タブレット
現在、朝5時50分。目が覚めてすぐにパソコンに向かっている。書き留めておかないとすぐに忘れてしまう、そう思ったからだ。
つい数分前まで夢を見ていた。渡辺勘治がタブレットをつついていた。画面に映っていたのは彼の資産運用の推移である。彼はポンポンと指で画面をタップする。そこには運用を始めてからの利益が表示される。彼はにっこりと笑う。
「もうすぐ胃癌で死ぬのに何してるんだ」
そんな彼を見て私は叫ぶ。
私の思いが通じたのか、悲壮な表情に変わった彼はタブレットをカバンにしまい、立ち上がって街を歩き始める。
夢の画面はずっと白黒のままだ。
途中、彼は暗い表情のままあんみつ屋に入る。そこであんみつを食べている女性がいる。小田切とよである。渡辺はすれ違いざまそんな彼女と一瞬目が合う。その時、私が二人いた。私も彼女と目があったし、そんな二人を眺めてもいた。
夢はそこで終わった。
暗示
渡辺勘治とは黒澤明監督代表作の一つである「生きる」の主人公である。
彼は若き日の情熱を忘れ、市役所の市民課課長として無気力に働き続けている。彼の中で今日は昨日と変わらず、明日もまた同じ一日になりそうだ。
そんな彼は、自分が余命いくばくもないことを知る。生まれて初めて生きるとは何かを考える。残された時間はあまりに少ない。何か自分がこの世に生きたという証がほしい。悩んで、苦悶し、必死になる。死を前にしてようやく生きようとする男性を名優志村喬が演じている。
「命短し 恋せよおとめ 紅き唇褪せぬ間に」
自らが尽力して作った市民公園のブランコで、こう口ずさみながら渡辺勘治は息絶える。
私は高校生の時、テレビでこの作品を見た。チャンネルと適当に変えていた時、渡辺の胃を移すレントゲンの写真が画面に現れた。
そこから最後のシーンまで2時間、私はテレビの前を離れることができなかった。
以来、折に触れて渡辺勘治が私の前に現れるようになった。
「君はいつか死ぬ。でもその日は誰にも分らない。人は無意識のうちに10年後とか老後などと考えるが、その日がやってくる保証はどこにもない。さあ、君は今日をどう生きる?」
タブレットを持った渡辺勘治が、なぜ今朝私の前に現れたのかわかる。それは今6月下旬を迎えようとしているからだ。
豊かに生きるために
私は自分の証券口座を持っている。ブログを書き始め、心を整理し、サイドFIREを意識し始めて口座を開いた。口座の中身はインデックス投資と日本の高配当株である。
日本の多くの企業は3月の決算の後、6月に株式総会をむかえる。総会では「余剰金の処分」について提案があり、可決されると株主の口座に配当金が振り込まれる。
額は大きくないが、私も日本企業の株をいくつかもっている。6月は、家のポストを開くと毎日のように配当金の明細入りの封筒が入っている。少しずつではあるが、自分の資産が増えているのを感じる瞬間である。
さて、この不労所得である配当金だが、私は引き出したことがない。証券口座に入れたまま、ある程度貯まればそれを元に次の高配当株を購入する。そのほうが複利の効果で蓄財のスピードが上がるからだ。
私はこのようなことを無意識のうちに考えていた。そんな私の無意識に対して、タブレットを持った渡辺勘治が現れた。カウンターパンチをくらわすためだ。
「蓄財とは何だ。君には君が充分と思える財を蓄えて満足する日が来る保証があるのか」
胃癌だとわかった渡辺は、自分の貯金を引き落とし街へ出る。夜の街で放蕩した彼に残ったのは、言いようのない虚しさだった。
自分の余命が短いとわかったとき、金はその万能性を失う。金は何かに交換して初めてその価値を持ち始める。その価値は時間をかけてかみしめることで増していく。
私が配当金明細通知を見てニタッと笑い、入ってきたお金を放置する時、私は自分が死すべき運命であることを忘れている。それは今の楽しみを、来ないかもしれない未来へ先送りしている行為に等しい。
渡辺勘治は小田切とよの「あなたも何か作ってみれば」という言葉に、生きるためのヒントを得た。今朝の夢の最後、一瞬彼女が出てきた。目が合った。言葉は交わしていないが、メッセージを受け取った気がする。
未来と今のバランス。私は前者に対して前のめりになりすぎている。だから、今年の配当金は何か形のあるものに変えるつもりだ。今を生きていることを実感するために。
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