ロバな私

休日の朝

私はこのブログを土曜の朝に更新することが多いです。平日、お酒を飲まなかった日に書きためていたものを、土曜の朝早起きをして少し訂正して投稿、というのが普通の流れです。

土曜の朝早く起きるのは、大体9時ごろに仕事へ向かうのでその前に記事をチェックしたいからです。仕事の無い土曜は午前中かけて記事を書き投稿します。

私の仕事は週休二日が建前ですが、土曜日は3~4時間仕事をすることも多々あります。仕事が終われば、イタリア語の教室に行き、書店で本を買い、ウォーキングをして家に帰るというのがパターンです。たまに銭湯でサウナに入ったり、立ち飲みに寄ることもあります。なかなか充実しています。

日曜日は、たいていは一日自由です。そして日曜日の起床時間は、私が気分良く一日を、いやその週を過ごせるかの分かれ目になります。朝起きて一番にすることは決まっています。アイロンがけです。

若い頃から私はアイロンがけが好きで、特にシャツにあてるときに幸せを感じます。蟹を食べる時、黙々と蟹の身を殻から掘り出して集め、一気に食べる時幸せを感じると思います。あれと同様で、一週間分たまった私と息子のシャツを前に、次々とアイロンをかけると私は幸せな気持ちになるのです。

無秩序な状態に秩序を取り戻す行為、それがアイロンがけです。熱と蒸気と共にきれいな面が生み出されるのを見ると、自分が秩序を回復させたヒーローに思えてきます。家事の中でもこればかりは妻に譲ることができません。

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令和五年初場所

お正月はそれなりに楽しみなのだが、大相撲を好きになってからは「初場所を見たいので早く過ぎてほしい」と思うようになった。

去年は御嶽海が大関を決めた場所であった。二年前は大栄翔が優勝した。その前は徳勝龍だ。「あれから三年か」と思う。サウナ室の中で徳勝龍が優勝する瞬間を見た。幕尻からの賜杯であった。インタビューを聞きながら涙が出てきた。周りのサウナー達からも、鼻をすする音が聞こえてきた。いい空間だった。

さて、今年の初場所にはどのようなドラマがあったのか、思いつくままに書き出してみたい。

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”三流シェフ”の街(後編)

ニシンの街

私と次男が留萌の街を訪問するのは今回で三度目であった。

最初は2021年の夏、札幌を朝一番に列車で出発し、この街でレンタカーを借り、すぐに羽幌方面へ向かった。羽幌線の廃線跡を見ながらドライブするのが目的であった。駅でそばを食べた後、車で市内を通り過ぎるだけの滞在。

二度目は同じ年の冬、豊富から小樽へ向かう予定であったが大雪のため宗谷本線が止まった。私たちは急遽羽幌経由留萌行きのバスに乗り、留萌本線経由で深川へと向かった。この時も、バスを降り、駅前でラーメンを食べるとすぐに列車に乗った。

そういうわけで、留萌の街をそれなりに見るのは今回が初めてであった。「廃線になる前に留萌本線に乗っておくこと」二人にとって出発の数日前までは、これが共通の目的であった。

「三流シェフ」に出会い、私の目的が変わった。三國清三が中学生まで過ごした街を感じてみたかった。私は「三流シェフ」の第一章を何度か読み北海道へ向かった。この章のタイトルは「小学校二年生の漁師」。三國氏が札幌へ出るまでの生活が書かれている。

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”三流シェフ”の街(前編)

近くの書店で

言葉の働きは世界に切れ目を入れること。一つに繋がった世界のどこに切れ目を入れるかによって、切り取られたものが意味を持ち始める。モノの名前、人が行う行為、それを取り巻く環境、心に浮かんだ思い、それらは名付けられることで私の世界に現れる。

何か出来事が起こる。ただ起こる。私の周りに、何かが起こる。

私はそれを「偶然」だとか「必然」といった言葉で色合いを添えようとする。全く予測しない形で起こればそれは偶然となり、起こりうると思うことができれば必然となる。

昨年末、私が北海道へ旅立つ数日前に起こったことは、どちらの言葉を使えばより適切に表すことができるのであろうか。その時は「偶然」であったと思ったが、旅を終えて振り返ってみると「必然」であったような気がする。

街中がクリスマスで飾られる中、私は仕事帰りに最寄り駅近くの書店に立ち寄った。いつものように店内をあてもなく歩き回り、私と目が合う本を探す。ノンフィクションのコーナーで、表紙に写った二人の男が私に鋭く視線を投げかけてきた。男の胸元には「三流シェフ」というタイトルがある。

黒いひげを蓄えた左側の男、少し笑っているように見えるが、その鋭い眼光こちらを突き刺してくる。白いひげの右側の男、その貫禄に押されそうになるが、その表情の奥に感じられる優しさが同時に見るものを癒す。どちらの男もただものではない。

