令和五年五月場所

いつものように場所中に感じたことをとりとめもなく書いていきます。

未来を担保に

横綱照ノ富士が14勝1敗で見事に五月場所の優勝を決めました。私が相撲に興味を持った時、この力士は大関でした。その後ケガによる連続休場で序二段まで番付を下げましたが、平成が令和に変わる直前三月場所から土俵に復帰し、二年後には横綱まで上り詰めました。

このことは見事としか言いようがなく、たくさんの勇気を与えてくれる存在でありますが、土俵で彼の姿を見るたびに私は複雑な気持ちになります。両膝周りに分厚く巻かれたサポーターが痛々しすぎるのです。サポーターは膝以外にも両足首と両ひじにも巻かれています。満身創痍で相撲を取っているのが痛いほど伝わってきます。勝負が終わり土俵を降りる時、脚を引きづることも多々見られます。

照ノ富士だけではありません。宇良もケガのため長い間休場を重ねていました。この二人が戦うとき、サポーター率の高い異様な光景が現れます。どちらかまたケガをするのではないかとひやひやします。

力士の体重は重くなり過ぎたと思います。筋肉や脂肪が増えるとともに、骨や軟骨も増大するというわけではありません。どうしても膝や足首に負担がかかります。

照ノ富士や宇良は、引退後いつまで自分の足で歩くことができるのだろうかと心配せずにはいられません。貴景勝、剣翔、水戸龍といった力士を見ても同じことを思います。鍛えぬいた大きな体で迫力のある勝負をみせてくれるのはありがたいことですが、彼らは未来の自分を担保にそれを行っているようで心が痛みます。

ヨーロッパ

私が相撲に興味を持ち始めたのは2018年ごろでした。だからヨーロッパ系の力士といえば、栃ノ心と碧山がまず浮かんできます。もう少し早く相撲に興味を持っていれば、琴欧州や把瑠都をリアルタイムで見ることができたと残念に思います。

モンゴル系の力士は日本人と顔が似ているため、パッと見では見分けがつきませんが、ヨーロッパ系のこの二人はインパクトがあります。もう見慣れてしまって違和感を感じませんが、栃ノ心と碧山が大銀杏を結ってまわしをしめていることは不思議な感じがします。

今場所では栃ノ心が引退を表明しました。幕内優勝し大関に昇進したのはもう5年も前のことですが、彼が大関昇進伝達を受けた姿が昨日のことのように頭に浮かび上がってきます。

栃ノ心も照ノ富士や宇良と同様に、見ていて何も起こらないことを祈らずにはいられない力士でした。取組み直前の真っ赤になった逞しい筋肉を見ると「この人より力の強い力士はいるんかいな」と思わせるほどでしたが、爆弾を抱えた右ひざを見ていると「力を入れすぎるな」と心配になっていました。

制限時間がやってきて最後の仕切り前の気合の入れ方がカッコよく、私もテレビを見ながらよく真似をしていました。また一人好きな力士が引退して寂しいです。こう考えると、何気なく見ている力士たちも次の場所に見られるとは限らず、一番一番の勝負がありがたいものだと感じます。

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ツバメの夜

屋根の下で

「ああ、また1年が経ってしまったんだ」

何ごとにおいても年月の経過に対して敏感に感じやすい私ですが、その中でも、自分の誕生日以上にそれを感じるのがツバメの到来です。日が長くなる4月から5月にかけては私の好きな季節ですが、それにツバメが楽しみを添えてくれます。

時の経過を意識するのは、昨年巣立ったツバメが大人になって返ってくるからです。1年と少し前には存在しなかった命が、私の家の近くの巣で生まれ、周りの虫を与えられて大きく育って巣立ち、多くの困難を乗り越えて南の国から帰ってくるのです。

ツバメたちは本能に従って行動しただけなのかもしれませんが、こうやって無から生まれた存在が目の前で動き回って巣作りをする姿を見ると、私は感動せずにはいられません。

世のなかの生き物はツバメと同様に命をつなげる活動を行っているのですが、ツバメが特別に思えるのはその容姿をかわいらしいと私が思うからでしょう。数多くの鳥の中でやはり私はツバメが一番素敵だと思います。鉄道が好きなことも影響しているのかもしれません。

さて、私は今日も仕事を終えて電車に乗り家路を急ぎます。暗くなった空の下道を歩いていると、いつもの場所にツバメの姿が見えます。そこ歩道の上に設置された屋根の下なのですが、数羽のツバメが作りかけの巣の横、細い梁の上にちょこんととまっています。

