緊急事態宣言下でのツーリング
昨年と同様に、今年も緊急宣言下でのゴールデンウィークとなった。この時期にあちこち移動する方ではないが、やはりどこにも、それが最寄りのデパートであっても、行くことができないのは息苦しさを感じてしまう。
兵庫県内、しいては日本国中の感染者数は高止まりで推移しており、いったいいつになったら元の生活に戻ることができるのだろう、いや完全には元に戻れないという、半分諦めに近い気持ちと、この禍の歴史的なインパクトの大きさを味わっている。
悶々とした気持ちのまま、バイクに乗って気晴らしをすることにした。行先は兵庫県北部、但馬地方を当てもなく走ることにする。南部とは異なり、人口の少ないこの地方には、信号が少なくツーリングに適した道が数多くある。
私は1日かけてそれらの道を走り、山々に囲まれた自然の中で呼吸をして体をリフレッシュさせたかった。どこにも立ち寄らず、昼食は道の駅の売店かコンビニで買って食べれば密を避けることはできる。仮に私がコロナに感染していたとしても、他人に移す可能性は少ない。
不安定な天気が続いた昨日とは一転して、今日は朝から晴れ渡っている。バイクに乗るには季節・天候とも最高である。
私は、久しぶりにライダースジャケットを着て、バイクに跨り、意気揚々と走り出した。そして、1時間後、但馬への道のりを諦めて、もと来た道を引き返し始めた。
とてもエンジンの鼓動、体に当たる風の心地よさ、流れゆく景色を楽しむことができる状態ではないのである。
とにかく頭が痒くてしょうがない。他のことは何も考えられなく、とにかく頭を掻きむしりたい。信号に止まり、ヘルメットをガンガン殴るが、流石にその製品の性質上衝撃が痒みまで到達しない。
「こんな天気の良い日に愛車と共にいるのに何で…」情けない気持ちになる。
すれ違うライダーが手を軽く上げて合図を送ってくれる。バイク乗り同士の「気を付けて!」という意味のサインだ。確かに、痒さで集中力を無くしつつある私に必要なサインだ。
私は意気消沈しながらも、時々フルフェイスのヘルメットの中、大声で「カイーッ」と叫びながら家へと帰った。そして誓った。
「私は幸福になるために肌の治療を行う」
長い共存関係
私の肌は子供のころからそれほど強いといえなかった。しかし長らくそれは体の一部分であった。肘や膝の裏側がある季節になると乾燥して痒くなる。そこを爪で書くので肌が荒れてくる。そうなると薬をつける。
ステロイドの入った薬を塗ると、症状はすぐに和らぐため、その後は何もせずに放っておく。中学生のころからそんなことをずっと繰り返してきた。
痒い範囲が広がってきたのは大学に入り、一人暮らしを始めてからだと思う。肘や膝に加えて、首の周りや背中も痒くなり始めたのだ。一人暮らしで栄養のバランスが悪くなったことと、大学生になりお酒を覚えたことが影響していると自分では思うが、その真相はわからない。
1人暮らしは約10年間続き私は結婚した。その間症状は変わらなかった。
妻にはよく背中を掻いてもらったし、今でも時々そうしてもらう。世の中にこれほどいいことがあるのかと思えるぐらい、ピンポイントで痒みの部分に触れられたときは気持ちがよい。
「ウキョー」と思わず声が出るぐらい気持ちがよくて、鳥肌が立ったままになる。「背中を掻いてくれる妻で本当に良かった」と私は感謝の言葉を伝える。
肌が荒れているからこそ掻かれたときの気持ちよさを味合うことができる。つまり、肌が荒れることは悪いことではない。
私の中にこういう深層心理が働いていたのだと思う。痒さと気持ちよさとの共存関係を楽しんでいたのであろう。だから、私は自分の肌の治療に関してはいい加減に取り組んできた。
掻き過ぎて肌が痛くなれば皮膚科に行きステロイド入りの塗り薬をもらう。それを塗ればすぐによくなるので、薬をつけなくなり、またすぐに肌が痒くなる。そういったことを繰り返してきた。
中途半端な治療を繰り返す中で、加齢が私の肌に変化を与え始めていた。40才を超え肌の脂分が減ってきたのだ。つまり乾燥肌になってきたのだ。
今までの場所に加えて、体のあちこちが痒くなってきた。荒れた時に薬をつける場所が増えてきた。寒くなり、乾燥する季節になるとほぼ全身に薬を塗るようになった。
背中を掻いてくれる妻が肌の状態を心配して「掻いてあげたいけど、搔きたくない」というようになった。私が”共存している”と思っていた状態は、他人から見れば“寄生された”状態になっていたのかもしれない。
汚いオヤジは嫌
確かに、頭皮の状態に関しても、良くなったり悪くなったりを繰り返してきたが、最近は痒い状態が当たり前になった。今回ツーリングに出かけて、そのことに気付かされた。以前は、夏、汗をかきながらでも普通にヘルメットをかぶってバイクを楽しんでいたのだ。
以前は頭皮の調子が悪く、フケが出ると「粉雪が舞ってる。冬だね」とか、自分のことを「コナン君」という余裕があったが、今では頭の状態は年中冬でそんな自虐的な気持ちにはなれない。
このままでは、私は「肌が痒くてバイクに乗れない汚いオヤジ」になってしまう。そんな男が幸せに生きている姿を、私には想像できない。
「共存関係」と称して先延ばしにし続けてきたつけを払う時が来たのだ。私は、本気で肌の治療を行う。症状が治まるまで薬を塗り続け、その後も保湿などの手入れを怠らない。
その代償としてあの「背中をピンポイントで書いてもらった時の震えるような気持ちよさ」を失ったとしても、肌の荒れた汚いオヤジでいるよりはましである。
だいたい最近の私はいつも「痒い痒い」と言いながら、体のどこかを触っている。40代で一番多く口にした言葉が「痒い」で、一番多く行った動作が「掻くこと」、そんな人が果たして幸せに生きることができるのであろうか。
それともう一つ、有難いことに、今私は自由に体を動かすことができる。しかし、もし脳卒中や脳梗塞などに襲われ手足の自由が奪われたとき、あのヘルメットの下での痒みが襲ってきたら、いったいどうなってしまうのであろう。考えただけで気を失いそうになる。
私は妻に言った。「今から本気で治療するから、もし明日手足の自由が奪われたら、痒そうなところを掻いてくれ」。
私は搔かれたら気持ちの良い肌を捨てて、痒くない肌を得ることにする。小奇麗なオヤジになるために。そして、これから幸せに生きるために。