援助要請

薄い貨幣経済

私の生まれ育った場所は、ここから車で2時間ほどの場所にある。瓦屋根の集落があり、その周りには田畑が広がり、しばらく行くと農協の施設があり、駐車場の広いスーパーが地域の人々の集まる場所という典型的な日本の田舎である。

そんな田舎に私の父と母は暮らしている。父はもうずいぶんと前に仕事をやめて小さな船を買った。農業の傍らで、天気がよいとその船に乗って魚を釣りに出かける。合わせてデイトレーダーのようなこともやっていたが、「株は儲からない」といって今はほとんどしていないようだ。

作った米や野菜、釣った魚は、私たち家族や親戚、父母の知り合いの胃袋へと消えていき市場に出ることはない。その代わり、私の実家には野菜や魚をもらった人々から数多くの返礼品が集まる。

それはハムやジュースなどの加工品であったり、父母の栽培していない野菜であったりする。父母が消費しきらないそれらの返礼品は、私たちのもとへとやってくる。

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ブームは本物

妻からのプレゼント

誕生日、結婚記念日、父の日、母の日など、夫婦の間でプレゼントをやりとりする機会はいろいろとありますが、最近ではほとんどが食べ物ですましています。これは単に、お互いに物を所有することに対して興味がなくなっているためです。

特に私は近藤麻理恵さんの本を読んでからは、物を捨てることにも抵抗がなくなり、よりシンプルな生活を楽しめるようになってきました。だから、妻に「何か欲しいものある?」と聞かれても、「おいしいカツオが食べたい」と言う風に、胃の中に消えてなくなる食べ物を望みます。

そんな私ですが、少し前に欲しいものができ、そのことを妻と話しました。「じゃあ、それを私がプレゼントしてあげる」と妻は言いました。

しばらくして、その会話を忘れるころ、私宛にアマゾンが届きました。話をしていた例のプレゼントでした。

中身を取り出してみます。

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1年また1年

ラインでのやり取り

オーストラリア人の友人の童くんはこのブログにも何度か出てきているが、彼は今、彼の地元であるブリスベンで働いている。コロナで延びていた帰国が去年の末に実現したためだ。

私が若いころ「次はいつ会えるのだろう」と思いながら海外にいる友人に手紙を書いていたものだ。重量を減らすための薄い便せん書かれた手紙を、by air と書いた封筒に入れて郵便局に持って行き、重さを測ってもらっていたことを懐かしく思い出す。

テクノロジーは進化し、今はわざわざ手紙を書くこともなく、ほぼ無料で近くの友人と同じようなコミュニケーションをとることができる。童君とも頻繁にメッセージや写真、時には動画をラインで送りあっている。なんだか季節が日本と正反対の国にいるとは思えない。

先日は彼に満開となった桜の写真を送った。

“I am really missing Japan now.”

すぐに返信があった。

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ワクワク2週間

奇数月

この4~5年、奇数月が楽しみになった。月が替わり、カレンダーをめくると日曜日の並びを見る。そして「3月13日が初日か」という具合に大相撲の開催日を確認をする。

このカレンダーは、日本相撲協会が作っているもので、ありがたいことに妻の友人が毎年持ってきてくれる。予算がないのかコロナの影響なのか、今年のものは写真が少し古く、画像が不鮮明であるが文句は言わない。

場所が始まると私の機嫌がよくなる。普段テレビを見ない私であるが、この時ばかりは特別で、チャンネルの優先権は私にある。テレビをみる場所は3カ所ある。自宅、サウナ、馴染みの立ち飲みである。

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懐かしく悲しい地名

捨てられない地図帳

私の興味・関心事に関する最も古い記憶は電柱と電線である。親の話によると、幼い頃、家の近くにある電信柱と電線の配置に興味を持ち、飽きることなく眺めていたらしい。実際に電柱と電線、そしてその付属施設であるトランスや電灯を、広告の裏紙に鉛筆で書いていたことを覚えている。

複数の地点を結ぶ線。私の興味が電線から鉄道に移行したことは自然の流れであった。小学生になる前には、私はすでに鉄道好きになっていた。

小学生の時、愛読書は交通公社の分厚い時刻表であり、私は飽きもせずに、それを何時間も眺めていた。私の中での日本地図は時刻表に掲載された鉄道路線図が元になっている。だから未だに離島や鉄道空白地帯の位置関係に関しては弱い。

鉄道好きには地理好きが多い。私もその例に漏れず地理が一番好きな科目になった。高校の科目選択も当然地理を選んだ。もう30年以上前のこと、どんな授業であったのかそれほど印象に残っていないが、とにかく地図帳に印をつけて書き込みを入れていったことを覚えている。

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お昼ご飯を食べに(続き)

