付き合いにくい

楽しみ

何が楽しくて生きているのだろうと思うことがある。毎日朝が来るのが楽しみで仕方がないような人生を送れたらよいのだが、現状そうではない。

6時過ぎに二度目覚ましを止めて、遅刻防止のための三度目のそれで目を覚まし、トイレに行って髭を剃り顔を洗う。食欲があれば朝食を食べるが、駅でサンドイッチを買って職場で食べることもかなりある。

ワクワクするような1日の始まりとはいかない。働くことは、時には楽しいと思えるが、もう何十年も高校で働いているので新鮮さがない。

子供が小さいうちは、その世話で忙しかった反面、生きているという充実感もあった。息子たちはまだ学生の身分ではあるが、離れて暮らしている今、子育てはもう終わったに等しい。私ができることと言えば金銭面のサポートと、親の生き方を見せることである。

でもその肝心な「生き方」がどうなのだろうか。自分は一生懸命に生きているのだろうか。またそんな姿を見せる必要があるのだろうか。いつも自問自答しているが、なかなか自分が納得する気持ちにはならない。

やりたいことを考えてみる。

健康と時間とお金に余裕がある時、私は何を行うのだろうか。

語学を行う。本を読む。旅をする。バイクに乗る。サウナに入る。相撲を見る。野菜や米を作る。明石焼きを焼く。

以上のようなことが浮かんでくる。これらは私がいつもやろうとしていることであるし、同時に時間が足りないから十分にできないと言っていることでもある。

それでは、これらのことができたら私は本当に楽しい人生を送ることができるのだろうか。何かが足りない。足りないものはわかっている。酒である。

語学や読書は旅につながっている。現在、英語以外にイタリア語とポルトガル語を毎日学習している。時間があるときは台湾語と台湾華語にも手を出している。

学習しながら頭の中で私はこれらの国を旅している。イタリアやポルトガルや台湾の街で、地元の人々を会話をしている自分の姿を想像しながら言葉を学ぶ。

しかし、それだけでは終わらない。これらの国を訪問する最大の楽しみは現地の料理を食べ、そして酒を飲むことである。「アルコールなしの旅でも楽しめるのか」そう聞かれれば、海外であっても国内であっても考えてしまう。

他も同じ

ツーリングクラブのメンバーと2月に一度くらいのペースで走りに行く。走って、道の駅で休憩して、どこかで昼ごはんを食べて、施設や神社仏閣を訪問し神戸に帰ってくる。

仲間とバイクに乗ることは楽しいが「最高」とまでは言い切れない。何か少し物足りない。やはり酒である。みんなとバイクで走った後、その日の出来事と明日の予定を話しながら酒を飲みたい。

だから年に一度は予定を合わせて泊を伴うツーリングを行う。美味しい料理を食べて、たらふく酒を飲みながら、夜遅くまで語り合う。「最高」である。

年に6度の大相撲本場所。仕事がら休みを取って行きやすいのは大阪と名古屋。必死でチケットを手に入れ観戦するが、ふと考える。何が楽しくて相撲を見るのか。

9時半ごろから観戦を始め、その日の取り組み表を見ながら考える。「三段目が終わったらアルコール解禁しようか」。たいていはそれより早く飲み始める。

名古屋では新幹線口の惣菜屋で買った味噌カツや手羽先を、大阪では高島屋地下で買った惣菜をお供にお酒が進む。ああなんて楽しい時間なんだと思う。

お酒がなかったら相撲の取り組みはどのように私の目に映るのだろう。

本格的に農業をしたいと思っている。現在、父親を手伝う程度に米を作っているが、仕事をやめて二拠点生活を始めたら野菜も作りたい。特に興味があるのは夏野菜。トマト、きゅうり、なす、ピーマン、オクラ、とうもろこし。

それらを収穫して何がしたい?なすとピーマンを素揚げにして生姜を効かせた出汁に浸す。きゅうりと塩昆布を浅漬けにする。トマトを卵と炒める。ゆでたオクラを出汁醤油と梅肉で和え、鰹節をかける。とうもろこしは蒸すだけでいい。

料理が出来上がったら、お酒と一緒に味わう。夏の疲れが癒やされる。お酒と一緒に味わえると思うから、調理をしててもワクワクするのではないのか。

サウナとお酒の相性は改めて書くまでもない。入浴中は麦茶やポカリスエットがおいしいが、服を着た後はそれらはでは物足りない。サウナも気持ち良いが、その後のビールは神からご褒美をいただいた気持ちになる。

白黒ではないとわかっているが

語学、旅、バイク、相撲、農業、サウナ、私の好きなことは常にお酒が隣にいる。「酒がなければ好きになれないのか」と問われればそうではないが、酒があるからこそ「好き」が何倍にもなるのが本当である。

しかし、そんな私を今苦しめているのも酒に他ならない。

飲みすぎて二日酔いとかそういう苦しみではない。酒を飲むことによって失うことが私を悩ますのだ。

仕事のある日、午後になったら考え始める。「今日はお酒を飲もうか」。数時間の葛藤が始まる。飲むことを正当化する理由が次から次へと浮かんでくる。だから迷った日はたいてい飲むことになる。8時ごろから飲み始めて、気がつけば10時を過ぎている。

もう十分飲んでいるはずなのに「最後に一杯」と酒瓶を手にする。それを飲み終えたら冷凍庫でアイスクリームを物色する。

翌日が休みならよいが平日であれば気分の悪い目覚めから1日が始まる。「ああ昨日も飲んでしまった。今日も仕事だ」。そして酒を飲むことで私が失ったものが頭に浮かんでくる。

体調の良い朝、自宅での朝食、元気な肝臓、何より自由に学ぶことのできる時間。酒を飲まなければ自宅で3時間は読書や語学ができる。

私の現在の休肝日は週に2から3日。酒を覚えた頃は土曜だけ飲めば満足していた。今は次の日嫌な気分になるとわかっていても酒を飲んでしまう。その予想が裏切られることはほぼない。

旅行やサウナや相撲観戦の時だけ酒を飲む生活ができれば、どんなに素敵な気分で充実した日々を過ごせるだろうと考える。生活にメリハリがつくし学びの時間も確保できる。飲む回数が減ればそれだけ高い酒が味わえる。

もう一度考える。私は何が楽しくて生きているのだろう。酒を飲むことで嫌な気持ちのなるので、酒を飲むためではない。同時に酒は好きなことの魅力をさらに高めてくれる存在でもある。

本当に付き合いにくい存在ではあるが、そのあたりのバランスをとりながら機嫌の良い時間をできるだけ長く持つことが、私の現在の課題であり生きる目的でもある。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。