「勉強しなさい」
私は子供たちに向かって「勉強しなさい」とは言わない。
彼らがまだ幼かった頃は、小学生低学年ぐらいだろうか、少しは言っていたかもしれない。しかし、体も心も成長し、食べる量も”一人前”以上になった今、「勉強しろ」と言われて彼らが何を感じるのかと想像すると、私はそれを言う気持ちになれない。
人に何かをしてもらうこと、それはかなりハードルの高いことである。させる側は、それをあまり感じていないが、反対側にまわるとその難しさよく分かる。
いい大人になれば、他人が要求することに対して、素直に「はい」とは言いにくい。ましてや、両者に経済的な関係がある仕事ではなく、一方的な親と子の関係である。私自身も親が私に対して「要求モード」に入ったとき、必死に耳を塞ごうとしたものだ。
そもそも、親はどうして子供に勉強をさせようとするのだろう。いずれやってくる巣立ちの時、自分の力で生きていくためには、頭がよいほうが有利であるから。本当にそうであろうか。
勉強をしないよりはした方がよい、そのことは感覚的に分かる。人類の歴史の中で、ある程度の”正解”は出ている。
それでは、この時代にどんな内容を、どんな気持ちで学べばよいのか、そうなると、答えは難しくなる。現代はあまりに複雑で変化が激しいからだ。
いずれにせよ、学ぶことは大切であるが、何を、いつ、どう学べばよいのか、それは難しく、そのことを含めて子供に学びを強制することは更に困難である。
私にできることと言えば、私自身が学びを楽しむ姿を子供に見せること、もう一つは、子供たちが有益な学びを得られるように祈ることである。
見えないけど”ある”
そのようなわけで、11月のある休日、私は太宰府天満宮へ行ってきた。子どもたちがよい学びを得られるよう、神さまに祈るためである。
学業と言えば、この国では菅原道真、天満宮である。全国いたるところにある天満宮の中でも、ここ大宰府は京都の北野と並んで最も有名である。
以前から私は神社仏閣にはよく訪問していた。それらは地上で最も好きな場所の一つである。氏子である神さまや檀家である宗派を問わず、私は数多くの神社仏閣に訪問し、神様や仏様に祈りを捧げる。
その神様や仏様に対する考えが最近変わってきた。
具体的にいうと「何となく何かがあるだろうな」と思っていた、それらの存在が「確かに存在する」という確信に変わってきたのである。そしてその内容についてもイメージを持てるようになってきた。
私が持つ神仏のイメージ、それは「歴史を超えた人々の気持ちや祈りの蓄積」である。
これらは目には見えない。しかし、確実に存在してきたし、今でも存在する。そして、私たちの生活に影響を与え続けている。姿を見ることは難しいが、存在し、私たちを導き、考えや行動を変えるもの、それ故、敬されるべきもの。神様や仏さまは確かにいる。
そして、それは「ことば」に似ていると思う。
私たちの使う言葉は、私たちの感情を形成し、行動を支配する。そして、その言葉は私たちの生きている時代に発明されたものではない。人間が言葉を使い始めてからどれくらいたつのだろうか。おそらく、数十万年かけた蓄積の上に、私たちは言葉を用いる。
言葉を作った人に関して言えば、もうその99.9%の人はこの世に存在しない。私たちは、もういない人が作ったものを受け継ぎ毎日使用する。そして、その言葉が世界を認識する道具になり、感情を作り出し、行動を規定する。
その効果を考えると、神仏と同じではないか。神様や仏様は存在する。それは、言葉の存在を疑わないのと同様の確実性においてである。私は今、そのように考えて、こうやって神社・仏閣を周り、祈りを捧げる。
言葉を持つ以前にも神や仏はあったのか。
人間が言葉を持つ以前、人間が地上にあらわれる以前も、地球はあった。むしろ、そちらの方が圧倒的に長い。地球の誕生から46億年、宇宙は130億年と言われている。
それらを創造した何かがあるとするなら、それはもう、今私が考えている神仏とは異なる存在になる。しかし、私は言葉を用いることでしか、それらを想像することができない。
超越的なものを考える時、私たちは「ことば」という時代的にも構造的にも限定された道具しか持ち合わしていない。私たちは常に創造者に対して遅れた立場にある。
こうやって小難しいことを考えながら、私は晴れ渡った秋空の下、大宰府の参道を一人歩く。
違うものが見える
西鉄太宰府駅を降りたのは9時半ごろであったが、駅前にはすでに多くの人がいた。西側にあるバスの駐車場からやってくる人と合わせて、参道は賑やかである。
私は、人の流れに乗り天満宮へと向かう。駅から天満宮への中間地点に石の鳥居がある。私の寝室にはこの鳥居の前に立つ私と妻との写真が飾られている。もう20年以上前に撮影されたものだ。デジカメではなくフィルムによる写真で少し色あせている。
玄関の小さな棚の上には、同じ背景で撮影された家族4人の写真が飾られている。3年前に家族旅行でここを訪問したとき撮影したものだ。
私は、これら2枚の写真を眺めながら生活をしている。そして、毎日のように思う。
「妻と二人でここを訪問したとき、子どもたちはどこにいたのであろうか」
世の中は不思議なことだらけだ。当たり前のようにいて、一緒に時を過ごす子どもたちの存在が、奇跡的なことのように思える。
そして、その奇跡的なことが、時と場所を選ばず、当たり前のように起こっている。世界中にいる人々、それらは例外なく誰もが誰かの子どもであるのだ。私たちは、この世界の仕組みを何も知っていないに等しいと思う。
太鼓橋を渡り、楼門をくぐり、本殿に参拝する。背後にある木々の色づいた葉が美しい。賽銭箱の前には多くの人が並んでいる。皆、目を閉じで、手を合わせ、何かを祈っている。
