそのテレビには、場所開催中はいつも相撲が流れていました。祖父母が揃って相撲好きであったからです。

私は興味もない相撲をダラダラと見ていました。千代の富士という筋肉質な力士がいつも勝つので面白くない、そんなことを思っていました。そのうち祖父母の部屋にもテレビが付き、私が相撲を見せられることもなくなりました。

今子供が相撲を見せられたら、かつての私と同じことを感じるかもしれません。「大の里がいつも勝つので面白くない」と。

今年はこれで三場所優勝を成し遂げました。去年は二回です。千代の富士のように見た目はそれほど筋肉質ではありませんが、若くて強い横綱が誕生したと思います。

豊昇龍の成績が横綱としては安定していなく、琴櫻も大関になてから不安の多い場所が続いています。三役勢の平均年齢も高く、彼を止められそうな若い力士は安青錦ぐらいかと思います。

なかなか大関が生まれない、また生まれても横綱まで昇進しない中、しばらくは大の里が勝ち続けると予想しています。個人的には、柏鵬、北玉、輪湖に続いて尊富士と大尊時代を築いてほしいと思っています。

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諸条件

長月

9月に入ると、私は実家に頻繁に電話するようになります。稲刈りの日程を決めるためです。稲刈りを行うためにはいくつか条件があります。

まず、当然のことですが穂が十分に実っていなくてはなりません。稲穂の中身こそがお米であるからです。そして次に稲刈りの直前、または当日に雨が降ってはいけません。コンバインで刈り取る場合、ぬかるみに機械が足元を取られたり、機械内部が濡れて籾と茎をうまく分離できなかったりするからです。

コンバインとは稲刈り用の機械で、刈り取った稲を籾とそれ以外とに分けて、籾は収穫用の大きな袋に、それ以外は切り刻んで田んぼに撒いてくれる大変便利なものです。

かつて私の実家では、コンバインとは異なる一条ずつ刈り取る機械を使い稲を刈り取っていました。刈られた稲束は自動的に紐で括られて機械の脇に放られます。私たちはその稲束を一輪車を使って集めて稲木のところまで持っていきます。

稲木とは刈り取られた稲束を乾燥させるためにしばらく掛けておくためのもので、物干し竿をひたすら長く太くしたような形をしています。

稲木に掛けられた稲は天日と風によって乾かされ、だいたい2週間後に機械によって脱穀されます。脱穀された籾は袋へ詰められて、その袋を地域の共同作業所にある機械で籾ずりします。こうして玄米が手に入ります。

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ため息

疲労感

2学期が始まって3週間が経過しようとしている。教師、生徒ともに夏休み気分も抜けて、長い2学期の序盤が淡々と進行している。私は10月の中間考査までの日数をカウントして、授業の進め方を調整する。深く教えるところを考えたり、時には英語以外のことの話をしたり。

職員室へ向かって歩きながら、言いようもない虚しさを感じることがある。この時期に限ったことではない。私がこの職業についてから何十回も感じてきたことだが、最近は特に強く感じる。時に一日暗く沈み込んでしまうくらいの気持ちになることもある。

「一体私はここで何を教えているのだろうか」

私はため息をつく。

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継続力

続けること

「自分は果たして継続力のある人間なのだろうか」と自問する。何かを続けるということには大きく分けて三つの側面があると思う。

一つ目は自分のやりたいことを、自ら進んで続けること。

二つ目はできればやりたくないが、仕方なく続けること。

三つ目はするべきではないとわかっているが、続けてしまうこと。

もちろん、物事はそんなに単純に分けられるわけがなく、この三つの間には無数のグラデーションが存在する。さらに、ある一つの物事であっても、時には一つ目の「続ける」になり、またある時には二つ目や三つ目の「続ける」に変化する。

例えば私にとってイタリア語学習はこれに当てはまる。高校で英語を教えている私は、英語がわからない生徒の気持ちを理解しようとイタリア語を独学で始めた。外国語なら何でもよかったのだが、かつてロンドンで知り合ったイタリア人が話すイタリア語のイントネーションが何とも魅力的に感じられた。だから、本当にそれだけの理由でイタリア語を選んだ。

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大人の友達

六甲アイランド午後6時半

8月下旬の週末、厳しい残暑にも負けずに私はバイクにまたがり六甲大橋を超えました。神戸に住み始めてから何十回も渡ったこの橋です。いつもはスロープを降ってそのまままっすぐ進みますが、この時は左折して大きな通りを東へ向かいます。

六甲アイランドは台形のおまんじゅうのような構造をしています。あんこの部分は住宅や商業地域になっていて、それを取り囲む分厚い皮は港湾や流通施設です。私が左折したのは、その二つの地域の境目皮側で、そのまま進みさらに左折するとフェリーターミナルが現れます。

