汗かいて汗

2泊3日

高校教師をしていて「自由でいいな」と感じる時がある。それは学校が夏休みの間比較的自由に休みを取りやすいことである。とはいってもそのことが全ての高校教師にあてはまるとは限らない。むしろ、例外的な一部の教師だけのような気がする。そして私は今、その例外的な状況にある。

かく言う私も夏休みを比較的自由にアレンジできるようになったのは最近のことである。仕事を始めて20年近くは運動部の顧問を持っていた。しかも未経験種目の運動部である。前任者が熱心に取り組んでいたため、私もその勢いを引き継いで部活運営を行なった。練習試合や合宿で夏休みはほとんどなかった。

部活以外にも、英語を教えているため学校によっては補習と勉強合宿で夏が終わってしまう。大学受験を行う高校生の科目別学習時間を考えると、英語はダントツで1番長く勉強される科目であろう。だから夏休みも英語教師は大人気である。というか自分たちで補習を設定し忙しくしている。進学校にはそうせざるおえない雰囲気がある。

いろいろと忙しい夏を経験してきたが、幸いなことに今は夏の時間を自分でコントロールしやすい立場にある。だから私は自分のため、自分の親のために時間を使うことにした。

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ビワイチ

18切符

「民営化は仕方がないとしても分割は勘弁してほしかった」実施から35年以上過ぎても私は国鉄改革に対してそう思い続けています。鉄道の魅力は全国を網羅したネットワークにあるからです。

確かに現在でも国鉄時代の路線は日本全国に広がっています。しかし会社が分割された結果、それぞれのJRが自分のことを中心に考えるため会社をまたいでの輸送が弱くなっています。

私が年をとることを楽しみにしていた理由の一つに「フルムーンパス」の存在がありました。夫婦合わせて88歳を超えればJR全線でグリーン車に格安で乗ることができます。しかし、いざ資格ができたと思えばフルムーン自体がなくなってしまいました。代わりにJR西日本では「おとなび」という制度ができましたが、利用会社が限定されるためその魅力はフルムーンに遥かに劣ります。

このようにお得な乗車券のほとんどが各会社内で完結する昨今ですが、青春18切符は今年の夏も販売されることになりました。これも毎年その販売の有無が心配され続けている切符で、正直に言ってJRも積極的に売る気がないと思います。

それでも全国を網羅してくれる切符をこの夏も売り出してくれたことに感謝しつつ、先日妻と二人で日帰り旅行を楽しんできました。

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令和六年七月場所

六月の終わりを迎えると「今年ももう半分終わったのか」という気分になります。いつもの「時が流れゆく早さ」にブルーになる瞬間ですが、すぐに名古屋場所がやってくるので気も紛れます。

ただ、そんな名古屋場所が終われば「まだ一年の半分少ししか経過していないのに、相撲の場所は3分の2が終了してしまった」と鬱な気分になるのです。一年という枠組みを外して考えれば、相撲の場所は2か月ごとにきっちりと開催されるので一喜一憂する必要はないのですが、これは根がネガティブな私のどうしようもない性なのでしょう。

今場所も色々と思ったことを書き留めていきます。

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昔と今

三人で名古屋へ

「一緒に名古屋で美味しいものでも食べようか」

大学生の長男をさそってみたが「大学が忙しいから」と断られてしまった。昨年の11月、家族四人で福岡へ行った。私と妻は大相撲を観戦して、息子たちはそれぞれ思い思いに過ごした後、四人で居酒屋に行ってホテルに泊まった。

成長した息子たちには親と一緒ではなく、自分たち一人で訪問したい場所がある。それでも夜は付き合ってくれた。家族旅行と呼べるかどうかの微妙な旅であった。今回私と妻が名古屋場所を観戦するにあたって福岡の再来を期待したのだが、長男にはあっけなく振られてしまった。次男はなんとかついてきてくれたが「相撲を一緒に見ようか」の誘いはあっさりと却下された。

結局私たち夫婦は一緒に行動し、次男は移動の列車と夜だけ私たちと過ごすことになった。名古屋訪問を終えて「昔と今」についていろいろと頭に浮かんできたので、それらを思いつくまま記してみたい。

