友達できた?

大人になって

私の尊敬する人、リベラルアーツ大学の両学長はこう言います。

「歳をとって持つべきものはお金と筋肉と友達」

お金は文字通り自由に生きるための資産やそれを作るためのスキルを表します。筋肉は丈夫な体、つまり健康を表します。

確かにこの二つは生きていくためにとても重要であり、漫画ドラゴン桜の主人公桜木建二も「幸せとは何か」という問いに対して「金と健康だ」と答えていました。

両学長はこの二つに加えて「友達」というキーワードをあげています。仲間を広げ仲間との時間を大切にする両学長らしい言葉だと思います。

もともとリベ大動画も、自分の友達に資産の増やし方や、人生対しての向き合い方を指南するために作ったものが、その良質なコンテンツに引きつけられてここまで大きくなったものです。

お会いしたことはありませんが、毎日多くの友人に囲まれて充実した人生を送っている両学長の姿が想像できます。

さて、私も規模こそ小さいですが、リベ大で勉強を始めて以来資産を増やしていこうと学んで行動をしていますし、各種資格を取るなど資産を作ることができる自分になろうとしています。

健康に関しても、添加物の入ったものを極力食べずに、バランスの良い食事をとり、適度に運動をして体重を増やさないようにしています。

私にとって課題なのは3番目の「友達」です。私にも友達はいます。しかし、沢山いるかといえば「いるよ」と断言することはできません。

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令和六年十一月場所

いつもの雑感です。

旭川に・・

場所の途中で長年NHK大相撲放送で解説をされた元横綱北の富士さんの訃報が入ってきました。

私は相撲が好きになりこれから一生大相撲放送を見るつもりなので、いつかはそんな知らせを聞く日が来るのかと漠然と思っていましたが、こんなにも早くその日が来るとは思いませんでした。

実は初日の幕内土俵入りの後、NHKの解説者が「今場所、北の富士さんは休みです」とアナウンスしました。私はそれを聞いて少し安心しました。もう一年以上休まれていたけど、そのようにわざわざアナウンスするということは、北の富士さんがいることが前提になっているからあり、もう出る見込みがないのならそうしないと思ったからです。

客観的に見れば横綱まではった力士が80歳を越えることは稀で、北の富士さんは長生きしたということができるかもしれません。しかし、あの向正面舞の海さんとの掛け合いがもう聞けないと思うと寂しくてたまりません。

二年ほど前でしょうか、放送中に故郷の北海道旭川に自分の墓を買ったというようなことを言われていました。北に帰られる北の富士さんをいつか訪問したいと思います。

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生物だらけ

受講しながら

食品衛生管理者講習を受けながら頭に浮かんだことがあります。

公衆衛生学、食品衛生学、食品衛生法と講義を受けましたが、これらの重要な点を一言で言うと「食品またはその周りにおいて微生物を増やさないようにする」ということです。

もちろん、食品を食べる人にとって毒や化学物質といった微生物以外の危険な要素もありますが、適切に材料を仕入れ、それらを調理し、料理として客に提供する間に最も考えるべきことは、いかに細菌やウィルスといった微生物を増やさないようにするかということです。

そのために大切になってくるのは食材に触れる部分、つまり手や調理器具に微生物をつけないことと、微生物が増殖しやすい温度帯をできるだけ作らないことです。

この日私が学んだ中で一番大切だと感じたことを短く言うと、手をきれいに洗い、調理器具を清潔に保ち、食材や出来上がった料理が10度Cから60度Cになる時間をできるだけ短くするとことです。

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資格取得

必要最低必要

先日新たな資格を取得しました。今ままで取った資格の中で一番短期間で簡単に取れるものでした。

運転免許は教習所で1ヶ月、教員免許は大学で4年、英検1級は受験を意識して勉強を始めて2年、全国通訳案内士は英検1級を取得してから1年かかりました。イタリア語検定2級に関してはもうダラダラと20年以上勉強を続けても3度落ちています。

私が今まで取得してきた、または今目指している資格に対して、この資格は最も短い日数と費用で取ることができます。しかし、それは私に取って大きな可能性を秘める資格になります。

私は先日一日講習を受けることで「食品衛生責任者」として認定していただきました。数年前から受講しようと思い続けていた講習ですが、一年に数回平日のみの開催で、それもすぐに定員に達してしまうためタイミングを逸していたものです。

