すんなりといかない

自由時間

私は自分の自由時間の多くを語学学習に使っています。これは半分は楽しみでやっていますが、残りは義務感のような感情につき動かされてやっています。

学習している語学は英語とイタリア語です。かつては台湾語も少し行っていましたが、とてもじゃないけど時間が確保できないため現在は中止しています。

イタリア語は検定で2級を取るまでは続けようと考えています。実用性はほぼありませんが、近いうちにイタリアを旅したいとは思っています。

英語は仕事で使うために必要です。とは言ってもそれほど難しい英語を教えているわけではありません。今までのストックがあるので、英語の勉強をサボっても仕事に支障はないと思われますが、英語学習を止めることはできません。

これは私に精神的な縛りがかかっているからです。その縛りとは「英語に対する劣等感」です。

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何をしてるのやら

海鮮丼を求めて

バイクとの付き合いは季節や天気との付き合いになります。空調の整う密閉された空間で移動できる自動車と違って、バイクは体が常にむき出しになっており身につけるものや風防によって環境を整えます。

今年の夏は異常に熱く、とてもバイクに乗って遠出する気分にはなりませんでした。住んでいる場所が標高の高い山間部ならよいでしょうが、私は都市部に住んでおり、どこへ出るにしてもしばらく信号に立ちどまりながら移動するしかありません。

こうなったらバイクを楽しむよりも、電車で遊びに行ってビールでも飲んだほうがいいという気分になります。「バイクが好き」と言いながら私はその程度のバイク乗りです。私は真夏にも電動ファン付きの空調服を着たライダーを見ました。彼ら、彼女らは本物だと思います。

さて、限りなくニセモノに近いバイク乗りである私たちツーリングクラブ(行きつけの立ち飲みのバイク好きの常連)ですが、暑さがおさまるとバイクに乗ってどこかへ行こうかという話が出始めます。いつものようにカウンターで酒を飲みながらああだこうだとバイクの話が弾みます。

結論を言うと、11月下旬に1泊2日のツーリングが控えているので今回は日帰りで海鮮丼を食べに行くという話になりました。場所は前回「乗らないツーリング」の初日に訪問した京都府南丹市にあるお店です。山の中の街にあるラーメンがメインの店なのですが、意外と海鮮丼が美味しかったのです。

「それでは軽く昼飯を食べに行きますか」

私たちはカウンターで話をまとめて解散しました。

予定の日、兵庫県から京都府にかけての降水確率は10%でした。私たちは天候に関して結構慎重で、30%を超えると「やっぱり車で行ったほうがいいかも…」と誰ともなく言い出します。しかし、この降水確率は完璧です。私は雨具も防寒具も持たずに待ち合わせ場所である神戸市北区のコンビニへとバイクを走らせました。

今回参加したのはRさんとWさんと私の3人。

「今日は秋晴れで最高の天気ですね」

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天国はアル

平日の有給休暇

働き始めてからずっと「これができる仕事ならなあ」と思うことがある。それは平日に有給休暇を取ること。簡単なことに思えるだろうが、私の仕事でそれは「誰かに自分の授業を押し付けること」になる。

授業というものは単体で成り立つものではなく、ベテランの教師になればなるほど長期のスパンで構成を考えて、その中に伏線を張ってゆく。

「ここは泳がせるところ」「少ししめるところ」「答えを言わずにあえて考えさせるところ」「1ヶ月前に張った伏線を回収することこ」

1年という流れの中で1回の授業に振り回されずに、大きな中で教えるべきことを教える、それが良い授業であると思って今までやってきた。

そんな中、自分の流れを知らない教師が入ってきて教えると、その後でクラスの様子が変わってしまうことがあるのだ。かつて、長期研修で学校を留守にした時、私はそのことを経験した。だからなるべく自分の授業に穴を開けたくないと思う。

それに、それに私の代わりに別の教師が言ったとしても、その人の仕事が別の部分で軽減されるわけではない。そんな思いを私は他人にさせたくない。

だからこの二十数年間で私が、長期休業中を除く平日に有給休暇を取ったのはインフルエンザに感染した時と、祖母が亡くなった時だけである。

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「今」を重ねる

試験の後で

昼過ぎにイタリア語検定が終わり、会場のビルのエレベーターでスマホの電源を入れるとLINEにメッセージが入っていた。

「ビルの前に待ってる ベンツ 黒 ナンバーは・・・」

エレベーターを降りて小走りに建物の出口へ向かう。自動ドアが開くと前の道にメッセージ通りの車が止まっている。近づくと運転席に懐かしい顔が見える。RB先輩だ。

「お久しぶりです」と助手席のドアを開ける。少し歳をとったが相変わらずかっこいい。LEONのモデルになってもおかしくない。

「会社に行って飲むか」

私たちは北浜から先輩の会社へと向かった。

私は大学時代音楽系のサークルに所属しており、RB先輩とはそこで知り合った。音楽はもとより生き方に関しても憧れていた先輩で、私は卒業後も数年に一回程度であるが会いにいかせてただいていた。

