曲がりながら萌える(後編)

札仙岡福

札仙広福(さっせんひろふく)という言葉があります。札幌、仙台、広島、福岡のことで、日本の3大都市圏以外で地方の中心となる都市を表します。地域を統括する官公庁があり、企業が全国展開するとき真っ先に支店を設ける街でもあります。

これらの街は人の行き来も多く交通も発達しています。当然JRの駅もその地方で最も大きなものになります。北海道、東北、九州を代表する駅はそれぞれ札幌、仙台、博多駅になりますが、話が中国地方になると少し異なります。

乗降客数で考えると中国地方の中心駅は広島となるかもしれませんが、駅の規模や路線の乗り入れ数を考えるとこの地方を代表する駅は岡山駅になります。

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曲がりながら萌える(前編)

好きな駅

私の住んでいる神戸は海と山に囲まれた地形をしています。とてもいい街であると思いますが、鉄道好きの私としては今ひとつJRの駅に面白みがありません。

これは神戸の地形に起因します。細長い市街地に鉄道が敷かれているため、路線の形が単純であり、駅の配線もポイントがなく線路にホームが寄り添うだけのいわゆる停車場型が続きます。

鉄道好きにとって好ましい駅とはこの「停車場型」とは反対で、多数のポイントによって複雑に線路が絡み合いホームを多数有する駅になります。残念ながら神戸市内にこのようなJRの駅がないのです。

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今のうちに

博物館

神戸市中央区に「人と防災未来センター」という博物館があります。いうまでもなく、1995年1月にこの街を襲った阪神淡路大震災に関する博物館です。教師になって以来何度もこの場所を訪問していますが、最近残念な体験をしました。

この博物館はエレベーターで4階に上がり、そこで震災の模擬体験をすることから見学が始まります。階段状になったシアターの三方がスクリーンで囲まれ、そこに震災が起こった瞬間の映像と音が流されます。

7分間の映像体験が終わると、一人の年配の方が私たちに近づいてこう言いました。

「ふざけるんだったら見せんとってほしい」

確かに一部の生徒たちは上映中に騒いでいました。私も少し気になっていました。上映が終わり入れ替わりの際、私は生徒たちを前に少し話をしました。

教師たちが注意されたこと。ここの施設が作られている理由。ここにどんな人がやってくる可能性があるのか。そんなことを冷静に語りました。生徒たちは反省した顔でじっと聞いてくれいました。

しかし、彼らの気持ちもわからないでもありません。これが20年前なら、ここにはいることができない子どももいました。つらい経験が生々しくフラッシュバックするからです。

今私が教えている中で親や兄弟を震災で亡くした生徒はいません。見たことのないおじいちゃんやおばさんならいるかもしれない年代です。生まれた時には神戸の街も美しく復興しており、震災の爪痕は意識して探さないと見つからないほどです。彼らにとって阪神淡路大震災は遠くて実感のわかないものなのです。

かといって、災害を彼らから遠いままにしておいてよいというわけではありません。この国に生きる限り、自然災害は必ずやってきますし、それを乗り越えていかなくてはならないからです。

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汗かいて汗

2泊3日

高校教師をしていて「自由でいいな」と感じる時がある。それは学校が夏休みの間比較的自由に休みを取りやすいことである。とはいってもそのことが全ての高校教師にあてはまるとは限らない。むしろ、例外的な一部の教師だけのような気がする。そして私は今、その例外的な状況にある。

かく言う私も夏休みを比較的自由にアレンジできるようになったのは最近のことである。仕事を始めて20年近くは運動部の顧問を持っていた。しかも未経験種目の運動部である。前任者が熱心に取り組んでいたため、私もその勢いを引き継いで部活運営を行なった。練習試合や合宿で夏休みはほとんどなかった。

部活以外にも、英語を教えているため学校によっては補習と勉強合宿で夏が終わってしまう。大学受験を行う高校生の科目別学習時間を考えると、英語はダントツで1番長く勉強される科目であろう。だから夏休みも英語教師は大人気である。というか自分たちで補習を設定し忙しくしている。進学校にはそうせざるおえない雰囲気がある。