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30年

昼飯ハシゴ

天気予報によると週末の天気が崩れそうだった。私はこの週末、実家へ帰って田んぼの畔の草を刈る予定であった。前回の草刈りから約一ヶ月、初夏に入ると草の成長する速度が増してくる。

雨の日の草刈りは憂鬱である。合羽を着ているとはいえ雨は隙間から入り込んで服を濡らす。何より気温が上がるとカッパの内側から汗で全身が湿ってくる。気分のよいものではない。

どうしたものかと親に相談すると、草はそれほど伸びていなく草刈りはまだしなくてもよいという返事であった。私は二週間後の晴れに期待してこの週末の帰省を取りやめた。

さて、予定がぽっかりと開いた。通常なら朝から語学と読書、家事があればそれを行い夕方サウナに行って夜に酒を飲むというパターンであるが、なぜかこの日はどこかへ行きたい気分であった。

「うどん食べに行く?」妻に聞くと二つ返事で賛成してくれた。この週末に部活のない次男も一緒に行くという。

「よし、明日は久しぶりにうどんをハシゴするか」私の興奮度が一気に上がった。

翌日昼前、私たちは中讃にいた。中讃とは香川県の中部、坂出や丸亀辺りのことを指し、うどん県香川の中でも特にうどんが美味しい地域である。丸亀市内を流れるを土器川の右岸を南へ進むと土手の下に多くの車が止まっているのが見える。中村うどんである。

「納屋のような場所でうどんが食べられる」「ネギは裏の畑で取り自分で切って食べる」そのような評判がこの小さなうどん屋さんをこの地域の観光名所にした。

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欠け続けていたもの

旬のもの

五月はそら豆の季節だという。他人事のように書いているのは我が家ではこの豆が食卓に上ってこないからである。理由は、妻がそら豆を煮た時の香りを好まないから。それに、ただでさえ豆類を好んで食べない子どもたちも拒否反応を示すことは容易に想像できる。

そんな私も子どものころはこの豆を美味しいとは思わなかった。豆ごはんの豆がそら豆だとがっかりしたものである。大人になると味覚は変わる。私はそら豆に対して、かつて持っていた苦手意識を持たなくなった。ミョウガ、茎わかめ、ちくわぶ、イワシのつみれ、それらと同じで大人の口で食べてみると案外美味しいものである。

「たまにはそら豆を食べたいなあ」そう思っていた私をよそに妻はこの豆を調理する気配がない。私は食べるものに関して文句を言ったり不必要に要望を言ったりしない。作っていただけるだけでありがたいと思うからだ。

そのようなわけで大人になってもこの豆を外食以外で食べることが無かった私であるが、先日どうしても買わずにはいられなってしまった。私は外国食料品店へ行きペコリーノチーズとパスタ(パッケリ)とオリーブオイルを手にいれ、その足で地元のスーパーへ行き、そら豆一袋とバジルの葉を購入した。

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ワクワク玉子焼き

東二見

東西に長細い明石市を2本の鉄道路線が貫いています。JRと山陽電車です。東側の神戸方面からピタリと並走してきた二つの鉄道は明石駅を境に南北の距離を取りながら西へと進んでいきます。

大久保、加古川と内陸の街を経由するJRに対して山陽電車は海に近い南側を経由しながら姫路を目指します。四月のある休日、私と妻はその山陽電車東二見駅で下車しました。二見とは明石の西の端にある街で、もともと漁師町ですが、今では埋め立てられた沖合に工場が多く見られる他、住宅地としても発展している場所です。

私たちの目的は駅前にある明石焼きのお店でした。「てんしん」という名前のその小さな店は、地元二見はもとより周辺からも多くの人が訪れるという話を聞いていました。

実際に私も山陽電車に乗る機会があれば何度かこの店の前までやってきたのですが、長蛇の行列を見て断念していました。いつもは明石駅周辺の店を巡る私たちですが、今日は「てんしん」の開店時刻を目指して東二見までやってきた次第であります。

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前へ

宛先

私は自分のためにブログを書いています。私の書く文章の宛先は私自身です。自分の頭の中にあるモヤモヤが一体何なのか、それを目に見える形にするためにキーボードをたたいています。頭から出てきた言葉が目に触れることで客体化されます。その言葉は再び頭の中に入り次の考えを紡ぎ出します。

