無駄なエネルギー消費

私の思考の割合

相変わらず慌ただしい毎日が続いており、ゆっくりと腰を落ち着かせて文章を綴る時間がありません。そのためなのでしょう、最近の記事はネガティブな内容のものが多くなっています。このブログは、もとはというと文章を書くことで私の心を整えることが目的なので、この辺りで少し軽くてファニーな記事を書いて心のバランスをとろうと思います。

ものを考えるということは頭の中で既知の言語を運用することによって行われます。そしてこの国のほとんどの人は母語である日本語を使用してそれを行います。外国語が一定のレベル以上できると、それらの言葉も思考の中に入り込み始めます。

私はというと、もう長い間英語とイタリア語の学習を行っています。英語を教えることは職業なので毎日なんらかの形で触れていますし、意識して上達しようと心がけています。イタリア語は数え切れないくらいの中断と再開を繰り返してきましたが、なんとか現時点では「学んでいる」と言えるレベルだと思います。

従って私は何かを考える時、3つの言語を使うことになります。ざっくりとした感じ日本語75%、英語が20%、イタリア語5%、これらが私の思考のために使う言語の割合です。

さて、私の頭のCPUの中はこれらの言語を使って運用されているわけですが、肝心の思考していることに関して言えば、私はこのブログの読書の方々が想像するより遥かに俗にまみれた人間です。

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「いつか」はいつ?

30年前の本

リビングのテーブルの上に一冊の本が置いてあった。「若きウェルテルの悩み」、私が大学生の頃に買ったものだ。

子どもが生まれるまでは本を捨てたり売ったりすることがなかった私であるが、今では定期的に本を処分する。ネットの出現で知の在り方が変わってきたのが大きな理由の一つであるが、子供たちが成長すれば物理的にも私のためのスペースは少なくなる。

私のなかではゲーテのこの著作は処分してしまったと思っていた。しかし、こうして私の目の前に現れてきた。読んでいるのは高校生の次男であった。彼の部屋の壁の一面には備え付けの本棚がある。かつては私の部屋だった。だからその本棚には私の本もまだ混ざっている。彼はそこからこの本にたどり着いて読んでいるようだ。

次男も高校生に入りぐっと大人になってきた。いろいろなことを考えて、時にはもの思いにふける姿を見せるようになった。そんな彼を、この本のタイトルが惹きつけたのであろう。

さて、私はというとこの名作を読み通していない。学生時代のある日、私は書店でこの本を手に取り購入した。おそらく明るい気分でそうしたのではなかったであろう。次男と同様に、私も煮え切らない何かを心に抱え、この本のタイトルに引き付けられた。

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Cosa stavo facendo?

3回連続

私がイタリア語検定2級を始めて受験したのは2021年でした。大阪天満の会場でリスニング試験が始まって数分後に、私は自分の不合格を確信しました。何を言っているのかさっぱりわからなかったのです。結果は予想通りすべての分野で合格からは程遠い点数でした。

それから1年後、2022年の試験ではリスニングは9割以上取ることができました。筆記も基準点に達していました。しかし、作文があと2点足りませんでした。私は2浪目に入るに際して、作文が書けるようにとにかく例文を多数覚えようと考え、毎日決まった量の例文を日本語からイタリア語に直す練習を続けました。その結果、本一冊分、800の例文を覚えました。

むかえた2023年の試験では作文で基準点を超えることができました。筆記も何とかクリアしました。しかし、あろうことかリスニングでこけてしまいました。前年に9割以上取れて自信はあったのですが、リスニングの第1問が終わった時、2年前のあの苦い記憶がよみがえってきました。何を言っているのかわからない部分が多かったのです。結果、今度はリスニングが2点足りずに1次試験通過はなりませんでした。

私は同じ試験に3回連続で落ちてしまったのです。このようなことは今までの私の人生になかったことです。比較的難しいと言われる英検1級も初受験で1次試験に合格し、次回には2次面接にも受かりました。全国通訳案内士試験も1度で決めました。もっと振り返ると、高校・大学受験や就職試験もそれほど苦労せずに通過してきました。

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四月当初

考えさせられる時

新しい年度が始まり、新入生が入ってきて、在校生はそれぞれ一つづつ進級します。勤務校が変わったり定年を迎えて離任する職員がいるかたわらで、新たに採用されたり勤務校が変わる教師たちもやってきます。

新しい年度、新しい人員、新しい校務分掌の中、4月の学校は慌ただしくすぎていきます。始業式と入学式、新入生に対するオリエンテーション、在校生のための課題考査、健康診断に学年集会、短期間の間にこれらが詰め込まれた後、通常の授業が始まります。