土曜の朝の葛藤

久しぶりに外食をしたことについて書こうと思ったのですが、投資について触れるうち予想外に前振りが長くなってしまいました。それだけ投資を始めてから私の外食の在り方が変わったということで、まだ書きたいこともありますが、今回はすぐにタイトル通り昼食について書きます。

先週土曜日の話です。私は朝、ある葛藤をかかえていました。そしてその葛藤こそ、私を苦しめてきたモヤモヤをよく表しています。

最終的に私のモヤモヤの根源はどうしようもないこと、つまり仏教でいる生老病死であると考えています。そしてその次に来るのが、現在と未来との距離の取り方です。

どういうことか。単純に言うと「今を全力で楽しめないこと」「未来のために今は我慢しなければならないと思い続けること」「”効率”を求めすぎて一見無駄なことができないこと」これらになります。

天気の良い土曜の朝「今日バイクで走っておいしいものを食べたら気持ちイイだろうな」と思います。しかし、同時に私の中に以下のような気持ちも湧き上がってきます。

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お昼ご飯を食べに

価値観が変わった

ブログを書き始めて次の6月で3年になります。書くことは自分の頭の中を見える形、つまりディスプレイに表示された文章にして、自分の網膜へと映し出し、そして最終的に自分の頭へと戻してやる行為です。

ひとつひとつの文章は大したことありませんが、継続の効果は確かに大きく、書くという行為を続けていくと自分の考え方が変わるのが分かります。

行動が変わるから考え方が変わるのか、考えが変わるから行動が変わるのか、おそらくその両方の相乗効果だと思いますが、この3年間に私は数多くの新たな経験をしました。

その中の一つが株による資産運用です。

私は絶対に株なんかする人間になるとは思っていませんでした。株好きの父親から「いつも心が落ち着かない」と聞いていたこともあるでしょう。のべつ株価の上がり下がりに気を取られる生活なんて面白くないと思っていました。

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10年後の君も…

変わらないもの

長男が卒業アルバムを持って帰った。

私から息子へ、1世代の間に写真の在り方は大きく変化した。記録媒体はフィルムから電子データへ変わり、風景は印画紙からモニターに映し出されるようになった。写真を写すコストは、タダ同然となり、撮影される画像は天文学的に増えた。

そのような中、30年前と変わらぬ姿の卒業アルバムが目の前にある。手に取るとずっしりと重い。ページをめくってみる。構成もほぼ昔と変わらない。

冒頭、校長・教頭先生に続く教師たちの集合写真。それからクラスごとの個人写真に、部活動の集合写真、修学旅行や学園祭の思い出と続く。在籍した3年間に起きた出来事がまとめられた裏見返しの直前、見開き4ページの白紙。全く変わっていない。

空白のページには友人から長男に宛てたメッセージが書かれている。読むうちに、私は30年も昔、自分の卒業アルバムの中に記された一通のメッセージを思い出した。同じクラスで3年間過ごしたK君が書いたものだった。

「10年後の君もスレイヤーを聴くのか?」

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毎朝思うこと

午前6時30分

年を重ねていくと、若いころには考えられなかったことが起きます。その中の一つが朝の目覚めです。あれほどスッと起きることが苦手だった私ですが、最近では目覚ましが鳴る直前に自然と目が覚めます。

朝6時半、布団から起き上がると毎日のように思うことがあります。

「ああ、今日も目を覚ますことができた」

寝室を出て、廊下を歩きながら思います。

「ちゃんと歩くことができる。脳の血管は切れていない」

リビングに入りベランダに面したカーテンを開けます。見慣れな街並みの向こうに太陽が見えます。

「ああ、私は今日本にいる。ラッキー!」

台所でやかんに水を入れ、コンロに乗せて火をつけます。何の問題もなく水がお湯へと変わっていきます。冷蔵庫からコーヒーの粉を取り出し、ペーパーフィルターに山盛り3杯入れます。

だいたいこのころに、妻が起きてきます。

「おはようございます」とお互いに丁寧なあいさつをします。

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社会科教師

私にはたくさんの趣味があります。

バイク、サウナ、旅、立ち飲み、語学、読書、音楽、明石焼きなどですが、私の今までの人生を振り返ってみると、一番古いものは鉄道になります。

私は物心ついた時には鉄道が好きになっていました。

この分野にはいろいろなジャンルがあります。撮り鉄、乗り鉄、模型鉄、収集鉄、その分野は細分化される一方です。私は今は「飲み鉄」ですが、子どもの頃にはそのような色分けも明確ではなく、何となく鉄道全体を愛していました。

日本全国に路線網を持つ鉄道を愛するということは、自然と人文地理に興味を持つ人間になります。私は学校で勉強する科目の中で社会、とりわけ地理の分野に興味を持ちました。

中学校の時、ある社会科教師に出会い魅惑され、私の社会好きは決定的になりました。中学を卒業する15才の時には、私の将来の職業は中学校社会科教諭であると決めていました。

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