人と人以外

淡々と

大相撲宮城野部屋の関取、北青鵬が引退勧告を受けた。同じ部屋の後輩力士に対する度重なる暴力行為が発覚し、その責任を取らされた。

「暴力」とは曖昧な言葉で時代や場所によってその意味が大きく異なるため、私はここで暴力に対する価値付けをできるだけ避けながら淡々と文章を書き進む。

ただ、言葉の性質上100パーセント無垢なテキストを書くことはできない。ロラン・バルトが言うようにテキストは最終的には読者の内に収斂していくからだ。だから「あなたの偏見に満ちた主張は読むに堪えない」と言われても私は反論することができない。申し訳ありませんと素直にいいたい。それでは書き始める。

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欠乏感

ある休日

最近過ごしたある休日について時系列に記してみます。

7時30分:
寝室からリビングダイニングへと移動し、やかんにお湯を沸かしアイロンをあてる準備を行う。湯が沸いたら緑茶を入れ、それをすすりながら私と息子のシャツにアイロンがけ。約30分で合計4枚のシャツにアイロンをあてる。作業をしながら録画しておいたHNK Worldの英語番組を見る。

8時過ぎ:
妻が起きてコーヒーをいれてくれる。その間私は新聞を取りに行く。新聞を読みながらドーナツと共に簡単な朝食を取る。

8時30分~10時:
イタリア語の学習を始める。NHK出版の「書ける・話せる実用文例800」から16ページ、約60の例文を日本語からイタリア語に直していく。800の例文はほぼ覚えたが、これは私にとってウォーミングアップのようなもの。たいていこの本からイタリア語学習を始める。

続いて昨年末に発売されたベレ出版の「本気で学ぶイタリア語文法問題集」を始める。600ページ超の分厚い問題集だ。難易度はそれほど高くないが、基本の復習と綴りの練習を兼ねて最初から解いている。

語学をしているとあっという間に時間が経過する。

10時30分:
洗濯ができたのでベランダに干す。もちろんそのような単純作業を何もせずに行うようなことはしない。ポッドキャストでイタリア語を聞きながら行う。終わればそのまま風呂掃除。

11時ごろ:
本を何冊か並べてつまみ読みをする。エッセイと新書とマンガ、頭に負担のかからない軽いものをパラパラとめくる。私はいつも5~6冊の本を並行して読む癖がある。本を読んでいると一瞬で時間が過ぎていく。

1時前:
妻も子供も出かけていないので、昨日の残り物で簡単に昼食を済ます。食べ終わるとすぐにサウナに入るために家を出る。天気がいいので運動を兼ねて歩いて行くことにする。1時間ほど少し早足で歩く。歩きながらポッドキャストでイタリア語を聞く。

2時~4時:
サウナ、水風呂、外気浴を4セット行う。その後休憩室でマンガを30分ほど読む。

5時:
家に帰り語学学習を再開する。この日はイタリア語学習が多かったので、バランスと取るために英語を行う。杉田敏の「現代ビジネス英語」を聞き、音読する。

7時前:
友達と遊びに行っていた妻から「鍋の用意をしてほしい」と連絡がある。出汁は妻が作っていたので、肉と野菜と魚を切って火を通す。牡蠣を洗って鍋に入れる。大根をすり、薬味のネギを切る。

8時ごろ:
家族で夕食。私は酒を飲みながらダラダラと食べる。普段、相撲以外のテレビを見ない私であるが、酒を飲んだときは別。酔ってしまうと何もできなくなるので、ここぞとばかり録画していた番組を見る。この日は「六角精児の飲み鉄本線日本旅」を見る。

11時ごろ:
妻に起こされる。テレビを見ながら寝ていたようだ。歯を磨いて寝室に移動して再び眠る。

朝起きて

このように記してみると、一日の内に私はいろいろなことをしているとわかります。家事、語学学習、読書、運動、サウナ、酒、テレビと盛りだくさんです。

しかし、次の朝、目を覚ますと私は欠乏感に襲われました。仕事に行く前、私の頭に浮かんでくるのは「前日にできなかったこと」なのです。一日のうちにできたことは忘れてしまい「そういえば~をしなかった」という形でしなかったことについて考えてしまうのです。

具体例を挙げると以下のようになります。

  • 今年に入ってからまだ家で一度も明石焼きを焼いていない。多いときは毎週のように焼いていたのに、これでは焼くのが上手にならないし焼き鍋にとってもよくない。
  • バイクの走行距離が伸びていない。今年に入ってまだ一度しか給油していない。昨日はよい天気だったのに、ウォーキングを優先してしまったのでバイクに乗れなかった。
  • 地理の勉強ができていない。次男と一緒に高校地理の勉強をすると決めてテキストを買ったのに、ほとんど読めていない。次男はどんどん先を行っていて最近は、高校・大学と地理を学んだ私が答えに窮する質問をしてくるようになった。