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再開してしまった

三種の

私は沼にハマってしまった人間です。沼の名前は「語学の沼」と言います。語学を学ぶことは一筋縄ではいきません。意識して絶え間ない努力を続ける必要があります。

友人のフィリピン人が言っていました。

「フィリピンでは小学校低学年から英語を学ぶ。英語ができないと何かを学ぶことができないし仕事もない。つまりいい暮らしができない」

彼の国で英語ができるということは「国際社会の中でどうのこうの」というレベルではなく、それなしではまともに学ぶことも生活することもできないことを意味するのです。だからほとんどの人は好き嫌いに関わらず英語を話します。

私の住む国日本では英語ができなくても困ることはあまりありません。どんな学問も母国語である日本語でアクセスすることができますし、映画や文学などの文化も日本語だけでかなりの市場が成り立っています。仕事で日本語以外の言葉を使う必要もほとんどありません。

それであるからこそ、外国語を学ぶためには「意識して絶え間ない努力」が必要になってくるのです。使う機会や必要がないことを、意識を集中して時間をかけ継続し続けなくてはならないのです。これは結構大変なことだと思います。

そんな語学の沼に私はハマりました。私がハマった沼は普通の沼とは異なります。三種類の異なる泥から成り立っています。英語とイタリア語と台湾語という名の泥です。

英語はまだいい方です。他の二つの言語に比べると使う機会も多いし、教材も豊富にあります。イタリア語は街場ではほとんど使うことがありません。台湾語に至ってはその存在を知っている人が私の周りにはほとんどいません。私の学ぼうとしていた台湾語は国語である台湾華語とは異なり、台湾南部の正書法がまだ確立されていないローカルな話し言葉です。

これらの言葉を一度始めたら最後、自分の力が落ちるのが怖くて途中でやめることができません。と言いつつ私は今までイタリア語の学習を何十回もやめては再開してきました。仕事が忙しすぎる時です。台湾語に至っては「勉強している」というレベルではないかもしれません。少しテキストを音読しては、しばらく放置してを繰り返してきました。

語学をやっていて楽しいのか苦しいのか、それがわからないまま時間だけが経過していきました。

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世代を超えて

次男の部屋で

私は自分の息子たちに「勉強しろ」と言うことがない。彼らの成績が気にならないかと言えばウソになるが、通知表や模試の結果を見て励ましたり怒ったりすることはない。私がどうこうしても仕方のないことであるから、私はただ淡々と息子たちを影で見守っている。

「勉強しろ」とは言わないが「勉強を教えて」といわれればできる限り応えてあげるようにしている。専門の英語に加えて地理と現代文ぐらいなら何とか教えることができる。

現在大学生である長男はほとんど私のところに来なかった。高校三年生のとき、志望大学の過去問を持ってきたのでそれを解いて解説してあげた。わずか2~3回そんなことがあった。

次男は中学校でほとんど勉強しなかった。その反動か高校に入りすごい勢いで学習している。彼も基本的には一人で机に向かうが、わからない場所があれば私に聞いてくる。その頻度は長男のときよりはるかに多く、1~2週間に一回程度彼の部屋で英語を教えている。

一通り教え終わると彼とたわいもない話をする。旅行や音楽の話が多い。この前はイギリスのロックバンド「オアシス」の話をしていた。彼はこのバンドのセカンドアルバムの曲、”Don’t look back me in anger”が大好きでギターを弾きながらよく歌う。

オアシス話で盛り上がっていると大学生の長男が帰ってきた。彼は大阪で一人暮らしをしているのだが、神戸でもバンドをやっており頻繫に帰ってくるのだ。

長男は「ただいま」の声もなく玄関のドアを入るといきなり大声で歌い始めた。

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受け継いだもの

里山の地表

地表について考えてみる。自分が鳥になったつもりで、上空数百メートルから見た土地の姿だ。日本の地表は、主に都会と里山とそれ以外との3つに分けることができる。環太平洋造山帯に沿って連なる国日本、この国の面積の七割は山岳地帯である。