この場所で、千年以上にわたって同じ光景が数限りなく繰り返されてきたのであろう。私もその中の1人になり、感謝の気持ちを唱え、祈りを捧げる。子どもたちが有益な学びを得られますように。
この場所を訪れるのは4回目である。参道の鳥居前で写真を撮った2回、その前は20才のころ大学の友人との旅で訪問していた。
今回、初めて一人で来てみると、今までとは異なるものに目が行く。それが、ここの境内にある数本の巨木である。
樹齢はどれぐらいあるのだろうか。特別な存在感で、私に何かを語り掛けてくるように感じられる。私はしばらくこれらの巨木に見入り、その一本の表皮に手をかざした。
私もこの木も生物である。すべての生物の始まりがいつかどこかの一点だとするなら、私とこの木はつながっている。46億年のどこかの時点でつながっている。私とは何なのだろうと、改めて感じさせられる。
見上げた巨木から地上へと視線を移す。見慣れた名前がひらがなで書かれたのぼりが、風に揺られている。
「てるのふじ」「たからふじ」「みどりふじ」…
伊勢ケ浜部屋の力士たちの名前が書かれている。ここは太宰府天満宮の境内である。見るとそこには「太宰府天満宮幼稚園」の文字がある。
後に調べたことであるが、この幼稚園は伊勢ケ浜部屋と交流があり、力士たちもここに訪問するらしい。そういえば今は九州場所の最中だ。
それにしても、天満宮境内という最強のパワースポットにあり、相撲部屋と交流がある幼稚園なんて、園児や父兄が羨ましい。ここから一人でも多くの好角家が生まれてほしい。
私は温かい気持ちになりながら天満宮を後にした。
日本で三カ所
参道を抜け御笠川沿いの遊歩道を西へと向かう。今までの私なら間違いなく歩かなかった道である。おそらく、太宰府駅から電車に乗り、次の目的地へ向かっていたであろう。
しかし今回の私は、天満宮と並びもう一カ所どうしても訪問したい場所があった。それは天満宮から約1キロ西にある観世音寺である。
1年前、英検1級に合格したことがきっかけで、私は全国通訳案内士の勉強を始めた。受験科目の一つである日本史を勉強することで、私には訪問したい場所が数多く生まれた。観世音寺はそんな場所の一つである。
奈良時代、ここに、出家者が僧侶になる儀式を受けられる場所、つまり戒壇がつくられた。当時、戒壇は奈良の東大寺、下野の薬師寺と、ここ大宰府の観世音寺の三カ所に置かれていた。
つまりここは、仏教の盛んになったこの時代の中でも特に重要な場所であったのである。
そんな観世音寺であるが、天満宮の参道に比較すると明らかに人が少ない。というか、ほとんど人がいないし、周りにお土産物屋も見当たらない。
しかし、そのことがかえってこの寺の昔の雰囲気を残しているような気がする。草の生えただだっ広い敷地の向こうに植え込みがあり、その先に本堂が見える。
建物は建て替えられているが、千年前もこれと同じような雰囲気だったのだろうかと思う。おそらく、今草に覆われている場所には数多くの施設があり、全国各地から戒壇を受ける人々が集まってきていたのであろう。
ここはまた、朝鮮半島や中国ともつながっていた場所である。大宰府の街全体が、世界とつながり、当時の最先端のものを受け入れる場所であった。
私は本堂と戒壇院をまわり、最後に宝殿に入った。
コンクリート造りの立派な建物の階段を上がると、私は巨大な仏さまたちに囲まれた。
馬頭観音はじめとして、阿弥陀如来、十一面観音菩薩、四天王像など約20体の仏像の中心に私は立っている。そしてその巨大な仏像のすぐ足元まで私は近づくことができる。
1000年の時を超えた薄暗い空間で、私は仏に囲まれている。壁を背にして180度、どの方向を見ても立派な仏像が見える。鳥肌が立つほど興奮する。こんな空間はめったにない。
天井のスピーカーから、何十年前に録音したのだろうかと思われるような、時代のついた女性の声が聞こえてくる。丁寧にも各仏像の解説をしてくれるのだ。時計回りに一体一体、歴史、特徴などの解説がつづくが、正直言って早く終わってほしかった。
解説と解説の合間の数秒間、館内に静寂が響き渡る。ゾクゾクする。私が感じたいのはこれである。無音の中で仏様と一緒に1000年の時を感じたい。私は解説が終わるのを心待ちにした。
一番右側の大黒天まで話が終わり。放送終了。館内が静寂に包まれる…、と思いきや十数秒後にまた最初から解説が始まる。
無音なら、一日中ここにいることができると思った。この日は私以外にも数人の見学者がいたのでできなかったが、いつか暇な平日にやってきて、私一人なら放送を止めてもらうようにお願いしたい、本気で思った。
「しーん」という文字が目の前に現れてきそうな中、私は今までこれらの仏像に祈りを捧げてきた数十万・数百万の人々の気持ちに思いを馳せてみたいと思った。
しかし私のその思いは、あの不必要に音量の大きい女性の声にかき消されていく。そして数分に一回やってくる静寂。たまらなく心地よい静けさ。考え方によっては、これは仏の教えなのかもしれない。
「人の一生は短い。その静寂の中、一瞬の中に生を全うせよ。」
仏様の前であるが、私は英語の詩が浮かんできた。
To see a World in a Grain of Sand
William Blake詩集より
And a Heaven in a Wild Flower,
Hold Infinity in the palm of your hand
And Eternity in an hour
耳障りな放送があることで、私は静寂の意味を感じ、永遠であることに思いを馳せることができる。
思うようにいかないことも、それほど悪くないことかもしれない。