どちらで行こうか?

新たな悩み?

12月12日の全国通訳案内士2次試験から一月半が経ちました。試験用の勉強をやめると、今度は本棚から未読の本が私に「まだ読まれてないよ」と視線を送ってきます。そんなわけで、私はこの間かなりのペースで読書をしています。

本棚の本を読む傍らで、書店にもよく行きます。もともと書籍に関しては財布の紐がゆるい私ですが、クレジットカードで買うようになってからはその傾向に拍車がかかりました。

加えて、通勤途上に公立の図書館があるため定期的にそこへ立ち寄って本を借りてきます。買おうかどうか迷うレベルの本がタダで借りられるので、読む読まないは別にして目についた本があるとサッと手に取ります。

そのようなわけで、私の寝室には相変わらず未読の書籍があふれています。しかし、私は本を読み続けているので、少しづつ減って、また少しづつ溜まる、いわば流れのある堆積であります。

読むのは主に紀行文、ビジネス書、新書、エッセイといった脳に対する負荷が低いものが中心となります。そのような書籍を通勤電車や家での空き時間に読んでいきます。読書はとても楽しく心を満たしてくれる行為でありますが、最近はいろいろな人を知ることで新たな悩みというか、少し考えるべきことも出てきました。

それは服装に関してのものです。

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久しぶりのモヤモヤ

水島新司氏の訃報

最近なぜかスマホに勝手にニュースが入ってくるようになった。側面のスイッチを押せば、最初の画面に速報という形で簡潔な知らせが現れる。そのまま画面をタップすると、詳しい記事へと進むわけだ。

自分では設定した覚えがない。しかし、こうやってニュースが現れ続けることを考えると、いつの間にかそのような状態を作ってしまったのだろう。自分ではそれほど怪しいニュースではないと思えるため、そのままにしてしている。興味の無い芸能関係の話題が多いため、ほとんどは記事に到達することなく削除される。

そのようなスマホニュースに先日、漫画家の水島新司氏の訃報が入ってきた。名前を聞いたのは久しぶりだった。確か数年前にマンガを書くことをやめたというニュースを聞いたきりだったと思う。そして、そのニュースの更に数年前に「あぶさん」の連載が終わったという知らせを聞いた。

私は氏の作品を読み続けてきたわけではないが、それでもドカベンは全巻持っていて何度か読み返し、私の野球観や人間観に少なからず影響を与えた。その他「光の小次郎」や「男ドアほう甲子園」などは、タイトルを聞くだけで、それらを読んだ子どもの頃の気持ちがよみがえってくる。

そんなわけで水島氏に関するネットニュースをしばらくいくつか見ながら、氏の人生と自分の少年時代を思い出しているとある記事に出会ってしまい、しばらくモヤモヤすることがあった。

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奇数月の楽しみ

年に6回

奇数月の最初の週が終わる頃、私の心は弾み始めます。

「これから楽しみな2週間が始まる。やったー!」

もう十分にオヤジの年なのですが、夏休みを前にした子どものような気持ちになります。そう、奇数月の半ばには大相撲が開催されるのです。1年に6回、1回あたり15日、全部足すと90日。

ということは、1年の約4分の1は大相撲が開かれていることになります。実際は結構な数字ですが、始まったらすぐに終わり次の場所がなかなか来ないと思うのは、私がそれだけ大相撲が好きということを表しているのかもしれません。

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本気で挑む人

漢字好きのイギリス人

同じ職場で働く案くんはイギリス人でロンドン出身です。私は米語よりもイギリス英語の方に興味があるため、彼によく質問をします。中途半端な英語の使い手にありがちなことですが、私も河口域英語やロンドンの方言が話せたらかっこいいなと思うので彼にいろいろと質問しようとするのですが、意外と反応がありません。

彼はアッパーミドルなのでコックニーは話さないし、Estuary Englishも分からないというのです。「そんなの分かれへん」と関西弁で答える彼は、逆に私に数多くの日本語に関する質問をしてくるので、私も「分かれへんなあ」とお互い様です。

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日本最北のサ活

ノシャップの先へ

なんだかんだあってこの年3度目の北海道、2回目の稚内にいる。夕方6時前の列車まであと5時間半、さてどのようにここで過ごそうか。

この街へ来たのはこれが2度目。前回はこの年(2021年)の春であった。旭川からの日帰りという強行軍。午後1時前に到着し、レンタカーを借りて宗谷岬へ行った。最北の地でたらふく海鮮を食べようと期待していたが、コロナ禍のため食堂は一軒も開いていなかった。仕方なく、セイコマートのポテトフライで空腹をごまかした。

今回もほぼ同じ時程での稚内。さてどうすると次男に尋ねると稚内温泉に行きたいという。「わざわざここまで来て温泉か?」と思ったが、どうしたいのか尋ねたのは私なので、彼の意見に従う。

観光案内書でバスの時刻を見ると、10数分後に出発する便の都合がよろしい。駅前で昼食は食べられないが、温泉施設に行けば何とかなるであろう。私たちは午後1時のバスに乗り最北の温泉を目指した。

2日前からの寒気で窓の外は一面雪に覆われている。それも私の感覚からしたら「ここまで積もるか」というぐらい雪が積もっている。そして、北国の人々は「この状態で走れるか」というような道を、何事もないように運転している。