食品衛生責任者は飲食店を開くにあたって必ず必要な資格になります。調理師の免許の有無は必要条件にはなりませんが、食品衛生責任者がいなくては客に料理を提供することはできないのです。

高等学校で教師をしている私がどうしてこのような資格を取得したのかというと、私が近い将来客に料理を出すようなことを始めようかと考えているからです。このブログを読み続けている方はお分かりでしょうが、その料理とは明石で言う「たまご焼き」、全国的には「明石焼き」と呼ばれるものです。

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自分らしく生きる

職員室で

2024年の出生者数が70万を下回りそうだと新聞に書いてあった。団塊ジュニアである私たちの世代の3分の1に近い数である。人口減少は本当に進んでいくのだと実感させられる。

子供の数は減っても大学の定員は変わらない。定員割れを起こしている大学は普通に見られるし、その数はすごい勢いで増えている。どこの大学も学生が欲しくてたまらない。だからできるだけ早く合格者を出そうとする。そのようなタイプの入学試験を行う。

そのようなわけで、高校によっては年が明けて共通テストが始まる前にほとんどの生徒が進路を決めることになる。私たちの時代は1月中旬に5教科7科目のセンター試験を受けることから受験が始まった。

この夏休みから年末にかけての入試を見てみると、二科目による筆記試験や一科目プラス小論文で合否を判定するものはまだマシ。中にはオープンキャンパスに参加し、高校時代の活動を報告するだけで合格が決まるものもある。

生徒達が職員室にやってくる。

「志望理由書になんて書けばよいのかわかりません」

昔ならため息をつきながら「ホントにそこに行きたいん?」と言っていたところであるが、今はそんな言葉にもすっかり慣れてしまった。何しろそれが普通であるから。

考えてみれば現代の子供達もある意味かわいそうだと思う。小さい時から「将来何がしたい」「どんな夢があるの」「自分らしい生き方は何」と自分の方から何者かになることを要求されているのだ。

自分は何者かにならなくてはならない。でもそんなに簡単に思うような何かにはなれない。そうしているうちに年齢だけは上がっていく。周りは大学に進む雰囲気がある。自分も進学しようか。

「私は将来〜になりたいと思っています。そんな中、貴学のオープンキャンパスに参加して・・・」

「はぁーっ、またこのパターンだ」私はため息をつく。メッセージはどうだっていい。「メタ」の部分に裏打ちされていないメッセージは何も言っていないに等しい。いや、むしろ「本当は何も考えてこなかった」というメッセージだけが伝わってくる。

「俺は将来店を継ぐから勉強しなくてええねん」

教師としては聞きたくない言葉ではあるが、そういう彼は生きた表情をしていた。彼は自分で何者かになろうと思っていなかった。彼のその言葉は紛れもなくメタメッセージに裏打ちされた言葉だった。

イデオロギー

「自分らしく生きることは素晴らしい」

この考えに意を唱えることは現在では難しい。しかしこのような”かつての寝言”が正義と認定されたのは日本が豊かになったこの6〜70年に過ぎないと思う。

ほとんどに人にとって「何者であるか」は周りの人が決めてくれていた。「〜らしさ」は自分の中から生ずるものではなく周りとの関係性の中で生まれるものであった。

経済的余裕のない家は義務教育が終わると働いた。自分らしい職業を求めて求職するわけではない。親や親戚の縁故、教師が進めた会社、そんなところで働いた。

そもそも農村人口が多い時代には、農家の長男は田畑を継ぐのが当たり前であった。職人や商人など親の仕事を継ぐ人も多かったであろう。

職業に関して言えば女子は年頃になれば結婚して家庭に入り、フルタイムの肩書きを持って働かないことが普通であった。

そこには「将来のキャリアプラン」も「自分らしく生きること」もない。現代の視点から見たら、とても窮屈で不自由な人生のような気がする。

ではそれでは昔の人が不幸せであったかというと、そういうことはできないと思う。彼ら彼女らは「自分らしく生きる」というイデオロギーを知らない人々である。幸せは相対的なモノであり、どんな状況の中にもその芽はあるのだ。

豊かで選択肢が増えるのはよいことだ。それに私は同意する。しかし現代を生きていると、時にサルトルの言った「我々は自由という刑に処せられている」という言葉を感じずにはいられない。