いろいろと忙しい夏を経験してきたが、幸いなことに今は夏の時間を自分でコントロールしやすい立場にある。だから私は自分のため、自分の親のために時間を使うことにした。

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ビワイチ

18切符

「民営化は仕方がないとしても分割は勘弁してほしかった」実施から35年以上過ぎても私は国鉄改革に対してそう思い続けています。鉄道の魅力は全国を網羅したネットワークにあるからです。

確かに現在でも国鉄時代の路線は日本全国に広がっています。しかし会社が分割された結果、それぞれのJRが自分のことを中心に考えるため会社をまたいでの輸送が弱くなっています。

私が年をとることを楽しみにしていた理由の一つに「フルムーンパス」の存在がありました。夫婦合わせて88歳を超えればJR全線でグリーン車に格安で乗ることができます。しかし、いざ資格ができたと思えばフルムーン自体がなくなってしまいました。代わりにJR西日本では「おとなび」という制度ができましたが、利用会社が限定されるためその魅力はフルムーンに遥かに劣ります。

このようにお得な乗車券のほとんどが各会社内で完結する昨今ですが、青春18切符は今年の夏も販売されることになりました。これも毎年その販売の有無が心配され続けている切符で、正直に言ってJRも積極的に売る気がないと思います。

それでも全国を網羅してくれる切符をこの夏も売り出してくれたことに感謝しつつ、先日妻と二人で日帰り旅行を楽しんできました。

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令和六年七月場所

六月の終わりを迎えると「今年ももう半分終わったのか」という気分になります。いつもの「時が流れゆく早さ」にブルーになる瞬間ですが、すぐに名古屋場所がやってくるので気も紛れます。

ただ、そんな名古屋場所が終われば「まだ一年の半分少ししか経過していないのに、相撲の場所は3分の2が終了してしまった」と鬱な気分になるのです。一年という枠組みを外して考えれば、相撲の場所は2か月ごとにきっちりと開催されるので一喜一憂する必要はないのですが、これは根がネガティブな私のどうしようもない性なのでしょう。

今場所も色々と思ったことを書き留めていきます。

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昔と今

三人で名古屋へ

「一緒に名古屋で美味しいものでも食べようか」

大学生の長男をさそってみたが「大学が忙しいから」と断られてしまった。昨年の11月、家族四人で福岡へ行った。私と妻は大相撲を観戦して、息子たちはそれぞれ思い思いに過ごした後、四人で居酒屋に行ってホテルに泊まった。

成長した息子たちには親と一緒ではなく、自分たち一人で訪問したい場所がある。それでも夜は付き合ってくれた。家族旅行と呼べるかどうかの微妙な旅であった。今回私と妻が名古屋場所を観戦するにあたって福岡の再来を期待したのだが、長男にはあっけなく振られてしまった。次男はなんとかついてきてくれたが「相撲を一緒に見ようか」の誘いはあっさりと却下された。

結局私たち夫婦は一緒に行動し、次男は移動の列車と夜だけ私たちと過ごすことになった。名古屋訪問を終えて「昔と今」についていろいろと頭に浮かんできたので、それらを思いつくまま記してみたい。

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再開してしまった

三種の

私は沼にハマってしまった人間です。沼の名前は「語学の沼」と言います。語学を学ぶことは一筋縄ではいきません。意識して絶え間ない努力を続ける必要があります。

友人のフィリピン人が言っていました。

「フィリピンでは小学校低学年から英語を学ぶ。英語ができないと何かを学ぶことができないし仕事もない。つまりいい暮らしができない」

彼の国で英語ができるということは「国際社会の中でどうのこうの」というレベルではなく、それなしではまともに学ぶことも生活することもできないことを意味するのです。だからほとんどの人は好き嫌いに関わらず英語を話します。