二人は三十五年間の時を経た同一人物である。その名を三國清三という。世界中でその名を知られた、日本を代表するフランス料理のシェフである。

「このタイミングで再会するか…」

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予行練習

自転を感じる

私が住んでいるのは太陽系第三惑星地球。この星は太陽の周りを一年かけて一周する。いつも同じ面を向けて地球を公転する月とは異なり、地球は自転しながら太陽の周りを公転する。太陽に向かって両極を通る軸を23.3度傾けながら、クルクルと365回転するうちに太陽を一周し、元の位置へと戻ってくる。

私はこの三日間ほど地球の自転を強く感じたことはなかった。

カーテンの向こうがぼんやり明るくなる。光はだんだんと強くなり、しばらくすると隙間から漏れた光で文字が読めるほどになる。時と共に輝きは色褪せ、赤色の光にゆらりと照らされる。やがてそれもなくなり、また暗闇がやってくる。

三日間、同じ場所で、同じ光の色合いを観察する。やはり地球は自転している。私がどこにいようと、どんな状態でいようと、何を考えていようと、地球は同じペースで回転しながら太陽の周りをゆっくりと周っていく。

私はこの三日間、一人ずっと同じ場所にいて、同じ景色を眺めていた。私のいた場所は寝室で、眺めていたのは光の具合で模様を変える部屋の天井だ。

時折トイレに行く、廊下に置かれたおぼんから皿を部屋に入れて食事をする、それ以外はまぶたをつむっているか部屋の天井を眺めているかである。

動画を見る気にもならない、本を読む気にもならない、音楽を聴く気にもならない。つまり寝転ぶ以外何もしたくない気持ちであった。だから私はひたすら三日間ベッドに寝転がっていた。

風呂にも入らず、顔も洗わず、歯も一日一度しか磨かずに、眠りに落ちるか天井を見るかで、私の意思とは何の関係もなく地球が淡々と自転することを感じていた。

2年半前のように「モヤモヤMAX」が私を襲ったわけではない。私の心は、このブログを書くことによって、日に日に状態がよくなっている。「私の人生の後半戦、結構バラ色かも」最近こう思い始めたぐらいだ。

ではなぜ。流行り廃りにはめっぽう疎い地味な中年男である私が、何を思ったのかトレンディーな病に感染してしまったのだ。

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ありがたい話

駅間2.9キロ

今年最初のブログは「ありがたい話」から始めたいと思う。何がありがたいのだろう。それは端的に言うと「現代にこの国で生まれて暮らしていること」。昨年の終わり、そのことをしみじみと感じることができた。何でもないような経験であるが、よく考えるとありがたい話。

私は北海道に来ている。隣には次男がいる。彼は北海道に夢中である。2021年は私たち二人は三度この地へやって来た。今年(2022)は初めて、ちょうど一年ぶりの北海道である。

今回は次男の一人旅の予定であったが、いろいろあって私もついてくることになった。私にとってはおまけのような旅である。次男と二人旅をするのも最後であると思いながらの道中。

次男は少し変わっていて、あまり人が観光で行く場所には行きたがらない。私たちは今までの旅行で歌志内、夕張、音威子府、歌内、苫前というような場所を訪問した。おそらく普通の人にとって馴染みのある地名は夕張ぐらいであろう。

そんな彼はこの日「恵比島から真布まで歩きたい」と言った。どちらも石狩平野の北端、深川市から留萌方面に向かった沼田町にある駅名である。今回の旅の目的の一つは、残り三か月で廃線となる留萌本線の石狩沼田ー留萌間に別れを告げることであった。

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2022年最後

大和イタチ

私は「大和イタチ」という名前でこのブログを書いています。もちろん、私の本名ではありません。2019年の6月、ブログを始めるにあたって考えた名前です。

本名で書かなかったのは、これが「モヤモヤに悩みつづける自分を、書くことによって治療するブログ」であり、そんな自分を周りに知られたくないという理由も当然あります。

現在は驚くほど個人情報が大切にされる、つまり”自分と関係ある”人以外には個人に付随する情報が隠される時代であります。かつてはそれぞれの場所に名簿がありました。学校には生徒名簿、職場では職員名簿というふうにです。

名簿を見れば名前以外にも住所と電話番号が分かりました。情報は「知られるから価値がある」という前提です。ただ、そこへアクセスできる人は限定されていましたし、その拡散となると、できたとしても多大な手間と時間と費用を要しました。

今、極端に個人情報が大切にされるということは、その不必要な拡散が容易になっていることの裏返しであり、それによって傷つく人が出やすい現状を示しています。

そのような時代にあり、私も不必要なことで心を悩ませたくない、そういう思いで私は「大和イタチ」を使っています。

ブログでこの名前を使う理由はあと二つあります。

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3分で100

CDリスト

働き始めてしばらくしたころ、私は一つのリストを作りました。エクセルの左側のセルから「バンド名」「アルバム」「リリース年」「優先度」「コメント」のタイトルをつけます。そしてそれらの欄に自分が買うべきアルバムの情報を入れていきます。元データになったものは何冊かのCDガイドでした。

