サイコロを振る
JR西日本は、少しでも会社に入るキャッシュフローを上げたいのだと、ここ三年間感じている。コロナで落ち込んだ需要を何とか取り戻そうと、ありえないほどお得な企画切符を販売してきた。この一月に販売された「サイコロきっぷ」もそんな中の一つだ。
クレジットカードで五千円を払いウェブ上でサイコロを振り、目が出た都市までの特急列車利用での往復切符が手に入るのだ。行先は「出雲市・米子」「加賀温泉・福井」「山口・湯田温泉」そして「博多」。行先によって目の出る確率は異なり一番レアな博多は12分の1である。
鉄ヲタとして、または地理好きとして、どこに行こうが面白そうでお得である。土日の一泊で遊んで来ようとサイコロを振ったが、思わぬ落とし穴が待っていた。
これだけお得な切符なので当然いろいろな制約もあって当然なのだが、そのことに入金・サイコロを振った後で気がついたのだ。一番の制約は「必ず特急の指定席を取り移動すること」であった。指定席は発券後は変更不可で、自由席に乗ることも許されない。
私は「出雲市・米子」の目を出し、希望の土日の特急券を取ろうとして唖然とした。席がないのだ。コロナ禍で、多くの空いた特急列車を見てきたので、「特急やくも」も余裕で予約できると思っていたのだ。
これは後で知った話であるが、サイコロきっぷが売り出されると「やくも」の予約が急上昇し、そのままでは切符を購入したにかかわらず使えない客が出る可能性があったため、JR西日本はこの切符の販売を前倒しして打ち切った。
そういうわけで、松江で一泊の旅の予定は出雲市への日帰り旅へと変わった。しかも、予約の取れる列車の関係で現地に滞在できる時間は約三時間。
一般的な人ならガッカリのプランであろうが、こちらは「乗車時間は長いほうがよい」という鉄ヲタである。しかも飲み鉄なので、基本的に列車とお酒があれば楽しい旅が成立する。私は、いつもの旅と変わらないワクワクのまま新幹線に乗った。
消えゆく国鉄
新幹線が吉井川を渡ると車内で乗り換え線のアナウンスが始まる。新幹線の速さを感じる瞬間である。岡山市内から吉井川まで、何度か車やバイクで走ったことがある。普通でも30~40分、渋滞に巻き込まれたら1時間かかるイメージである。新幹線のアナウンスは「あと約三分で…」と言っている。鉄道の無い時代なら一日がかりの距離を三分である。
列車は速度を落とし百間川を渡る。作家の内田百閒の名前の元になった川である。私はここを通る度に内田百閒の随筆を読みたくなる。そして、彼のように肩ひじ張らず自由な心持ちで日々を過ごしたいという思いを抱く。内田百閒は私が憧れる人生後半戦のロールモデル、今の私ではまだまだほど遠い。
百間川の本流の旭川を渡り左にカーブする。もうすぐ岡山駅だ。私の気持ちが上る。新幹線を入れると九方面から路線が集まるこの駅は、私が小さなころから憧れ続けた存在。ここで興奮しない鉄ヲタはいないと思う。
ただでさえ高いこの駅の魅力を、より上げているものがここで見られる国鉄型車両である。私は今日その中の一つ、「特急やくも」を構成する381系電車に乗って出雲市を目指す。
新幹線を下車し、乗り換え口近くの「三好屋」で駅弁を買い、連絡口をくぐる。目の前には各方面への案内板が見える。これほど多方面への案内が並んだ駅も珍しい。山陽線下りホームへ階段を降りながら381系電車が目に入ってきた。
久しぶりの再会に胸が躍る。運転台部分に比べて客室部分の車高の低さが目立つ。カーブで重心を下げるための設計だ。少し不格好に見えるが国鉄時代から残る車両である。それだけで価値がある。
隣の上りホームには黄色い115系電車が停車している。更にその向こうの吉備線ホームには赤色のキハ47系が。国鉄が分割民営化して35年経つが、ここだけ見ると時代が止まっているようだ。
そんな岡山駅の光景も来年には大きな変化が訪れる。1982年以来特急「やくも」として運行されてきた381系が新型車両に置き換わるのだ。かつては中央西線の「しなの」や紀勢本線の「くろしお」でも活躍していたこの形式は、両線ではとうの昔に新型車両に置き換わり、唯一「やくも」だけが活躍の場である。
「これが最後かも」と思いながら列車に乗り込む。列車は十分ほどで倉敷に停車。さあ、ここからが振り子式電車の本領発揮である。伯備線は、倉敷を過ぎるとすぐに西から北へ方向転換する大カーブがある。私の想像の中では「このカーブでまず一発目の車体傾斜が体験できるかな」と思っていたが、意外にスピードが遅く何も起きなかった。
その後もカーブをそれなりの速さで通過していくのであるが、車体が傾いているような感覚は感じない。「あれ、こんなものだったかな」と思うが、どうやらしばらく乗っていない中で、私の381系に対する印象が増幅されていたようだ。昔は、カーブにさしかかると突然不自然な傾き方をして立っていられない、そんな印象があったが人の印象とは次々に書き換えられていくものだ。車両が変わっていない限り、昔も今も傾きかたは同じであろう。「過去は現在によって規定される」ということのいい例だ。
出雲路へ
「川は鉄道の母である」と、鉄道紀行作家の宮脇俊三は何度もその作品中に記した。この伯備線に乗るとその言葉の意味がよくわかる。この路線は岡山三大河川の一つ高梁川の左岸の段丘面を北上していく。総社の先で平地が尽きると、次に開けた場所が現れるのは米子の手前までない。その間、ひたすら川を頼りに道を進む。