このほかにも「確定申告の医療費控除の計算ができなかった」「包丁を研ぐことができなかった」「車の錆びた部分の塗装ができなかった」というふうに、「できたこと」よりも「できなかったこと」の方が多く浮かび上がり、私は欠乏感に悩まされるのです。

時々「自分の体が二つあればよいのにな」と思うのですが、たとえそうなったとしても私の欠乏感は解消されないと思います。体が二つあったとしても、人間の欲と想像力はきりが無いためそれ以上にするべきことが浮かび上がってくるからです。

私はこの次々に浮かび上がる欠乏感の癒し方を見つけない限りは、最高に幸せな人生を送ることができないと思うのです。なぜかというと、きりの無いものに対して私が持っている時間は有限であるからです。

「幸福を追求すること。これこそが不幸になる主な原因である。」

港湾労働者の哲学者、エリック・ホッファーの言葉です。

今の私は「これができたらよい」というリストを多く持ちすぎているのかもしれません。確かに「やりたいこと」ができたときは幸せを感じるのですが、それを持ちすぎることは同時に「できなかったこと」という不足感も作り出してしまいます。

そうなると私は何を考えてどのように行動するべきなのでしょうか。キーワードは「今」だと思います。「今一番やりたいこと」「今できること」にフォーカスして、それができればよしとするのです。私の体は一つで今一番も一つのため、それを続けていけば最善の結果を出し続けることになるでしょう。

今一番に集中すること、言うのは易しです。それを行うためには自分の心の声を正確に聴く必要があります。私に「やりたいこと」が多いのは、ある意味「今一番」に向き合うことを避けるために心の作用なのかもしれません。「今一番」は曖昧でもそれとベクトルが似ていることを行なえばそれなりに満足できるからです。

自分の心の声を正確に聴きそれを行動に移すには何を行なえばよいのでしょうか。今すぐ言えと言われても私には分かりません。しかし、私はこの問いを持ちながら考え続けることにします。

見えない世界

生駒山の麓

ここ数日、家事をしながら涙ぐむ妻の姿を度々目にした。私が意地悪をしたわけではない。運命のいたずらを彼女は感じていたのだ。

大阪の中心部から東へ進み生駒山へぶつかる麓に石切という街がある。そこには関西の人から「石切さん」と呼ばれ敬われている石切劒箭(つるぎや)神社があり、関西一円から多くの参拝客を集めている。

この神社は「でんぼの神様」と呼ばれている。「でんぼ」とは大阪の言葉ではれもののことである。はれものにもいろいろあるが、最も厄介なはれものとは腫瘍であろう。平均寿命が延びて、現在では二人に一人の割合で一生の内どこかで癌にかかる時代になった。

しかし、癌は成長するまでに長い年月がかかる病気だという。だから二人に一人とはいっても老人になってから患うケースが多い。しかし、時には私たちのような働き盛りの年代に襲い掛かることもある。

先日、私たち二人は電車に乗って石切さんを目指した。妻の友人に祈りをささげるためである。いつもなら二人で会話が弾む電車での道中もお互いに口数が少ない。

昼前に近鉄奈良線の石切駅に到着し参道を神社に向かって歩く。大阪平野から少し標高を上げ生駒トンネルの入り口にある駅だ。眼下に大阪のビル群が一望できる。この視界の中に500万人以上の人が暮らしている。その誰もが誰かから生を受けて、今この瞬間、息をしている。

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初めての人

窓掃除

高校を卒業して30年以上経つが毎年のようにクラス会をしている。クラス会といっても在籍していた生徒全員に連絡を取っておこなうようなものではなく、特に仲良かった十数人がどこからともなく「今年も集まるか」というようなノリで居酒屋に集まる会である。

この会はたいてい皆が地元に帰省することが多い年末に行われる。毎年楽しみにしていた会ではあるが、2019年を最後に開催されていなかった。コロナによる自主規制である。この4年間、年末が来る度にラインでは「来年はできるかな」というメッセージが行き交っていたが、ようやく2023年末になって開催することになった。

そんなわけで私はクラス会に合わせて一人で実家に帰省した。妻と子供らは年が明けてから合流することになっている。私の実家には父と母が二人で暮らしている。かつては最大7人が暮らしていた家に今は二人だけだ。両親は会うたびに歳をとっていくのがわかる。テキパキと何でも自分でしていた人たちであったが、今ではできないことも増えた。