日本の山はほとんどが木で覆われている。原生林が残っている場所は稀であるが、人によって木が植えられた山も今ではそれほど人が入っていかない。その地表では植物相のバトルロイヤルが繰り広げ、気候などの条件により均衡状態がふれ動く。

人が住むことができる三割の地表の中で、都市部の地表はほとんど建物とアスファルトとコンクリートによって塗り固められている。それでも放置すれば、この国の気候要件では50年と待たずに植物に覆い尽くされてしまうが、都市に人が住む限りそういうことはさせない。都市部の地表は管理され続ける。

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5年経過

2019年6月

モヤモヤblogに初めて記事を投稿したのは2019年の6月でした。当時の私はあせっていました。「どうしていつも気持ちがこんなにモヤモヤするのだろう」と思っていました。

自分は恵まれた環境にいるのに、心からの幸せを感じることができていませんでした。文章を書くことで自分の心のアンテナをチューニングしようと思い、記事を書き始めました。その数は5年間で300本を超えました。

忙しい毎日の中で「ブログを書く時間が惜しい」と思うこともあります。そんな時、私はあるブロガーのことを思います。サラリーマンブロガーのフミコフミオさんです。

彼のブログを見て驚かされるのは、あのクオリティーの文章を短時間で書き上げることです。1〜2週に一度更新されるブログの最後にはその記事を作成した所要時間が記されています。結構なボリュームがあり、読むものを惹きつけ、相槌を打たせ、クスッと笑わせる、そんな記事を30分ほどで彼は書き上げます。

私は時折彼のブログを読み笑い、癒され、そして共感を感じます。その理由は彼の文章の中に私と同じ目的を感じるからです。それは、彼の文章の最終的な宛先が自分自身になっていることです。

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第一関門突破?

友人と遊んだ後で

「えっ、今何って言った?」

私は思わず妻に聞き返した。日曜の夕方、妻とその日の出来事を話し合っていた時のことである。妻は昼間友人と遊びに出かけており、その話の途中に私の耳に全く予告しなかった妻の言葉が入ってきたのだ。

「オレンジ色のデッキバンってかわいいなって思ったの」

確かに「デッキバン」と言った。私はまだ半信半疑である。妻の口からデッキバンに対してポジティブな発言を今まで聞いたことがなかったからだ。

調子に乗ってあまり深追いしてはならない。私はしないがたぶん魚釣りの時だってそうだろう。餌にかかったと思ってすぐに竿を引いてしまうと獲物を取り損ねてしまう。焦らずにじっくりと餌と針に食らいつくのを待つ心が必要なのだ。

「ああそうなん。かわいいよなあ」と言いつつ私は適当に話題をそらして会話を終えた。心の中ではガッツポーズをしていた。

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バイクと人生

丹波と古民家

私は職業柄、何か行事があるといろいろなことを配慮し、計画を立て、時には根回しをして、その運営が上手くいくように心配りを行います。簡単にいうと、場を仕切って進めていくタイプの人間です。

そういう性格が適していたのか、子どものころからクラスの委員長や部活動のキャプテンを数多く経験してきました。私としては受け身で指示を待っているよりも、自分で考えて人を動かすことがいいと思ってきました。

それはそれで自分に合っていると思うのですが、時に何も考えずに誰か他人の描いた絵に沿って金魚のフンのようにくっついていくこともしてみたいと思いもあります。今、私の中のそのような思いに応えてくれるのが、馴染みの立ち飲みの常連で作ったツーリングクラブです。

そこにはものすご気が利いてお世話好きのWさんという方がいます。Wさんは旅行好きで経験値も豊富なため、頻繁にいい宿を見つけてはツーリングの提案をしてくれます。行先と宿だけ決めるのではなく、その周辺の見どころや麺類を提供する店の情報を調べてきます。(彼は無類の麺好きなのです)

そんなわけで、私たちのツーリングは立ち飲みやラインでいろいろ意見はするものの、結果的には当日集合した時点から先はずっとWさんに身をゆだねることになります。今まで「仕切り」の立場が多かった私は、そのゆるい感覚がとても気持ちよく感じられます。

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