感覚が変わる

いつもの立ち飲みで

私にとって、週に数回立ち寄る立ち飲みは日々の生活の中で大きな楽しみの一つになっています。家族以外はほどんど職場の同僚との会話で一日を終える中、ここで出会う様々な職業の常連さんは、私の知らない世界を教えてくれる貴重な存在です。

そういった人々と会話を楽しむことも立ち飲みへ通う理由ですが、ただ単にお酒、特に日本酒が大好きでここへ通っているのも本当です。ここの店主は日本酒に情熱を注いでおり、そこに魅かれて常連客は集まってくるのです。

実際に、立ち飲みにしては珍しく、ここでは焼酎を飲んでいる人はほとんどいません。ビールかホッピーの後、ぐい呑みで何種類かの日本酒を味わうのが一般的です。

そんな店に通う中、私の日本酒の好みが変化していているのを最近感じています。

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思い込み

気持ちの変化

2か月前にイタリア語検定2級を受験し、受験中に合格は難しいと感じました。私は家に帰り一枚の紙の上に「イタリア語検定2級が合格できない。どうする」書き、その下に縦線を一本引きました。

線の左側には「行うこと」、右側には「行わないこと」を箇条書きにしていきます。いろいろと考える中、気が付けば私は左側に「イタリア語教室に通う」と文字を記していました。

自分でも驚きました。なぜなら、このことは今まで私のなかに無かった発想だったからです。

私はイタリア語を始めた時から、とにかく独学で行うことを考えていました。NHKラジオの語学講座や動画は見ますが、とにかく自分で考えた方法でリスニングを行い、文法を学び、テキストを読んでいきました。

以前からブログに書いているように、成果だけ見ると散々なものです。学習を始めてから20年以上たちますが、学習、休止を繰り返し、なかなか力がつきません。

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神様と仏様

「勉強しなさい」

私は子供たちに向かって「勉強しなさい」とは言わない。

彼らがまだ幼かった頃は、小学生低学年ぐらいだろうか、少しは言っていたかもしれない。しかし、体も心も成長し、食べる量も”一人前”以上になった今、「勉強しろ」と言われて彼らが何を感じるのかと想像すると、私はそれを言う気持ちになれない。

人に何かをしてもらうこと、それはかなりハードルの高いことである。させる側は、それをあまり感じていないが、反対側にまわるとその難しさよく分かる。

いい大人になれば、他人が要求することに対して、素直に「はい」とは言いにくい。ましてや、両者に経済的な関係がある仕事ではなく、一方的な親と子の関係である。私自身も親が私に対して「要求モード」に入ったとき、必死に耳を塞ごうとしたものだ。

そもそも、親はどうして子供に勉強をさせようとするのだろう。いずれやってくる巣立ちの時、自分の力で生きていくためには、頭がよいほうが有利であるから。本当にそうであろうか。

勉強をしないよりはした方がよい、そのことは感覚的に分かる。人類の歴史の中で、ある程度の”正解”は出ている。

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小倉でサ活

どこでもきっぷ

昨年に続き、今年もJR西日本が素晴らし切符を販売してくれた。「どこでもきっぷ」といい、JR西日本全線と智頭急行線が3日間乗り放題で2万2千円だという。

新大阪から博多まで新幹線で往復すれば、充分に元が取れる値段である。別に元を取るために旅をするわけではないが、値段を気にせずに鉄道に乗れるというのはありがたい。

11月のある週末、私は一人、日帰りで九州へ向かった。目的はいくつかあったが、その中の二つは小倉のよもぎうどんとサウナであった。よもぎうどんは、ちょうど一年ぶり、小倉でのサ活は初めてである。

昼過ぎに小倉駅に降り立ち、西へと歩く。コロナウィルスの感染者数が減っているためか、商店街は多くの人で賑わっている。活気のある小倉の街を感じながら5分ほど歩くと「元祖よもぎうどん京家」に到着する。

NHKの番組「ノーナレ」を見てこの店を知り、著書「ヤクザの幹部やめて、うどん店はじめました」を読み、去年の11月、妻と初めてこの店を訪問した。

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書くこと(続き)

私デスノート

ブログを始める前にWH-Smithのノートをつけていた話、そこからどういう訳でブログに移行したのかを前回の記事で書きました。今日はその続きです。

何の制約もなく思いを書き綴っていたノートに比べて、ブログで記事を書くということは緊張感が違ってきます。ノートでは箇条書きの文や名詞句を書き連ねてもよいのですが、ブログではそういう訳にはいきません。