私と大和イタチがこれを読んでくださる読者の反応を想像しながら対話をし、出てきた文章を再び頭に入れてしばらく考えます。時にはキーボードをたたく指が止まるときもあります。それでも二人は着地点を考えながら言葉を絞り出してゆきます。

記事を書き終わって公開ボタンを押す時、書き始める前とは別の自分がいます。文章を書くたびに私の中身が変わっていくのを感じることができます。少し、心が軽くなります。

「書くことで自分を救いたい」そう思ってブログを始めました。私は病んでいました。恵まれた環境にいながら、それを感じる心を失っていました。「自分は幸せである」と思おうとする気持ちの底に「どうして私はいつもこんなモヤモヤしているのだ」という気持ちが伏流水のように流れていました。

文章を書くことは地下に潜っていた水を、地上へとくみ上げる井戸のようなものでした。どんな色合いの水が流れていたのかは日の光にあててみないと分かりません。私は自分の心の中のいろいろな場所に井戸を掘り、水をくみ上げてきました。飲めそうな水もありましたが、たいていの水は濁っていました。

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母の声

久しぶり

3年ぶりに実家に泊まった。日曜に農作業を手伝うための帰省であったが、午前中の時間を有効に使うために前日夜に帰宅したのだ。母の作った料理をあてに焼酎の湯割りを飲みながら両親と話をする。

私が実家に到着した時間が遅かったためであろう、父親はもう飲み終わってお茶をすすっている。昔の彼ならまだ酒を飲み続けていた時間である。こんなことからも親が歳をとってきていることを感じる。

親だけではない。私も妻も子どもたちも、すべての人は同じだけ年を取り続けている。「年を取る」には二種類の意味がある。「時間が経過する」ということと「老人らしくなる」という意味である。私が親を見て感じたことは後者だ。

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三つの教え

プレゼント用貯金

ここのところ三年連続でオリジナルのTシャツを作っています。きっかけはいろいろありますが、私の中で一番大きいと思えるものは、以下に述べる三つが揃ったことでした。

三年ほど前、私はある投資家が書いた本を読みました。そこには日本人がいかにケチなのかが記されていました。アメリカの成人一人当たりの年間の寄付額は日本円にして約13万円です。一方、日本人のそれはわずか2500円だというのです。

私は思いました。「果たして自分は年間に2500円以上寄付しているのだろうか」。おそらくしていませんでした。私は自分がとてつもなくケチな人間に思えました。

それより少し前、私はベストセラーになった「夢をかなえるゾウ」という書籍を読んでいました。その中で、成功するための教えの一つに「コンビニでお釣りを募金する」というものがありました。

この本の主人公と同様に、私はこの時どうして成功とお釣りを寄付することがつながっているのか理解できませんでした。「成功」の大きな部分には金銭的に困らないということがあるでしょう。少額とはいえお金を手放すことがどうしてそこにつながるのか分かりませんでした。

投資家の本を読んだのと同じころ、私は「リベラルアーツ大学」という動画を知りました。両学長の教えが面白くて、毎日夢中になって見ました。その中に「幸福度を上げるためにはプレゼント用口座を持つとよい」というものがありました。

私の中で三つがつながりました。

「ケチな日本人にならないこと」「コンビニでお釣りを募金すること」「人にプレゼントをするためのお金を持つこと」です。他人のためにお金を使うことが幸福感を感じることに関係していると私の直感が告げました。

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満足感と不足感

妻の視点

「似たもの夫婦」という言葉があります。好みや考え方や行動様式が同じような夫婦を表す言葉です。もともと共通点が多かった二人が一緒になったのか、一緒に暮らすうちに同じような性格になるのか分かりませんが、私たち夫婦もいくつか同じものに興味を持っています。

それらは鉄道旅、うどん屋巡り、神社仏閣訪問などですが、妻がこれらを好きになったのは私の影響であると、私は思っています。去年あたりからこれらに加えてもう一つ、私たちが共通して興味を持つ者が現れました。大相撲です。

我が家にはテレビが一台しかありません。私が熱中して大相撲のテレビ中継を見るうちに、同じ部屋にいた妻も気になり始めました。私がいろいろ解説するうちに妻も楽しそうに相撲を見るようになりました。力士同士の対戦と並んで、妻を引き付けたものは呼び出しの面々でした。

