感じなかった幸せ

汚い話で申し訳ございません

家事をしていた妻が突然「きゃっ、あぁーっ」と声をあげる時があります。

足早に立ち去ろうとしている私に対して、少し怒りに満ちた「したでしょう!」の声が追いかけてきます。

「えっ、わかった?」

「当たり前でしょう。もう、早くトイレに行って!」

「ごめんごめん」

結婚してい以来、もう何十回も私たちの間で繰り返されたやりとりです。

悪いのは私です。でも言い訳をすると、そのおならは匂わないという予感がある時に放たれたものなのです。「これは本当にヤバい」という確信のある時はベランダに出てするなり、何らかの対策を取ります。

ベランダや玄関で放たれる私のおならは、本当に目に染みるぐらいの代物です。空気が湿っているのがわかりますし、マイナスの余韻がかなりの間続きます。よくアニメである黄色い色がついた気体のイメージです。

妻や子供たちと同じ部屋にいるときに私がするおならは、私の中でも「これくらいなら安全であるし、誤魔化すことができる」と思ったものです。

しかし、その思いはかなりの頻度で裏切られます。その度に妻があの叫び声をあげます。私は急いで部屋から出て行きます。「なぜだろう」と思います。

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時が過ぎてゆく

ビジネスシューズ

私は仕事用の革靴を3足しか持っていません。

黒のストレートチップ、濃い茶色のプレーントゥ、明るい茶色のウイングチップで、いずれもリーガル社製です。それぞれの靴の色に対応したベルトも持っており、靴に合わせて着用します。

ここまで仕事用の靴を減らしたのは衣類を持ちすぎることにうんざりしたからです。「カッコよくいたい」という気持ちはいつもありました。しかし、私はいろいろな服を上手に着こなせる人間ではありません。

もちろん、いいデザインのジャケットなんかを目にすると「こんな服を着こなしてみたいな」と思います。しかし、ジャケットは単体でカッコよく見えるのではなく、トータルの着こなしの中で存在感を放ちます。

どのように着こなしたら良いのか、学んで場数を踏んでいけばそれなりにサマになるのでしょうか、私はそのようなことに興味は持ちつつもお金と時間を使うことをあきらめました。

いろいろと服を買い続けてもカッコよく着こなせない自分に気づいたからです。それに服の管理には時間もメンタル面の労力もかかります。そんなことより語学や読書に時間やエネルギーを使う方がよいと思いました。

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振り回される

ディスプレーの濃淡

ブックマークからサイトにアクセスしてIDとパスワードを入力すると、私の視野に数字の並びが飛び込んでくる。その数字は見るたびに異なるもので、時には「いつの間に?」と思うほど予想より大きく、またあるときは「嘘だろ!」と思うくらい小さかかったりする。

私に提示される数字の元となっているものは、私が所有している株式や投資信託やETFの時価を足し合わせたものである。これらの価値はは東京やニューヨークで市場が開いている時間絶えず変動している。また外国為替取引には休みがなく、お金の価値はずっと変わり続けている。

そういった理由で、私が証券口座にログインするたびに私の目にする数字は一つとして同じであったことはないのであるが、この私が一喜一憂するこの数字とは何なのか考えてみると不思議な気がする。

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1096

命=時間

私は高等学校で英語を教えています。中学校で社会科を教えることを目標に大学を卒業しましたが、なぜか今のような状態になりずいぶんと経ちました。

仕事を始めて今までにいろいろなことがありました。こんな仕事は嫌だと思ったこともある一方で嬉し涙を流したことも何度もあります。

やりがいも自分で求めればついてきますし、給料やボーナスも保証されている安定した仕事です。このまま何もなければ定年後再雇用が保証されている65歳まで働くことができます。そうなれば私は贅沢はできませんが経済的には余裕をもった暮らしをすることができます。

