令和七年三月場所

敬称について

力士について文章を書く時、敬称の使い方が難しいと感じています。一般的に四股名につける敬称は「関」ですが、これはどの力士に対してつけてもよいというものでありません。

「関」の元になった「関取」とは十両以上の力士、つまり大銀杏を結って土俵入りを行い、決まった額の給料をもらうことができる身分、力士として一人前になったことを表します。

では幕下以下の力士に対してはどのような敬称をつけるのかというと、テレビでは「さん」をつけて呼ばれていたのを耳にしました。

幕内十両は「関」、幕下以下は「さん」をつける、それでいいかといえば必ずしもそうとは限りません。

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イタチよ、学べ

とある街の昼下がりに

初めて訪問したとある街で考えさせられるシーンをいくつか見たのでここに書き記したいと思う。

立ち飲みの会計で

商店街の一角にある立ち飲み屋、昼間から多くの客で賑わっている。間口に対して奥行きが長く、パッと見て50人くらい入れそうな店内が7割程度埋まっている。

客は、こういう場所ではスタンダードであるが、中年以上の男性客がほとんどで、所々にその連れ合いと思われる女性が混ざる。壁のテレビでは阪神戦が放送されている。

私は一人、もつ煮と刺身盛り合わせをあてにビールを飲みながら店内を観察していた。舟券を買うときはスポーツ新聞で予測しながら酒を飲むが、それ以外の時は立ち飲みに集う人々や店の人の動きを観察しながらグラスを傾けるのも心地よい。

ここはこれだけのキャパの店を3人の従業員でまわしている。各人に決められた持ち場があり、忙しい時はその境界線が解けてアドリブを効かせながら阿吽の呼吸で助け合う。見ていてとても気持ちいい。

そのような見事な連携が乱れる出来事があった。

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淡々と

朝食

イタリア人の中には朝食を取らない人も多数いるという。また食べるにしても、例えばクロワッサンとコーヒーという風に簡単に済ませるのが一般的だそうだ。

日本のように塩気のあるものを中心に食べる朝食はイタリア人の味覚には合わない。そしてそんな日伊の違いはエッセイやイタリア語の例文でよく取り上げられる。

私は朝早く朝食を食べるのが苦手な人間で、特に前日にお酒を飲んだ朝は日本的な朝食を食べるのが辛く、イタリア人のように甘いパンとコーヒーで過ごしたい。

しかしながら、3月9日の朝は私は日本式の朝食を食べた。前日が土曜であったため私は当然お酒を飲んだ。しかもこの土日は妻が家にいなかったため自分で食事を作らなくてはならなかったが、それでも私は日本式の朝食をとった。

ジャガイモとタマネギとアゲとわかめ、具材たっぷりの味噌汁を作り白飯とともに丁寧に食べた。内臓が疲れないように、食べる量は腹6分ぐらいに抑えた。

今日は絶対に腹痛を起こしてはならない日なのだ。それでいて脳には考えるためのエネルギーを送り続けなくてはならない。私は家を出る前にバナナを一本ゆっくりと食べた。

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5年かけて

忘れた頃に

昨年末の「レアな鹿児島旅行」の最中に、私の仲人さんから意外なことを聞かれた。

「Wさんの連絡先わかるかなあ。久しぶりに会いたくて」

「えっ、Wさんとお知り合いなんですか」

私はスマホの電話帳からWさんの番号を探し仲人さんに伝えた。私より年上の知り合いでさまざまなSNSを日常使いしている人は少ない。だから連絡はほとんど電話番号を経由してのやりとりになる。