きっかけは私が「嵐の大野君にそっくりな呼び出しがいる」と妻に伝えたことでした。朝日山部屋の呼び出し「天琉(たける」氏です。序の口呼び出しのため、力士の名を呼ぶ場面はテレビには映りませんが、土俵の隅で力士の世話をしたり懸賞のぼりを持つ姿は頻繁に映ります。

天琉氏に興味を持って以来、妻は大相撲力士名鑑を片手に相撲を見るようになりました。呼び出しがテレビに映ると誰なのかチェックをします。「こんな楽しみ方もあるんだな」と私は感心しています。

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語学と筋トレ

例文800

私の手元に20年前に買ったイタリア語のテキストがあります。NHK出版から販売された「イタリア語 書ける!話せる!実用文例800」です。当時の私はイタリア語の勉強を始めたばかりでした。「800もの例文を覚えたらけっこう話せるようになる」そう思って購入しました。

このテキストは言いたいこと別に52のパートに分かれています。各パートは見開きの左側のページに日本語が、右側にそれに対応したイタリア語が載せられています。例文で確認した表現を元に、ページの半分を隠して日→伊、または伊→日へと訳す練習ができるようになっているのです。

このテキスト、購入してから本格的に使われるまで20年近くの月日が必要でした。各ページの端に学習した日付が書かれています。1~2年は平気でとんでいます。つまりそれくらいの頻度でしか開かなかった本です。

それが2022年初めから突然変わりました。きっかけはその前の年のイタリア語検定2級の作文が全くできなくて悔しい思いをしたことでした。一日見開き6枚、12ページのノルマを課して伊訳練習を始めました。できない日もありますが、このペースで行くと2週間以内に一冊終えることができます。見開き2ページを終えたら、端に「正」の字をつけていきます。私はこの年のイタリア語検定までに20回、この本を繰り返しました。これだけやると800の例文はほとんど覚えています。

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向かえた2022年の検定ですが、リスニング・筆記ともに合格点を取りましたが、何と作文が前年と同じ点数で一次試験不合格でした。「これだけやったのに全く書けなかった前年と同じ点数とは…」悔しい気持ちでしたが立ちどまるわけにはいきません。私は、もう一冊例文集を買いました。「口が覚えるイタリア語」といい、約500の例文が載っています。

作文用のテキスト

不合格が分かった昨年の11月からこの2冊のテキストを並行して練習し始めました。偶然にも新しいテキストも「実用文例800」と同じく52章からできています。私は、それぞれのテキスト見開き4枚ずつ、計16ページを一日の割り当てにしました。こうすると一日に100例文の日伊訳の練習になります。

52は4で割り切れるので、本当に毎日このノルマをこなせば13日で一冊終えることになりますが、今は15~16日のペースでやっています。

「正」の字をつけていく

この練習を続けていくと、自分の脳の中にある変化が起こることに気がつきました。それは、何気なく日本語の記述を目にしたとき、英語と並んでイタリア語の表現が頭に浮かぶようになったことです。

私はよく「これ英語で何と言うのだろう」ということを意識しながら日本語を読みます。読書時ではなく、注意書きや簡単な説明を目にするときです。コンピューターのバックグラウンドアプリのように常時このような意識を持っていたら疲れますが、時折意識することは英語力維持のために有効です。

先日も私が英語を意識しながら過ごしていた時「今や日本語で話すことに慣れてしまって…」という表現を目にしました。

私の脳はいつものように

“Now I’ve got used to talking in Japanese…”

という英語の表現と共に、

“Ormai sono abbituato di parlare in giapponese…”

というイタリア語のフレーズが出てきました。

こんな時、私は無数の中断と再開を繰り返しながらもずっとイタリア語をやってきてよかったという気持ちになります。こんな知命の近いオヤジになっても、自分の脳が力を伸ばそうとしていることが嬉しくなります。

少しずつ…

決まった語学のルーティンと一緒にやっていることが筋トレです。「筋トレ」というとボディービルダーのようなイメージを受けますが、全くそんな大したものではありません。専門的な知識も根性もないまま「ねばならない」という私の病気に引っ張られたこれもルーティンです。

やり始めた理由はいくつかありますが、大きなものは「脂肪肝」と「高血圧ぎみ」であると診断されたことです。どちらもお医者さんには「酒を控えろ」「体重を落とせ」と言われました。

