今年もやってきた

夏の音

中学生の頃、理科の授業で地球の自転と公転の話を教わった。

地球は24時間かけて自ら回転しながら、約365回転するうちに太陽の周りを一周する。その際、北極と南極とを結ぶ地軸が、公転軌道に対してに23.4度傾いているため、太陽光の当たり方が場所によって変わってくる。

こうして私たちは「季節」を持つことになった。ある一定の時間が経過すれば、同じような日照時間や気温や気象状態を経験することになる。そして、そのことは生物が進化していくうえで、その生態に大きな影響を与えることになる。

もし、地球の地軸が傾いていなかったら、つまり季節が無く、一定の長さの昼と夜を繰り返すだけの地球なら、動物の進化や私たちの持つ時間感覚も全く違うものになっていたであろう。

いや、そもそも人間は今の形では生まれなかったであろう。

いきなり大仰なことを書いてしまったが、私は今、ツバメの到来に季節の変化を感じている。

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いいことあった

久しぶりのスパ銭

6月も下旬に入り、私の周りでもワクチン接種を受ける人がぼちぼち出始めた。関西の感染者数も下がり、5月は毎日3桁を記録していた兵庫県の感染者も、ずっと100人を大きく下回っている。

「このまま収束してくれ」という、期待と祈りが混ざったような雰囲気が漂う中、6月21日をもって緊急事態宣言が解除された。

サウナに定期的に通い始め、つまり自分のことを「サウナー」と意識し始めたのが2年前の春のこと。以来、週1回は通っていたサウナであるが、5月から自主的におあずけ状態にしていた。

感染の第2波以降、さまざまな場所から多くの人が集まるスーパー銭湯はやめて、地元の人しか行かない街の銭湯に通い始めた。それはそれで新たな発見もあり、良い経験であったのだが、ここまで感染者が増えるとそれも不必要なことをしていると思い始めたのだ。

自分の良心と戦った結果、私はサウナの無い生活を選択したのだ。「サウナー」の名は一時おあずけである。

書きながら思い出した。そういえば去年の3月、最初の緊急事態宣言の時も私はスーパー銭湯に行くことをやめたのだった。そして、その代わり、汗をかく目的でランニングをし始めたのだった。

今回は走らなかった。だから先日久しぶりにサウナに行き、体重計の数字を見て我が目を疑うことになった。

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命の消費

私の自由時間

最近時間の経過が異常に早く感じられます。

「ああ、もう日曜日も終わりか」と思っていたら、すぐに週末がやってきて、土曜日の早朝、このブログを書いています。

最近では記事を書くのは週1回程度で、それは土曜の朝になる傾向があります。そしてその土曜がやってくるスピードがあり得ないぐらい早く感じられるのです。

幸いなことは、週末が終わって月曜日がやってきても「ああ月曜日か」と思わず、かつては長かった月曜日もまた一瞬で過ぎ去ってゆくことです。これも、ブログを書き始めてから起こった変化です。

そんな早い1週間を繰り返していく中で、私の自由時間と行っていることを考えてみます。

一日の内で食事・睡眠・仕事といった、必ず行わなくてはならないことを除いた時間が自由時間になります。

私の場合、平日の夜9時から寝るまでと、土日祝日の私がやるべき家事を除いた時間となります。もちろん、週末に仕事が入ることもしばしばありますし、平日の自由時間が0になることもあります。

ざっくりと計算すると、私は1週間に約30時間の自由時間を持っています。

「30時間かあ」

計算してみて思わずつぶやいてしまいました。思っていたよりはるかに少ないのです。

一週間の内、自分の好きなことをできる時間がたったの30時間なのです。

私はずっと語学をやってきました。その感覚から考えると、30時間なんか本当にわずかな時間です。いったいその中で何時間、英語やイタリア語に割くことができるのでしょうか。