しばらくすると仲人さんから連絡があった。

「Wさんと連絡がつきました。場所の設定をお願いします」

私は三宮にある魚料理の店を予約した。

2月中旬のある夜、私たちは初めて3人でお酒を飲んだ。私、私の仲人さん、Wさん、誰もが誰もを知っているが3人が一緒の場所で働いたことはなかった。

私は5年前にWさんと二人で居酒屋に行くはずであった。5年前、私はかつての上司であるWさんと久しぶりに偶然再開し、その3日後に日帰りツーリングに出かけた。

別れる前に「今度は前みたいに居酒屋で語ろう」と約束したのであるが、その後世の中は飲食店に行けない世界に変わってしまった。もう忘れかけているが、5年前、2020年の春は世界中で大混乱が起こっていたのだ。

人々はあらゆる店の利用に気を使わなくてはならなくなった。そして至近距離で酒を飲みながら話をすることなど国賊のようにみられる雰囲気であった。世界中が混乱する中、Wさんとの約束もすっかり忘れてしまっていた。

世の中が正常を取り戻した頃、私は久しぶりにWさんのことを思いだした。もう普通に居酒屋に行くことができる。しかし私は電話を手にするのをためらった。「5年生存率」という言葉が頭を駆け巡ったのだ。

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ずっと気になる(後編)

まだあります

前編では私のシラフで寝る前の癖について書きました。お酒の力を借りれない夜は楽しいことを想像しながら眠りにつくのです。そして、その楽しいことにここ2ヶ月間、実際のものと私の妄想が作り上げた鹿児島の市電を中心とした景色が現れ続けるという話でした。

日本各地に残っている路面電車の中で鹿児島のそれを特に魅力的にしているものは「センターポール」と「軌道緑化」、そしてそれらが背景のビルや山と一体になった景色だと書きました。しかし、ここの市電の魅力はそれだけではありません。

ここには最高にカッコイイと思える停留所があるのです。昨年度末に鹿児島を訪問したとき、そこを訪問したくてたまりませんでした。日本の路面電車の電停で一番好きな場所かもしれません。ここに対抗できるのは広島電鉄の「広島港」「西広島」ぐらいではないでしょうか。

私の気持ちをここまで上げてくれるのは「鹿児島駅前」電停です。

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ずっと気になる(前編)

目を閉じながら

私はお酒が好きな人間なので家で飲み始めると寝る15分ぐらい前まで飲んでしまいます。「酔っ払ってそろそろ眠くなったな歯磨きしようか」と洗面所に向かい、それが終われば水を一杯飲んでから布団に入ってすぐに眠りにつきます。

ですからお酒を飲んだ日、私は寝付けない苦しみを知りません。本来なら毎日でもお酒を飲みたいところですが、健康のため、学習時間を確保するため、自己嫌悪にならないためという理由で週に2〜4日の休肝日をもうけます。

お酒を飲まなかった日は、布団に入って眠りにつくまでに少し時間がかかります。そんな時は頭の中で楽しいことを考えると眠りやすくなります。そして私にとってその「楽しいこと」とは人文地理学的な景色、とりわけ鉄道を中心とした街の姿になります。

モータリゼーションの発達とそれに伴う商業施設の郊外化で、日本の中小都市の駅前はすっかり寂しくなってしまいました。寝る前の私の空想の中では、そのような現実から離れ、各種別の列車が次々と発着し人で賑わう駅や駅前の街の姿らまぶたの内側に現れます。そんな景色を見ているうちに私はシラフでも眠りにつくことができるのです。

これはあまり人には言いたくない私の密かな癖なんですが、その眠る前のまぶたステージにここ2ヶ月間かなりの頻度で現れ続けている街があります。それは現実の街なのですが、実際の景色と時を超えた景色と私の空想の中の景色とが混ざり合って出現します。

街の向こうには海が見えます。海の背景には噴煙を上げる火山が見えます。そして一番手前には街の景色に溶け込んで走る路面電車の姿があります。

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追い込みながら

残り4週間

私のイタリア語の目標はイタリア語検定2級を取ることです。各級のレベルを見ていた時「4年制大学のイタリア語専門課程卒業程度の学力を標準とする」という表記を見つけたからです。

