ボーダレスワールド
大学時代、僕は大前研一の本をよく読んでいた。当時世界的経営コンサルタントマッキンゼーのCEOとして世界中を飛び回りながら、彼は多数のビジネス書を執筆していた。交通や通信の発展は国境という概念を無くし、今まで世界を形作ってきた”Nation State”=「国民国家」が消滅していく、というような内容が多かったと記憶している。
あれから20数年、大前氏の言っていた通り、国家という枠組みが溶け始めている。グローバリズムの進展により、国家が国民に与える影響と比較してグーグルやアマゾンという世界企業のそれが大きくなっているように感じる。情報やお金は電子パルスとなり、一瞬のうちに世界中を駆け回る。そのことの是非は切り取る断面によって変わってくるだろうが、グローバリズムは思わぬ副産物も生んだ。
人類をどんな兵器よりも多く殺してきたもの、つまりウイルスや細菌性の疫病も高速で世界を駆け巡る。この3ヶ月の出来事を思い出すと、僕は夢を見ていたのかと思いたくなるほど現実離れしているようで、そのスピードについていけない。
新型の肺炎が中国で発生した。
武漢が閉鎖された。
仮設の大規模な病院が中国で建設されている。
この辺りから、まるで早送りでドラマを見ているような気分になる。
クルーズ船から発症者が次々発生。
大阪や奈良で感染者が見つかる。
ヨーロッパでも感染者が報告される。
不気味な何かが自分の方に近付いているような気になるが、まだ自分は安全圏にいる確信がある。しかし、少し手のひらに汗を感じる。
イタリアやスペインの死者が増え続ける。
日本の半分以上の都道府県で感染者が発生。
アメリカでも急速に感染が広がる。
一か月前には考えてもみなかった世界の現状。オリンピックが中止になる事態なんかあるのか。通勤の電車の中に感染者が混ざっていると思い始めて呼吸が浅くなる。
志村けんが死亡。
ヨーロッパ数国での医療崩壊。
アメリカの死者が1万人を超える。
これって本当に現実なのかと言う気持ち。志村けんの死を誰が予想していた。半年前に訪問したあのアメリカ、しかも訪問したワシントン州からコロナが広がっている。
ジョンソン首相とチャールズ皇太子が感染。
アメリカの死者数増加が止まらない。
日本でも非常事態宣言が。
国境のない世界で、他人事のように思っていたコロナウィルスが、あっという間に自分の生活に関わる事態になった。
欲にまみれた一日
語学も仕事も家事も一切しなくていいから、自分の思うままに1日を過ごしなさいと言われたら以下のようなことを行いたい。頭が固く、「~ねばならない」に取りつかれ、不真面目な一日を過ごすことができなくて苦しんでいる僕だが、こんなことに喜びを感じる。
- 理髪店に行って時間をかけて髭を剃ってもらう
- 競艇場かボートピアに行って舟券を買う
- 近くの立ち飲みでレース中継を見ながら昼呑み
- マッサージで施術されながら眠りに落ちる
- 酔いが醒めたところでじっくりとサウナ
- 居酒屋か町中華で飲む
書いていて「なんて素敵な一日なんだ」と思う。これらを全部一日で行うことは難しいが、たまにはいくつかを組み合わせて自堕落な一日を過ごすことがある。
今回のコロナ騒動で、そんな私の俗な部分の楽しみがなくなってしまった。
僕が美容室に行かないのは顔ぞりが無いから。お金があれば毎日でもしてもらいたいぐらい理容室の顔ぞりは気持ちいい。が、ここも身体接触がある。これからどうなるかわからない。
ボートレースは行われているが、舟券の販売はネットのみとなってしまった。私は少額の舟券を買い、それをつまみに近くの居酒屋でレース中継を見ながら飲むのが楽しみなので、ネットで舟券だけ買おうとは思わない。
マッサージはたまの贅沢。少しお酒を飲んだ後体をほぐしてもらえば、知らないうちに眠りに落ちている。特にふくらはぎをほぐされるのが大好きだ。しかし、これはかなりの濃厚接触、店もやっていない。
サウナと立ち飲み、この2つは他の俗な楽しみと比べて圧倒的に頻度が高い。コロナウィルスが日本に入ってきても続けてきた。「今日立ち飲みに行こうか」「今週頑張ったら日曜にサウナに行こう」この2つがあるから毎日の仕事を頑張ることができる、そんな感じだ。
「今の生活パターンでサウナと立ち飲みがなくなったらどうなるんだろう」そんな不安から僕はアンテナを張った。自分にとって都合のいい情報だけを集めようとした。
「サ室内ではウィルスは生きられない」とか「立ち飲みでも1メートル離れたら大丈夫」など、その真贋は分からないが自分を正当化する情報を基に行動してきたが、どうやらこの2週間で状況は変わってしまった。
何も起こらないという幸せ
「もうサウナと立ち飲みはやめた方が…」妻が不安そうに言う。
ついに来たか。私も一人ではない。家族もあるし職場には同僚もいる。この国を構成する市民の1人でもあり、自己中心的に振舞ってばかりもいられない。何が自己中心なのかは人により異なり、現に今でもコロナが無かった時期と全く同じ行動をとる人もいる。
自分の生活スタイルと良心の間で迷ったが、心の声は私に「そろそろ潮時だよ」と言っている。
サウナと立ち飲みをやめて1週間が経過した。大学時代に流行った虎舞竜の曲の一説が頭の中で連呼する。
♪なんでもないようなことが、幸せだったと思う。なんでもない夜のこと、二度とは戻れない夜♪
虎舞竜 「ロード」
週2~3回立ち飲みに寄り、美味しい酒を飲みながら常連や店主とたわいもない話をする。1週間の疲れを3時間かけて、サウナと水風呂と整いイスで癒す。
私の生活の一部となっていて、おそらくこれからもそうなるであるこの2つのこと。とりわけ費用や時間が掛かることでもなく、毎日の生活の中でのほんの少しの変化。しかし、それらがあるから生活にリズムが生まれ、物事がスムーズに進んでいく。
この1週間の私は句読点なしで文章を書き続けているようなもの。大したことは行っていないのに息苦しさが募っていく。
何も起こらずに普通の生活が遅れることが、本当に大切なことだと思う。そしてそのことはいつも、それが失われた後からでしか気づかない。何もない生活を送っている最中で、そのありがたさに感謝できる心があれば、より幸せな人生を送ることができると思う。
あとどれくらいサウナと立ち飲みの無い生活が続くのか見当がつかない。ニュースや新聞では、今回の出来事が第2次世界大戦以来の世界的な災害であるように報道されている。
人々は何かいいことが起こることを求めて神や仏に祈りをささげる。実はもう十分にいいことは起こっていたのだ。普通のことができなくなってそのありがたさがわかる。
今回の災害が収まった後、何も起こらない時にそのありがたさに感謝できる心を持つ。