令和六年九月場所

大相撲が好きになって以来、九月場所があるから夏休みが終わる寂しさに耐えられると思うようになりました。そんな心待ちにしていた九月場所も一瞬で終わってしまいました。

7月場所は時間休を取るなどして、幕内の取り組みをかなりテレビで観戦することができましたが、この場所はそうはいかずに休日を除いてほとんど観戦できていません。

ハードディスクレコーダーの中には大量の取り組みがたまっているのですが、やはり物事には旬があり全ての取り組みが終わった今から見る気にはなりません。

私の相撲観戦に関しては不完全燃焼感が強かった今場所ですが、それでもいつものように気付いたことを記してみたいと思います。

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出会いと別れ

新車購入

「そろそろ車を買おうか」妻にそう言ってバスに乗りディーラーを巡ったのは次男が歩き出した頃であったと記憶しています。

長男が生まれた時、私たちは明石に住んでいました。市内でも交通至便な場所であったため、ほとんど乗らない車を維持するのがもったいなく、私たちは私が独身時代に乗っていた2ドアクーペを手放しました。

それからしばらくして神戸市内に引越しましたが、普段は電車やバスで移動し、どうしても車が必要な時はレンタカーを借りる生活をしていました。この時期はタクシーもよく利用しました。それでも自動車を所有するよりも費用ははるかに少なくて済みました。車は便利ですが金食い虫な存在であると思いました。

次男が生まれた後も、このまま車を所有しない生活もありだなと思う一方で、こうも考えました。「子供はやがて成長して親元を離れていく。それまでの間、車を持つことで家族で何かを行う機会ができるのではないか」。

レンタカーを借りても家族で何か行うことはできたと思います。しかし、手元に車があり、思い立った瞬間に行動できる状態を持つことはそのチャンスを広げてくれると思いました。

私は生まれて初めてディーラーで新車を買いました。七人乗りのミニバンでした。運転席の後ろが次男、助手席の後ろが長男の席になりました。どちらもチャイルドシートが取り付けられました。

実際に私たちはこの車で数多くのことを行いました。各地を旅しましたし、妻と私、お互いの両親の住む場所へも頻繁に帰省し親孝行することもできたと思います。維持費はかかりましたが、それを差しひても得るものがあり私たちは車を買ってよかったと思いました。

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更年期か?

9月場所中なのに

私は毎週土曜日にこのブログの記事を更新することにしている。かつては週に2〜3本書いていた時期もあったが、ここ1年半は週1回土曜の更新となっている。

たいていは水曜か木曜の夕方に1時間ぐらい作文をして、必要があれば金曜に書き足し、土曜の朝に調整をした後投稿する。

投稿するとホッとする。プロの作家のそれとは比較にならないが、それでも記事を書かなくてはならないというプレッシャーはあり、時々「記事の更新を不定期にしたらどんなに楽だろうな」と感じることがある。

そもそも私はプロでもなんでもないのだから不定期投稿で十分であるが、「週1書かなくてはならない」と勝手な縛りを与えているのは私自身であり、それによって時に私は勝手に苦しむ。

更新を続けようとするのは、このブログの目的が文章を書くことで自分の心の状態を確認し、より幸せを感じる自分にチューニングすることだからである。

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曲がりながら萌える(後編)

札仙岡福

札仙広福(さっせんひろふく)という言葉があります。札幌、仙台、広島、福岡のことで、日本の3大都市圏以外で地方の中心となる都市を表します。地域を統括する官公庁があり、企業が全国展開するとき真っ先に支店を設ける街でもあります。

これらの街は人の行き来も多く交通も発達しています。当然JRの駅もその地方で最も大きなものになります。北海道、東北、九州を代表する駅はそれぞれ札幌、仙台、博多駅になりますが、話が中国地方になると少し異なります。

乗降客数で考えると中国地方の中心駅は広島となるかもしれませんが、駅の規模や路線の乗り入れ数を考えるとこの地方を代表する駅は岡山駅になります。

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曲がりながら萌える(前編)

好きな駅

私の住んでいる神戸は海と山に囲まれた地形をしています。とてもいい街であると思いますが、鉄道好きの私としては今ひとつJRの駅に面白みがありません。

これは神戸の地形に起因します。細長い市街地に鉄道が敷かれているため、路線の形が単純であり、駅の配線もポイントがなく線路にホームが寄り添うだけのいわゆる停車場型が続きます。

鉄道好きにとって好ましい駅とはこの「停車場型」とは反対で、多数のポイントによって複雑に線路が絡み合いホームを多数有する駅になります。残念ながら神戸市内にこのようなJRの駅がないのです。

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今のうちに

博物館

神戸市中央区に「人と防災未来センター」という博物館があります。いうまでもなく、1995年1月にこの街を襲った阪神淡路大震災に関する博物館です。教師になって以来何度もこの場所を訪問していますが、最近残念な体験をしました。

この博物館はエレベーターで4階に上がり、そこで震災の模擬体験をすることから見学が始まります。階段状になったシアターの三方がスクリーンで囲まれ、そこに震災が起こった瞬間の映像と音が流されます。

