5年かけて

忘れた頃に

昨年末の「レアな鹿児島旅行」の最中に、私の仲人さんから意外なことを聞かれた。

「Wさんの連絡先わかるかなあ。久しぶりに会いたくて」

「えっ、Wさんとお知り合いなんですか」

私はスマホの電話帳からWさんの番号を探し仲人さんに伝えた。私より年上の知り合いでさまざまなSNSを日常使いしている人は少ない。だから連絡はほとんど電話番号を経由してのやりとりになる。

しばらくすると仲人さんから連絡があった。

「Wさんと連絡がつきました。場所の設定をお願いします」

私は三宮にある魚料理の店を予約した。

2月中旬のある夜、私たちは初めて3人でお酒を飲んだ。私、私の仲人さん、Wさん、誰もが誰もを知っているが3人が一緒の場所で働いたことはなかった。

私は5年前にWさんと二人で居酒屋に行くはずであった。5年前、私はかつての上司であるWさんと久しぶりに偶然再開し、その3日後に日帰りツーリングに出かけた。

別れる前に「今度は前みたいに居酒屋で語ろう」と約束したのであるが、その後世の中は飲食店に行けない世界に変わってしまった。もう忘れかけているが、5年前、2020年の春は世界中で大混乱が起こっていたのだ。

人々はあらゆる店の利用に気を使わなくてはならなくなった。そして至近距離で酒を飲みながら話をすることなど国賊のようにみられる雰囲気であった。世界中が混乱する中、Wさんとの約束もすっかり忘れてしまっていた。

世の中が正常を取り戻した頃、私は久しぶりにWさんのことを思いだした。もう普通に居酒屋に行くことができる。しかし私は電話を手にするのをためらった。「5年生存率」という言葉が頭を駆け巡ったのだ。

2020年に久しぶりの再開を果たしたのは、Wさんが放射線治療をした帰り道のことだった。それから3日後にバイクで一緒に走った。その時は元気そうであった。笑いながら「癌のアルアル話」を聞かせてくれたほどだ。

しかしコロナ禍を経てWさんとの約束を思い出した時にはそれから3年が経過していた。年賀状のやり取りも無くなっていた。電話をするのが怖かった。だから放っておいた。というか私は逃げた。わかっていることであるが私は悲観主義者である。

今回、偶然仲人さんを通じてWさんとあの時の約束を果たすことになった。居酒屋に来ることができる体であったことが嬉しかった。

本当に病気か?

薄暗い居酒屋の2階でメニューを眺めていると、店員さんと会話する懐かしい声が聞こえてきた。Wさんだ。「ガリガリになっていたらなんて声をかけよう」そんな私の心配をよそに、Wさんは体型も表情も5年前と変わらない。

「久しぶりー、元気にしてたか?」の声に安心する。すぐに仲人さんも揃い3人で飲み始める。私も仲人さんも酒飲みである。Wさんも職場が一緒だった頃は私以上に飲んでいた。

初めて3人で飲むが話題が尽きず定例会のような趣がある。特にWさんは遊びについて楽しそうに語る。一緒に働いていた頃は昼夕と二つの弁当を職場に持ってきて働きまくっていた人である。仕事を頼まれたら絶対に断らず、無理をしてでも働いていたWさんである。

そのWさんが最近始めたバイクでのジムカーナについて、趣味の水彩画や工作について、楽しそうに生き生きと話をするのだ。

スマホを取り出すと次から次へと写真や動画が出てくる。巧みなハンドル捌きでコーンの間を駆け抜けるバイク。カラフルな色使いで描かれた風景画。お孫さんのための自作の玩具。

私は本当にこの人は病気なのかと思うほどであった。

3人とも酒飲みだと思って飲み放題プランを頼んでいたが、Wさんの杯がなかなか空にならない。最後にWさんと飲んだのはもう10年近く前になる。注がれたグラスはすぐに空いていた。目の前の人は間違いなくWさんであるがグラスを持つ手だけ別人のようであった。

「酒は飲んでもええねんけど、飲みすぎたら辛くてなあ」

Wさんの病気は前立腺癌であるが、放射線治療のためにそのすぐ近くの膀胱にも不具合があるというのだ。水分を取りすぎたり激しい動きをすると排尿が困難になるという。膀胱内に浮腫のようなものができてそれが尿管につまるらしい。

「つまったらどうなるんですか?」私は聞いた。

「最初は大急ぎで医者に行って処置してもらったけど、次からは自分でするようにカテーテルとゼリーを渡された」

私はその言葉に自分の下腹部がザワザワと震えるのを感じた。

与えられた時間

「カテーテルとゼリー」そんなもの医療従事者ではない人間がどうやって使うというのだ。まあ薄々想像はできたが怖いもの見たさで尋ねてみた。

「管にゼリーを塗って滑りをよくして、それを入り口から詰まっている部分まで入れて尿を出す。風呂場で悶絶しながら・・・」

Wさんのモノの長さがいかほどのものかわからないが、たいしたものではない自分に当てはめて考えても気の遠くなりそうな作業だ。私の知らない場所、日本のいや世界のいろいろな場所で人知れずカテーテルとゼリーを手に自分のモノと向き合っている人のことを想像した。

私はそのような人の中の一人にはなりたくない、健康に気をつかって生活しようと心から思った。しかしWさんは私に言う。

「ジムカーナみたいに進んだり止まったり激しい動きをすることは膀胱に悪い。でもこれは楽しくてやめられない」

大型バイクに乗りさまざまな場所に出掛けていたWさんであるが、癌になって以来ツーリングができなくなったそうだ。尿の間隔が短くなり、排尿のコントロールも難しいので頻繁にトイレに駆け込むことになり、ゆっくりと走りを楽しめないという。

そんな状況で友人の紹介で始めたのがシムカーナで、今はそれが楽しくてたまらないという。

「ワシがこの中で一番下手くそだ」

私にはとてもできそうにない動きをするジムカーナの動画を見せながらWさんは言う。人馬一体という言葉があるが、バイクを思い通りにうごがすことが楽しくて仕方ないという。

確かに、私もバイクに乗るのでそういう憧れはいつも持っている。ただ移動のために乗るだけではなく、S字やクランクや波状走行を思うがままにできたら気持ちいいだろうなと思う。

そうはいっても、そのバイクをコントロールする楽しみをカテーテール&ゼリーと天秤に掛けられるかいうと、私は怯んでしまう。多分、というか今の私なら絶対にバイクに乗らないことを選ぶ。

仕事に懸命だったWさんは癌になって初めて本当に大切なことが見えたという。定年前に仕事をやめ、働く妻を支えながら、子供や孫たちとの時間を大切にする。バイクに乗り、水彩画を書き、工作を作る、つまり好きなことに優先して時間を使う。

与えられた時間を意識しながら、もう5年以上もそのように楽しく時間を過ごしている。

私はWさんから学ぶことが多いと思った。その中でも一番学ばなくてはならないのは、癌を宣告されても前のめりで人生を楽しもういう明さと行動力。

私が今、5年前のWさんと同じ立場に立ったら、多分、怯えて立ち止まるだけで何もできない。そして、現在の私の体の中の状態は全く問題ないのかと問われると、それはわからない。覚悟を求められる瞬間がいつくるのかは誰にもわからないのだ。

「前立腺癌は進行が遅いからまだ大丈夫やろ。あなたも早期発見のためPSAの検査しとった方がええで」

途中まで一緒に電車で帰ったWさんが降りぎわに私にそう言った。

Wさんはもしものことがあった時の良いロールモデル、だから私は彼のいうことを聞いて検査を受けてみようと思った。

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投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。