セカンドカー?

2021年秋

3年前の秋、私は何気なくネット検索にある言葉を入れ、その結果を見て狂喜しました。入力した言葉は「デッキバン モデルチェンジ」、検索結果には2021年12月の文字が見えたのでした。

あの人気のないデッキバンがモデルチェンジをするなんて、ひょっとしたら製造中止になることも覚悟していた私にとって信じられないニュースでした。マイナーな車種とはいえ好きな人はいて「ジャパニーズピックアップトラック」などと呼ばれ紹介動画もいくつかありました。

私は毎日のようにHPを検索してデッキバンの新しい情報を探しました。そしてモデルチェンジが近づくにつれ、さらに嬉しい情報が届いてきました。

今までハイゼットの1タイプという位置付けだったデッキバンですが、新モデルではアトレーにも設定されるというのです。アトレーはハイゼットに比べて商用車のテイストが薄い車です。その上、アトレーにはターボエンジンが搭載されるというのです。

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サバティカル

相変わらず

私は恵まれた環境にあると思います。それはこのブログを書き始めた5年前にも感じていたことです。

健康、家族、人間関係、仕事、趣味、全ての面において私は不自由を感じていませんでした。それなのに私の心はいつもモヤモヤしていました。

もういい加減中年オヤジになり、平均寿命でいえば人生も折り返し地点を回っている状態でありながら、ガキの感じるようなモヤモヤを抱えながら生きていました。

「いい加減大人になって自分の人生を楽しめよ。お前は自分の思っている以上に歳をとっているんだぞ」

私は自分にそう言い続けてきましたがすぐに心の状態は変わるわけではありません。

だから私はこのブログを始めました。自分の気持ちを文章に書き始めました。文書にすることで、頭の中の形になっていないモヤモヤが視覚によって認識される論理の形になります。それを重ねて行くことが、自分をあるべき道、ありたい道へを導くことにつながると直感したからです。

そして5年以上記事を書き続けました。自分でもよくやったと思っています。自分を苦しめてきたものの姿を認識することもできました。それを完全に消し去ることはできませんが、なんとか付き合っていけるということもわかりました。

それでは今の私の状態はいかがなものでしょうか。モヤモヤから解放されて、毎日幸せを噛みしめながら、外から見ても楽しそうな表情で生きているのでしょうか。

確かにモヤモヤの質は変わってます。5年前のような苦しさはありません。私は自分自身に対する言葉により縛られてきたのだから、その自分に投げかける言葉を変えることで気持ちをコントロールしようとしています。

そういった意味では私は5年前のモヤモヤした中年オヤジではありません。しかし、完全にハッピーハピーな中年オヤジかというとそれも違います。

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覚悟はしていたが

作品のある店で

8割方覚悟はしていたことでありますが、はっきりと知ってしまうとやはり動揺してしまうものです。自分の無意識の中で知ることをできるだけ先延ばしにしようとしていたことを知ってしまいました。

先日妻と二人で電車に乗って明石に出かけました。以前から行ってみたいと思う店を訪問するためです。私たち二人は明石焼き(現地では玉子焼きと呼ばれている)が好きで、特に昼間ビールを飲みながら食べるそれは最高であると考えます。

私たちはいつものように玉子焼きと瓶ビールを頼みました。小さなコップに注ぎあったビールをチビチビと飲む間に上げ板にのった玉子焼きがやってきました。

私の持っている焼き鍋よりも穴が少し浅いもので焼いたのでしょう、玉子焼きは高さが低めで円盤のような形をしています。

箸でつまんで出汁に浸さずにそのまま食べてみます。昆布の出汁がよく効いているのがわかり、熱々のためチビチビだったビールがグビグビに変わります。

出汁に浸して食べ、その出汁に一味を足して食べてみます。その度にビールが進み、瓶をもう一本追加です。唐揚げや餃子は生ビールとでも良いですが、玉子焼きは瓶ビールをコップに注いで飲みながらが断然美味しいです。

私たちは幸せな気持ちで食べ終えて勘定のために立ち上がりました。お金を渡す奥さんの向こう側は焼き場です。そこに見覚えのある形の焼き鍋が数台並んでいます。持ち手の形をみると間違いありません、安福さんの作品です。

私は勇気を出して言葉を発しました。

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155日

きっかけと理由

以前にも書きましたが、私がイタリア語の学習を始めたきっかけは生徒の悔しくて悲しそうな表情を見たことでした。「英語がわからない」ということがそれほどまでに心をかき乱すことであるのなら、私も教師としてその気持ちを味わってみたいと思ったのです。

より難易度の高い英語、例えば難しい文学作品や中英語を学ぶという選択肢もありましたが、どうせやるのなら自分が全く知らない言葉を独学で勉強しようと思いました。

ハングル語、ドイツ語、スペイン語、やってみたい言語はいろいろとありましたが私が選んだのはイタリア語でした。単に「イントネーションが気持ちいい」という理由でそうしました。

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令和六年九月場所

大相撲が好きになって以来、九月場所があるから夏休みが終わる寂しさに耐えられると思うようになりました。そんな心待ちにしていた九月場所も一瞬で終わってしまいました。

7月場所は時間休を取るなどして、幕内の取り組みをかなりテレビで観戦することができましたが、この場所はそうはいかずに休日を除いてほとんど観戦できていません。

ハードディスクレコーダーの中には大量の取り組みがたまっているのですが、やはり物事には旬があり全ての取り組みが終わった今から見る気にはなりません。

私の相撲観戦に関しては不完全燃焼感が強かった今場所ですが、それでもいつものように気付いたことを記してみたいと思います。

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出会いと別れ

新車購入

「そろそろ車を買おうか」妻にそう言ってバスに乗りディーラーを巡ったのは次男が歩き出した頃であったと記憶しています。

長男が生まれた時、私たちは明石に住んでいました。市内でも交通至便な場所であったため、ほとんど乗らない車を維持するのがもったいなく、私たちは私が独身時代に乗っていた2ドアクーペを手放しました。

