経済と環境 よく考えたらトントンか

前回の投稿 銭に体を張る話

4月21日の投稿で「経済発展と環境保護は相反することで、人類はどうすることもできない袋小路に入り込んでしまった」ということを書いた。読み返してみて「案外そうでもないかも」という気がしてきた。

僕の頭の中には今「比較的短い時間の区切り」と「悠久の時間の流れ」という二つの言葉が浮かんでいる。着地点は見えないが、最初の方についてブレレインストーミングしていきたい。

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ランニングで試行錯誤

最後のサウナから1か月

本当に僕たちの住む世界ってあっという間に変化してしまう。そのことを痛感してしている。3か月前はサウナに行けなくなる状態になるとは全く思っていなかったし、日本にコロナウィルスが入ってきてからもサウナは大丈夫だろうと勝手に思っていた。

それが今では、サウナどころかスーパーに行っても人が多ければ買い物を諦めるし、仕方なく電車に乗ってもマスク着用は当然、手すりや吊革には触れず、加減速の度に下半身に力を入れて慣性の法則と戦っている。

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ツバメの巣 とげとげ

いつもの駅で

4月も下旬に入り少しづつ暖かくなってきた。今年はコロナウィルスのため、花見も何もなく休日もほぼ家でじっとしている。そのため季節を感じる機会も少ないが、それでも通勤途中でツバメの姿を見た時は心が弾んだ。

「ああ、また今年もツバメの巣作りの季節がやってきたか」そう思いながら最寄り駅へと向かう。駅の周りにも何羽かツバメが飛び回っている。「例年ここに巣を作る」はずである場所を見てみると、そこは長い針のついたゴム製のマットで覆われていた。

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経済と環境 「仁義なき戦い」を思い出す

いろいろ考えさせられる

3ヵ月前は中国の国内問題だと思っていた今回のコロナウィルス騒動、その主戦場はヨーロッパからアメリカへと移った。日本でも不気味な増え方をしている。多くの発展途上国からは詳しい情報が伝わってこない。

日々入ってくるニュースで経済のことが語られる。株価が下落したとか、GDPがマイナスになるとか、多くの会社が倒産するとか。それと共に、大気がきれいになったとか石油の消費量が減ったという知らせも入ってくる。

経済と環境、両方のニュースを聞いていると、もともと悲観主義者の僕は「人間はどうしようもない袋小路に入り込んでしまったのではないのか」という新たなモヤモヤの種を抱えてしまう。

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四半世紀を経て突然意味が分かった

こたつから目覚めると…

お酒を飲んだ後、気持ちよくグラスを置き、歯磨きをして、パジャマに着替え、「おやすみ」と家族へ言って寝室へ向かうことは・・・めったにない。

大抵は飲みかけのグラスをテーブルに置いたまま、歯を磨くことも無く、服もそのままでソファーかこたつで眠ることになる。

その日もだらしなく酔っぱらったままこたつで眠っていると、妻に肩をたたかれた。「いびきがうるさくてTVが見られない」。妻は子供たちと出川哲郎の「充電させてもらいませんか」を見ている。

半分寝ぼけた僕の耳にTVから懐かしい曲が聞こえる。

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代替となる快楽を求めて

コロナショック サウナショック

妻に「サウナはしばらく止めておいたら」と告げられて2週間。彼女の言ったことの正しさを証明するかのように兵庫県内の感染者が増え続けている。

大阪と比べるとまだ少ないけれど、私の住む兵庫県南部は経済圏が大阪と一体化しており、府県の区分けにはあまり意味がない。阪急・阪神・JRと、一時間に数十本の列車が府県境を越えているし、職場が大阪であるの県民も普通にいる。

2か月前は対岸の火事であったこの災害も、中国では下火となっているものの、この国で不気味にそして急速に広がりつつある。まだテレビではニュース以外にもいろいろな番組を放送しているが、僕は個人的に「そんな状況じゃないだろう」という切迫感を感じている。実はそのあたりはTV局の人もわかっていて、逆に国民を恐怖に陥れないためにわざとユルい番組を多く放送しているのかもしれない。

妻にサウナを止められた直後は内心「サウナぐらい行ってもええやん。絶対大丈夫」と思っていたが、今では怖くて行くことができない。日増しに感染者が増え、県内の病院のひっ迫した様子が伝えられる。感染した患者の感想が新聞やネットから目に入る。「ガラスを肺に吸い込むような苦しみ」この表現を知って以来、吊革や手すりを触れなくなってしまった。

不要の外出はよくない、サウナに行くこともダメ、それはよく理解できる。しかしこの1年間、週に1~2度はサウナに通い続ける生活をしてきた。お酒を飲む量は変わらない。そのお酒で汚れた体を、サウナによる新陳代謝の向上できれいにする、医学的な知識は無いが、そんなイメージでサウナに通ってきた。

健康に関する理屈はともかく、水風呂の後の休憩はとにかく気持ちいい。心もきれいになっていくのがわかる。1週間の心身の疲労を3時間のサウナで回復させ、翌週も仕事を頑張る、そのサイクルが崩れてきた。

代わりになるものは

未曾有の危機に際して自分勝手な行動が許されないことは理解できる。だからスーパー銭湯が営業しているからと言って行ったりはしない。理屈ではわかるが、1年間続けてきた習慣が途切れると体が違和感を示し始める。

週末が近付くと「今週末はどこのサウナに行こうかな」と考え始める。いつもの癖だ。ぼんやりとした空想の後「今はコロナでそれどころではない」という現実にハッと我に帰る。

