今のうちに

博物館

神戸市中央区に「人と防災未来センター」という博物館があります。いうまでもなく、1995年1月にこの街を襲った阪神淡路大震災に関する博物館です。教師になって以来何度もこの場所を訪問していますが、最近残念な体験をしました。

この博物館はエレベーターで4階に上がり、そこで震災の模擬体験をすることから見学が始まります。階段状になったシアターの三方がスクリーンで囲まれ、そこに震災が起こった瞬間の映像と音が流されます。

7分間の映像体験が終わると、一人の年配の方が私たちに近づいてこう言いました。

「ふざけるんだったら見せんとってほしい」

確かに一部の生徒たちは上映中に騒いでいました。私も少し気になっていました。上映が終わり入れ替わりの際、私は生徒たちを前に少し話をしました。

教師たちが注意されたこと。ここの施設が作られている理由。ここにどんな人がやってくる可能性があるのか。そんなことを冷静に語りました。生徒たちは反省した顔でじっと聞いてくれいました。

しかし、彼らの気持ちもわからないでもありません。これが20年前なら、ここにはいることができない子どももいました。つらい経験が生々しくフラッシュバックするからです。

今私が教えている中で親や兄弟を震災で亡くした生徒はいません。見たことのないおじいちゃんやおばさんならいるかもしれない年代です。生まれた時には神戸の街も美しく復興しており、震災の爪痕は意識して探さないと見つからないほどです。彼らにとって阪神淡路大震災は遠くて実感のわかないものなのです。

かといって、災害を彼らから遠いままにしておいてよいというわけではありません。この国に生きる限り、自然災害は必ずやってきますし、それを乗り越えていかなくてはならないからです。

だからここからは大人の責任になります。「見なさい!」「知りなさい!」では子どもの心は動きません。難しいことですが、大人がどのようなマインドでどう振舞うのかが、次の世代に伝わるのかどうかの鍵であると考えます。

騒がしかった生徒たちも、次の大震災ホールで実際の体験者に基づいて作られた映画では涙を流す子たちもいました。私もこっそり泣きました。

普段意識しない「生と死」に向き合う場所で、子どもたちが多くのことを学ぶことを望みます。教育とは突き詰めて考えると、生き方を考えることであるからです。

8月のブルー

もう恒例過ぎて珍しくないのですが、8月に入り私はブルーな気分が続いています。戦争に関する記事や番組を目にする機会が多いからです。

そのようなものを見るのが嫌なわけではありません。むしろ私は進んで見ようと思いそうしています。私をブルーにさせるものは、そのなかに描かれているあまりにも不条理な現実です。

人がこんなにも粗末に扱われ、傷つけられ、命を奪われていった戦争に対するやるせない気持ちです。

「人間とはどうしてこんなに愚かなのだろう」と強く思いますが、その「人間」の中には「私」も含まれています。どこかにどうしようもない悪者が一人いて、そいつが原因で戦争が起こっている」と考えたい気持ちは分かります。

しかし歴史を学ぶと戦争は「たくさんの人間のたくさんの動きの結果滲み出ているもの」であることがわかります。私を含めて誰もが、未来に起こる戦争の一翼を担う可能性があるのです。その人間の持つどうしようもない性に私は絶望したい気持ちになるのです。

21世紀になった今でも世界のあちらこちらで殺し合いが続いています。それぞれがそれぞれの正義を持ち、正しいと思うことをしている結果、憎しみが生まれ人が傷つき死んでいるのです。

私は普通の人よりも多くの子どもたちと触れ合う機会があります。その実感から言うと、今戦争、特に日本が経験した戦争は子どもたちの中で完全に過去のものになっています。

「1941年12月8日」「1945年8月15日」はもとより「8月6日午前8時15分」「8月9日午前11時2分」の意味が分かる子どもはほぼいません。

私はブルーになるのはいいけれど、大人の責任を果たしていかなければならないと感じています。

今年の話題

今年8月の戦争関係のニュースの中で目についたのは、戦後80年近くになり各地にある博物館や資料館の維持が難しくなってきている、という話題でした。

国や地方公共団体が運営している施設ならまだよいのですが、日本には個人的に維持されている小さな施設も数多くあります。それらの施設の多くは維持費や後継者の問題で存亡の危機に瀕しているといいます。

それはそうだと思います。そもそも小さな施設がどうして作られたのかを想像するとそのことはわかります。現在の基準から考えれば手間がかかり儲からない施設を作った理由は、そこに「大人としての責任感」があったからだと思います。

街を焼かれ、肉親や友人を失い、飢餓を味わった人々が、戦争の悲惨さをこれからの世代に伝えていくことは、生き残った世代の義務であり死者に対する礼儀であると考えたでしょう。そのような責任感のある大人たちが率先してお金と労力を出し合い、後世に伝える施設なり慰霊碑なりを作ったのだと思います。

先に「人と防災未来センター」を訪問した生徒たちの話を書きましたが、どんなに強烈な体験をしても、それは次の世代にとっては人ごとになります。

私が小学校のころ、戦争の話をする年配の教師がいました。私は興味を持って聞いていましたが、ほとんどの児童は退屈そうでした。ベイビーブーマーにとっては父母の体験した話にリアリティがあるかもしれませんが、その子供たちにとっては戦争は他人事です。そして、現在ではさらに世代がもう1つ進んでいます。

時が過ぎ、悲惨な記憶の継承が薄れていくことは仕方のないことかもしれません。ガザ地区など悲劇が上書きされ続ける場所に比べ、薄れていくことはある意味幸運な状態であると言えるのかもしれません。

しかし、過去に悲惨な思いをした人々の記憶は誰かが引き継いでいく必要があり、私は今その責任感を感じています。全国各地にある小さな資料館が消えてしまう前に、私は機会を見つけてそれらに足を運び、先人たちの記憶を胸に刻み次の世代へ伝えていきたい、そう思った今年の「夏のブルー」でした。

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投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。