テレビもいいけれど

春を告げる

大相撲が始まる前の週末、つまり奇数月の第2日曜を迎える週末の授業で私はよく「今週末はみんな楽しみがあっていいな」というようなことを言います。生徒たちは何のことかとザワザワと考えますが、やがて私が「みんなも若隆景応援してな」などというと「なんだ相撲か」的な反応を示します。

「私もみんなの歳の頃は良さが全くわからなかった」と言ってお茶を濁しますが、本心は「誰か相撲の好きな生徒はいないかな」と思っています。私が教えるクラスでは必ずこのような相撲ネタで苦笑をとるのですが、今まで積極的に食いついてきてくれた生徒はほとんどいません。

私が普段仕事をしている世界では、大相撲ファンは絶滅危惧種のような扱いですが、世間一般を見るとそうでもなく、1月場所は全て満員御礼になり、大阪場所もそうなりそうな予想でした。

若貴ブームのような際立った人気力士はいないものの、日本文化を体験したい外国人客の増加もあって、最近では大相撲のチケットが取りにくくなっているのは事実なようです。

そのような事情を察してか、私がよく相撲話をする職場の先輩が大阪場所のチケット購入を提案してこられました。先輩は私よりランクが上の会員のため、早くチケットの抽選が受けられるのです。

大阪に春を告げるのは大相撲と選抜高校野球だと言われています。兵庫の人はそれにイカナゴのシンコが加わります。私は高校野球はあまり興味がありませんが、今年は不漁で全くシンコが食べられなかったため春の楽しみが一つ減り寂しい思いをしていました。そんな中、先輩のおかげで私は何とか春を迎えることができたのです。

一日仕事

妻と大阪場所に行くのは去年に引き続き二度目です。前回は千日前の道具屋横丁をぶらぶらし、昼飲みをしてから会場に入りましたが、今回は序の口の取り組みから見ることにしました。私は昼頃で良かったのですが、呼び出しファンである妻は、どうしても序二段呼び出しの天琉氏が呼び出しを行うところを見たいというのです。

駅とつながる地下街を抜け、高島屋の西側を南へ歩き、なんばパークスが見える大きな交差点を渡ると右手にカラフルなのぼりと太鼓用の櫓が見えます。「あー、相撲を見に来たんだ!」と気持ちが上る瞬間です。

会場に入り指定された席に着きます。去年は座席に座りましたが一度升席の良さを味わうと元には戻れません。職場の先輩に取っていただいたペア升席に腰を下ろします。土俵から少し遠いのですが、一日いていろいろと飲み食いするには最高の席です。

9時半になり序の口の取り組みが始まります。10人ぐらいしかいないんじゃないかと思っていましたが、会場は予想以上に人がいます。私たちと同様に双眼鏡や名鑑を持っている人もいます。

突然大相撲が好きになり見始めて5年以上経ちますが、こうやって序の口から見るのは初めてでした。そのため知っているようで知らなかった気づきがたくさんありました。

例えば呼び出しが名前を呼ぶ取り組み数もその一つです。

この日、立て呼び出しの次郎氏が呼び出す取り組みは結びの一番だけでした。これに対して、一番最初の安希隆氏は序の口から序二段の十二番の呼び出しを務めました。地位が低ければ低いほど関わる取り組みが多くなり、最高位では結びの一番だけとなります。

これは行司に対しても当てはまり、立行司の木村庄之助氏は最後の一番、最初の式守鬼三郎氏は九番をさばきます。これらは経験の少ない者に多くの場数を踏まして技量を身につけてもらおうということだと思います。

その他、次の呼び出しが控える位置や名前を確認するメモの存在、序二段や三段目であっても取組後出待ちをするファンがいること、通路の奥で関取と話をしているタニマチ的な人、自分の引退興行のチケットを手売りする元力士、テレビで見ているだけでは見えてこない世界が見られて、ますます大相撲が面白くなります。

至福過ぎて

大阪場所は一度だけ再入場が認められます。名古屋や福岡は会場の周りに店が少ないのですが、ここは大阪のど真ん中です。私たちは三段目の途中で会場を抜け出して高島屋へと向かいます。

大きなデパ地下を歩くとき、私は自分が今過ごしている時代と場所にいかに恵まれているのかを感じずにはいられません。全国そして海を越えての色とりどりの美味しそうな食べ物であふれかえっています。そしてそれらは私が現金かカードを取り出すことで、10分後に私の口の中に入れることができるのです。

こうやって文章に書いているとその有難さがよくわかります。しかし、その場では早く取り組みが見たい一心で、焦りながら食べ物を選び、すぐに会場へ引き返します。私たちの手には、ある恵まれない国のある人にとっては数週間分かそれ以上の価値のある食べ物がぶら下がっています。それは私たち二人にとってわずか1回分のお酒のあてでしかありません。自分自身傲慢になりすぎないためにも、気づいたときこのように記しておきます。

会場に戻り相撲観戦を続けます。注目していた安青錦を応援し、須崎や若隆元に歓声を上げます。12時になるのを待って、アルコールを解禁します。お酒が入ると、目の前の景色も変わってきます。飲んで、先ほど購入した焼き鳥やエビチリを食べ、妻と一緒に声を上げて贔屓の力士たちを応援します。

十両の取り組みが始まり会場全体が華やかな雰囲気になります。声援の大きさも幕下までとは段違いです。私たちも調子にのって思わず飲み過ぎてしまいます。お腹の中も美味しいもので満たされています。

私たち二人はどちらかともなくウトウトとし始めました。リラックスして、気持ちよくて、お腹が満たされて、アルコールが回って、至福過ぎて目の前の勝負を見逃しているのです。

「これじゃあダメだ」と立ち上がって会場を歩いて外の風にあたります。しかし、こういった気持ちになれる瞬間こそ幸せなのだと思うのです。

私の大好きな鉄道紀行作家の故宮脇俊三氏は、列車で景色を見なければと思いながらの眠りには甘露の趣があるというようなことをエッセイに書かれていました。升席でウトウトし、歓声でふと目を覚ますが勝負はもう終わっている。テレビとは異なりリプレイがないので、見逃して悔しいと思いながら勝負の内容を想像するときにも同じような風情があると思います。

テレビで相撲観戦をするものいいのですが、やはり会場には会場の良さがあります。拡大された画像やリプレイが見られなく、解説も聞くことができませんが、その分私たちは五感を働かして勝負を見ることができます。そしてアルコールや満腹感でその五感が鈍ったとしても、そこには別の趣があるのです。

大相撲の、さらに大相撲観戦の奥深さに気づかされた一日でした。

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投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。