体がサウナに行きたくてウズウズしている。本当にサウナブームなのだろう、最近その手のTV番組が多いようで、妻が気を利かせてレコーダーに録画してくれている。しかし、見ると行きたくなるのであえて見ないようにしている。どちらにしても体はウズウズ、「大量に汗をかいて毛穴をスッキリさせたい」という声が聞こえてくる。

体と心は二つで1つ。体が不満を溜めていると気持ちもイライラしてくる。「サウナを知る前は行かなくても普通に過ごすことができていたのに」と思う。人生はうまくできている。何かを得れば何かを失う。サウナの快楽を知った今、サウナなしでも心穏やかに過ごせる週末を失ってしまった。

人生はプラマイゼロなのか?確かに、愛であってもお金であっても、気前よく与える人の所には、同じだけのものが返ってきているような気がする。出し惜しむ人には、何もやってこない。僕のこの日々モヤモヤした気持ちは、何と対になっているのだろう。仕事や家族に恵まれていること?平穏な人生?僕はそれらのことに恵まれているならもっと何かを外に出していかないと、つまり他人に施さないとこのモヤモヤは消えないのかもしれない。

たかがサウナのことだけど、やはり心と体の両方から責められると辛くなってくる。僕は代替となることを考え始めた。

確かこんなことを言ってたはず…

タナカカツキ氏の漫画「サ道」に熱めの風呂とベランダでの外気浴を繰り返し、サウナと同じように整う青年のお話があった。一瞬試してみようかと思ったが、思いとどまった。僕の体は、入浴よりもっと激しく汗をかくことを求めているように思ったからだ。

誰かの言葉が僕の頭の中に浮かんだ。

「ランニングして汗かいた後はメチャクチャ気持ちいい」

行きつけの立ち飲みにはマラソンが好きな常連が数人いる。おそらくその中の1人が言った言葉だろう。確かに、走り続けると大量に汗をかく。そのまま日陰など涼しいところに入れば、サ室と水風呂のようなギャップが生まれるかもしれない。それに”ランナーズハイ”という言葉もあるぐらいだ。うまくいけば、水風呂の後の”ととのいイス”に座っているような気持になるのかもしれない。

コロナは長引きそうな様子でサウナはしばらく無理っぽいけど、ヨーロッパのように外出まで厳しく制限はされていない。人の少ない場所を選んで走れば他人に迷惑をかけることも無い。僕はジャージに着替えて下駄箱から運動靴を取り出した。

サ室→水風呂→休憩、毎週サウナに通ううち、この時間配分はわかってきた。「ととのった!」がどれほどの状態かわからないが、今では毎回満足できるようになった。しかし、ランナーにとっての「ととのった!」=「ランナーズハイ」に関しては知識も経験もない。

体の声は「とにかく汗を大量にかきたい!」と言っている。「とりあえず汗かくまで走るか」そう思い、人気を避けて走り出す。しかし、これが難しい。つまり汗がうまく出ないのだ。

当初のイメージでは、15分ほど走り続けてサウナのように大量に汗をかき、その後日陰で体を冷やし寒気を感じたらまた走る、そんなことを考えていた。しかし、思ったほど汗が出てこない。どれぐらいのペースでどれぐらいの時間をかけ、体にどのように負荷を与えればいいのか見当がつかない。

結局、何もわからないまま40分ほど走り、それほど汗もかかず家へ帰った。途中、数多くのランナーとすれ違った。こんなにも走っている人がいるのかと思うぐらいだ。ただ苦しいだけなら人は走り続けないだろう。サウナと同様に、きっとランナーにとっての「ととのった!」があるのだろう。

サウナに行けない今、ランナーとしての「ととのった!」を味わってみたい、僕はそんな邪な気持ちでランニングを始めた。まだ何も見えてこない。しかし、体と心は何かを求めている。僕はこれらの声に耳を澄ましながらランニングを続けてみようと思う。

これからどうしよう

ボーダレスワールド

大学時代、僕は大前研一の本をよく読んでいた。当時世界的経営コンサルタントマッキンゼーのCEOとして世界中を飛び回りながら、彼は多数のビジネス書を執筆していた。交通や通信の発展は国境という概念を無くし、今まで世界を形作ってきた”Nation State”=「国民国家」が消滅していく、というような内容が多かったと記憶している。

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一番美しい空

宮崎の美しき女医さん

妻と「7ルール」の録画を観る。この番組は、素敵な女性が真摯に働く姿を見せてくれ、いつも見終わった後気分がよい。

先日、去年の秋に放送された宮崎のフライトドクターの活躍を見た。ドクターヘリに乗って救命を行う若くて美しい女医の姿に、妻の横にも関わらず、思わず「なんて奇麗な女性なんだ」と呟く。

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大人の義務教育…瓶ビール大

テレビはそれほど見ないが…

過去の記事を読み返していて「僕はテレビはあまり見ない」と言う割にはテレビから派生した話題が多いことに気が付いた。少し言い訳します。

確かに能動的にはそれほど多くの番組を見ない。大相撲・ニュース・タモリ倶楽部、たまに吉本新喜劇ぐらいである。しかし、考えてみると「受動的に見ている」番組はかなりある。

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怠惰な一日 自分を許す

ブログを書きながら自己嫌悪

前回の投稿「休日の焦り」を書きながら自分に対し悲哀を感じてしまった。心を整えるためのブログであるが、書いていて気づかされる自分の闇に心を乱されてしまう。これも上昇する前の底のようなものだと思いたいが、自分のことが嫌になってくる。

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