長い間この街に住んでいますがここへ来るのは初めてで、なんだか知らない街にいるような気分になります。係員に誘導されるまま広い駐車場にバイクを停めると、すぐに2台の見慣れたバイクがやって来ました。ツーリングクラブの二人です。

ヘルメットを取って挨拶を交わします。二人とも口元が緩んでいます。自分では見えませんが私もおそらくそうでしょう。楽しみと期待とで自然に笑みが込み上がってきます。ついにこの日がやって来ました。

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元気であってこそ

深夜3時

寝返りを打った瞬間痛みで目を覚ましました。痛みは左の肘からやってきます。恐る恐る右手のひらでそこを触ってみます。腕の外側がポコっとピンポン玉のように腫れ上がっています。熱が手のひらを伝わってきます。かなりの熱さです。

「ついにやってきたか!」

私は心の中で叫びました。同時に六角精児さんのあの歌が頭に流れます。

「若い頃の偏食がたた〜り 尿酸値が異常に高い」

私は30代から尿酸値を下げる薬を飲み続けています。父親からの遺伝もあると思うのですが、主な理由はお酒とプリン体の多い食べ物が好きであるという確信があります。

薬を飲み続け、なんとか尿酸が結晶化する値を下回る数字を維持して来ましたが、今までに三度痛風の発作が出たことがあります。いずれも膝で一番近いもので3年前でした。

今回肘が腫れて痛みが出た時、四度目の痛風発作を覚悟しました。そして軽く絶望感に襲われました。というのは以前の職場で筋金入りの痛風患者を知っていたからでした。

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新たな資格

私の資格

「次は何の資格を目指すんですか」

三浪の末イタリア語検定2級に合格した話を周りの人にすると、こう聞き気返されます。英検やら全国通訳案内士やら、ここ5年ほど資格の勉強に取り組んでいたので、職場の人々は私のことを資格マニアのように思っているのかもしれません。

実際の所は、私が英検1級とイタリア語検定2級を取得しようと思ったのは、このブログを書き始め、先の見えない語学学習に悩まされ続ける自分に気がつき、そのモヤモヤにさよならするためでした。全国通訳案内士は英検に合格し、英語の1次試験が免除になることを知って受けたものでした。

結果をいうと、これらの資格を得た後も、私は現在進行形で自分の語学力の無さに悩み続けています。資格を取ろうと取らまいと、言葉の獲得には終わりがなく、満足できるかどうかの基準は自分の心の中に存在するからです。悩みは尽きませんが、そのことが分かっただけでもこれらの資格を取ってよかったと思っています。

私は資格マニアでも何でもなく、もうこれ以上受験をするつもりは今のところありませんが、最初に書いたような質問を受けると「一級立ち呑み師を目指す」と言うことにしています。

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順番に

帰省の車内で

前回家族4人で車に乗ったのはいつのことなのかすぐには思い出せない。私は普段から外出は電車が多く、車を使うのは郊外の店に買い物に行くときや実家に帰省する時に限られる。歳をとるにつれて市街地を運転するのがおっくうになるのだ。

子供達が大きくなるにつれて一緒に外出する回数も減り、毎年車で行っていた家族旅行も長男が高校に入学することにはなくなってしまった。子供が成長するということは、親に対する依存度を徐々に減らしていくということ。息子たちには彼らの世界があり、遊びも買い物も癒しも楽しみも金銭面を除いて親に依存することは無くなった。

年に数回旅行に行き、4人で四国八十八か所も巡ったミニバンはちょうど一年前に十七年の寿命を終えた。私にとって家族の思い出と結びついた車であった。代わりに買った中古の小型ハイブリット、これは妻と私の車になった。

そんな車に久しぶりに、この1年間で2回目だと思うが、家族4人で乗る機会がやってきた。法事のために帰省することになったのだ。

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想像力と感謝

旅の目的

7月の暑い広島の街を歩いています。広島港から横川行7系統の電車に乗り、私は人であふれかえっている本通りの電停で下車しました。

今回私が広島を訪問した目的は二つありました。一つ目は8月の新線開通で廃止になる猿猴橋町電停付近を探索することと、もう一つは大学時代の友人に会うことです。

一つ目の目的はあっけなく終わりました。猿猴橋の街並みは、私の記憶の中にあったものとは大幅に変わっていました。「これが中国地方の中心都市の駅前か」と思うほど雑然とした街並みは、昔の面影は少し残るものの近代的な街に付随する一区画になっていました。

広島駅とその駅前が大きく変わったことと、駅の東側にマツダスタジアムができ、大きな人の流れが生まれたことがこの街の雰囲気を変えたのだと思います。

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