私はずっと「1つの言語を最低でも1日1時間は勉強したい」そう思ってきました。やり始めたら、1時間なんて本当に一瞬なのです。面白い本を読み始めたら、あっという間に3~4時間ぐらいは経過しています。それで休日の自由時間の半分は終わりです。

今では一時休止していますが、私は英語とイタリア語に加えて、台湾語を勉強していた時期がありました。3か国語を一日1時間ずつ、7日間続けると21時間です。30数時間の私の自由時間の3分の2です。

仮に語学を一日1時間勉強したとしても、力を維持するのが精一杯です。若い頃ならともかく、今の私は理解や記憶力も昔のそれらには及びません。

「私のモヤモヤは、無理なことをしようとすることから作り出されている」

こうして自由時間について考えてみると、そのことに考えが至ります。

消えない欠乏感

私は今まで「とにかく時間を見つけて語学をしなくてはならない」と思い続けてきました。そして同時に「どうして私の語学力はこんなに伸びないのだろう」とも思ってきました。

常に「何かが足りない」という欠乏感に支配されてきました。その欠乏感と「~をしなければならない」という焦りが合わさって、気持ちがモヤモヤしていたのだと思います。

こうして計算してみると、欠乏感を感じるのは当たり前だと思いました。そもそも求めているものと、それが可能となる条件の間に大きな乖離があるのです。

週に30数時間の私の自由時間を、全て語学に費やすことができれば、その欠乏感もマシになることでしょう。しかし、それは新たな欠乏感を生むことになります。

日常生活の中で私は語学の他に何を行いたいのでしょうか。

  • 読書をしたい
  • 音楽を聴きたい
  • ギターの練習をしたい
  • サウナに行きたい
  • 立ち飲みに行きたい
  • ボクシングジムに行きたい
  • バイクに乗りたい

本棚には、まだ読まれていない本たちが私に視線を送ってきます。書店や図書館に行くたびに「私には読むべき本がたくさんある」そう思います。これはCDも同様です。何時になったら読んで、聴けるのでしょうか。

学生の頃ギターを弾いていました。下手くそでした。「上手になりたいなあ」と、たまに手にしますが、これも語学と同じで継続が要求されます。

サウナや立ち飲みはたまに行っていますが、私の「行きたい」はもっともっと強いもので「それについてセミプロとして語れるぐらいになりたい」というレベルです。

ボクシングは30代の頃、ジムに通っていました。3分間練習して1分休憩というサイクルのトレーニングが気持ちよく、練習の後のビールは格別でした。5年ほど続け、仕事が忙しくなったのでやめました。本当はまだ行きたいです。

大型バイクを買って2年経ちますが、走行距離は伸びていません。「お前は本当にバイクが好きなんか?」というレベルです。原因はわかっています。休日の語学学習をツーリングより優先させるからです。

日々の生活の中で「やりたくてもできないこと」が私に欠乏感を作りだしていきます。

強欲な自分

週に30時間の自由時間の中で、2か国語を学習し、ギターの練習も続け、ジムに通い、サウナや立ち飲みに行き、読書や音楽鑑賞も欠かさずに、たまにツーリングを楽しむ。

こうやって書きながら思わず笑ってしまいます。私は何を求めているのでしょうか。どれだけ強欲なのでしょか。

そして、その欲張りすぎる欲求が満たされないことに対して欠乏感を感じ、モヤモヤしてきたのです。無理なことを求め、あるはずの無いものを探し、メビウスの輪のようになった終わらない道を歩き続けている男の姿です。

「そのような男が幸せに生きている姿を想像することはできますか?」

私は自分にそう問いかけます。

私は今から何を考えて、どのように行動していけばいいのでしょうか。

仏教には「足るを知る」という知恵があります。しかし私は「そういう知恵があるということを知っている」という状態であり「足るを知るが身についた状態」であるわけではありません。

身に付けるためにはどうしたらよいのでしょうか。出家して仏門に入り修行すれば「足るを知る」が身についた私に変われるのでしょうか。

宗教に新たな価値観を求めて、それに身を投じることが魅力的に思える時があります。信じるべきものが明示され、それに乗っかってしまえば余計な悩みが消えると思うこともあります。

