時間があった
私のモヤモヤは「効率よく」生きられないことからやってきている、そんな気がする。
私にとって”有意義な事”、例えば語学学習や読書や身の回りのものの手入れを、できるだけ短い時間で、一日のうちにできるだけ多く詰め込んで行う、そんな時間の過ごし方を理想としていた。
しかし、そのようなことはなかなかできることではない。私は仕事をしているし、寝る時間も必要であるし、家事もそれなりに分担している。
「時間があれば理想通りの過ごし方ができるが、忙しいのでそれができなくても仕方がない」これは私の心の中の言い訳であり、ある意味精神安定剤として機能していた考え方であった。
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