ツーリングどころではない

緊急事態宣言下でのツーリング

昨年と同様に、今年も緊急宣言下でのゴールデンウィークとなった。この時期にあちこち移動する方ではないが、やはりどこにも、それが最寄りのデパートであっても、行くことができないのは息苦しさを感じてしまう。

兵庫県内、しいては日本国中の感染者数は高止まりで推移しており、いったいいつになったら元の生活に戻ることができるのだろう、いや完全には元に戻れないという、半分諦めに近い気持ちと、この禍の歴史的なインパクトの大きさを味わっている。

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街の銭湯 人生模様

スーパー銭湯に入れない人々

コロナ禍のため、大好きなスーパー銭湯での入浴を自主規制し始めたのは、前回の緊急事態宣言が出た頃でした。現在、私の住む兵庫県は3度目の緊急事態宣言の真っ最中であり、感染者数も上がりっぱなしです。

スーパー銭湯を避けて4ヶ月近く昔ながらの銭湯に通っていますが、ここでは今まで私が見えなかった様々な世界を見ることができます。

例えば、番台に座るおじさん・おばさんは概してコミュニケーション能力が高く、常連客の中には彼らとの会話を楽しみに来ている人もいます。傍から耳にする、飾らない一言が胸に沁みたりします。スーパー銭湯の受付ではまずないことです。

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ハードロック弁当

白と茶色

3年前にジュンク堂書店の料理本コーナーで「ハードコア弁当」なる写真集を目にしました。「ホイップ坊や」という芸人が毎日作ってインスタに更新していた弁当を集めたものです。

その「ハードコア弁当」は今までの弁当の概念を打ち破るもので、いいように言えば”シンプル”、普通に言えば”手抜きでおかずが極端に少ない”という風になります。

弁当の構成は、白いタッパーに敷き詰められた白米の中心に、おかずが一品のせられていて、おかずとは「唐揚げ1個」「アジフライ1個」「ベーコン1枚」など、それぞれが1つずつ入っているわけではなく、1食の弁当にどれかが1つ入っています。日の丸弁当の梅干しが、唐揚げ1個に置き換わったという感じです。

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コロナ禍での楽しみ

コロナウィルスの脅威が収まりません。

去年の今頃は兵庫県にも緊急事態宣言が出されていました。しかし、宣言中の感染者の数がかわいく思えるほど、現在は毎日多くの感染者が出ています。

自由が制限される中で、みんな何とか自分の楽しみを見つけようと工夫しています。「楽しみとは一体何なのか」そういう課題を私たちに突き付けている一連の出来事であると思います。

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ワクワク

2年間を振り返る

最近ワクワクしている。生活の全体を通じて気持ちが明るい。調子がよいこの時期に、ブログを書き始めてから今までの私の変化を振り返ってみたい。

私がブログを書こうと思ったのは3年前、実際に書き始めたのは2年前の6月。タイトルである「中年オヤジのモヤモヤblog」が私がこのブログを始めた理由を示している。

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共に歩むということ

午前4時の寝室

年をとってきたということだろうか、布団に入り途中で一度も目を覚すことなく朝を迎えることがなくなった。たいていは4時ごろ自然と目が覚める。

枕もとの常夜灯のスイッチを入れると、すぐ横に妻の寝顔が浮かび上がってくる。

「ああ、今日も私の隣にいてくれた」

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鉄路があるのがありがたい

分水嶺を超えて

次男と二人北海道にいますが、今回の旅の目的の一つが宗谷本線に乗車することでした。広大な北海道第2の都市旭川から最北の街である稚内を目指します。

地図で見るとそれほど離れているように見えませんが、距離にして約260キロあります。神戸から西へ向かうと広島県の三原を超える距離です。「在来線で日帰りするのはチョット」という長さですが私たちはそれをします。メインは宗谷本線に乗ること自体なのでできなくはありません。

始発列車に乗ろうとホテルを6時前に出ると、もうすでに辺りは十分明るくなっています。後で地図を見ると旭川の少し西を東経142度の罫線が通過しています。私の住む兵庫県は日本標準時の135度が通るため時間にして30分の差があり、北海道に来ていることを実感します。

予想外に2両もある普通列車は定刻に旭川を出発、高架でぐるりと市街を回り北を目指します。この感覚、姫路から播但線で北へ向かうのと似ています。

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北の街で考えた

接続しない

砂川駅は函館本線の特急停車駅ですが、駅前にバスは乗り入れていません。したがって、この駅を中継してバスでどこかへ向かうには、少し離れたバス停まで歩く必要があります。地図で確認すると、砂川病院前が一番近そうなバス停ですが、駅から徒歩で5~6分かかりそうです。

私たちの乗った特急列車が砂川駅に到着してからバスが発車するまで5分しかありません。このバスを逃すと次の便は1時間後です。私たちは、砂川駅で下車するとダッシュでタクシー乗り場に向かいました。ストリートビューで見た砂川駅前には、タクシーが1台しかとまっていなかったのです。

車に乗り込むと運転手さんに言いました。「砂川神社前バス停に5分以内に行けますか?」。私たちはタクシーで先回りしてバスに乗ろうとしたのです。

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いやな時代

テレビは見ないと言ったが…

私のモヤモヤとの戦いは、時間の使い方との戦いです。人は生まれ、生き、そしていつの日かこの世から去ります。その間、限りのある時間をいかに”有意義”に使うのか、そのことに頭を取られ過ぎて苦しんでいるのが私の姿だと思えるようになりました。

これは私を苦しめている本質的なテーマなので、改めて真剣に考えて書きます。今日、これから記そうとしているのはテレビについてです。もう少し詳しく言えば「テレビの中で描写される戦争」です。

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「面倒くささ」という魅力

相撲上げ・相撲ロス

まさかこんな自分になるとは思ってもいませんでした。一年に6回、気持ちが高揚したり、落ち込んだり。タイトルにある通り「相撲上げ・相撲ロス」を感じながら生活しています。

若き日の私は、相撲の良さが全く理解できない人間でした。むしろ「何が面白いのかよく分からない」とさえ思っていました。異常に太った変な髪形をした男たちが、ほぼ裸でケツを見せながら土俵で押し合い倒し合う、そんな姿を見てどうして興奮するのか不思議でした。

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