この間、朝学校に着いてから夜に帰宅するまでほとんど息つくひまがありません。お昼を食べながらも、廊下を歩きながらも次に何をするべきなのか考え続けています。

教師になって以来、ゆうに二十回以上このような慌ただしい新年度を迎えてきました。いい加減慣れてもよさそうなのですが、やるべきことはわかっていて、それに向けて準備をするのですが、決して余裕を持って4月を迎えたことはないのです。

私だけではありません。この時期は周りの誰もが緊張しています。他人に何かをお願いするることに対して気が引けます。自分も何かを頼まれた時、一瞬でも嫌な顔をしていないかどうか気になります。

二十回以上経験しても慣れないのには理由があります。考えるべきことと知っておくべき情報量が年を追って増えているからです。そしてそれらの情報は読みやすい形で一つの場所にあるわけではありません。パソコンの中のいろいろな場所に散らばって存在し、私たちはそれらを時間をかけて探しに行かなくてはならないのです。そして時にそれらを共有する時間を持つ必要があります。

情報を得て考えて共有しなくてはならないことは山のようにあります。しかし、かつてはそうではなかったようです。この仕事を始めた時、ベテランの先輩にさまざまな話を聞きました。

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8000万年

パラダイス

神戸は丁度いい大きさの街だと思う。いろいろなものが程よいサイズで揃っている。山があって海があって、その真ん中に文化的な香りのする街がある。美味しい食べ物もあるし、古くからの酒どころでもある。

港町だけあって異質なものを受け入れる懐の深さもある。都会過ぎず、田舎過ぎないところもいい。実家から帰ってきたら「賑やかで活気があるなあ」と思い、大阪や東京から帰ってきたら「人が多すぎなくてほっとできる」と感じる街だ。

そんな神戸の街には私が個人的に好きな場所がいくつもあるが、その中で「本当に一つだけ挙げて」と言われたら私は「神戸サウナ」と答える。サウナーの間では全国的に有名な施設であるが、個人的にも一番好きなサウナでその名前を想像するだけで心が穏やかになる。

よく私の住む街にこのような素晴らしい施設が存在してくれたと感謝したくなる場所である。そして素晴らしいのは施設だけではなく、そこに息付く哲学というか、働く人の持つホスピタリティーというか、それらが一体となってオヤジの心身を全力で癒してくれる。

私は時々そのパラダイスへ行き、癒されると同時に何か新しいことを考えさせられてこちらの世界へと戻ってくる。3月下旬の平日、私は休みを1日とって神戸サウナへ行った。普段は平日に休みを取れない仕事をしているが、長期休業期間中は別である。大人気の施設である。どうせ行くなら人の少ない平日の昼間に堪能したい。

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テレビもいいけれど

春を告げる

大相撲が始まる前の週末、つまり奇数月の第2日曜を迎える週末の授業で私はよく「今週末はみんな楽しみがあっていいな」というようなことを言います。生徒たちは何のことかとザワザワと考えますが、やがて私が「みんなも若隆景応援してな」などというと「なんだ相撲か」的な反応を示します。

「私もみんなの歳の頃は良さが全くわからなかった」と言ってお茶を濁しますが、本心は「誰か相撲の好きな生徒はいないかな」と思っています。私が教えるクラスでは必ずこのような相撲ネタで苦笑をとるのですが、今まで積極的に食いついてきてくれた生徒はほとんどいません。

私が普段仕事をしている世界では、大相撲ファンは絶滅危惧種のような扱いですが、世間一般を見るとそうでもなく、1月場所は全て満員御礼になり、大阪場所もそうなりそうな予想でした。

若貴ブームのような際立った人気力士はいないものの、日本文化を体験したい外国人客の増加もあって、最近では大相撲のチケットが取りにくくなっているのは事実なようです。

そのような事情を察してか、私がよく相撲話をする職場の先輩が大阪場所のチケット購入を提案してこられました。先輩は私よりランクが上の会員のため、早くチケットの抽選が受けられるのです。

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令和六年三月場所

国技館の写真

14日目の幕内後半の取り組みを、私は馴染みの立ち飲みで他の常連と一緒にテレビ観戦していました。酒を飲みながら、気合の入った力士たちの勝負を見ることができ、心の底から喜びを感じた時間でした。

惜しくも髷を掴む反則で負けましたが、宇良の素晴らしい身体能力を見ることができました。琴の若が豊昇龍を寄り倒しにして優勝争いから引きづり落としました。

しかし、この日の私たちの話題の中心は「国技館に飾られる優勝力士の写真」でした。今まで大銀杏を結っていない優勝力士の写真があるのかどうかということでした。千秋楽を前に幕内優勝の可能性があるのは、まだ大銀杏の結えない尊富士と大の里になっていたからです。

この日朝乃山に敗れて右足首を痛めた尊富士は、痛みの中千秋楽で見事に豪ノ山に勝利して感動の優勝を飾りました。110年ぶりの新入幕優勝ということで、おそらく普段相撲に興味の無い人も関心をもってニュースを見たと思います。

