交換する生き物

宮崎牛

先日、クール宅急便が届いた。開けてみると中には牛肉が入っていた。全部で5パック、合計1.5キロの宮崎牛であった。

送られてきた牛肉

慌てて妻が冷凍庫の整理をする。何とか4つは入りそうだ。残りの1パックは私が佃煮にする。スマホでレシピを検索して適当に味付けをする。本当に便利な世の中である。

牛肉は友人R君から送られてきたものであった。彼と私は30年以上の付き合いがある。R君は1年に2~3度こうした形で私に何かを送ってくる。以前は果物が多かったが、私が「育ちざかりが二人いるので肉がありがたい」と言ってからは牛肉が増えた。

どうしてR君が私にいろいろなものを送ってくるのかといえば、私が毎年彼に贈り物をするからである。この十数年、3月になると私は播磨灘でとれる「イカナゴ」という魚を佃煮して彼に送り続けている。

「イカナゴ」はこの辺りでは「春を告げる魚」よ呼ばれている。だいたい2月の後半から3月初めにかけて漁が行われるが、漁獲量減少のため最近では漁期がめっきりと減ってしまった。価格もかつてのように気軽に買える値段ではなくなったが、それでもこの時期になると店頭に並び3~4キロのいかなごを購入する。

私がイカナゴの佃煮(この辺りではくぎ煮と呼ばれる)を送るのはR君の他にも数名いる。当然、彼ら彼女らからもお礼の品が送られてくる。蕎麦や鶏肉やお酒といったものが送られてくる。

300グラムほどのくぎ煮が、「おいしかったよ」という言葉と共にその数倍の重さの肉や酒に変わって返ってくる。「悪いなあ」と思うので翌年のシーズンになると、何はともあれイカナゴを確保する。

くぎ煮にしてプラスチックの容器に詰めて、ビニールと新聞紙で包装し、レターパックに入れて投函して初めて「これで春の義務は終わった」とほっと一息つくことができる。

こうして私たちの間で「終わりのない交換運動」が続けられていく。

3つのこと

私の父親はある大企業に勤めていた。しかし、仕事を心から楽しそうに行っていたわけではなさそうだった。かといって辛そうにしていたわけでもない。つまり、生活をするために淡々と働いていた、そんな感じであった。

そんな訳で、彼は子供たちが生きていく目途がたったら、その大企業を早期退職した。定年までまだ5年くらいあったと思う。

彼は会社を辞めて自分たち夫婦が食べていくために3つのことを行った。農業と漁業と株取引である。

私の実家はもともと兼業農家を行っていた。それほど広い田畑ではないが、家族が食べるには十分な米と野菜を作るだけの土地はあった。そこにビニールハウスをたてて、いろいろな野菜や果物を少しずつ作り始めた。

ジャガイモや玉ねぎといった野菜は母親と今は亡き祖母が担当し、父親はイチゴやブドウなど知識と経験が必要とされる果物を作った。

私の両親は今、季節を変えながら数十種類の野菜や果物を作っている。

もともと海が好きだった父は、退職してすぐに小さな船を買った。それに船外機と集魚灯を取り付けて、イカ釣り用の漁船に仕立てた。

父親は天候や波の高さを丁寧に調べ、条件が整ったら仲間を誘って釣りに出かける。大漁のときは、獲物を親戚や友人に配り、残ったものは家の冷凍庫に入れられる。

私の実家には2台の冷凍庫がある。それらの電気代や船の維持費を考えると、果たして漁業が生活のための手段になっているのかどうかは微妙なところである。

バブルのころに株を始めた父親は、その崩壊と共に火傷を負ったようであった。私はまだ子供だったのでよくわからなかったが、ことばの端々から価格が低いまま株が塩漬けになっていることは理解できた。

時代は変わり、父親が退職したころにはネットで株が売買できるようになっていた。バブル時代の負けを取り戻そうとしてたのか、父親はデイトレーダーとなり、短期の売買を繰り返した。

儲かった年もあったらしいが、数年前に私に「株では勝てん」と私に言った。そこから彼は株をやめたようである。今まで株に全く興味の無かった私は、反対に、株式を含む資産運用の勉強を始めた。確かに短期売買で勝つことは難しい。だから私はしようと思わない。父親は私にとってよき反面教師となった。

おすそわけ

株はともかく、父や母が行う農業では二人では食べきれないぐらいの野菜や果物が採れるし、父親は時に大量のイカやアジを釣り上げてくる。

そうした余った野菜や果物や魚は、親戚のもとへ行き、友人や知り合いのもとへと運ばれる。何かをもらったとき、そのままでいることができないのが人間である。野菜や魚をもらった人々は、両親のもとに何かお返しを持ってくる。それはビールであったり、ハムであったり、缶詰であったり。

私が実家に帰る時、両親は私たち家族用に米や野菜や冷凍した魚介類を持たせる。それこそ「いくらでも持って帰れ」という感じで持たせてくれる。それに加えて「うちでは食べないから」と、野菜や魚の返礼としてもらったハムや缶詰を渡される。

両親が野菜を作り、それがおすそ分けで他人の口に入る。食べた人は、何か別のものを両親に渡し、食べきれない分は私たち家族のもとへ回ってくる。この、物がまわっていく感覚が楽しい。

イカナゴでも同じことが言える。ある日玄関のチャイムが鳴る。宅配便の人から箱を手渡される。荷札にはくぎ煮を送った友だちの名前が見える。箱を開けてみるまでは、何が送られてきたのかわからない。

送られてきたものを目の前にして、私の友人はどのように考えてこの物を選んだのだろう、そんなことを考えると楽しい。送られてきたものが多すぎたら、それは妻のママ友へ行くこともある。送り主が見えないところまで、物はまわっていく。

紙幣は究極の商品であるという。それ自体に価値はなく、交換そのものを加速する装置である。その紙幣がくぎ煮の返礼として送られてきたらどうであろうか。良い気分はしないであろう。貨幣では価値がはっきりとわかりすぎるのである。

その価値があいまいなまま、ものがゆるく交換されて循環していく。このゆるい感覚が面白い。

「交換する生き物」それが人間である。

「言葉」「女」「もの」3つの水準で交換を行う者が人間であると、レヴィ・ストロースが言っていたと思う。私たちは、ことばの交換が続くような形で会話を行う。インセストタブーは、配偶者は自分から離れた場所からしか得られないことを示している。そして、ものもらったときに感じる「有責感」は人間しか持ちえないものであろう。

「言葉」「女」(女性にとっては男)「もの」の交換が人間性を形作るとすれば、これらが適切に行われる時、私たち人間は「人間らしさ」を最も感じるのではないであろうか。

今のところ「言葉」と「女」は大丈夫である。しかし、「もの」は少し行き過ぎてしまったようだ。究極の「もの」である貨幣は今や目に見えない。

私がイカナゴの返礼や、両親の生活によさを感じるのは、この行き過ぎた貨幣経済に対しての揺り戻しかもしれない。そして、私もこのように貨幣に対して「もの」の割合が高く、「もの」が価値を曖昧にしたまままわっていく生活にあこがれをいだいている。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。