私もその一人

私は、志望理由の書き方を聞きにくる生徒のことを笑うことができない。「何者にかならなくてはならない、でもどうしたらよいのかわからない」そう思っているのは私も同じであるからだ。

多分、私はものすごく贅沢な立場にいるのだと思う。「何も考えなくてもいい。今までの惰性で過ごしていけばいいじゃないか」そんな心の声が聞こえることもある。

しんどい思いをして語学や勉強をしなくてもいい。義務感ではなく好きな時に好きな本を読むのだ。

仕事では与えられた役割を淡々とこなす。下の世代が多くなってきたから彼らに仕事をまかすのだ。

家庭では息子らが独り立ちするまでの学費を支援し、お互いの両親のことを気にかけながら暮らしていく。

妻とはたまに外食をしたり、年に1度は2〜3泊の旅行をする。

昔の基準で言えば100点満点の生き方だと思う。このまま定年まで今の仕事を続ければ十分にできる生き方である。

毎月決まった給料をもらって、年に2回ボーナスをもらう。自由になる時間は少なくても経済的に生活が安定する。子供の学費をとりわけ、ローンを返し、生活費を引いて、余ったお金で老後のために投資をする。なんの心配もない生活である。

しかし、この私も「自分らしく生きるイデオロギー」の中で成長してきた人間の一人である。心の中から「それで本当にいいのか」という呻き声が湧き上がってくる。

私が何も考えずに惰性で今の暮らしを続けた時、私は何を失うことになるのだろうか。そう考えた時、惰性で生きる裏側に私がやりたいことのほとんどが張り付いていることが見える。

年とともに気力と体力がなくなっていくことは誰も避けることができない。その道のどこかで惰性で生きることをやめて反逆してみるのか、それともそのまま死ぬまで生き続けるのか、決断が遅れれば遅れるほど私は後悔して死んでいきそうな気がする。

ただ、私はどうしても「自分らしさ」という言葉が好きになれない。そんな時代のイデオロギーに染まっておきながら「そっちではない」と思うのだ。私にとってしっくりくるのは「自分らしさ」より「自分なくし」の方。

「自分らしさ」から「自分なくし」へつながる道はあるのだろうか。

政見放送を見た日

出かける前のNHK

私は世間とずれている人間であると自分でもよく思います。そのことを嫌が上でも痛感させられるのは、周りが芸能人やスポーツ選手の話をするときです。私はまわりの話についていくことができないのです。誰もが当たり前のように知っている有名人を知らないからです。

この原因の一つは私が普段テレビを見ないことにあります。全く見ないというわけではありませんが、自分から見る番組は限られています。その限られた番組の一つが朝6時台に放送されているNHKニュースです。出かける前に天気と降水確率が知りたいので、出勤の準備をしながら注意半分で聞き流すのです。

先週のある日、寝室からリビングに移動し惰性でテレビのスイッチをつけるとニュースをやっていませんでした。代わりに画面に映っていたのは山本太郎氏でした。衆議院選挙を前にこの時間帯は政見放送に充てられていたのでした。

私はしばらくれいわ新撰組の政見放送を見ました。党首の山本太郎氏は立派に堂々と党の政策を主張していました。かつては別の党から立候補していたと記憶しますが、自分の党を立ち上げ日本各地で活動をする中、政治家としての風格がついてきたように感じられました。

その日、仕事から帰宅した私は山本太郎氏をYouTube検索しました。平成生まれ以降の人々にとって彼は役者か政治家のイメージが強いでしょう。昭和後半生まれの私が彼を最初に目にしたのはもっと別の強烈な姿でした。

私は画面に「メロリンキュー」と入力し、動画の視聴を開始しました。

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セカンドカー?

