順番に

帰省の車内で

前回家族4人で車に乗ったのはいつのことなのかすぐには思い出せない。私は普段から外出は電車が多く、車を使うのは郊外の店に買い物に行くときや実家に帰省する時に限られる。歳をとるにつれて市街地を運転するのがおっくうになるのだ。

子供達が大きくなるにつれて一緒に外出する回数も減り、毎年車で行っていた家族旅行も長男が高校に入学することにはなくなってしまった。子供が成長するということは、親に対する依存度を徐々に減らしていくということ。息子たちには彼らの世界があり、遊びも買い物も癒しも楽しみも金銭面を除いて親に依存することは無くなった。

年に数回旅行に行き、4人で四国八十八か所も巡ったミニバンはちょうど一年前に十七年の寿命を終えた。私にとって家族の思い出と結びついた車であった。代わりに買った中古の小型ハイブリット、これは妻と私の車になった。

そんな車に久しぶりに、この1年間で2回目だと思うが、家族4人で乗る機会がやってきた。法事のために帰省することになったのだ。

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想像力と感謝

旅の目的

7月の暑い広島の街を歩いています。広島港から横川行7系統の電車に乗り、私は人であふれかえっている本通りの電停で下車しました。

今回私が広島を訪問した目的は二つありました。一つ目は8月の新線開通で廃止になる猿猴橋町電停付近を探索することと、もう一つは大学時代の友人に会うことです。

一つ目の目的はあっけなく終わりました。猿猴橋の街並みは、私の記憶の中にあったものとは大幅に変わっていました。「これが中国地方の中心都市の駅前か」と思うほど雑然とした街並みは、昔の面影は少し残るものの近代的な街に付随する一区画になっていました。

広島駅とその駅前が大きく変わったことと、駅の東側にマツダスタジアムができ、大きな人の流れが生まれたことがこの街の雰囲気を変えたのだと思います。

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令和七年七月場所

今年の大相撲も折り返し点を過ぎました。年々暑くなる日本の夏ですが、力士たちは名古屋の地で懸命に相撲をとっています。

職業柄、7月の名古屋場所はテレビ観戦する時間が多く取れそうに思えるのですが、特に今年はこの期間にあれやこれやが重なってなかなか時間を取ることができませんでした。

リビングのレコーダーの中にはいつも通り大量の取り組みが残ったままです。おそらく、このまま見られることなく消去される運命にあります。「早く時間に余裕のある生活をしたい」大相撲の季節になるたびそう思います。

あまり見られなかった中でも、印象に残ったことを書き記します。

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虚しさを感じる贅沢

実家に帰ると

一月ぶりに実家に帰省することにした。田んぼの畦の草刈りのためである。車庫に車を停めて母屋へ行こうとすると見慣れない光景が目に入った。

長さ5〜6メートルはある鉄パイプが玄関前の地面から屋根に向かって垂直に立てかけられているのだ。その長いパイプの先には、直径10センチ高さ30センチほどの砲弾状の白い物質が付けられている。素材は発泡スチロールのようだ。

初めてのことなので何が起こったのかよくわからない。子供の頃、屋根に引っ掛かったボールを取るために長い竹の棒を使ったことを思い出した。今の私の実家にはボール遊びをする人間などいない。

家に入ると父親がいたので何が起こったのかを聞く。

「ああ、あれはなあ、スズメバチが出てなあ。ちょっと来てみろ」

父親は私を連れて家の外に出る。大屋根の庇の下、父親が指差す方をみると10匹ほどの虫が飛んでいるのが見える。一番奥の部分に視点が合うと、その虫はスズメバチでそこに拳大の巣を作っているのがわかった。

父親の説明によると1週間ほど前に大屋根の庇の下にキイロスズメバチの巣を発見し、彼は、私が最初に見た砲弾状の先端が取り付けられた棒で突いてそれを壊したという。

よく見ると1階の屋根の上、さらに私の足元にも茶色が層をなすスズメバチの巣の破片が見える。ところどころには砲弾の先端で押し潰されたであろうスズメバチの死骸もある。

「もうあんなに大きくなったか」

そう言うと父親は例の棒を手に持った。

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6本目

来るもの 去るもの

「ご注文の品が出来上がりました」

普段馴染みにしている洋服屋さんからラインのメッセージが入りました。都合のよい日を予約して、商品を取りに行きます。注文していたのは2本の黒色のズボンです。

2本とも同じ生地、同じサイズで、異なる所といえば後ろポケットのボタンホール周りの刺繍の色だけです。ズボンの形は少し裾を絞り気味のノータックのシングル仕上げ。中心の折り目はシロセットによるものです。

私がこの洋服店からズボンを買うのは6本目になります。全て黒色で同じ形をしています。違いと言えば、ボタンの色またはボタンホールの刺繍の色のみです。

私が黒いズボンを穿き始めた理由は、服に気を遣うことが嫌になったからでした。ワードローブを管理して、毎朝着る服のことを考えるのは結構脳のエネルギーを使います。それに生きがいを感じている人も多くいるのは事実ですが、私はもっと別なことにその力を使いたいと思うようになりました。