もし私が2級を独学で取ることができたら、ただで外国語大学を卒業したのと同じになると思いました。私は外国語学部には行きませんでしたが、もう一度大学生になれるのなら次は外大に行きフィンランド語やトルコ語といったそれほどメジャーではない言葉を学んでみたいという気持ちがあります。

もう一度大学に行くのは現実的ではありませんが、そこを卒業するのと同等の学力が持てるというのは魅力的です。私は音声の響きがよく気に入っていたイタリア語の2級取得を目指すことにしました。もう四半世紀も前のことです。

この間に無数の中断と再開を繰り返しながらイタリア語を続けてきましたが、専門課程では4年で身に着くあろう技能を、私は独学でこれほど長い間やり続けてもまだ手に入れてません。

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再びあの場所へ

今度は私が

私にしては珍しく、電車に乗っている間何も聞かないし何も読まない。阪神尼崎から大阪難波線に乗り換えて、じっと窓の外を眺めている。

大物駅のすぐ横に新しい阪神の二軍用球場ができようとしている。観客席も多くかなりの規模であることがわかる。もうすぐここに多くの阪神ファンがやってきて野球を楽しむのだろう。私はこの場所で電車の窓から試合を眺めている未来の自分の姿を想像した。

電車は県境を越えて大阪府に入る。しばらくすると淀川を渡る。川幅一杯に水をたたえた上を美しいトラス橋を、床下から聞こえる心地よいジョイント音とともに電車は疾走する。川下を見ると真新しいコンクリート製の橋台が見える。あと数年の内、この橋も架け替えられることになっている。私は真新しい橋の上を電車に乗って通過する未来の自分の姿を想像した。

電車は古い街並みを抜けて西九条に到着する。初めてこの駅に立った時ここは終着駅だった。相対式2面2線の片方のホームを使い、列車が着いては折り返すだけの寂しい駅であった。線路の先、九条側の塞がれた壁を見ながら私は「ここから難波方面に列車が通る日を私は体験できるのだろうか」と思った。

長い中断期間を経て工事は再開され、西九条と難波は線路でつながり私はこうしてこの駅を経由して東に向かっている。

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令和七年一月場所

モンゴル出身

私が大相撲に興味を持ち始めたのは2018年ごろのことですが、それ以前にも新聞のスポーツ欄は時々見ていました。特に気になる力士がいたわけではなく、幕内の力士の名前と出身地をさらりと見る程度でした。

そこにはモンゴルの表示があまりに多く「日本の国技は大丈夫かいな」とよく思ったものです。正直言って私はモンゴル出身の力士にあまりいいイメージを持っていませんでした。原因は横綱朝青龍の現役時代の振る舞いでした。

相撲は見ていませんでしたが彼の素行の悪さはニュースを通じて耳にしていました。相撲はスポーツとは異なり「強ければよい、勝ちさえずればよい」というものではないことはわかっていました。ですから朝青龍がらみの出来事を通じて私の中にモンゴル力士に対するネガティブなイメージが出来上がっていました。

しかし、これは相撲に関して素人であった私がメディアを通じて得た知見であり、当時の私はメディアが大衆の欲望のどの部分にフォーカスしてニュースを作り上げていたかにまで考えを至らすことができませんでした。

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中断 再開 そして

1月下旬ですが

昨年6月から再開していた台湾語学習ですが今年に入り一度もテキストを開いていないことに気づきました。「あれそういえば」と思ってテキストを探そうとしてもどこにあるのかわからないのです。

寝室、和室、リビングとしばらくの間本棚を探しているとリビングの本棚隅の方で別の本に挟まっているのを発見しました。

開いて音読してみます。ところどころで詰まります。意味もかなりの部分を忘れています。

「ああ、また積み上げてきたものを崩してしまった」

語学の難しさを感じる瞬間です。言葉は一朝一夕には身につきません。そしてせっかく身につけた言葉を維持するのはそれを使い続けることしかありません。

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