それからしばらくして神戸市内に引越しましたが、普段は電車やバスで移動し、どうしても車が必要な時はレンタカーを借りる生活をしていました。この時期はタクシーもよく利用しました。それでも自動車を所有するよりも費用ははるかに少なくて済みました。車は便利ですが金食い虫な存在であると思いました。

次男が生まれた後も、このまま車を所有しない生活もありだなと思う一方で、こうも考えました。「子供はやがて成長して親元を離れていく。それまでの間、車を持つことで家族で何かを行う機会ができるのではないか」。

レンタカーを借りても家族で何か行うことはできたと思います。しかし、手元に車があり、思い立った瞬間に行動できる状態を持つことはそのチャンスを広げてくれると思いました。

私は生まれて初めてディーラーで新車を買いました。七人乗りのミニバンでした。運転席の後ろが次男、助手席の後ろが長男の席になりました。どちらもチャイルドシートが取り付けられました。

実際に私たちはこの車で数多くのことを行いました。各地を旅しましたし、妻と私、お互いの両親の住む場所へも頻繁に帰省し親孝行することもできたと思います。維持費はかかりましたが、それを差しひても得るものがあり私たちは車を買ってよかったと思いました。

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更年期か?

9月場所中なのに

私は毎週土曜日にこのブログの記事を更新することにしている。かつては週に2〜3本書いていた時期もあったが、ここ1年半は週1回土曜の更新となっている。

たいていは水曜か木曜の夕方に1時間ぐらい作文をして、必要があれば金曜に書き足し、土曜の朝に調整をした後投稿する。

投稿するとホッとする。プロの作家のそれとは比較にならないが、それでも記事を書かなくてはならないというプレッシャーはあり、時々「記事の更新を不定期にしたらどんなに楽だろうな」と感じることがある。

そもそも私はプロでもなんでもないのだから不定期投稿で十分であるが、「週1書かなくてはならない」と勝手な縛りを与えているのは私自身であり、それによって時に私は勝手に苦しむ。

更新を続けようとするのは、このブログの目的が文章を書くことで自分の心の状態を確認し、より幸せを感じる自分にチューニングすることだからである。

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曲がりながら萌える(後編)

札仙岡福

札仙広福(さっせんひろふく)という言葉があります。札幌、仙台、広島、福岡のことで、日本の3大都市圏以外で地方の中心となる都市を表します。地域を統括する官公庁があり、企業が全国展開するとき真っ先に支店を設ける街でもあります。

これらの街は人の行き来も多く交通も発達しています。当然JRの駅もその地方で最も大きなものになります。北海道、東北、九州を代表する駅はそれぞれ札幌、仙台、博多駅になりますが、話が中国地方になると少し異なります。

乗降客数で考えると中国地方の中心駅は広島となるかもしれませんが、駅の規模や路線の乗り入れ数を考えるとこの地方を代表する駅は岡山駅になります。

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曲がりながら萌える(前編)

好きな駅

私の住んでいる神戸は海と山に囲まれた地形をしています。とてもいい街であると思いますが、鉄道好きの私としては今ひとつJRの駅に面白みがありません。

これは神戸の地形に起因します。細長い市街地に鉄道が敷かれているため、路線の形が単純であり、駅の配線もポイントがなく線路にホームが寄り添うだけのいわゆる停車場型が続きます。

鉄道好きにとって好ましい駅とはこの「停車場型」とは反対で、多数のポイントによって複雑に線路が絡み合いホームを多数有する駅になります。残念ながら神戸市内にこのようなJRの駅がないのです。

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今のうちに

博物館

神戸市中央区に「人と防災未来センター」という博物館があります。いうまでもなく、1995年1月にこの街を襲った阪神淡路大震災に関する博物館です。教師になって以来何度もこの場所を訪問していますが、最近残念な体験をしました。

この博物館はエレベーターで4階に上がり、そこで震災の模擬体験をすることから見学が始まります。階段状になったシアターの三方がスクリーンで囲まれ、そこに震災が起こった瞬間の映像と音が流されます。

7分間の映像体験が終わると、一人の年配の方が私たちに近づいてこう言いました。

「ふざけるんだったら見せんとってほしい」

確かに一部の生徒たちは上映中に騒いでいました。私も少し気になっていました。上映が終わり入れ替わりの際、私は生徒たちを前に少し話をしました。

教師たちが注意されたこと。ここの施設が作られている理由。ここにどんな人がやってくる可能性があるのか。そんなことを冷静に語りました。生徒たちは反省した顔でじっと聞いてくれいました。

しかし、彼らの気持ちもわからないでもありません。これが20年前なら、ここにはいることができない子どももいました。つらい経験が生々しくフラッシュバックするからです。

今私が教えている中で親や兄弟を震災で亡くした生徒はいません。見たことのないおじいちゃんやおばさんならいるかもしれない年代です。生まれた時には神戸の街も美しく復興しており、震災の爪痕は意識して探さないと見つからないほどです。彼らにとって阪神淡路大震災は遠くて実感のわかないものなのです。

かといって、災害を彼らから遠いままにしておいてよいというわけではありません。この国に生きる限り、自然災害は必ずやってきますし、それを乗り越えていかなくてはならないからです。

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