しかし私は清と俗の両方が欲しい人間です。それはわかりますし、現在進行形でその両方を味わっています。

私は、人並み以上に仏さまや神様に対して祈りを捧げたり、神社仏閣を訪問することで心の平穏を得ようとしています。同時に俗なことを味わうことも大好きで、ここには書けないこともしてきましたし、これからもくだらないことに楽しめる人間目指しています。

自由への道

結局、私は欲張りでいろいろなことをやりたい人間なのだと思います。

そのことを認めるのなら、私の強欲さとそれが満たされないことで生じるモヤモヤを解決する方法が見えてきます。つまりそれは、自分のやりたいことができる時間を増やすことです。

現在週30数時間の私の自由時間が50時間になれば、20時間分の欲求が満たされます。台湾語の学習を再開し、毎日1時間読書をして、週に3回ジムに通うことぐらいはできそうです。

20時間の自由時間の増加、休日出勤が完全になくなり週休3日になれば可能な数字です。

「週休3日」
なんて素敵な響きを持つ言葉でしょう。増えた自由時間を生き生きと過ごしている自分の姿が浮かび上がってきます。

私が目指すべきものはこれだと思いますが、今の職業で休日出勤なしの週休3日は現実的にはあり得ません。そのうち私の職業についても記事を書くべきなのかと思っています。そこそこの給料で良い仕事だと思っていますが、完全週休3日は私が定年を迎える前にはまず無理です。

そうなれば考えられることは仕事を変えるということになってくるでしょう。現在のような週休2日(実質1.5日ぐらい)の仕事より、週休3日の仕事を、最終的には働かなくても良い「自由への道」を目指すべきだということです。

そんなことができるのかどうかはわかりませんが、想像するのは楽しいことです。今まで私は、仕事を変えるということを想像することすらできないほどの頭の固さでした。

最近よく思うことがあります。それは、命とは結局時間のことだということです。当たり前の事ですが「命=この世にいることのできる時間」なのです。

私はその大切な命を一秒一秒消費しながら生きています。モヤモヤしている間にも、好きなことをしている間にも、残りの命は消費され続けています。

私がこの世に生を受け、この時間が与えられたことに、まずは感謝です。そして、それを有難いと思えるのなら、真剣に使い方を考えていくべきです。

私は気づき、考えて、それを行動に移していきます。

エクリチュール?

久しぶり

長らく会っていなかった友人や同僚に出会う。

「久しぶりやね。久しブリブリ」

「ブロッコリー!」

私と同世代で関西に住む人なら(特に男性)普通に出てくるフレーズである。

大好きだった島木譲二が亡くなって、もうずいぶん経つ。吉本新喜劇で彼が言っていたギャグが懐かしい。

初めて耳にする人にとっては、それほど破壊力のあるギャグではない。それどころか「なんでそこと結び付けなアカンの?」と思い、幼稚な表現に感じてしまうほどである。

しかし、そんなギャグを毎週のように聞いていると、それらが体の一部のようになってしまい、そこから離れなれなくなる。

  • しまった しまった 島倉千代子
  • こまった こまった こまどり姉妹
  • まいった まいった マイケルジャクソン
  • ひえ~っ山 延暦寺 滋賀県
  • 頭の中が チンチラポッポ

最初の言葉を発したら最後、一続きのフレーズとして思わず口をついてしまう。

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多様性に驚く

童くんとの会話

オーストラリア人の同僚である童君は好奇心が旺盛で、いろいろな場所に出かけては多くのことを吸収して帰ってきます。ここ1年ほどはコロナ禍のため移動を控えていますが、それまでは大小合わせると毎月のように旅行に出かけていました。

「行きたい場所が多すぎる。どうしよう」

彼がそんな口癖を発するたびに、私は彼と地図を見ながらしばらく空想旅行を行います。

先日も日本のラーメンの話になりました。

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ゼロで死ぬ(Die with Zero)