私は同窓会に出かけるまでの間、年末の掃除を行った。頼まれたわけではない。今の父と母では手間が回らないであろう場所をきれいにしたかったのだ。私も幼少期から18歳まで過ごした思い出のある家だ。汚れていくのは忍びない。

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令和六年一月場所

呼び出しデイ 

NHK大相撲中継10日目の番組表を見て、妻が狂喜しました。「呼び出しデー」と書かれていたからです。その日の午後3時から6時の総合放送では呼び出しが出るたびに解説者による紹介が行われました。また普段はあまり目にすることもない、土俵作りなどの呼び出しの裏方としても仕事も映し出されました。

妻は呼び出しと行司を中心に大相撲中継を見ており、中でも序二段呼び出しの天琉氏を贔屓にしています。最初は「嵐」の大野君に似ているという理由から見始めましたが、今ではそんなことも関係なく彼のファンになり一挙手一投足に注目しながらテレビを見ています。

ただ、まだまだ若い天琉氏が呼び出しをする姿はテレビで見ることができません。あと2~3年すればBSで放送している時間帯にでるかもしれません。幕内となると20~30年の世界です。

力士と同様に呼び出しにもきっちりとした序列があり、勝ち負けが無いため上に上がっていくためには努力に加えて継続がものを言う世界になります。華やかな土俵の裏で、ここでも伝統を厳格に守りながら勝負を支え続ける人たちがいる、このことも大相撲の魅力の一つであると思います。

妻は天琉氏が幕内呼び出しになるまで相撲を見つづけると言っています。まるで自分の子どもを見るかのような感覚です。私も土俵脇に映る若き呼び出したちが、中入り後に四股名を呼ぶ姿を楽しみにしています。

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草津の百貨店

18切符

月日の経つのは速いもので、私と二人で旅行していた次男は今では何事もなかったかのように一人旅にでるようになった。この1年間を見ても広島、北海道、北陸と学校が長期休暇に入るたびに一人でどこかへ出かけ少したくましくなって帰ってくる。

次男はまだ高校生で、私が多少の援助はしてあげるができるだけ旅の費用を抑えたい。そんなわけで彼は青春18きっぷをよく利用して旅をする。今年の冬も高松にうどんを食べに行きたいということで、私は彼に18切符をプレゼントした。3日分残して帰宅し、残りは使う予定がないという。

これが夏休みなら金券ショップに持ち込み多少私の小遣いを取り戻せるのであるが、冬は有効期間が短く売れそうにない。そのままではもったいないので私たち夫婦は日帰りでどこかへ出かけることにした。

本音を言うと私は日帰りで丸亀辺りにうどんを食べに行きたかったが、これからのことを考えて「あなたの好きな場所に行こう」と訊ねると妻は「伏見稲荷に行きたい」と答えた。

伏見稲荷に行き酒蔵を見学して昼飲みするのも魅力的であったが、私はどうしても京都に行く気にはならなかった。もちろん京都には魅力的な場所が豊富なのだが、コロナ禍から観光が回復している今、人が多すぎて疲れるのだ。普段ならそれもアリだがこの日は仕事始めの前日、正月休みの最後であった。静かな場所でゆっくりと過ごしたかった。

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レアな経験 ファイナル?(後編)

140年前の謎

今回の旅で丸亀城を訪問するにあたって二日目の日程をどうするのか少し悩んだ。仲人さんからは「水軍の遺跡なんか面白いかも」と言う提案を受けていて、私も行ってみたい思った。

瀬戸内海は世界でも珍しいぐらいの風光明媚な多島海であり、西国や日本海側の街と京・大坂とを結ぶ重要な交通路であった。室町から安土桃山時代にかけて、ここには村上水軍がいてその痕跡が残り日本遺産にも認定されている。しかしその中心地は愛媛県の今治方面であり、今回1泊2日の旅行では少し遠すぎる。

どうしようかとある本をパラパラとめくっていると興味ある記述に出会った。その本は歴史アナリストの外川淳氏の書いた「城下町・門前町・宿場町がわかる本」で、そこに明治初期と現在の日本の都市人口のランキングが載っていたのだ。

リストには明治10年時点での人口の多い都市が、2015年にはどう変化したのかが表にまとめてあった。1位東京、2位大阪、3位京都と現在でも大きな都市が並ぶ中で「10位徳島」の記述を発見した。人口は5万7千で当時の福岡や新潟より多い。

