九州場所を振り返る

この10月から11月にかけての私の生活は一瞬で過ぎ去っていった。仕事、家族、プライベートで「やるべきこと」「やったほうがよいこと」「やらなくてはならないこと」が重なって、体も心も余裕のない状態が続いたのだ。

それはそれで後から振り返ると充実した時間だったと思えるかもしれないが、今はもっとゆっくりと相撲が見られる生き方をしたいと思い、先日「好角家ライフ」を思い描き、執筆した。九州場所が終わるともう師走。一年が終わりを告げる。

九州場所千秋楽の最終取り組み「この一番をもちまして」という行事の声を聞くと「今年の相撲はこれで最後なんだ」という何とも寂しい気持ちになる。大相撲にはオフシーズンがなく二か月ごとに開催されるので、別に寂しがる必要はないのであるが、そこは人為的に定めた時の「一年」という区切りに心が影響されている。ここでも人は「ことば」に支配されていることがわかる。

多忙のため今場所はそれほどよく見れていない。レコーダーにも見る当てのない大量の録画が残ったままであるが、備忘録のため気になった今場所気になったことをいくつか記したい。

「一」から「十五」

大相撲はさまざまな要素から成り立っており、単に「スポーツ」という枠に当てはめることはできない。しかし、あえてスポーツであるとすると、他のそれと大きく異なることの一つに「四股名」がある。

四股名は、主に海や山など自然のもの、竜や馬などの動物、親方の一文字からつけられるが、中には「遠藤」や「正代」など苗字をそのままつける場合もある。

今場所、何気なく取り組みを見ながら面白いと感じた四股名が「一山本」であった。日本でもかなりメジャーな「山本」という苗字に「一」の文字をつけるだけで、ありふれた苗字が非常にインパクトのある響きに変化する。

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乗らないツーリング

立ち飲み屋で

1年前にかかりつけの内科で脂肪肝の診断を受けて以来、私は肝臓とお酒に関する本を何冊か読みました。本を手にするたびにお酒を減らすことができそうな気がするからです。

実際に読んでいる間は納得してます。家でお酒をダラダラ飲むくらいなら、そのぶん良いお酒を店で少量飲んだほうがよいとか、週に最低でも三日は休肝日を設けるのは当然、そのような気持ちになりながらページをめくるのです。

「もっと健康に関して厳しい指摘を私にしてほしい。そして私がお酒を飲む量を減らしてほしい」などと他力本願な気持ちで本を読むのですが、読んだ直後は効果があっても、少し期間を伸ばしてトータルで考えると飲んでいる量はあまり変わっていません。

幸いにも、私はバーやスナックをハシゴするような、私たちの親世代にあったであろう習慣は持っていません。したがって、金額的にお酒に使う額は知れています。外で飲むと言えば、居酒屋か立ち飲みが相場です。

職場近くの馴染みの立ち飲みに行けば、必ずと言っていいほど知り合いの常連客がいます。肝臓のことは心配なのですが、この年齢も職業も異なる人たちとお話をする楽しみを捨てることはできません。「家で飲む量を減らそう!」と毎回のように決意をして、今日も立ち飲みに向かいます。

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メロンを食べながら

月一の帰省

今年はよく実家に帰省した。私が一人で帰るときもあれば、家族を連れて帰ることもあった。帰省の主な理由は農作業を手伝うことと、両親の作った農作物を持って帰ることである。

4月ごろから父親の神経痛がひどくなった。立ったり歩いたりはできるのだが、同じ姿勢で長時間いることが辛いという。農業には結構同じ姿勢のまま行う作業が多い。今まで父親と母親で分担しながらできていたことが難しくなってきた。

私は田んぼの肥料撒きや刈り払い機による草刈りを行った。一度帰省するごとに約半日、父親の指導のもと手伝いを行い、たっぷりと米や野菜をもらいこちらに帰ってくる。県をまたぐため、日帰りで帰ってくる。私は泊ってもどうってことないのであるが、世の中にはいろいろなことを気にする人たちがいる。両親に居心地の悪い思いをさせたくない。

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好角家ライフ

ジレンマ

大相撲は私の生活にとって、どうでもよいものでした。それが5年前から突然変わりました。私の中の何かが変わったのでしょう。私は40過ぎにして相撲が面白いと思い始めました。ちょうど稀勢の里が横綱になる頃です。

