貫通の先

神戸の真ん中

神戸市商業の中心地三宮、その三宮の中でも「へそ」と言える部分がある。東西を走る旧国道2号線と南北を走るフラワーロードが交わるその名も三宮交差点である。その周りは、商業施設やオッフィスの入る高層ビルに囲まれて一日中人通りが絶えることがない。

JR三ノ宮駅はこの交差点のすぐ北に位置している。兵庫県で最大の乗降客数を誇るこの駅には、二つの出入り口がある。中央改札と西改札で、その間は上記のフラワーロードによって分断されている。

ホーム以外で二つの間を行き来する方法は3通り。かなり遠回りして地下道を通るコース、少し遠回りしてフラワーロードを横切る信号を渡る道。一番近いのはホームの南側に鉄道と並行して架けられた高架橋を渡るルートである。

先日、この高架橋から戦災遺構が見えるという記事を新聞で読んだ。橋のすぐ北側、JRの下り列車線のガーター橋に機銃掃射でできた穴が空いているらしい。

私は神戸に30年近く住んでいる。三宮にも頻繁に来るし、この高架橋も何百回と渡っている。それでも私は、今までそこに何か恐ろしいものがあると感じたことがなかった。

記事を読んだ後、私は何度も三宮にやってきた。何回目かで「そういえば」と思い出して、その高架橋をゆっくりと歩いてみた。

簡単に

JR三ノ宮駅を挟む区間は戦前に高架化されている。柱の間隔の狭いコンクリート橋の中、ところどころ道路との交差部が鉄製のガーター橋が見られる。フラワーロードを渡る部分も、リベットでつなぎ合わされたそれになっている。

私は西口側から高架橋を東へ向かって歩いた。今は背の高い金網が手すりに取り付けられているが、それがなければ、身を乗り出して手を伸ばせば列車線のガーターに手が届きそうな距離だ。

ちょうど橋の真ん中あたりに戦災遺構はあった。3〜4か所に分かれて合計20ほどの穴が鉄板に空いていた。機銃掃射で弾が貫通した跡である。

私の予想に反して、穴は北から南へと弾丸が抜けていったような痕跡をしていた。81年前にここへ飛んできた戦闘機は、この駅の北側から何を狙って機銃を発射したのであろうか。

下り列車線に停止していた列車、ホーム上にいた人間、その先の三宮交差点。それとも、日本が制空権を失った空で何も考えずに機銃を撃ちまくっていたのかもしれない。

えぐり取られた穴の淵もきれいな青色で塗装されている。撃ち抜かれたばかりの生々しい姿は隠されているが、これは鉄の板である。遠い飛行機から撃たれた弾丸が、こんな簡単に鉄を撃ち抜くことができるのかと、その時の出来事を信じられない気持ちになる。

しかし、調べてみると機銃掃射で鉄に穴が空き石が砕けた話はいくらでも現れてくる。

想像してほしい

この兵器は何を目的として製造されたのだろうか。昭和20年の8月まで、アメリカ製の焼夷弾は日本各地の建物を焼き尽くした。神戸の街も何度も空襲を受けた。

焼夷弾は木造建築の多い日本の都市を効率よく焼き払うために開発された。その効果は抜群で、日本のほとんどの都市は終戦までには焼け野原と化した。

それでは飛行機に取り付けられた機関銃は、何を目的として開発され使用されたのだろうか。

戦時下では破壊すべき敵の施設は無数にある。焼夷弾では焼ききれなかったそれらを、機銃掃射で一つ一つ潰していったのかもしれない。

なにしろ戦争末期、日本は敵機がやってきても何をすることもできなかった。地上軍を投入するための地ならしとして、生産施設や輸送手段を潰していったのであろう。

しかし、機銃掃射によって人が狙われたのも事実であり、多くの人間が空からやってくる弾に撃ち抜かれて死んでいった。

あのガーター橋の鉄板を簡単に撃ち抜く弾丸が人に命中する時、どんな景色が現れるのだろうか。頭に当たれば頭がな無くなり、腕に当たれば腕が無くなる、そんな威力を私は想像する。

一日何万人も利用する駅のすぐ脇のガーター橋に、機銃による穴達が不自然さなく残っている。ここを通る人の99%は、ここで何があったのか考えずに通り過ぎる。

そんな忘れられた場所が無数にこの国にはある。

タイムマシンのメモリを81年戻せば、手足がもげ、頭がなくなり、体に穴が空いた人、その傍らでその死体を見つめる人たちが、あちらこちらにいる。

想像してほしい。核兵器や化学兵器だけが悪魔的な武器ではない。現代兵器水準からすると原始的な焼夷弾や機関銃でさえ、現代の日本人が見たこともない地獄のような光景を作り出す。

そして実際、わずか三〜四世代前のこの場所に、悪魔がいて地獄が出現していたのだ。

なくなるリアリティー

戦争関連の資料館が閉鎖され続けている。この夏、いくつかの新聞でその話題を目にした。戦争のリアリティーがどんどん薄くなっていく。

語る人がいなくなり、一次資料を目にする機会が減っていく。地獄の光景を見た人、未体験でもその話を直接聞いて震え上がった人がほとんどいなくなった。

今の日本では「戦争の悲惨さ」という言葉が空回りしている。私はそれを年々強く感じる。どうしてだろうか。

一つの仮説であるが、それは人々が「死」を遠ざけるようになったからではないか。

学校の書庫にある昭和時代発行の写真集。そこには、戦争によって傷つけられた体や遺体が数多く載っていた。私も小学生の時、図書館で同様の写真を見て震えた記憶がある。

あらゆるメディアで死を見せ、語ることがなくなった。体についた傷ですらぼかしをかけて見せない。学校現場でも「気分が悪くなる生徒がいるから」という理由で、子供達から死を遠ざける。

戦争による死だけではない。かつて当たり前のようにあった、人が老い、病んで、息を引き取る姿を見る機会も減った。

死にゆく人たちが残されたものに見せてくれた最高の教育が奪われる一方で、ゲームの中では次々と人を殺して歓喜の声を上げる。連帯と達成感を味わう。

銃弾を打ち込んだ体は、画面上で呻き声をあげたり、血を流しながらのたうちまわらない。いつの間にかきれいに消えている。

あの三ノ宮駅の穴の先には人がいる。体を撃ち抜かれて、辺りに血を撒き散らしながら、呻き声をあげ、徐々に動かなくなっていく人がいる。

この世に生を受け、皆に祝福され、周りの世界を広げながら成長し、さてこれから何をしようか、どんな人生を歩もうか、そう考えた瞬間に、あの鉄板の向こうからの銃弾によってその生を終える。そんなこともある。

あの歩道橋を渡るのは、平和な世で生を謳歌する私と、これから体を撃ち抜かれ無念の中で死にゆく私、その二人を同時に存在させる想像力を一人でも多くの人に持ってほしい。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。