私の住む国日本では英語ができなくても困ることはあまりありません。どんな学問も母国語である日本語でアクセスすることができますし、映画や文学などの文化も日本語だけでかなりの市場が成り立っています。仕事で日本語以外の言葉を使う必要もほとんどありません。

それであるからこそ、外国語を学ぶためには「意識して絶え間ない努力」が必要になってくるのです。使う機会や必要がないことを、意識を集中して時間をかけ継続し続けなくてはならないのです。これは結構大変なことだと思います。

そんな語学の沼に私はハマりました。私がハマった沼は普通の沼とは異なります。三種類の異なる泥から成り立っています。英語とイタリア語と台湾語という名の泥です。

英語はまだいい方です。他の二つの言語に比べると使う機会も多いし、教材も豊富にあります。イタリア語は街場ではほとんど使うことがありません。台湾語に至ってはその存在を知っている人が私の周りにはほとんどいません。私の学ぼうとしていた台湾語は国語である台湾華語とは異なり、台湾南部の正書法がまだ確立されていないローカルな話し言葉です。

これらの言葉を一度始めたら最後、自分の力が落ちるのが怖くて途中でやめることができません。と言いつつ私は今までイタリア語の学習を何十回もやめては再開してきました。仕事が忙しすぎる時です。台湾語に至っては「勉強している」というレベルではないかもしれません。少しテキストを音読しては、しばらく放置してを繰り返してきました。

語学をやっていて楽しいのか苦しいのか、それがわからないまま時間だけが経過していきました。

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世代を超えて

次男の部屋で

私は自分の息子たちに「勉強しろ」と言うことがない。彼らの成績が気にならないかと言えばウソになるが、通知表や模試の結果を見て励ましたり怒ったりすることはない。私がどうこうしても仕方のないことであるから、私はただ淡々と息子たちを影で見守っている。

「勉強しろ」とは言わないが「勉強を教えて」といわれればできる限り応えてあげるようにしている。専門の英語に加えて地理と現代文ぐらいなら何とか教えることができる。

現在大学生である長男はほとんど私のところに来なかった。高校三年生のとき、志望大学の過去問を持ってきたのでそれを解いて解説してあげた。わずか2~3回そんなことがあった。

次男は中学校でほとんど勉強しなかった。その反動か高校に入りすごい勢いで学習している。彼も基本的には一人で机に向かうが、わからない場所があれば私に聞いてくる。その頻度は長男のときよりはるかに多く、1~2週間に一回程度彼の部屋で英語を教えている。

一通り教え終わると彼とたわいもない話をする。旅行や音楽の話が多い。この前はイギリスのロックバンド「オアシス」の話をしていた。彼はこのバンドのセカンドアルバムの曲、”Don’t look back me in anger”が大好きでギターを弾きながらよく歌う。

オアシス話で盛り上がっていると大学生の長男が帰ってきた。彼は大阪で一人暮らしをしているのだが、神戸でもバンドをやっており頻繫に帰ってくるのだ。

長男は「ただいま」の声もなく玄関のドアを入るといきなり大声で歌い始めた。

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受け継いだもの

里山の地表

地表について考えてみる。自分が鳥になったつもりで、上空数百メートルから見た土地の姿だ。日本の地表は、主に都会と里山とそれ以外との3つに分けることができる。環太平洋造山帯に沿って連なる国日本、この国の面積の七割は山岳地帯である。

日本の山はほとんどが木で覆われている。原生林が残っている場所は稀であるが、人によって木が植えられた山も今ではそれほど人が入っていかない。その地表では植物相のバトルロイヤルが繰り広げ、気候などの条件により均衡状態がふれ動く。

人が住むことができる三割の地表の中で、都市部の地表はほとんど建物とアスファルトとコンクリートによって塗り固められている。それでも放置すれば、この国の気候要件では50年と待たずに植物に覆い尽くされてしまうが、都市に人が住む限りそういうことはさせない。都市部の地表は管理され続ける。

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