職場にも相撲の好きな先輩がいます。私たち二人が相撲の話で盛り上がっていると、別の先輩が言います。「相撲の何が面白いの?」「太った人がぶつかり合っているのを見て楽しいの?」

「相撲の魅力を一言で言うと『面倒くささ』なんです!」とのど元まで出かかるがグッと我慢します。地ならしができていない人に対して何を言っても入っていかないと思うからです。「そうですね。私も若いころはその魅力に気づきませんでした。人生損していました」と言ってお茶を濁します。その裏には「私より年を召されているのに、まだ気がつかないんですか」という皮肉も混じっています。

大相撲の「面倒くささ」が人生に似ていると気づいたとき、私はこの国技の魅力に取りつかれました。年をとるのも悪くないなあと思う瞬間です。

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レアな経験再び(後半)

竜馬がゆく

旅に来ていると不思議と目覚ましなしでも自然に目が覚める。この日も、前日かなり飲み食いしたにも関わらず、6時半に気持ちよく目が覚めた。隣のベッドには私の仲人さんが横たわっている。とても不思議な感覚がする。照れくささの中にも少し安心できる気持ち。レアな経験を自慢したい、そんな気持ちも混ざる。

朝風呂を浴びて、朝食会場に向かう。できればサウナがついた大浴場併設で朝食が充実している、そういうホテルに私は宿泊するようにしている。そして、そのタイプのホテルが最近増えた。しかも、時期にもよるが概して料金が安い。日本はとてもいい国だと思う。

このホテルの朝食バイキングには、何と冷やした日本酒が置いてあった。運転する私は飲めないが、仲人さんはちびりとやっている。目移りしそうなぐらいあるおかずの一つ一つは、全て小鉢に入れられている。コロナ禍の中、大皿から取り分けるスタイルからの変更可もしれないが、その手間を考えると頭が下がる。

お腹と心が満たされ、私たちは朝の福井を散歩した。

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レアな経験再び(前半)

バケツリスト

1年前には考えられなかったことが起こるから人生は楽しい。アンテナの感度が上ると、今まで見えなかった幸運や偶然の有難さに気づくことができる。そして、それらの気づきが私の人生に彩りを与えてくれる。

話を整理しておく。

1年前の今頃、私は「全国通訳案内士」の口頭試験に向けて準備をしていた。試験は12月12日、大阪で行われた。その直後、私は仲人さんと食事をする機会があった。「お歳暮が届いたよ」の連絡と一緒に「飲みに行きませんか」の誘いを受けたのである。

神戸駅近くのお店で、私たちは焼き鳥を食べながら城下町について語っていた。口頭試験で私の前に出されたお題の内、私が選んだものが「日本の城下町」だったのだ。

私の仲人さんは日本史にとても興味がある人。とりわけその中でも城下町は大学で研究をされていた分野である。話は盛り上がり、私たちは二人で城下町ツアーを行うことになった。仲人をお願いして約20年、初めての二人での旅行である。

今の時代、結婚に仲人を立てることは珍しくなっている。そして、その仲人と長きに渡り付き合いを維持し一緒に旅行をすることなど、ほんの一部の人が行うレアな経験であろう。そのようなワクワクとくすぐったさの混ざり合った気分の中の旅行である。コロナの拡大で一度中止になった後、私たちは今年の6月に松阪と伊賀上野へ城下町ツアーを行い、大いに楽しんだ。

旅行からの帰り道、車内で私は仲人さんにバケツリストの話をした。私には死ぬまでにやりたいこと、訪問したい場所が数多くあること、通訳案内士の勉強をする中で、そのような場所が増え、お城、とりわけ現存十二城は必ず行きたいこと、そんな話をした。

翌7月、今年のお中元は馴染みの酒屋からお酒を送ることにした。その時、店主に頼んで箱の中に手紙を入れてもらった。手紙には前回の旅行のお礼に加えて、私が国内で訪問したい場所のリストを添付した。

すぐに仲人さんから連絡があった。「畿内といい距離にある福井方面が面白いかも」との示唆。私は早速日時と宿泊場所を調整し、今回の城下町ツアーを迎えた次第である。

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残念だけど…

案内所で…

何となく嫌な予感がしていました。今年の夏も店の前を車で通ったとき、シャッターが閉まってました。グーグールで検索すると店舗情報に赤い文字で「閉店」と書かれていました。