これは読者が誰かということに起因します。

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書くこと

WH-Smith

イギリスにWS-Smithというお店があります。鉄道の主要駅の構内でよく見られ、書籍や雑誌、食べ物などを販売しています。

私は10年少し前、WH-SmithのPB商品、A4判・80枚つづりのかなり大きくて分厚いノートを購入しました。イギリスで行われた研修の記録用としてでした。

研修はとても意義のあるものでしたが、その時取った記録を見返すかどうかは別の問題です。半分埋まったノートは報告を作成するとき活用しましたが、以後は私の家の本棚の片隅で放置されていました。

今から3年前、このノートは再び私の前へ現れました。書き始めの日付を見ると2018年12月7日になっています。

ノートを書き始めた理由は、このブログを始めたものと重なります。

私は焦りと恐怖を感じていました。このまま老いてモヤモヤを抱えたまま死んでいくことを。

自分にはわかりませんでした。どうして私が今このような気持ちでいるのか。どうして、私の周りの世界が輝いて見えないのか。

条件は十分揃っているはずです。「衣食住足りて礼節を知る」という言葉がありますが、私はどの部分でも満ち足りていました。家族にも恵まれ、それぞれの親や親戚とも良好な関係を築いていました。体も特に悪いところはないし、友人もいます。

さまざまなものが私には「ある」のです。ないのは、それらを受け取るアンテナと、受け取ったものを増幅して幸福感として私にもたらすアンプでした。

私は「心の中を文字にしてみよう」と思いました。そのとき、目に入ったのがサイズの大きいWH-Smithのノートでした。

研修でとったメモの最終ページから2枚開けて、私は自分の気持ちをノートに書き始めました。最初のページは幸福について考えたことでした。

ノートの真ん中に書かれた「幸福」から伸びた矢印の先に、そこから連想された言葉が書かれています。

「他人と接して嬉しいとき」「将来の理想像」「10年が一瞬で過ぎる」「死への恐怖」、今見返すと3年前に私が考えたことが見えて懐かしく思います。

ノートからブログへ

3年前の12月を起点に私のノートが始まりました。ノートはたいてい夜に書きました。毎日ではありません。仕事から帰宅し夕食を取り、語学や読書に対しての義務感の感じ方が軽いとき、そんな時にノートを開きました。

頭の中に思い浮かぶことを取り留めもなく記していきました。今、私は手元に置いたこのノートをパラパラとめくっています。

  • 「アイロンをかけながら感じる幸せ」
  • 「目にすると気が滅入るもの」
  • 「日本酒に関しての幸せ」
  • 「鉄道の何に心が震える?」
  • 「私は挙動不審なのか?」
  • 「実存は本質に先立つ」
  • 「余命X年なら…」
  • 「職場で猫を飼うことはできないか」

このような事柄について書き込みがなされています。自分でも驚くぐらい丁寧に書かれているページもあれば、読めないぐらい乱雑に書かれたものもあります。

私の頭の中が目に見える形になることは、とてもよいことでした。思いは、外に出て初めて形になります。言葉を話す、文字を書くという行為は、思いを具現化する作業です。

更に、思いは外に出しながら新たに生まれてくるということも経験することができました。アウトプットした文字を見ることで、更なる考えが生成されてくるということです。

理屈ではわかっていたことが、感覚を伴って理解することができました。ノートに文字を書き始めたときには想像できなかったことが、ノートを閉じる時には表れています。

確かに、心の調整とは、今まであったものを整理することだけではなく、そうすることで新たな感覚を作り出していくことだと思いました。

私のノートは40ページほど続きました。途中から日付をつけることをやめてしまったので、最終ページはいつ書かれたのかは分かりません。たぶん2019年の5月ごろだったと思います。

ノートを書くことをやめたのは、私の不安が消えたからではありません。私は相変わらずモヤモヤでしたし、そこから抜け出したいと思っていました。

私はノートを書くことで私は気づいたのです。自分宛てに乱雑なメモを記しているだけではダメだということに。

私はブログを書くことにしました。結果的には自分の心を調整するための、自分用の文章ですが、それを誰もが見える形で丁寧に書かなくてはならないと思いました。

こうやって私の書いたものは誰かに読まれることになります。無責任なことや人を傷つけるようなことは書けません。そのことは同時に、自分に対しても責任を持ち、自分を傷つけないことにもなります。

私は「大和イタチ」というアルターエゴを持ちました。私は彼で彼は私です。普段は彼が文章を書いているのですが、こうやって大和イタチに言及するときだけ「私」がでてきます。言葉ってややこしくて不思議です。そして、そこから生成される心も。