ただ、最近は訪問する期間が空いていた。神戸と大阪、距離はそれほど離れているわけではない。年賀状にも「今年こそは」と毎年のように書いていた。それにも関わらず、私は「会いましょう」という踏ん切りがつかなかった。

仕事に追われ、二つの語学に追われ、読書に追われ、私は自分を取り巻くものに常に追い立てられ「時間がない、時間がない」と言っていた。しかし、それは私の言い訳に過ぎない。

私は自分で自分に縛りを作り、それを行うことを選択した。その縛りが私にとって重要なことであるかどうかはわからない。そうやって縛りを作って新しいことをやらない言い訳を持つことはある意味楽な生き方である。

同じことを続けながら違った結果を求めることは愚かなこと、私に必要なのは情熱を持って直感に従った行動をすることだ。今回私を動かしてくれたのはある映画であった。

今年のお盆、ネットサーフィンをしていた私の目にその映画のタイトルは飛び込んできた。

「シーナ&ロケッツ 鮎川誠〜ロックと家族の絆〜」

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最大の発明

中間テスト

束になったマークカードをカードリーダーにセットし、パソコンの画面の読み取りボタンをクリックします。調子がいい時はものの20秒で1クラス分のマークカードを読み取ることができます。

読み取った後はダブルマークや空欄の確認など細かい作業を手動で行い、それが終わると印刷ボタンを押します。プリンターから次から次へと個人の成績表が印刷されます。

いつもの考査後の作業ですが、私はプリンターの横に立ちながら同じことを考えています。

「どうしてこんなことができるのだろう」

大学生の時、初めてワープロを買いました。確か「オアシス」という名前だったと思います。文章が完成すると紙をセットし印刷ボタンを押します。取り付けられた感熱式のインクリボンが紙の上を左右に動き、一行ずつ私の書いた文章が目の前の白い紙に現れていきます。

私はこの時も「どうしてこんなに速く文字が打てるのだろう」と感心しました。

現在のプリンターの速度はその当時のワープロの比ではありません。ワープロの場合、目の前で仕組みを確認することができました。しかし、このプリンターでは何が起こっているのか想像することもできません。インクリボンがワープロの数十倍の速度で動いているわけではないことは、なんとなくわかります。

しかし、どうしてカードリーダーで読ませた情報と、パソコン上で計算された結果と、それを個人ごとに振り分けて知らせる紙が、このように素早く連携して私の目の前に次から次へと現れるのかは、全くもって不思議な現象であります。

そして現代に生きる私たちはそのような不思議な現象を「当然のもの」として考えて毎日を過ごしています。パソコンや印刷機だけではありません。私たちの身の回りにあるたいていのものはそうです。

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沼の始まり

怒りと悲しみと

「もう分からへんわ!」

その子は大きな声で言い放った。顔は怒っていたが目には涙が浮かんでいた。当時私は教師になって間もなかった。元々英語の教師になるつもりはなかった。生まれ育った場所で中学校の社会科教師をしながら生きていこうと考え、そのような道を歩んで来た。

しかし人生は面白い。私はあることをきっかけに生まれ育った場所を離れ、高校で英語を教えることになった。手探りであれやこれやと考えながら授業をしていたが、テキストの内容はそれほどレベルの高いものではなかった。

私は傲慢であった。自分が読んで簡単だと思うことを相手に教えたとしても、同様に理解できるはずはない。「どうしてこんなことが理解できないのだろう」心の中でそう思いながら教壇に立っていた。

そんな私の心をその生徒は見透かしていたのだろう。「わからへんわ」という言葉は英語に対してだけではなく自分に対して、つまり「どうしてあなたのような人間が教えているのかわからない」と言われているような気がした。

悲しそうな目をしていた。悔しさと悲しさと理解できない自分を責める気持ち、それらが混ざり合ったような目であった。

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令和五年九月場所

大相撲を好きになって以来私は夏の終わりに寂しさを感じなくなりました。仕事柄夏休みの終わりを悲しむ子供達とよく接します。私はそういう子供たちに冗談半分で「夏休みが終わっても9月に入ったらすぐに楽しいことあるやん」と声をかけます。

「何ですか」と聞かれたら「そんなん九月場所決まってるがな」と答える私を子供達は「あっ、また相撲の話ね」という半分冷めた目で見ます。

私は夏休みの終わりは寂しくない分、9月場所の終わりはなんだか明日から始業式のような気分になります。周りが二学期に慣れてきた頃に私はその始まりを恐れるような気持ちになるのです。相撲好きも一長一短あります。ただ二学期は12月まで続きますが大相撲は一月半後に次の場所が開かれます。そう思うと頑張れる気持ちになります。

いつもに増してじっくり見ることはできませんでしたが、今場所も気がついたり感じたことをとりとめもなく綴ります。

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どう生きたい?

