モンゴル出身
私が大相撲に興味を持ち始めたのは2018年ごろのことですが、それ以前にも新聞のスポーツ欄は時々見ていました。特に気になる力士がいたわけではなく、幕内の力士の名前と出身地をさらりと見る程度でした。
そこにはモンゴルの表示があまりに多く「日本の国技は大丈夫かいな」とよく思ったものです。正直言って私はモンゴル出身の力士にあまりいいイメージを持っていませんでした。原因は横綱朝青龍の現役時代の振る舞いでした。
相撲は見ていませんでしたが彼の素行の悪さはニュースを通じて耳にしていました。相撲はスポーツとは異なり「強ければよい、勝ちさえずればよい」というものではないことはわかっていました。ですから朝青龍がらみの出来事を通じて私の中にモンゴル力士に対するネガティブなイメージが出来上がっていました。
しかし、これは相撲に関して素人であった私がメディアを通じて得た知見であり、当時の私はメディアが大衆の欲望のどの部分にフォーカスしてニュースを作り上げていたかにまで考えを至らすことができませんでした。
今場所で朝青龍の甥である豊昇龍が見事な逆転を決めて優勝しました。熱海富士、正代に続き平戸海に負けた時は優勝は無理だと思いました。しかしそこからの気迫と粘りは見事なものでした。安易な技に走ることなく正面から相撲道を邁進していたと思います。
今まで私の中で豊昇龍関はプロレスでいうヒールの役回りせした。朝青龍の影が重なっていたからです。私は偏見を持った人間です。それゆえ彼はこれからもヒールであり続けるでしょうが、私は彼が日本の大相撲を支えている大きな存在の一つであるという感謝の気持ちを持つことができそうです。
最高の状態で勝負
出来事の解釈はそれを捉える期間によってその意味を変えていきます。今場所の豊昇龍の優勝そして横綱昇進が感動的であったのは先場所の流れがあったからこそです。2ヶ月前のくやし涙があったこそ、今回嬉し涙を流すことができたのです。
豊昇龍とは正反対のことが琴櫻に起こりました。初場所が始まった時、新聞やテレビは「綱取り」一色でした。久しぶりに出た日本人横綱の稀勢の里の引退が、怪我のためあまりに早かったので、「今度こそ」という思いがあったのだと思います。
その綱取りのトーンは前半戦が終わった時点で消えていました。初日が出た後のまさかの五連敗です。結局千秋楽を迎えて琴櫻は優勝はもとより勝ち越しはおろか五勝しかできませんでした。誰もは予想していなかった結果です。
九州場所での優勝に浮かれて遊び歩いたり稽古をサボっていたわけではないようです。解説によると琴櫻関は「ものすごく真面目で稽古熱心」であるといいます。できない自分が嫌で無理をしてでも稽古を続けるといいます。
相撲で勝ち続けることがいかに大変なことなのか伝わってきます。心も体も技も最高の状態を作って、15日の間ギリギリのところで勝負を続けているのだと思います。
何か一つでもバランスを崩すと今回の琴櫻のように考えられないほど調子を落としてしまう、そんな繊細で微妙な状態で力士たちは頑張っているのだと思います。
栃ノ心、高安、御嶽海、貴景勝、正代、霧島と私が相撲に興味を持ってからでも数多くの大関が誕生しました。しかし、貴景勝は別としてその中で大関の地位を維持し続けた力士はいません。
番付上位陣の中で勝ちつづけることがいかに困難なことなのかが伝わってきます。琴櫻は来場所からカド番として出直しです。彼が横綱になることを信じて私もテレビの前で応援します。
おもしろい
横綱照ノ富士の引退インタビューで思わず笑ってしまいました。やり残したことを聞かれたときに「もうちょっとという気持ちはない、逆にやりすぎたかな」と答えたのです。
本音だと思います。大関からケガによって序二段まで落ちて、引退することも考える中で伊勢が濱親方に励まされてもう一度奮起し横綱まで昇り詰めました。白鵬引退後は一人横綱として責任を果たしてきましたが、私は照ノ富士が土俵に上がるたびに不安な気持ちになりました。
それは彼の体のことです。満身創痍の中土俵に上がり、相手を倒して蹲踞をし、懸賞を受けとった後、土俵を降りる時の一歩一歩。こちらまで痛みが伝わってくるようでした。そこまでして土俵に立ちつづけなくてはならないものなのかと思いました。
照ノ富士関にとっては二桁の優勝を果たすまではという気持ちがあったのでしょう。その目標を昨年達成し、今場所初日で若隆景に速攻で負けたとき区切りがついたのだと思いました。
それにしても「やりすぎた」とは面白いコメントで彼の人柄が伝わってくるようです。これからは膝を労わりながらよい親方になってほしいと思います。
やったー!
1月12日、初日の中継を妻と見ながら二人で思わず「あーっ!」と叫ぶ瞬間がありました。それは土俵白房下に坊主頭の呼び出しが見えた時でした。
「あーっ、耕平さん!」
2人で同時に叫び、そして顔を見合わせて「よかったね、よかったね」と言い合いながら笑いました。去年の三月場所から呼び出し耕平さんの姿が見えなくて心配していたのです。耕平さんは、私たちに大相撲で力士以外へと興味を持たしてくれたきっかけの人でした。
今から5年ほど前、テレビで相撲を見ていた私は、画面にちょくちょくと俳優の松平健さんに似ている呼び出しが映るのを感じていました。目元のあたりや締まった口元がそっくりで、見れば見るほどそう見えてきます。
その日以来、私は力士だけでなく行事や呼び出しも含めて相撲を見るようになりました。すると、しばらくして嵐の大野君にそっくりな呼び出しがいることに気がつきました。序二段呼び出しの天琉氏です。
私の妻は大野君のファンなので、耕平さんのネタと合わせてそのことを妻に話しながら二人で相撲を見たのです。それまで相撲に興味の無かった妻が一気に相撲に引き付けられたのはそれがきっかけでした。
耕平さんが松平健に似ていたため、私たちは夫婦で大相撲を楽しむことができるのです。どのような事情で休んでいたのか分かりませんが、その耕平さんが土俵脇に帰ってきて嬉しいです。
その他いろいろ
・十両優勝した獅司がインタビューで「みんなを幸せにしたい」と言っていました。ウクライナ人の彼から発せられるその言葉にはすごく重みがありました。
・その獅司と並んで、同じウクライナ出身の安青錦が十両で素晴らしい成績をあげました。来場所は幕内に二人そろって上れそうです。名鑑を見てみると福井や鳥取よりもウクライナ出身の力士が多いのですね。
・その名鑑の最初にある「力士の出身地」。合計の人数が584人でした。令和3年度版は680人でしたから4年で約100人減ったことになります。チケットは売れているのですが、競技人口は減っているようです。
・元大関貴景勝の湊川親方、今場所は解説にも登場していました。ものすごく穏やかな表情をしています。土俵に上がっていた時とは別人のようです。相撲がいかに厳しい世界なのかがよくわかります。
・番組の中で昨年逝去された北の富士さんの特集がありました。「下積み時代毎日ふるさとを思って泣いていた」「津軽海峡がなかったら(北海道に)帰っていた」。粋人の口から軽く発せられる言葉ですが、心に深く浸み込んできます。
・大波三兄弟の長男「若貴元」のタオルを手に応援するファンの姿がテレビに映りました。まだ幕下なのであのタオルは相撲ショップには売られていません。ということは特注で作ったということになります。ファンってすごいですね。
まだまだネタはありますが、ないのはそれを文章にする時間です。現在土曜の朝九時、ブログを更新する時間なのでこの辺りで終えます。