そんな当時の”大都市”である徳島の2015年のランキングは87位である。「これは面白い」と思った。明治の初め徳島は仙台(6万1千)や和歌山(5万4千)と肩を並べる都市だったのだ。しかも禄高を見てみると、徳島:25万石、仙台:62万石、和歌山:55万石と人口に比べ徳島の石高は明らかに低い。

「徳島って面白そうですよ。謎を解きに行きましょう」私は仲人さんに提案し快諾を受けて二日目の日程を決めたのである。

朝、ホテルのサウナに入り汗をかいた後朝食をとる。過去3回の私たちの食べでもホテルを選んだのは私である。サウナーになって以来ホテルを選ぶ優先順位が変わってしまった。朝からしっかしと汗をかいて幸せな気持ちになる。

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レアな経験 ファイナル?(前編)

今まで道のり簡単に

「城下町ツアー」の構想が初めて出たのは2年前の12月であった。私はその月全国通訳案内士の2次試験を受け、直後に私の仲人さんと飲む機会があった。私の仲人さんは日本史が好きで、その中でもとりわけ城下町に興味を持たれている方である。試験の英語による口頭試問のテーマに私が「日本の城下町」を選んだことを話すうち、私たちは二人で日本の城下町を旅することになった。

仲人になっていただいて約20年、今までお互いの家で食事をしたり定期的に飲みに連れて行っていただいたりはしていたが、泊を伴う旅など行ったことがなかった。私の時代であっても仲人を立てるカップルは半分以下であり、個人同士の結びつきが大切とされる現在ではこの傾向はますます進んでいるであろう。

ただでさえ少なくなっている仲人と婿との関係の中、一緒に旅をすることなど本当にレアな経験となるであろう。そんな経験を私たちはこの2年の間に三度行った。2022年の夏に松阪と伊賀上野へ行き、秋には福井の一の谷遺跡と丸岡城を中心に回った。次の年の夏は備中松山城と福山を巡った。

丸岡、備中松山という流れは私と仲人さんのどちらも訪問したことがない城に行くことが目的であった。日本には江戸時代から残っている城が12ある。前回の旅を終えて、その現存12城の天守閣の内、仲人さんが入ったことがないのは丸亀城だけになった。だから、前回の帰り道、次回をするなら丸亀にという話になり、半年の後それが実現することになった。

12月のある日、私はいつものように愛車のミニバン「日本文化ワビサビ号」で仲人さんの家へと向かった。余談であるが、ドアの小さなサビを放置するうちにこぶし大の大きさまで成長した「ワビサビ号」であるが、ガソリンスタンドの方のアドバイスに従ってサビを削り、修復用の塗料が塗られたため今は見た目の情緒が失われている。

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それでも今日・明日を

義父の家で

2024年元旦の午後、私は一人で今年のサウナ初めを行いそのまま義父の家へと車で向かった。新年の挨拶をするためだ。義父は今一人で暮らしている。

挨拶を済ませてお茶を飲みながらダラダラと話をする。妻や子供たちは神戸にいて明日ここにやてくることになっている。私は義父との関係がよく、こうやって二人だけで話をすることが多々あるのだ。

正面のテレビは、日本対タイのサッカー中継を行なっている。日本が5対1で勝利しインタビューが始まった。適当にテレビを見ながら話をしていると、突然警報音が鳴った。あの半音高くなる不安定で落ち着かない音だ。

能登半島に地震が来るという。この警報は地震のP派をとらえて発せられる。「P波とS波」何も考えずに記憶していたが、ひょっとしてと思ってネットを調べた。やはりPrimaryとSecondaryだった。

「一つ賢くなった」と思った頃、画面に震度が表示された。津波の心配はないという。そのうちサッカーのインタビューに戻るかと思ったが、再びあの音が鳴った。テレビの画面は珠洲市役所のカメラへと切り替わった。カメラの向こうで土煙が上がったように見えた。

「まさかそんな大きな地震が来るなんて」と思った時、アナウンサーの声のトーンが変わった。「津波がきます」「逃げてください」と普段のニュースではありえないような切迫した声で連呼していた。

テレビからはあの警報音が数分おきに続いていた。こんなに短時間の間に続けて大きな地震が来るものかと思った。テレビの絶叫は続いている。私と義父は黙ってテレビを見続けた。

30分、1時間と時間が過ぎていく。中継の画面が薄暗くなっていく。街の様子がよくわからない。画面の向こうで何か信じられないようなことが起こっていそうで恐怖を感じた。