高校教師はそのようなよい仕事だとは思うのですが、今私はこの仕事を辞めることを考えています。

このブログにもたくさん書いてきたことですが、フルタイムで教師をすることと私がやりたいことのために時間を割くことは両立することができないのです。

多くの人が語る真実を私はよく生徒にも伝えます。それは「命とはこの世にいることができる時間に他ならない」ということです。

幸運なことに私はこの世に生を受けることができました。それは何時尽きるのかわからない時間をいただいたということです。これを書いている間も1秒1秒、私は死へと近づいています。

100歳まで今と同じような体と心の状態でいられるのなら、私は65歳までこの仕事を続けます。そして残りの35年でやりたいことを行います。

しかし現実はそうではありません。平均的な健康寿命は、伸びているとはいえ男性では70数歳にすぎません。

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令和七年三月場所

敬称について

力士について文章を書く時、敬称の使い方が難しいと感じています。一般的に四股名につける敬称は「関」ですが、これはどの力士に対してつけてもよいというものでありません。

「関」の元になった「関取」とは十両以上の力士、つまり大銀杏を結って土俵入りを行い、決まった額の給料をもらうことができる身分、力士として一人前になったことを表します。

では幕下以下の力士に対してはどのような敬称をつけるのかというと、テレビでは「さん」をつけて呼ばれていたのを耳にしました。

幕内十両は「関」、幕下以下は「さん」をつける、それでいいかといえば必ずしもそうとは限りません。

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イタチよ、学べ

とある街の昼下がりに

初めて訪問したとある街で考えさせられるシーンをいくつか見たのでここに書き記したいと思う。

立ち飲みの会計で

商店街の一角にある立ち飲み屋、昼間から多くの客で賑わっている。間口に対して奥行きが長く、パッと見て50人くらい入れそうな店内が7割程度埋まっている。

客は、こういう場所ではスタンダードであるが、中年以上の男性客がほとんどで、所々にその連れ合いと思われる女性が混ざる。壁のテレビでは阪神戦が放送されている。

私は一人、もつ煮と刺身盛り合わせをあてにビールを飲みながら店内を観察していた。舟券を買うときはスポーツ新聞で予測しながら酒を飲むが、それ以外の時は立ち飲みに集う人々や店の人の動きを観察しながらグラスを傾けるのも心地よい。

ここはこれだけのキャパの店を3人の従業員でまわしている。各人に決められた持ち場があり、忙しい時はその境界線が解けてアドリブを効かせながら阿吽の呼吸で助け合う。見ていてとても気持ちいい。

そのような見事な連携が乱れる出来事があった。

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淡々と

朝食

イタリア人の中には朝食を取らない人も多数いるという。また食べるにしても、例えばクロワッサンとコーヒーという風に簡単に済ませるのが一般的だそうだ。

日本のように塩気のあるものを中心に食べる朝食はイタリア人の味覚には合わない。そしてそんな日伊の違いはエッセイやイタリア語の例文でよく取り上げられる。

私は朝早く朝食を食べるのが苦手な人間で、特に前日にお酒を飲んだ朝は日本的な朝食を食べるのが辛く、イタリア人のように甘いパンとコーヒーで過ごしたい。

しかしながら、3月9日の朝は私は日本式の朝食を食べた。前日が土曜であったため私は当然お酒を飲んだ。しかもこの土日は妻が家にいなかったため自分で食事を作らなくてはならなかったが、それでも私は日本式の朝食をとった。

ジャガイモとタマネギとアゲとわかめ、具材たっぷりの味噌汁を作り白飯とともに丁寧に食べた。内臓が疲れないように、食べる量は腹6分ぐらいに抑えた。

今日は絶対に腹痛を起こしてはならない日なのだ。それでいて脳には考えるためのエネルギーを送り続けなくてはならない。私は家を出る前にバナナを一本ゆっくりと食べた。

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5年かけて

忘れた頃に

昨年末の「レアな鹿児島旅行」の最中に、私の仲人さんから意外なことを聞かれた。

「Wさんの連絡先わかるかなあ。久しぶりに会いたくて」

「えっ、Wさんとお知り合いなんですか」

私はスマホの電話帳からWさんの番号を探し仲人さんに伝えた。私より年上の知り合いでさまざまなSNSを日常使いしている人は少ない。だから連絡はほとんど電話番号を経由してのやりとりになる。

