未成線
去年の夏、阿蘇へ弾丸ツーリングした仲間と今年は紀伊半島に行くことになった。阪神高速湾岸線の中島パーキングに集合し、そこから高速を乗り継いで十津川郷入口である五條を目指す。
大阪を縦断するのでそれなりの時間を覚悟していた。湾岸線で大和川を渡るとすぐに阪神高速大和川線に入った。驚いたことにこの路線は、大阪平野の真ん中にあってほとんどがトンネルであった。つまり川沿いに地面を掘り下げてそこに路面を作りコンクリートで蓋をしているのだ。
用地買収などの手間を考えると楽なルートであろうが、相手は大阪平野を形作った大河川の一つである。当然伏流水や流入する小さな河川の処理も大変だと思うが、土木技術の進歩によりそのような作り方をしても割に合うのであろう。
私達はあっけなく大阪市域を通り抜け松原ジャンクションから阪和道へ入った。すぐに南阪奈道路に入り東を目指す。私の大阪の地図は鉄道を中心として頭にあるため方向感覚が掴みにくいが、この道路は近鉄南大阪線に沿った道らしい。私はそのような高速道路があることすら知らなかった。
奈良県に入り、そろそろ一般の国道へ降りる頃だろうと思っていると国道24号線バイパスは高速道路と変わりなく、その名も京奈和道というそうだ。
私たちは中島パーキングからわずか1時間ほどで五條へ到着した。電車を使えばこの倍の時間はかかったであろう。大阪を車で走ることがほぼない私に取って、この道路の発達は驚きであった。
五條インターを降りて南下し、陸橋を渡る。下にはJR和歌山線が走っている。先ほど通った京奈和道と比べて、なんとも細い線に感じた。
168号線に入り大きな川を渡る。県境でその名を紀の川と変えるが、ここ五條ではまだ吉野川である。中央構造線の作用によってできた川だ。
この168号線は奈良県最深部である十津川村を目指し、やがて和歌山県に入り熊野川河口の新宮まで通じている。それはかつて国鉄が五新線として計画し一部建設を行なったルートと重なる。
私たちは山間に入りすぐのところで国道を外れ、車の幅ギリギリの道を谷に向かって進む。下方にまっすぐな路盤が現れてそれが国道側へと続き先にトンネルの入り口が見える。五新線の遺構である。
鉄道として建設され、あとは軌道を敷設するところまで完成した施設は、建設中止後バス専用道となり、その後バスの廃止とともに使われぬまま放置されている。
私たちはバイクを止めて金網で閉鎖されたトンネル入り口まで歩いた。紛れもない鉄道単線トンネルである。はるか向こうに光の点が見える。列車は一度もここを通ることがなかった。これからもない。山の中にまっすぐな穴が開けられている。虚しさが込み上がる。
その後も橋脚やトンネルなど国道沿いの所々に五新線の遺構が続いた。私は右へ左へバイクを操りながら、そこを走る列車の姿を想像した。
それにしても集落が少ない。あっても規模が小さい。とても鉄道が計画されるような場所には思えない。昔はもっと人がいたのであろうか。
五新線の遺構は紀の川系と熊野川系を分ける分水嶺である天辻峠のトンネルを最後になくなる。ここから先が本当に長い。
鉄道の役割
紀伊半島を縦断するのは初めてであった。予想していていたが山が深い。谷、トンネル、谷の連続で平地がほぼない。昔からここに住む人たちは何を栽培して食べていたのだろうかと思う。
明治22年にこの村で大水害が起こった。多くの人が故郷を離れ、北海道に渡り新たな十津川村を作った。そのとき、石狩平野の広さを見た人々の気持ちはいかがなものだったのであろう。
人はいなく、平地もないが道路はよく発達していると思った。トンネルの作りが古い。あちらこちらで道路改良工事が続いている。曲がりくねった谷の中に、立派な直線道路が通っている。あまりに意外な光景に目を擦りたくなるほどだ。
どうしてだろう。熊野三山があるからだろうか。平安末期から鎌倉にかけて多くの天皇がここを通って熊野へ参った。今とは比べるびきもない山道であるが、権威付けは十分になされた。
ここに五新線が開通していたと想像してみる。人が乗っている姿が見えない。目指す先にある街は新宮市。人口3万人を切っている。せめて田辺市クラスの街があれば、列車は走っていたかもしれない。
翌日、私たちは海沿いを進む国道42号線を湯浅まで走った。私が42歳までに走りたかったができなかった道だ。右カーブを迎えるたびに海に吸い込まれそうになる素晴らしい道である。
時々JR紀勢本線と並走する。300や400の標識が見える。カーブの半径を示している。自動車では高速道路でもこの半径のカーブは存在するが、近代的な鉄道では作らない径である。
電化はされているものの、この区間の紀勢本線の基本設計は昭和初期である。振り子式電車を導入したところで、劇的な所要時間の短縮は望めない。
国道の方はどうであろう。象徴的な光景があった。小さな漁港の入江を渡る立派な国道橋。そこから右手、つまり山側を見ると旧国道、旧旧国道、紀勢本線の順番に短い橋が並んでいる。そしてその奥、山の中腹には高速道路が建設中であった。
この区間は、最初に作られた自動車の走れる道から三度目の改良を迎えようとしているのだ。しかもそれらいずれの道も廃道にはなっていない。一方で鉄道は、車両を変えるぐらいしか変化がない。
今から20年前、那智勝浦の青岸渡寺を訪問したとき、そこに自動車専用道を見た。那智勝浦新宮道路である。「嘘だろう、紀伊半島に高速道を作るのか」と思った。
今や高速道は伸び続け和歌山とすさみがつながり、もうすぐ本州最南端に到達する。おかげで国道42号線の交通量が減り走りやすくはなった。
それでも私は複雑な気持ちである。JR西日本は白浜以南の紀勢本線の維持に関してコメントを出し始めている。日本の人口減少が確実な中、インフラを作れば作るだけその維持管理のつけは後の世代に回される。
「高速道路はこの辺りでやめて、鉄道を大切にしたらいいじゃないか」そう言いたい気持ちになるが、私が一泊二日で紀伊半島を快適に半周できたのも高速道路があるおかげである。
モヤモヤした気持ちのまま、私は阪和道に乗り神戸に帰った。