苦しいです

私は今、金曜の夜にこの記事を書いています。基本的に週に一度土曜に記事を更新するので普段は火曜か水曜日の夜に記事を書き始めます。もう4年間もブログを続けているにも関わらず、私の文章を書く速度は遅く、一本の記事を書くためには2時間はかかるのです。

自分を振り返り心を整えるための文章なので、書き始める前にテーマを決めることは続き物の記事を除いてあまりありません。キーボードを前に頭に浮かんだテーマをその時の気分の文体「ですます体」か「である体」を選択して書き始めます。

たいていは平日の夜に二度、1時間ずつパソコンに向かい、土曜の朝仕上げをして投稿という運びになります。連続2~3時間使って書き上げてもよいのですが、一度冷めた目で読み返したいのでそれはあまりしません。ブログに公開するということは自分だけが読む文章ではなくなり、人様に不快な思いをさせる可能性があるからです。

100%誰が読んでも全くダメージを与えない文章を書くことは無理ですが、できるだけ読む人のことを考えた文章を書きたいと思っています。そしてその丁寧さを念頭に思いを綴ることが自分の心の状態を整えることにもつながると感じています。

ところが今私は焦っています。明日投稿する文章を前日の夜遅くに書いているのです。しかも、一日の仕事を終えて体はかなり疲れています。正直言ってこうやって文章を書くのが苦しいです。しかし、その苦しさは私に大切なことを教えてくれます。

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一生モノのフレーズ

書店にて

ラジオ講座を利用して語学学習をする人の数は減ってきている、私はそう確信している。それは書店に定期的に通っていればわかることである。

かつては4月になるとNHKのコーナーにテキストが高く積まれていた。その数は「こんなにラジオで語学を勉強している人がいるのか?」と思うほどであった。「遠山顕の英会話」とか「杉田敏のやさしいビジネス英語」はその中の主役であった。脇を固めるように基礎英語など他の英語系テキストが並び、後ろの方に他の外国語のテキストが並んでいた。

英語以外の外国語で一番幅を利かせていたのは中国語とハングル語である。そして冊数は落ちるがヨーロッパの主要言語が並び、私はその中のイタリア語のテキストを毎月手にしていた。

今、NHK第2放送で聴くことができるイタリア語講座は1つになったが、10年ほど前までは「アンコールイタリア語講座」があり、以前放送された番組の再放送をしていた。このアンコール放送は英語以外の各語学に存在していた。1日に二種類の番組が聞けて嬉しかったが、ある年を境に全ての言語で「アンコール」はなくなった。

動画のコンテンツに語学学習系が広がり始めた頃である。ただでさえ存在感の薄いAMラジオの教育専用チャンネルである。これだけオンデマンドのメディアが広まる中で番組が削減されるのは仕方のないことなのだろう。

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今まで何だった?

痛みと楽しみ

もうずいぶんと長い間高尿酸値治療の薬を飲み続けている。初めて足に違和感を感じたのは30歳前半だったと思う。階段を登りながら膝に少し違和感を感じ、それはだんだんと痛みに変わっていった。

「どこかで足を踏み外してひねったか?」

そう思ったが、捻挫なら最初から痛いはずだ。私の場合、徐々に痛みが増してきて最終的に寝返りを打つのも苦痛になった。今まで味わったことの無いような膝の状態であった。

整形外科に行くと痛風発作だと言われた。確かに私の尿酸値は基準を超えていた。それ以来、私の高尿酸値との付き合いが始まった。尿酸値を上げる要素は数多くあるが、アルコールが大きく関与しているのは間違いないようだ。

2年前にかかりつけの内科医に肝臓をエコーで検査してもらった。

「脂肪肝です。10年後、元気でいたいでしょう?」

私は「10年」という言葉に脅えてしまった。「あと30年は」ぐらいの気持ちで考えていた。10年なんか今まで過ごしてきた日々を考えると一瞬の出来事である。死に関して人以上に考えてしまう私である。

「このまま行くとあと数年でポイント・オブ・ノーリターンに到達してしまう」そんな恐怖を私は感じた。私の中でそれは脂肪肝から肝硬変になる地点であった。

お医者さんからお酒を控えてあと5キロ体重を落とすように指導された。それは丁度私が大学を卒業して働き始めたころの体重と同じであった。当時は週末の1日か2日しか飲酒していなかった。私はお医者さんから言われた10年後を三倍にするために、あの頃の私に戻ることを決意した。

私は”効率”に取りつかれた人間である。他人のことはそれほど気にならない。しかし自分が時間を”効率よく”使えなかった時、自分を責める気持ちが生まれる。ブログを書き続けているおかげで最近はだいぶましである。しかし、その心の癖はまだ私から消え去ったわけではない。

”効率よく時間を過ごす”とは、私に与えられた時間が読書、語学学習、筋トレ、片付けなどで埋まることである。自分に何かが身につき、自分の周りの秩序が保たれる、それを感じることで私は心が満たされたように感じる。

そのことを容赦なくひっくり返してくれるのが飲酒である。あれだけ「すべきことリスト」をかかえた状態であっても、酒を飲み始めたら体と頭がだるくなり「どうでもいいや」という気持ちになる。そして翌朝迎える自己嫌悪。私はいったい自分の中の何と戦っているのだろうか。

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