お酒を減らすことはなかなか難しいです。「酒を飲まない」以外で体重を減らすためには、控えめに食べて基礎代謝を上げることだと考えて筋肉量を増やすことにしました。

語学のルーティンを行うと集中力が落ちてくるため、そこに筋トレを挟みます。イタリア語の作文が見開き4ページ終わったら腕立て伏せ20回、屈伸20回という風にです。

知識が無いため、筋トレと言っても「腕立て」「屈伸(スクワット)」「腹筋」「背筋」ぐらいしかバリエーションがありません。

「語学も筋トレももっと落ち着いて別々にやったらいいのに」と思うのですが、私の場合それだと続かないのです。体重はなかなか落ちなく、肝臓の数値も変わらないのですが、筋肉だけは少しついてきたかなあと思っています。

私の中で今イタリア語学習は体を動かしながら行うもの、という位置づけになりました。

真の理由

このように私は使うアテのない言語を毎日練習し、本当はやりたくもない筋トレを続けています。何のためにこれらを行なっているのでしょうか。私の大切な時間を、一見あまり意味がありそうにないものに使い続けています。

「イタリア語は英語をより理解するための手助けになり、筋トレは脂肪肝や血圧を下げてくれる」周りの人にはこのように説明します。しかしこれらの理由に私自身が100%納得しているわけではありません。私の心は、無意識の領域ではもっと別の理由を持っています。

最近少し私が背負っているものがわかるようになってきました。どうして私は頭と体を使い続けなければならないという呪縛に取り憑かれているのか。

イタリア語と筋トレは頭と体を使うことのそれぞれの代表であり、他にも私の日常は常にこの二つを使わなければという強迫観念に支配されています。

例えば私はよく歩きます。電車で行けるところも頻繁に徒歩移動します。5階ぐらいならエレベーターに乗りません。駅でエスカレーターに乗ることもなく階段を歩きます。その間ずっとイアホンからは語学か勉強系のポッドキャストが流れています。

電車に乗ってもボーッとすることがありません。常に読書をしています。今はそんな事はありませんが、かつては電車で読書中に寝てしまうと自分に対する激しい嫌悪感に襲われていました。

「寝る時とお酒を飲む時以外は、常に体と頭を使い続ける”有意義な”ことを行わなければならない」このような思いに取り憑かれてずっと過ごしてきました。随分とストレスフルなことだと感じます。そのおかげなのか、体は健康ですし、平均的な人よりも物事をよく知っていると感じる場面もあります。

私は歳をとり、動けなくなり、訳のわからないことを言いながら死んでいくことを恐れているのです。私は自分の無意識の中でその恐怖と戦っていたのだと感じました。もちろん、言葉にした時点で無意識は有意識になりますが、今まで言語化できなかった恐怖心の一つはその死ぬ時の無様な姿の自分にあります。

体と頭を動かし続けている間は、そのような自分にはなっていません。和文伊訳の練習を行っている瞬間は、正気で頭の働いている私です。今日私にできることが明日もできる。その「できる」をできるだけ長く続けていきたい、そういった思いで私は”有意義なこと”に取り憑かれているのだと思います。

去年、ハッと正気に戻らされる出来事がありました。

プロレスラーのアントニオ猪木さんの死です。

晩年の猪木さんの姿を久しぶりにテレビで見た時、私は激しく動揺しました。「年月の経過はあの強靭な人をこのような姿に変えてしまうのか」と涙が出そうになりました。

私は生物の在り方として当たり前の光景を見ているだけです。どんな人も生き続けるうちに次第に老いて、やがては死をむかえます。その直前の姿はかつての力強さや黎明さが失われているのが当たり前の姿です。

日本のプロレス界で最も偉大で強かった男であってもその例外ではありません。その自然の摂理を目の当たりにした時、私はその姿を自らに投射せずにはいられないのです。身近な人たちが歳をとって死んだ時もそうでした。

思うように体を動かせない、思うように思考できない、結局最後はそのような姿になって旅立つことが多いのです。私の無意識は今まで、そんな未来の自分の姿に抗おうと意識下の私を動かしてきたのだと、今思うことができます。

イタリア語の学習について書こうと思った記事が思わぬ方向に進んでしまいました。これも書くことの一つの効用であると考えます。

私の無意識下で私に取り憑き、私を苦しめてきたことはこれでだけではないと思いますが、これからも書き続けることでそれらと向き合っていきたいと思います。

そして、以前にも何度か触れましたが、私の抑圧してきたことの中で最大のものは、私の仕事の中にありそうなのです。そして、それを掘り下げていくと自分の父親に到達しそうな予感もします。怖い気持ちもありますが、少しづつ近づいていきます。

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