新しい年を迎えてまだ16時間しか経っていなかった。

人間の宿命

翌日、明るくなると被害の様子が明らかになってきた。輪島の市街は大きく焼かれていた。ビルが倒壊し、多数の家屋が押し潰されていた。画面から見えるそれらの下には、まだ多くの人が埋まっているという。

私は考えた。一年が始まるこの日、多くの人が家族と共に神社に行き神様に祈りを捧げたであろう。今年も健康で健やかに過ごせますようにと。久しぶりに再会する家族や親戚や友人と楽しい時を過ごしていたであろう。

そんな幸せな1日が一瞬のうちに地獄へと変わってしまう。「幸せだ」と思った次の瞬間に命を失ってしまう。一体これらの人々は何をしたというのだ。

私は30数年前に高校の英語授業で読んだイソップ物語の狼と子羊の物語を思い出す。

小川で水を飲む子羊に狼が「俺の飲む水を汚した」と言いがかりをつける。

子羊が自分は下流にいるのでそうすることはできないと弁明すると、今度は「お前は1年前俺の悪口を言った」と因縁をつける。

子羊は再び自分は半年前に生まれたばかりだと説明をするが、腹の減った狼は子羊を食べてしまう。

おそらく現在では受け入れられないタイプのストーリである。誰もが最後は子羊が狼を打ち負かしてハッピーエンドになることを望むであろう。

しかしイソップ物語ではそうはならなかった。あの時、男性教師が音読した”gobbled it up”という不気味な音がいまだに私の耳に残っている。gobbleは「ガツガツ食べる」という意味でitが指すものはもちろん子羊である。

私はこの寓話を時々思い出すことにしている。数千年にわたって語り継がれてきた話には、人間の本質をつく何かがあると考えるからだ。そして、その何かとは人間は不条理な世界に生きなくてはならないという宿命である。

誰にもわからない

私たちは不条理な世界に生きている。そのことは普段あまり意識することはない。善い行いをしている人は人に好かれがちであり、結局はよい人生を送ることができそうである。また反対に悪いことばかりしていると、人が遠ざかり幸福も逃げてしまう。生きている実感として、たいていの場合はその因果関係は当てはまる。

しかしながら、時に私たちは自分たちの持つ”よい・悪い”の基準が全く当てにならないと思うほどの出来事に出会うことがある。自分たちの想像できる因果関係では説明できないほどのできごとである。

言葉は論理であるから、私たちは身の回りに起こることを言葉を用いて説明しようとする。普段はそれでも事足りるが、それを超えた何か支配者の存在、向こうは私たちのことが丸見えであるがこちらから見ると暗闇のようなものが現れた時、私たちは沈黙するしか手段がない。

わかっているようで何もわかっていない、見えているようで何も見えない、そんな世界に私たちは住んでいる。

これを書いている瞬間にも世界中で不条理な苦しみや死を迎えている人々が多数いる。それは誰であっても、もちろん私自身にも降りかかる可能性がある。

私がどんなに神や仏に祈りを捧げ、この世界で”善行”と呼ばれる経験を積んだところで、いつ私や私の周りに不条理な苦しみが押し寄せるのかはわからない。

「どうしてこんなことが」と思うようなことがあったとしても、私たちは今日、そして明日を生きていかなくてはならない。私たちが投げ込まれている世界は、常に私たちに先行しているのだ。このことを私たちは時々思い出し、受け入れて生きなければならない。悲しくて辛いことであるが、そんな世界に私たちは生を受けてしまったのだ。

2023年最後

私の課題

この投稿が2023年の最後になりそうです。今私が思っていることは、誰もが口にすることとまったく変わりません。私も先人たちと同じ道を歩み、同じことを感じているようです。

とにかく時間が経つのが速すぎます。

「いつになったら21世紀になるのだろう」物心ついたころからそう思い続けてきました。どのように21世紀を迎えることになるのか、うまく想像することができませんでした。

今、21世紀を迎えてから22年が経過しようとしています。私はその間に結婚し、子どもが大学生と高校生になりました。祖母たちが鬼籍に入り叔父も亡くしました。四度引っ越しをしました。イギリスと台湾に三度行き、イタリアとアメリカに一度訪問しました。サウナや大相撲が好きになりました。立ち飲みの仲間ができました。実家の田畑を手伝うようになりました。

これらの全てが21世紀に入ってから起こりました。それらを振り返ると、何だか本当に起こったことなのか夢を見ているのかわからないような気分になります。

本当に時間が経つのは速いものです。恐怖すら感じます。このままいけば私の一生など一瞬で終わってしまいそうです。

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