備中高梁を過ぎ、備中川面辺りで初めて右岸へ渡り、そこからは蛇行する川に沿いながらも線路を敷設する平地を求めて何度も川を渡る。現在なら長大トンネルを建設するところであるが、当時は曲線を作ってでもできるだけトンネルを短くすることが優先であった。
結果カーブを増やして、短い鉄橋で何度も川を渡ることになった。伯備線に381系電車が用いられた理由もそんな事情による。狭くなった谷を何度も列車はまたぐ。その音の変化、リズムが心地よい。
陰陽連絡の幹線とはいえ、一部の区間を除いて伯備線のルートは95年前の建設当時から変わっていない。時折目に入る高規格の道路と比較して、その脆弱さが気になる。ここ10年来集中豪雨によるインフラ破壊のニュースが目立った。線路改良する財源がないのなら、せめて今のままの姿を保ち続けてほしい。
県境の谷田峠をトンネルで超える。岡山側とは比較にならないほど深い雪で覆われている。流れは逆向きになるが、こちらでも川に沿って線路は狭い谷を右へ左へと進んでいく。谷の合間から時々中国地方最高峰の大山が姿を見せる。空の青を背景に白く切り取られた稜線が映える。
大山は「伯耆富士」と呼ばれるが、富士山のようなきれいな円錐形をしているわけではなく、見る場所によってその印象が変わる。列車が伯耆溝口の駅を過ぎ米子平野へ出ると、進行方向右手後方に整った姿の大山が現れる。
車内の乗客が雪に覆われた大山に一斉にカメラを向ける。私は、ただ感動しながら眺めている。地中の活動の結果マグマが噴火を繰り返し、噴出された溶岩が冷え固まり、それが雨風によって浸食されたもの、それが私の目の前にあるものである。そんなものを見てどうしてこんなにも心を動かされるのであろうか。無機質なものにも何かを重ねずにはいられない。人間とは不思議な存在である。
駅前で蒸される
米子でまとまった乗客を降ろし、列車は島根県へと入る。最後にこの辺りを列車で走ってから10年以上が経つ。息子たちを私の親に預け、妻と二人で列車の窓から中海・宍道湖を眺めた。二日ぶりに両親の顔を見た息子たちは笑顔で喜んでいた。彼らは常に親を必要としていた。
今は長男は家を出て一人暮らし、次男もちょくちょく一人旅にでる。妻も友人とよく出かけるし、私も一人であちこちのサウナに出没する。ちょっとした過去の経験が、実はかけがえのないものであったと思わされる。
列車は出雲市に到着した。始発から終点まで三時間乗り通した私は、それだけで満足である。しかし、楽しみはこれからである。私は15分のウォーキングの後、駅近くの銭湯「らんぷの湯」へと入った。
ここはスーパー銭湯のような外見をしているが、中はそれほど広くなく、湯船も大きなものは一つである。特徴は木造の屋根で、浴室の上には大きな梁の木組みがあり、それが湯気の中で独特の情緒を醸し出しているのだ。
昔の木造の銭湯では当たり前の光景であっただろうが、鉄筋コンクリート建築が一般的になった今では珍しい。ランプの湯というだけあって照明も薄暗く、窓の外には小規模な竹林が見られ、全体的に暗い雰囲気を味わうための設計だと感じた。谷崎潤一郎の「陰影礼讃」が一瞬浮かんだが、谷崎の時代に比べるとこれでも明るすぎて情緒は薄いであろう。
浴槽から見える露天部分にはサウナが併設されている。規模は小さいが、サウナストーンを温めるタイプである。
サウナ室で蒸され、水風呂に入り、木製の椅子に腰かけて竹林を眺める。重なり合う竹の向こう側に大きな太陽が見える。本日は晴天である。冬とはいえ太陽の光は強烈で直接見ることはできない。
しかし、この場所から見える太陽は絶妙に優しかった。竹が太陽の8割方を遮断してくれるが、そこから漏れる光で太陽の輪郭も力強さも充分に伝わってくるのだ。
太陽は無機質な存在である。その中では考えられないような規模で核融合が起こっている。そのエネルギーのほんの一部が光となって地球にやってくる。
何らかのきっかけで、その光を糖に変える存在が現れた。光合成反応である。私たち人間を含むすべての生き物は、それのなれの果てである。私たちはこの光に依存した存在、というか生物とは太陽の光が形を変えたものといえるであろう。私は椅子に座りながらその光を眺めた。無機質であるが優しい、矛盾するような感覚であるがそれでいい。私たちは元々そうなのだ。
帰りのやくもは飲み鉄解禁である。サウナでスッキリとした体にアルコールが入る。楽しくないはずがない。日が沈み、景色は見えないがその分、この381系電車の息吹を感じることができる。
電車もまた無機質な存在。しかし、私はモーター音やコンプレッサー音に生き物の鼓動を重ね合わせる。ジョイント音と流れゆく光に生き物としての歩みを重ね合わせる。
この電車の引退まで残り一年。私が訪れたい場所はたくさんある。おそらくこれが381系との最後の別れになるであろう。始まりがあれば必ず終わりがある。
1982年、やくもが電車化されたときのニュースを私は覚えている。あれから約40年。そんな時間が本当に経過してしまうものだ。私はその間、人生を味わうことができた。
そんな私もいつか再び無機物へと回収されてしまう日が来る。唸りを上げながら走るこの列車が間もなく役目を終えて、解体される運命にあるように。
せめて生きている間はこの人生を謳歌したいと思った。列車とサウナだけの短い旅であったが、学びと希望のあるよい時間であった。