夕日と鰯

華語と台湾語

明日香出版社のテキストを三種類買ったことがことの始まりであった。「台湾語が1週間で話せるようになる本」「たった72パターンでこんなに話せる台湾語会話」「台湾語会話すぐに使える日常表現2900」いずれも台湾語を学習するために購入した。

しかし、どの本でも一つの表現が日本語、台湾語、台湾華語で併記されている。テキストには音声ファイルがおまけでついているが、これも同じ形式で再生される。

  • 私は台湾に旅行に行くつもりです。
  • 我打算去台灣旅行。(ウォタースンチィタイワンリュィシン)
  • 我拍算去台灣旅行。(ゴアパァセンタイワンルヒン)

上が華語で下が台湾語である。このように発音は多少異なるが、文字の並びはほとんど同じ表現が多数存在する。

最初は華語を無視して練習していたが、繰り返し聞くうちにそうもいかなくなった。それにどちらの言葉も日本で使用する漢字の音読みが連想させられる。台湾語は中国大陸南部が、華語は北部がルーツである。

「これは面白い」と私は思った。私はいつの間にかこれら台湾の二言語を同時に学習するようになっていた。お互いに関係し合う3つの言葉を見ることで、世界が厚みを持って広がるのがわかる。

そうこうするうちに、私の中で抑圧していた考えが浮かび上がってきた。

私は時間が取れる休日は台湾語と華語から学習を始める。先に述べたテキストを使うので、この二語は同時に行うことになる。

終わったら、次にイタリア語、そして最後に英語を行う。一番得意な外国語を最後に行って気持ちよく終えたいからだ。私は食事でも好物を最後に取っておくタイプの人間である。

この順番で語学学習を行ううち、ウズウズする気持ちが出てきたのだ。その正体は「イタリア語の前にもう一つ似たような言葉を挟みたい」というものである。

台湾語と華語による相乗効果をイタリア語でも味わってみたいと思った。もちろん、イタリア語と英語の間にも共通点がある。特に英語の学術用語はイタリア語の祖先であるラテン語の影響を強く受けている。

しかし、英語とイタリア語の間には台湾の二つの言語以上に大きな隔たりがある。もっとダイレクトなシナジーを味わいたいのなら、イタリア語に近い言語を選ばなければならない。

ラテン系

イタリア語はラテン語にルーツを持つ言語の一つで、現代のヨーロッパでそれに近い言葉はフランス、スペイン、ポルトガル、ルーマニア語である。

それらの言葉の中でイタリア語に一番似ていると言われるのはスペイン語であるが、私が選んだ言語はポルトガル語であった。

確かにスペインも魅力的な国である。それにスペイン語が話せると中南米を中心に多くの国でコミュニケーションを取ることができる。

しかし、その役割は英語でも行うことができる。私が求めるものはそんなものではない。その言語を学ぶことで私の体と脳の一部を、その話者と一体化させたいのだ。コミュニケーションというよりも、自分自身を改造したいという気持ちである。

私の心は何でできているのだろうか。間違いなく言葉の運用は大きな影響を与えている。大半の日本語部分と、5分の1くらいの英語と、10分の1くらいのイタリア語と、1〜2%の台湾語と華語によって私の心はできている。

その中に少しポルトガル語を入れてやる。それがイタリア語と仲良くなって新たな心情を生み出す、そんなことを私は期待している。

ではなぜポルトガルなのか。

無常

私はポルトガル語の学習を始めた。イタリア語ほどではないが書店の語学コーナーに行くと、多くの教科書がある。しかしその大半は私にとって必要がない。

世界最大のポルトガル語話者を有する国はブラジルである。日本との繋がりも深く、日本でポルトガル語を学習するといえば、ブラジルポルトガル語のことを示す。そのため、テキストのほとんどはブラジルのそれを学ぶためのものである。

私はそのコーナーで唯一見つけたテキストを手にレジへと向かった。タイトルを見て笑ってしまった。「ポルトガルのポルトガル語」である。

どうして私がこの国の言語を学びたいと思ったのか。

「無常」という言葉が頭に浮かんでくる。かつてはスペインと世界を二分するほどの勢いを持った国であった。日本に始めて西洋を持ち込んだのもポルトガルである。造船技術と航海術を持って7つの海を駆け回り、栄光を極めた国であった。

それが今はヨーロッパの西の端、イベリア半島にチョコっとくっついた小さな国、日本でもあまり存在感がない。

一時期スペインに飲み込まれたものの、ポルトガルはずっと存在し続けている。世界に占める存在感は落ち続けようと、この国はヨーロッパの最西端にとどまり続ける。

ポルトガル人たちは西の海に沈みゆく太陽を見て何を思うのだろうか。街にはかつての栄光を示す建物が溢れている。世界を股にかけた歴史を学校では教わるであろう。大西洋の向こうには自国の20倍の人口のブラジルがある。

偉大な過去を持った今はパッとしない国。そのような国の人々は、何を感じながら西の空を見るのだろうか。私はそれに共感したい。そのためには言葉を知る必要がある。

私の好きな記者、近藤康太郎氏は著書の中でこう書いている。イタリアの作家アントニオ・タブッキの小説について触れた部分だ。

陽光まばゆい空。吹き渡る海風。豊富な海の恵み、新鮮な魚介料理。

小説を読んでいるとポルトガルに行きたくなる。学生時代に駆け足で旅行したことがあるのですが、海辺のレストランで食べた鰯のオリーブ焼きが、気絶するほど美味かったことを、この小説を読んでいて思い出しました。

近藤康太郎著 『文章は「転」。』 P99

ポルトガル語を学びたいと思いつつ、これ以上学習する言語を増やすことに躊躇っていた私の背中を最後に押してくれたのはこの記述だった。

私はこの国に行って炭火で焼いた鰯を食べてみたい。そしてワインを飲みながら西の空を眺めるのだ。そこでどんな気持ちになるのか、今から楽しみである。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。