7分間の映像体験が終わると、一人の年配の方が私たちに近づいてこう言いました。

「ふざけるんだったら見せんとってほしい」

確かに一部の生徒たちは上映中に騒いでいました。私も少し気になっていました。上映が終わり入れ替わりの際、私は生徒たちを前に少し話をしました。

教師たちが注意されたこと。ここの施設が作られている理由。ここにどんな人がやってくる可能性があるのか。そんなことを冷静に語りました。生徒たちは反省した顔でじっと聞いてくれいました。

しかし、彼らの気持ちもわからないでもありません。これが20年前なら、ここにはいることができない子どももいました。つらい経験が生々しくフラッシュバックするからです。

今私が教えている中で親や兄弟を震災で亡くした生徒はいません。見たことのないおじいちゃんやおばさんならいるかもしれない年代です。生まれた時には神戸の街も美しく復興しており、震災の爪痕は意識して探さないと見つからないほどです。彼らにとって阪神淡路大震災は遠くて実感のわかないものなのです。

かといって、災害を彼らから遠いままにしておいてよいというわけではありません。この国に生きる限り、自然災害は必ずやってきますし、それを乗り越えていかなくてはならないからです。

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汗かいて汗

2泊3日

高校教師をしていて「自由でいいな」と感じる時がある。それは学校が夏休みの間比較的自由に休みを取りやすいことである。とはいってもそのことが全ての高校教師にあてはまるとは限らない。むしろ、例外的な一部の教師だけのような気がする。そして私は今、その例外的な状況にある。

かく言う私も夏休みを比較的自由にアレンジできるようになったのは最近のことである。仕事を始めて20年近くは運動部の顧問を持っていた。しかも未経験種目の運動部である。前任者が熱心に取り組んでいたため、私もその勢いを引き継いで部活運営を行なった。練習試合や合宿で夏休みはほとんどなかった。

部活以外にも、英語を教えているため学校によっては補習と勉強合宿で夏が終わってしまう。大学受験を行う高校生の科目別学習時間を考えると、英語はダントツで1番長く勉強される科目であろう。だから夏休みも英語教師は大人気である。というか自分たちで補習を設定し忙しくしている。進学校にはそうせざるおえない雰囲気がある。

いろいろと忙しい夏を経験してきたが、幸いなことに今は夏の時間を自分でコントロールしやすい立場にある。だから私は自分のため、自分の親のために時間を使うことにした。

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ビワイチ

18切符

「民営化は仕方がないとしても分割は勘弁してほしかった」実施から35年以上過ぎても私は国鉄改革に対してそう思い続けています。鉄道の魅力は全国を網羅したネットワークにあるからです。

確かに現在でも国鉄時代の路線は日本全国に広がっています。しかし会社が分割された結果、それぞれのJRが自分のことを中心に考えるため会社をまたいでの輸送が弱くなっています。

私が年をとることを楽しみにしていた理由の一つに「フルムーンパス」の存在がありました。夫婦合わせて88歳を超えればJR全線でグリーン車に格安で乗ることができます。しかし、いざ資格ができたと思えばフルムーン自体がなくなってしまいました。代わりにJR西日本では「おとなび」という制度ができましたが、利用会社が限定されるためその魅力はフルムーンに遥かに劣ります。

このようにお得な乗車券のほとんどが各会社内で完結する昨今ですが、青春18切符は今年の夏も販売されることになりました。これも毎年その販売の有無が心配され続けている切符で、正直に言ってJRも積極的に売る気がないと思います。

それでも全国を網羅してくれる切符をこの夏も売り出してくれたことに感謝しつつ、先日妻と二人で日帰り旅行を楽しんできました。

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令和六年七月場所

六月の終わりを迎えると「今年ももう半分終わったのか」という気分になります。いつもの「時が流れゆく早さ」にブルーになる瞬間ですが、すぐに名古屋場所がやってくるので気も紛れます。

ただ、そんな名古屋場所が終われば「まだ一年の半分少ししか経過していないのに、相撲の場所は3分の2が終了してしまった」と鬱な気分になるのです。一年という枠組みを外して考えれば、相撲の場所は2か月ごとにきっちりと開催されるので一喜一憂する必要はないのですが、これは根がネガティブな私のどうしようもない性なのでしょう。

今場所も色々と思ったことを書き留めていきます。

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昔と今

三人で名古屋へ

「一緒に名古屋で美味しいものでも食べようか」

大学生の長男をさそってみたが「大学が忙しいから」と断られてしまった。昨年の11月、家族四人で福岡へ行った。私と妻は大相撲を観戦して、息子たちはそれぞれ思い思いに過ごした後、四人で居酒屋に行ってホテルに泊まった。

成長した息子たちには親と一緒ではなく、自分たち一人で訪問したい場所がある。それでも夜は付き合ってくれた。家族旅行と呼べるかどうかの微妙な旅であった。今回私と妻が名古屋場所を観戦するにあたって福岡の再来を期待したのだが、長男にはあっけなく振られてしまった。次男はなんとかついてきてくれたが「相撲を一緒に見ようか」の誘いはあっさりと却下された。

結局私たち夫婦は一緒に行動し、次男は移動の列車と夜だけ私たちと過ごすことになった。名古屋訪問を終えて「昔と今」についていろいろと頭に浮かんできたので、それらを思いつくまま記してみたい。

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