私たちの間では、尊富士と大の里、どちらが優勝しても髪が伸びるのを待ち大銀杏を結って写真をとる、という予想ですがそれがどうなるのか披露される日が楽しみです。若くて実力のある力士たちの登場にますます大相撲を見る楽しみが増えます。

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Time is Everything to Me

深夜のリビングで

「昨日、泣いてたね」

妻が私に言葉をかけた。私は妻に涙を見せることはない。少なくとも今まではそうだった。しかし、この日の夜は涙を流す私の後姿を見られていたようだった。

外でお酒を飲んで帰り、一人のリビングで私はターンテーブルにレコードをのせて聴いていた。その日に買って帰ったアルバムだった。1曲また1曲と私は聴きながら歌詞を口ずさむ。私の気持ちは現在と高校生だった30数年前とを行ったり来たりする。

自然と涙があふれだしてきた。それはよくあること。私は悲しい事件や感動する話を聞くとすぐに涙腺がゆるむ。しかしこの日は違った。私は涙と共にあふれ出てくる声を止めることができなかった。

自分がこんなに泣くとは想像もできなかった。10分前に考えられなかった自分の姿に驚き、そのことがさらなる嗚咽の原因となった。こんな泣き方をするのはいつ以来だろうか。好きだった叔父が亡くなったとき。気の合う友人を失ったとき。

A面が終わり、レコードをB面へ裏返す。誰もいないリビングで1時間、私はレコードを聴き続けた。一度泣いてしまうと、心が落ち着いてきた。私の心は相変わらず今と思春期を行ったり来たり。中年オヤジと少年の私が同時に存在しているような気分であった。

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春が来ない

ソワソワ ヒヤヒヤ

毎年2月も下旬になると瀬戸内海の様子が気になり始め、新聞やニュースである言葉に敏感になりその出現を期待します。その言葉は「イカナゴ解禁日」であり、それは文字通りイカナゴという魚の漁が始まり魚屋さんやスーパーに生のイカナゴが現れる日を示します。

イカナゴはスズキ目に属し成長すると20センチぐらいの細長い魚で、その幼魚は「シンコ」と呼ばれ大阪湾や播磨灘沿岸の街では春を告げる魚としてこの時期心待ちにされます。シンコのほとんどは生のまま売られ、それをこれらの地域の人々は家で調理します。釜揚げやかき揚げにしても美味しいのですが、一番代表的な調理法は「くぎ煮」と呼ばれる佃煮です。

私は20年ほど前、明石に住んでいました。この街には「魚の棚」と呼ばれる商店街があり、鮮魚店やかまぼこ屋や乾物屋などの海産物を扱う店が並んでいます。そこへ通ううちに、私も自然とこの季節には生のシンコを買うようになり、くぎ煮を作るようになりました。

明石から神戸へ引っ越しをした後も春先のこの習慣は変わりません。2月中旬を過ぎると「今年の解禁日はいつだろう」とソワソワし始めます。始めは自分たち家族の食べる分しか作っていませんでしたが、あまりに美味しく日持ちするため親や友人たちに送るようになりました。

こうなったら「ソワソワ」の中に「今年はこれだけ確保していつ頃送ろう」という決意と計画が混ざり始めます。それはそれで楽しいことでしたが、事態は7年前から緊迫し始めました。2017年にイカナゴの漁獲量がガクンと減ったのです。

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代替物

年末・3月・ワクワク

毎年年末になるとワクワクしながらネットに打ち込む検索ワードがあります。それは「ダイヤ改正+次の年」であり、昨年なら「ダイヤ改正2024」でした。

JR各社は12月になると次回のダイヤ改正の概要を発表し始めて、私鉄もそれに合わせることが多いです。ですから次のダイヤ改正の大きな目玉は年内に知ることができます。今回の改正なら「北陸新幹線の延伸に伴ってどんな種別の列車がどの程度走るか」と言ったことです。

しかし細かい部分のダイヤは時刻表が発売されるまで知ることができません。ですから時刻表3月号は、鉄道好きにとって一年で最も待ち望まれる雑誌となります。かく言う私も物心ついたころから、このダイヤ改正号は待ち望んだ末に発売されるとすぐに購入し、その日はしばらく読みふけっていたのもです。

JRが分割民営化する以前から時刻表は愛読書だったため、私は民営化後もJTBのものを買い続けています。最近では「小さな時刻表」がお気に入りです。先日私は今年もワクワクしながらダイヤ改正号を買いに行きました。自宅にもって帰り読み始めました。

読み始める前はワクワクしています。しかしすぐに「ワクワク」は「あーあ」に変わります。今年だけではありません。ここ10年以上同じです。長年の習慣のため、ダイヤ改正号を読み始める前はパブロフの犬のように自然とワクワクするのですが、それがすぐに萎えてしまうのです。

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