疲れてしまった
人間に割り当てられている時間は誰にとっても等しく、時計の針が同じだけ回れば同じ時間が過ぎていく。その間、人は”何か”を行っている。暇でしょうがないという人であっても、家でボーッと座っていたり、街をぶらぶら歩いていたり、息をしながら何らかのことを行っていて、本当に何もしないということはできない。
私たちの一生は生まれ落ちた日からあの世に旅立つ日まで「何をして過ごしたか」の積み重ねに過ぎない。人以外の動物のほとんどは、その間ひたすら餌を食べ、再生産活動に専念する。
動物にとって生きる意味とは、個体として「生き続けること」そして種としても「生き続けること」この二つに集約されると思う。私はそのことを「仁義なき戦い広島死闘編」で千葉真一が演じる大友勝利というヤクザのセリフから学んだ。
人間はその進化の過程で「生存」と「再生産」を他の動物と比べて容易なものにした。もちろん貧困にあえぐ地域の人々にとっては、現在もこの二つは生活のほとんどを占める。しかし、一度この二つが満たされれば、人間はマズローの欲求段階でいう上位の部分を考え始める。
人間は「うめなければならない時間」を持ってしまった動物である。それは何のためなのか。承認されるため?自己実現のため?よくわからないが、その時間の過ごし方は幸せの感じ方と大きく関係していると思う。
その自由な時間の過ごし方に悩まされている男がいる。肩の力を抜いて、もっと自分の心と体の声を聞きながら時間の過ごし方の選択をする、それがなかなかできない。外ならぬ私のことである。
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