2021年秋

3年前の秋、私は何気なくネット検索にある言葉を入れ、その結果を見て狂喜しました。入力した言葉は「デッキバン モデルチェンジ」、検索結果には2021年12月の文字が見えたのでした。

あの人気のないデッキバンがモデルチェンジをするなんて、ひょっとしたら製造中止になることも覚悟していた私にとって信じられないニュースでした。マイナーな車種とはいえ好きな人はいて「ジャパニーズピックアップトラック」などと呼ばれ紹介動画もいくつかありました。

私は毎日のようにHPを検索してデッキバンの新しい情報を探しました。そしてモデルチェンジが近づくにつれ、さらに嬉しい情報が届いてきました。

今までハイゼットの1タイプという位置付けだったデッキバンですが、新モデルではアトレーにも設定されるというのです。アトレーはハイゼットに比べて商用車のテイストが薄い車です。その上、アトレーにはターボエンジンが搭載されるというのです。

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サバティカル

相変わらず

私は恵まれた環境にあると思います。それはこのブログを書き始めた5年前にも感じていたことです。

健康、家族、人間関係、仕事、趣味、全ての面において私は不自由を感じていませんでした。それなのに私の心はいつもモヤモヤしていました。

もういい加減中年オヤジになり、平均寿命でいえば人生も折り返し地点を回っている状態でありながら、ガキの感じるようなモヤモヤを抱えながら生きていました。

「いい加減大人になって自分の人生を楽しめよ。お前は自分の思っている以上に歳をとっているんだぞ」

私は自分にそう言い続けてきましたがすぐに心の状態は変わるわけではありません。

だから私はこのブログを始めました。自分の気持ちを文章に書き始めました。文書にすることで、頭の中の形になっていないモヤモヤが視覚によって認識される論理の形になります。それを重ねて行くことが、自分をあるべき道、ありたい道へを導くことにつながると直感したからです。

そして5年以上記事を書き続けました。自分でもよくやったと思っています。自分を苦しめてきたものの姿を認識することもできました。それを完全に消し去ることはできませんが、なんとか付き合っていけるということもわかりました。

それでは今の私の状態はいかがなものでしょうか。モヤモヤから解放されて、毎日幸せを噛みしめながら、外から見ても楽しそうな表情で生きているのでしょうか。

確かにモヤモヤの質は変わってます。5年前のような苦しさはありません。私は自分自身に対する言葉により縛られてきたのだから、その自分に投げかける言葉を変えることで気持ちをコントロールしようとしています。

そういった意味では私は5年前のモヤモヤした中年オヤジではありません。しかし、完全にハッピーハピーな中年オヤジかというとそれも違います。

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覚悟はしていたが

作品のある店で

8割方覚悟はしていたことでありますが、はっきりと知ってしまうとやはり動揺してしまうものです。自分の無意識の中で知ることをできるだけ先延ばしにしようとしていたことを知ってしまいました。

先日妻と二人で電車に乗って明石に出かけました。以前から行ってみたいと思う店を訪問するためです。私たち二人は明石焼き(現地では玉子焼きと呼ばれている)が好きで、特に昼間ビールを飲みながら食べるそれは最高であると考えます。

私たちはいつものように玉子焼きと瓶ビールを頼みました。小さなコップに注ぎあったビールをチビチビと飲む間に上げ板にのった玉子焼きがやってきました。

私の持っている焼き鍋よりも穴が少し浅いもので焼いたのでしょう、玉子焼きは高さが低めで円盤のような形をしています。

箸でつまんで出汁に浸さずにそのまま食べてみます。昆布の出汁がよく効いているのがわかり、熱々のためチビチビだったビールがグビグビに変わります。

出汁に浸して食べ、その出汁に一味を足して食べてみます。その度にビールが進み、瓶をもう一本追加です。唐揚げや餃子は生ビールとでも良いですが、玉子焼きは瓶ビールをコップに注いで飲みながらが断然美味しいです。

私たちは幸せな気持ちで食べ終えて勘定のために立ち上がりました。お金を渡す奥さんの向こう側は焼き場です。そこに見覚えのある形の焼き鍋が数台並んでいます。持ち手の形をみると間違いありません、安福さんの作品です。

私は勇気を出して言葉を発しました。

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155日

きっかけと理由

以前にも書きましたが、私がイタリア語の学習を始めたきっかけは生徒の悔しくて悲しそうな表情を見たことでした。「英語がわからない」ということがそれほどまでに心をかき乱すことであるのなら、私も教師としてその気持ちを味わってみたいと思ったのです。

より難易度の高い英語、例えば難しい文学作品や中英語を学ぶという選択肢もありましたが、どうせやるのなら自分が全く知らない言葉を独学で勉強しようと思いました。

ハングル語、ドイツ語、スペイン語、やってみたい言語はいろいろとありましたが私が選んだのはイタリア語でした。単に「イントネーションが気持ちいい」という理由でそうしました。

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