まだi-podやスマートフォンが登場する前のことです。音楽を聴くと言えばCDを再生するとほぼ同義で、街には大小のCDショップが数多くありました。また書店に行けばCDガイドやレコード店ガイドも売られていました。

私はそれらのガイドを見て買うべきCDリストを作りました。リストの中身はハードロック・ヘヴィーメタル(以下HR・HM)という音楽です。高校1年生でこの音楽に出会って以来、私はブレずに聞き続けてきました。そしてそのことを誇りに思っていました。

今思えば別に「ブレて」もよかったのです。音楽はそれほど気負って聞くものではないと思うからです。自分の心に素直になって体が要求する音楽を聞けばよいのですが、まあ当時の私は若かったのでしょう。この世に生まれ落ちたHR・HMの名盤をできるだけ多く所有したいと思っていました。

独身で、学生時代のバイトとは異なる額の給料が毎月入ってきます。私は時間を見つけてはよく神戸の三宮・元町周辺のCD屋さんを周りました。当時はこの辺りにタワーレコード・HMV・ヴァージンメガと3つの大型店がありましたし、中古店も今より多くありました。それに何といってもHR・HMに特化した名店「ブルーベルレコード」がありました。

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一瞬の出来事

静かな夜

「お父さん、少し外に出てきていいか」

お酒が入り、少しいい気分になった私に次男が尋ねる。

「どこ行くの」

「駅を見てみたい」

「気をつけてな。オレも後で行くわ」

2021年の暮れ、私と次男は二人で北海道を旅していた。わけあって、この年二人で三度目の北海道である。この日、私たちは千歳から名寄を経由して音威子府まで来ていた。

「おといねっぷ」

不思議な響きをもつ町である。小学校低学年で時刻表を読み始めて以来、私はこの道北の小さな鉄道の街に憧れ続けていた。遠い北海道のその真ん中にある旭川から列車に乗り換え、宗谷本線で北上して日本最北の街を目指す。

その途中に稚内までの経路を二つに分ける駅があった。「こんな場所で分かれてまた稚内の手前で合流するんだ」子供心に思った。「いつかここに行ってみたい」そう思っているうちに音威子府から南稚内までの天北線は廃線となった。寂しかった。

天北線が廃線となり鉄道の要衝としての機能は失ったが、音威子府に行きたいという思いは持ちつづけていた。では、なぜ廃線から三十年間も行かなかったのだろう。自分の心に耳を傾けることと、仕事や家族、その他自分が自分の中に課した縛りとのバランスがうまく取れなかった。バランスを自分の心の方に向けるために考えることを面倒くさいと思ってきたからなのか。”Tra il dire e il fare, c’e di mezzo il mare.”(思うと行うの間には大海が横たわる)とイタリアの諺にある。

そんな私をこの小さな街に連れてきてくれたのは次男であった。ここでは多くは語らないが、数年前から、北海道は彼の生きる希望になっていた。

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本を読め

疲れてしまった

人間に割り当てられている時間は誰にとっても等しく、時計の針が同じだけ回れば同じ時間が過ぎていく。その間、人は”何か”を行っている。暇でしょうがないという人であっても、家でボーッと座っていたり、街をぶらぶら歩いていたり、息をしながら何らかのことを行っていて、本当に何もしないということはできない。

私たちの一生は生まれ落ちた日からあの世に旅立つ日まで「何をして過ごしたか」の積み重ねに過ぎない。人以外の動物のほとんどは、その間ひたすら餌を食べ、再生産活動に専念する。

動物にとって生きる意味とは、個体として「生き続けること」そして種としても「生き続けること」この二つに集約されると思う。私はそのことを「仁義なき戦い広島死闘編」で千葉真一が演じる大友勝利というヤクザのセリフから学んだ。

人間はその進化の過程で「生存」と「再生産」を他の動物と比べて容易なものにした。もちろん貧困にあえぐ地域の人々にとっては、現在もこの二つは生活のほとんどを占める。しかし、一度この二つが満たされれば、人間はマズローの欲求段階でいう上位の部分を考え始める。

人間は「うめなければならない時間」を持ってしまった動物である。それは何のためなのか。承認されるため?自己実現のため?よくわからないが、その時間の過ごし方は幸せの感じ方と大きく関係していると思う。

その自由な時間の過ごし方に悩まされている男がいる。肩の力を抜いて、もっと自分の心と体の声を聞きながら時間の過ごし方の選択をする、それがなかなかできない。外ならぬ私のことである。

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