とにかく、私と彼が対話しながら、このブログに文章を書きづづけていきます。そのとき大切なものがもう一つあります。

それは、この文章を読んでいただいている読者の存在です。私は、今のところコメント欄は開いていないので、読者の反応を直接知ることはできません。

しかし「誰かに読んでいただいている」と思うことは、文章を書く上で不可欠で、この私のなかに想定される読者の存在こそが、文を書く場所をノートからブログへと変更した最大の理由です。

私たちが人格とか性格と呼んでいるものは単独で存在するのではなく、あくまで人間の網の目の中、私と私以外の全てのものとの関係性の中での座標のようなものです。

私は、自分の気持ちを整理するうえで、私と大和イタチ以外にも第3の存在と関係を持ちたかった。そして、読者という存在を得てこうして、文章を書き続けています。

私はまだツイッターやインスタもやっていません。コメント欄も閉じているので直接はやり取りできませんが、このブログを読んでいただいてる方に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。

これからも文章を書き続けて、自分の心を整えていきます。「あのモヤモヤした日々も長い人生では必要だったんだ」と言える日が来ることを信じてブログを続けます。

ノートと書くことについてもう一つ書きたいことがありましたが、今日は時間がないので、次回書きます。

欲しい”モノ”

クラスLINE

高校時代の同級生とは仲が良く、だいたい年に一度、10数名が集まってお互いの近況を報告し合う。逆に言うと、お互いに顔を見せるのは、特別に仲が良かった友だちを除いて、この時だけである。

高校時代は毎日会い、話の尽きなかった友人たちも、時が経つと年に一度会うのが丁度良いぐらいの関係になる。子どもが小さなうちは、その世話で忙しかった友人たちも、子離れが進むにつれて時間に余裕がでてくる。

そんな訳で、時々クラスLINEを通じで話が盛り上がる。もう充分中年のおじさんやおばさんになったクラスメイトであるが、LINEでやり取りをしていると、17歳の頃とあまり気持ちが変わらない気がするから不思議だ。

先日は”欲しい物”について話が弾んだ。

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10年後!?

診察室で

「この機械って、お腹の子どもの姿が見られるやつですよね?」

息子たちが妻のお腹にいた時、エコーで姿を見た経験を基に、私は医者に話しかける。

かかりつけ医は、そっけなく「そうですよ」と言いながらも、私のほうを見るわけでもなく、モニターに集中する。

医者が見ているものは子どもではなく、私の肝臓だ。

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20年で初めて

イタリア語

詳しいことを書くと私の素性が分かってしまうので書きません。適切な時期が来れば説明していこうと思っていますが、今のところは私がイタリア語を始めた理由は伏せておきます。

ともかく20代の半ばに、私はこの言語を学びたいと思い、それ以来学習を続けてきました。「続けてきました」と書きましたが、大雑把に私の人生を俯瞰すると「続けてきた」ように見えますが、視線を近くに合わせると、その期間と内容はブツブツと分断されたいます。

確固たる目標や方法があるわけでもなく、私は迷走を続けながらこの言語と付き合ってきました。

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机に向かわない一日

バイクを北へ

「バイクが好き」という割に私はバイクを走らせていない。好きなバイクに乗ると、罪悪感が生まれる。なぜか、それはバイクを走らせている間は勉強ができないから。本当に錯綜した性格をしている。

これが自動車なら話は別になる。運転しながら語学のCDを聴くことができるからだ。楽しみとしてのドライブをすることはあまりないが、必要に迫られて車を運転する時は、いつもシャドーイングを行っている。

とにかく時間を”有効”に使いたい、いや使わなくてはならない。その強迫観念がイタリア語のCDをプレイヤーに挿入させる。家には、約三百枚のメタル系のCDがある。コンマリさんの「人生がときめく片付けの魔法」を読んだ後、私が精選して残った三百枚である。どれも私にとって大切な作品だ。

しかし、私はそれら大好きな音楽を聴くことよりも勉強を優先させてしまう。なんのために。よく分からない。イタリア語の学習をして何になるというのだろう。しかもかけた時間のわりに上達ているとは思えないし、実際にイタリア人に対して使ったこともないに等しい。

「無駄な努力をし続ける男」それが私なのかもしれない。簿記で学んだように、全てには借方・貸方が同時発生している。私にとってこの強迫観念にも似た語学学習の資産・借方は何なのだろうか。いずれ分かる日が来ると信じたい。

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