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「田」の字の線上で

オジーの名曲

暗闇など全くない昼間の田んぼで、私の中にオジーオズボーンの名曲「Shot in the dark」が流れる。不運な事故で亡くなったギタリストでオジーの親友ランディ・ローズ、彼に代わってジェイク・E・リーを起用して作成されたアルバム「罪と罰」の代表曲である。

なぜ場違いなこの曲が私の中に流れたのかというと、この「Shot in the dark」の邦題が、メタル界ではメタルらしくないと物議を醸す「暗闇にドッキリ」であり、その「ドッキリ」の部分を田んぼの畔で強く感じていたからである。

私が「ドッキリ」を感じたのは、田んぼの脇の小さな用水路に白い腹を上にして流れていくマムシの姿を目にしたからである。そのマムシは数秒前まで生きていた。殺したのは私である。

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何が起こってる

危険信号

学校の校舎、2階の廊下を歩きながら思いました。

「こんなに暑くて大丈夫なのだろうか」

ここは直射日光が当たる場所ではありません。南側に教室が並び北側に窓がある廊下です。そんな場所で、私は「ここにいてはダメだ」という体が発する危険信号を感じているのです。しかもこの時まだ6月でした。

隣の教室では生徒たちが授業を受けています。冷房のおかげで快適です。私もそのような環境で教壇に立ちます。そして時々生徒たちにこう言います。

「こんな涼しいところで勉強できるなんて幸せだよな」

「そんなに特別なことじゃないだろう」というような顔で私の話を聞いています。実際に現在高校生の彼ら彼女らにとっては、エアコンが効いた教室で授業をするのは、小学生の頃から当然のことでした。

私が初めて教壇に立った高校は教室にエアコンがついていませんでした。確かに6月の授業は暑かったです。それでも授業ができていました。生徒たちも教師も「あつい、あつい」と言っていましたが、50分間の授業が成立していたのです。

現在同じ状態で授業をすると、体調を崩す生徒と教師が続出すると思います。学校を休む生徒も増えるでしょう。現在、エアコンのない6月の教室で授業は成立しません。

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動物的感覚

酒飲み友達

私には週に1〜2度顔を出す立ち飲みがあります。10年には届かないまでも、常連になってかなりの年月が経っています。お酒はどこで飲もうと酒なのですが、立ち飲みに通うのはそこに集う人々に会うためであります。

私もこの店に通ううちに多くの常連さんと知り合いになりました。普段昼間過ごす時間のほとんどは学校で、社会人になってできた知り合いもほとんどが教師のため、こような立ち飲みの常連さんは外の世界を知るための貴重な存在です。

常連さんとの会話も人によって話題が変わります。料理が好きな人、日本酒の蔵巡りが好きな人、海外旅行が好きな人、北海道に頻繁に訪問する人、どんな人との話もその人の人生観が伝わり面白いです。

そのような常連さんの中で、私が一番仲良くさせていただいているのが、バイク好きの人々です。酒とバイク、乗るなら飲めませんし、飲んだら乗れません。

私たちは最初後者で、立ち飲みのカウンターでバイクについて語り合うだけでしたが、それだけでは物足りなく3年前にツーリングクラブを立ち上げました。

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生きる

タブレット

現在、朝5時50分。目が覚めてすぐにパソコンに向かっている。書き留めておかないとすぐに忘れてしまう、そう思ったからだ。

つい数分前まで夢を見ていた。渡辺勘治がタブレットをつついていた。画面に映っていたのは彼の資産運用の推移である。彼はポンポンと指で画面をタップする。そこには運用を始めてからの利益が表示される。彼はにっこりと笑う。

「もうすぐ胃癌で死ぬのに何してるんだ」

そんな彼を見て私は叫ぶ。

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細かなニュル感

苗床

稲は発芽から約4ヶ月で収穫できます。前年度とれた籾を水田に撒けばそのうち芽が出て成長するでしょうが、そういう原始的な稲作をする人はほぼいません。

籾は水田に直接撒かれるのではなく、苗床という60cm×30cmの長方形の箱の中に土を敷き、その上にびっしりと並べられます。撒かれた籾の上には栄養分の高い土が乗せられます。

苗床は平らな地面に並べられ、毎日丁寧に水を撒かれます。そのうち表面の黒土の間から鮮やかな緑の芽が見え始めます。目は日に日に成長し、高さ10cmほどの密集した苗の状態になります。

水と土の栄養をいっぱいに取り込み、これ以上この狭い箱の中では成長できないという状態になった時、密集した塊の苗は細かく分けられて水田に移されます。これが一般的にイメージされる田植えです。

私の実家ではかつてこの苗床を自分で作っていました。そこに撒く籾は前年の秋に収穫した稲のうち、翌年の種籾として脱穀することなく取り分けていたものです。

これは何を意味するのかというと、自分が丹精込めて育てた稲をもとにして次の年のお米を作ることができるということです。同じ血筋を受け継いだ者が家を代々ついでいくように、お米も同じ株から続いていきます。

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