お昼のルーティーン

ブログを書き始めて私の人生は変わってきた。

心のアンテナの感度が上っている。そしてそのアンテナがとらえた情報が、私の心と体の状態に新たな変化をもたらす。

心穏やかに自由に生きたい、その思いが私に新しい出会いを与えてくれる。両学長の運営する「リベラルアーツ大学」というサイトに出会えたことも大きな生活の変化の一つだ。

求めれば、不思議な力によって、出会うべき時に出会うべきものや人に会わせてくれる、そんな気持ちで私は毎日このサイトや付属する動画を見ている。それは、今の私のお昼休憩でのルーティーンとなった。

ここ1年ほどはお昼ご飯も個食が当たり前となった。私の職場では、昼休憩にネットで動画を見ても何の問題もない。少し寂しいが、リベラルアーツ大学の動画を見ながら、私は今日も一人でハードロック弁当を食べる。

そんなことをしていると、先日、両学長が動画の中である本を推薦していた。大きな書店に行くと、原書があったので購入。さっそく読み始め、あまりの面白さにすぐに読み終わった。そして思った。

「これって私のために書かれた本じゃないのか?」

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あれから1年

時間があった

私のモヤモヤは「効率よく」生きられないことからやってきている、そんな気がする。

私にとって”有意義な事”、例えば語学学習や読書や身の回りのものの手入れを、できるだけ短い時間で、一日のうちにできるだけ多く詰め込んで行う、そんな時間の過ごし方を理想としていた。

しかし、そのようなことはなかなかできることではない。私は仕事をしているし、寝る時間も必要であるし、家事もそれなりに分担している。

「時間があれば理想通りの過ごし方ができるが、忙しいのでそれができなくても仕方がない」これは私の心の中の言い訳であり、ある意味精神安定剤として機能していた考え方であった。

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少しのコツ

日曜日のルーティーン

昨年6月、ふとした妻との会話の中から明石焼きに興味を持ちました。

6,7月は二人で毎週のように明石に通い、いろいろな店の明石焼き(地元では玉子焼きと呼ばれている)を味わいました。

とてもシンプルな料理なのですが、それだけに出汁と卵とタコの味がダイレクトに反映されて、なかなか奥が深いのです。それに熱々の明石焼きはビールによく合います。

私たちは「いつか明石焼きを食べながらビールが飲める店を出したい」という夢を持つようになりました。

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忙しいけど…

自由時間

普段の生活の内で、自分の自由になる時間を考えてみます。

平日は朝7時に家を出て仕事に行き、夕方7時から9時の間に帰宅をします。土日祝日は基本的には仕事がありませんが、月に2日ぐらいは半日程度仕事が入ることがあります。

お金を稼ぐ仕事に加えて、私には家の中で期待される役割もあります。

例えば、妻が疲れている時は洗濯ものを畳んだり、食器を洗ったり。これは非常に微妙な間合いが要求される行為で、出しゃばりすぎると妻の機嫌が悪くなり、かといって必要な時にこちらから動かないと同様の結果になります。

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さよなら3030

雨の日を楽しむ

ゴールデンウィーク最終日は、前日とは打って変わって雨模様となった。非常事態宣言下の5連休、私は基本的に自宅で語学や通訳案内士の勉強をして過ごしている。

五月晴れとなった一日、どこにも立ち寄らないツーリングに出かけようとしたが、ヘルメットの下から強烈に伝わってくる痒みに耐えかねて、僅か1時間で引き返してきた。

「掻いてもらった時の気持ちよさ=肌の荒れ」、今まで共存していたと思っていた荒れた肌を、幸せになるために気合を入れて治療しようと決意し、ここ数日間は1日2回のメンテナンスを怠っていない。

バイクがダメならということで、もう一つの好きな乗り物、電車でゴールデンウィークを締めくくることにした。

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