しばらくすると仲人さんから連絡があった。

「Wさんと連絡がつきました。場所の設定をお願いします」

私は三宮にある魚料理の店を予約した。

2月中旬のある夜、私たちは初めて3人でお酒を飲んだ。私、私の仲人さん、Wさん、誰もが誰もを知っているが3人が一緒の場所で働いたことはなかった。

私は5年前にWさんと二人で居酒屋に行くはずであった。5年前、私はかつての上司であるWさんと久しぶりに偶然再開し、その3日後に日帰りツーリングに出かけた。

別れる前に「今度は前みたいに居酒屋で語ろう」と約束したのであるが、その後世の中は飲食店に行けない世界に変わってしまった。もう忘れかけているが、5年前、2020年の春は世界中で大混乱が起こっていたのだ。

人々はあらゆる店の利用に気を使わなくてはならなくなった。そして至近距離で酒を飲みながら話をすることなど国賊のようにみられる雰囲気であった。世界中が混乱する中、Wさんとの約束もすっかり忘れてしまっていた。

世の中が正常を取り戻した頃、私は久しぶりにWさんのことを思いだした。もう普通に居酒屋に行くことができる。しかし私は電話を手にするのをためらった。「5年生存率」という言葉が頭を駆け巡ったのだ。

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ずっと気になる(後編)

まだあります

前編では私のシラフで寝る前の癖について書きました。お酒の力を借りれない夜は楽しいことを想像しながら眠りにつくのです。そして、その楽しいことにここ2ヶ月間、実際のものと私の妄想が作り上げた鹿児島の市電を中心とした景色が現れ続けるという話でした。

日本各地に残っている路面電車の中で鹿児島のそれを特に魅力的にしているものは「センターポール」と「軌道緑化」、そしてそれらが背景のビルや山と一体になった景色だと書きました。しかし、ここの市電の魅力はそれだけではありません。

ここには最高にカッコイイと思える停留所があるのです。昨年度末に鹿児島を訪問したとき、そこを訪問したくてたまりませんでした。日本の路面電車の電停で一番好きな場所かもしれません。ここに対抗できるのは広島電鉄の「広島港」「西広島」ぐらいではないでしょうか。

私の気持ちをここまで上げてくれるのは「鹿児島駅前」電停です。

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ずっと気になる(前編)

目を閉じながら

私はお酒が好きな人間なので家で飲み始めると寝る15分ぐらい前まで飲んでしまいます。「酔っ払ってそろそろ眠くなったな歯磨きしようか」と洗面所に向かい、それが終われば水を一杯飲んでから布団に入ってすぐに眠りにつきます。

ですからお酒を飲んだ日、私は寝付けない苦しみを知りません。本来なら毎日でもお酒を飲みたいところですが、健康のため、学習時間を確保するため、自己嫌悪にならないためという理由で週に2〜4日の休肝日をもうけます。

お酒を飲まなかった日は、布団に入って眠りにつくまでに少し時間がかかります。そんな時は頭の中で楽しいことを考えると眠りやすくなります。そして私にとってその「楽しいこと」とは人文地理学的な景色、とりわけ鉄道を中心とした街の姿になります。

モータリゼーションの発達とそれに伴う商業施設の郊外化で、日本の中小都市の駅前はすっかり寂しくなってしまいました。寝る前の私の空想の中では、そのような現実から離れ、各種別の列車が次々と発着し人で賑わう駅や駅前の街の姿らまぶたの内側に現れます。そんな景色を見ているうちに私はシラフでも眠りにつくことができるのです。

これはあまり人には言いたくない私の密かな癖なんですが、その眠る前のまぶたステージにここ2ヶ月間かなりの頻度で現れ続けている街があります。それは現実の街なのですが、実際の景色と時を超えた景色と私の空想の中の景色とが混ざり合って出現します。

街の向こうには海が見えます。海の背景には噴煙を上げる火山が見えます。そして一番手前には街の景色に溶け込んで走る路面電車の姿があります。

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