しかし、ネットの情報は間違っていることも多々あります。私は信じられなくて悶々とした数週間を過ごしました。

この前の土曜、私は時間ができたのでバイクにまたがり明石市内へと向かいました。国道2号線から南へ進路を変え数百メートル進むと浜国道と交差します。それを本町方面に進むと左手に店があります。

確かに建物はありました。しかし、シャッターは閉まっています。時間は午後4時、今までなら開いていた時間です。

「たまたま今日は早じまいしたのかもしれない」

私はドキドキする気持ちを抑えながらバイクを駐輪場に止めて、明石駅の観光案内所に向かいました。「明石焼物語」と書かれたパンフレットを1枚手にして中を見ます。

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私の時代が来た?

ポートライナー三宮

ある土曜の午後、私はポートライナー三宮駅からJR三ノ宮駅への連絡通路を歩いていました。改札を右に折れて2階の通路を歩き、エスカレーターで地上にあるJRの改札へと下っていきます。その途中、エスカレーターに乗った私は思わず心の中で叫んでしまいました。

「アッ、私の時代が来た!」

目の前には、壁一面に嵐の二宮和也さんの看板があります。

伊藤ハムの看板

「煮るなり、焼くなり、二宮和なり推奨!」の文字の横にアルトバイエルンを手にした彼がこちらを見つめています。私はドキリとしました。ジャニーズの、しかも嵐のメンバーが堂々と自分の名前をネタにしてオヤジギャグを言っているのです。

私は家に帰るなり妻に「私の時代が来た!オヤジギャグを人前で言ってもいいんだ」と興奮気味に語りました。

妻は「今更何を」という顔をしています。実はこの伊藤ハムの宣伝はずいぶんと長い間TVコマーシャルで流れているようで、普段TVを見ない私は知らなかったというわけです。それに「言っているのがニノだから…」

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検定&サウナ

穏やかな朝

もう何回この会場に通ったのでしょうか。大阪環状線の天満駅から徒歩3分の「天満研修センター」は、私が知っている限りずっと大阪でのイタリア語検定の会場です。いろいろな大きさの会議室が集まったこのビルは各検定の会場として使われているようで、1階のモニターにはそれらの会場案内が示されています。

私は去年と同じ7階の部屋へ入室して試験の開始を待っていました。すごく穏やかな気持ちでした。今までこんな気持ちで検定を迎えたことはありません。

心穏やかであった理由は「受かっても受からなくても、どちらにも楽しみがある」と思うことができたからです。どういうことでしょうか。

私はイタリア語の勉強をかれこれ20年以上行ってきました。途中でやめたり、再開したりを繰り返しながらの20年です。もともと勉強する必要性はありませんでした。「したほうがいい」という直感にしたがった行動でした。

しかし、一旦始めるとこれは泥沼のようなものでした。語学は継続してなんぼ、使ってみてなんぼです。私は日々忙しく働くなかで、学習時間を確保することに苦労しました。イタリア語となると、日常的に使う機会もほとんどありませんでした。

そんななかで何度も挫折しそうになりました。「何のために私はこんな無駄なことに時間と労力をかけているのだ」繰り返し思いました。「いっそやめてしまえば、どんなに自由な時間が増えるのだろう」本気でそう思いました。

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寄生虫

日の当たる方

私のような昭和生まれの人間にとっては信じられないことですが、テレビが斜陽産業になっていると言われています。

テレビと並ぶメディアである新聞や雑誌の凋落ぶりは、実感としてものすごくありました。最近新聞社は発行部数を公表しなくなりましたが、定期購読が減っていることは、再利用のために出された古紙の量を見ればわかります。かつては山のように積まれていた駅売りのそれも、今は申し訳程度にしか置いていません。

書店の店頭に並ぶ雑誌の種類も量も目に見えて減っています。10年ほど前に小学館の発行する「小学~年生」シリーズのほとんどが廃刊されるというニュースを耳にしました。子どもにとって、入り口となる雑誌であったと思います。若者向けの雑誌も、文学からヤンキーまでいろいろあり楽しかったのですが、今ではすっかり影を潜めてしまいました。

このように新聞や雑誌に勢いがないことは実感としてわかりますが、テレビに関してはBSやCSを含めて、私が子供の頃と比べてチャンネル数も増えてますし、扱うジャンルも多岐にわたっていて、にわかに「斜陽化している」といわれても信じられません。

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