ノシャップ岬の入り口を過ぎると民家が乏しくなる。バスは南へ向けて走る。右手に海、左手に荒涼とした丘、その間には魚の加工施設が目立つ。私たちのバスは時刻通り駅から18分で温泉へと到着した。この雪の中で遅れがないとは恐れ入る。温泉に食堂とサウナがあることを期待しながら下車する。

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やはり言葉か

人気のない場所で

12月下旬のある朝、私は次男と一緒に氷点下に凍てつく駅前に立っていました。周囲はまだ薄暗く、雪が断続的に降り続いています。乗っていた列車が立ち去り、微かに聞こえていたエンジンとジョイント音が消えると、一面無音の世界が広がります。

私たちが下車したのは「歌内」という無人駅で、北海道の宗谷本線にあります。この駅には1日に上下3本ずつしか列車が止まりません。私たちは宿泊していた音威子府から下りの始発に乗り、ここで下車した後、約30分後に上りで引き返します。同じ下り方面の列車に乗ろうと思えば3時間以上待つことになるからです。

こんなに寒くて暗い朝に私たちがここにいる理由、それは歌内駅で下車することでした。駅で下車すること自体がその駅に行く理由になるのでしょうか。

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今年も終わり

毎週土曜

最近は週に1度、土曜日に記事を投稿するのがパターンとなっている。書きたいことはいろいろとあるのだが、仕事に加えてイタリア語や通訳案内士の勉強を天秤にかけると、どうしてもこのペースになってしまう。

先週末に通訳案内士の2次試験を終え、1つ肩の荷が下りた。さて、時間ができたと思えば、今度は購入したまま放置していた書籍が私に視線を投げかけてくる。加えて、これも録音したままたまり続けるラジオ講座が、私に聞いてくれと訴えかけてくる。

というわけで、通訳案内士2次試験用の勉強時間が、そのまま読書とラジオ講座の時間に変わった。相変わらず、時間に追われながら生活する日々が続いている。しばらくはこのまま週1回のブログ更新が続きそうだ。

このブログを投稿する12月25日は今年最後の土曜日。ということは、この文章が2021年最後の記事になるのであろう。2019年の6月にブログを書き始めて、3年目が終わろうとしている。更新ペースは当初より減ったものの、何とか継続はできている。

嬉しいことは、記事を書くとともに、私は自分のモヤモヤとの付き合い方が上手になってきていること。3年目を終えて、そのことを実感している。

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感覚が変わる

いつもの立ち飲みで

私にとって、週に数回立ち寄る立ち飲みは日々の生活の中で大きな楽しみの一つになっています。家族以外はほどんど職場の同僚との会話で一日を終える中、ここで出会う様々な職業の常連さんは、私の知らない世界を教えてくれる貴重な存在です。

そういった人々と会話を楽しむことも立ち飲みへ通う理由ですが、ただ単にお酒、特に日本酒が大好きでここへ通っているのも本当です。ここの店主は日本酒に情熱を注いでおり、そこに魅かれて常連客は集まってくるのです。

実際に、立ち飲みにしては珍しく、ここでは焼酎を飲んでいる人はほとんどいません。ビールかホッピーの後、ぐい呑みで何種類かの日本酒を味わうのが一般的です。

そんな店に通う中、私の日本酒の好みが変化していているのを最近感じています。

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思い込み

気持ちの変化

2か月前にイタリア語検定2級を受験し、受験中に合格は難しいと感じました。私は家に帰り一枚の紙の上に「イタリア語検定2級が合格できない。どうする」書き、その下に縦線を一本引きました。

線の左側には「行うこと」、右側には「行わないこと」を箇条書きにしていきます。いろいろと考える中、気が付けば私は左側に「イタリア語教室に通う」と文字を記していました。

自分でも驚きました。なぜなら、このことは今まで私のなかに無かった発想だったからです。

私はイタリア語を始めた時から、とにかく独学で行うことを考えていました。NHKラジオの語学講座や動画は見ますが、とにかく自分で考えた方法でリスニングを行い、文法を学び、テキストを読んでいきました。

以前からブログに書いているように、成果だけ見ると散々なものです。学習を始めてから20年以上たちますが、学習、休止を繰り返し、なかなか力がつきません。

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神様と仏様

「勉強しなさい」

私は子供たちに向かって「勉強しなさい」とは言わない。

彼らがまだ幼かった頃は、小学生低学年ぐらいだろうか、少しは言っていたかもしれない。しかし、体も心も成長し、食べる量も”一人前”以上になった今、「勉強しろ」と言われて彼らが何を感じるのかと想像すると、私はそれを言う気持ちになれない。

人に何かをしてもらうこと、それはかなりハードルの高いことである。させる側は、それをあまり感じていないが、反対側にまわるとその難しさよく分かる。

いい大人になれば、他人が要求することに対して、素直に「はい」とは言いにくい。ましてや、両者に経済的な関係がある仕事ではなく、一方的な親と子の関係である。私自身も親が私に対して「要求モード」に入ったとき、必死に耳を塞ごうとしたものだ。

そもそも、親はどうして子供に勉強をさせようとするのだろう。いずれやってくる巣立ちの時、自分の力で生きていくためには、頭がよいほうが有利であるから。本当にそうであろうか。

勉強をしないよりはした方がよい、そのことは感覚的に分かる。人類の歴史の中で、ある程度の”正解”は出ている。

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